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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 エルヴィーラが指揮する東壁魔術師団は、キッティラに向けて疾走していた。

 それは、緋の竜の幹部であるコルホネンが、若い女を連れている姿をキッティラで目撃されたという情報が、エルヴィーラのもとにもたらされたためである。

 実を言うと、これまでコルホネンと緋の竜の関係は疑惑の域を出ていなかった。

 濃厚な疑いを抱いてはいたのだが、確たる証拠を掴めずにいたのだ。

 しかし、この直前にコルホネンはパルタモでフェリクスが関わる誘拐未遂事件を起こしている。

 フェリクスからその報告を受けたことで、ようやく数々の疑惑の裏をとることができたのだ。

 その報告の直後にもたらされた今回のキッティラでの目撃情報。

 場所的にも時期的にも、かなり信憑性が高い情報であることは確かだった。

 ただし、この情報には懸念材料も含まれているのだが。

(あれだけこちら側に動きを覚らせなかった緋の竜が、こんなにもあっさりと動向を把握させたことは気になる。罠の可能性が捨てきれない。だが、向こうが仕掛けてきたこの機を逃す手もない)

 そう決断し、エルヴィーラは精鋭を率いて急ぎキッティラに向かうことにしたのであった。

 エルヴィーラが、罠の可能性を把握しながらもキッティラに赴くのにはもう一つ理由がある。

 実は、一昨日からエルヴィーラの長女イリーナが行方不明になっているのだ。

 イリーナは十四歳。エルヴィーラの四番目の子供で、上三人が全員男児だったため、はじめて授かった女児でもある。

 利発で、容姿も気性もエルヴィーラにそっくりだった。

 エルヴィーラの教育方針により、イリーナは女性でありながら、他の兄弟と分け隔てなく育てられていた。おかげで、剣も魔術も男に引けを取らない腕前になっている。

 だが、そのイリーナが、つい先日姿を消した。

 エルヴィーラを手伝って、コルホネンが絡んでいるとされる事案を追跡している最中に、行方不明になったのだ。

 その直後、コルホネンはフェリクスが巻きこまれた誘拐事件を起こして失敗していた。

 にもかかわらず、間を置かずしてもたらされた今回の目撃情報――――。

 しかも、イリーナを髣髴とさせるような若い女連れというわざとらしい情報までついているのだ。

 何やら出来過ぎていて、エルヴィーラは罠の気配を感じずにはおられなかった。

 しかし、コルホネン目撃情報の確度は高いため、罠だからと放置するわけにもいかず、コルホネンを捕らえるためにも、こうしてキッティラを目指しているのだった。

(緋の竜が誘拐した人間は、その後どれだけ時間がたっても誰も見つかっていない。恐らく殺されているのだ)

 愛娘のことを思うと、エルヴィーラの胸に、焦燥感が沸き上がり、居てもたってもいられなくなる。

(いや…イリーナだけではない。これ以上我が民を奪われるわけにはいかぬ。今度こそコルホネンを捕らえなければ…)

 厳しい表情で馬を駆るエルヴィーラの脳裏には、つい先日、数か月ぶりに会った息子フェリクスの顔が蘇っていた。

 エルヴィーラは、フェリクスからコルホネンの誘拐関与と、ニルス=アクラスが西壁の少数民族スオミである可能性、ザクリス・エーンルートによる緋の竜の刺青についての考察などの報告を受けた。

 その時、フェリクスにはイリーナ誘拐の話を知らせておいた。

 イリーナが行方不明であるとの知らせを聞いたフェリクスは、激しく動揺していた。それも仕方のない事だった。

 フェリクスは、イリーナを授かった翌年に生まれたエルヴィーラの四男。

 二人は年が近いこともあり、まるで双子のように育った仲の良い姉弟だった。

 そんな姉が行方不明になったと聞かされたのだ。動揺して当然だった。

 フェリクスとイリーナは気性もよく似ており、とりわけ正義感が強い。

 東壁の状況を憂慮していた二人は、率先してエルヴィーラの手伝いを買って出ていた。

 フェリクスは、エルヴィーラのもとに集まった情報をもとにラハティ教会学校に潜入し、同じくイリーナは、緋の竜が誘拐した人間の運搬経路について調査していたのだ。

 イリーナは、消息を絶つ直前に気になる報告を上げていた。

 それは、緋の竜が誘拐した人間の運搬に使っている可能性のある闇経路で、王国内で大量に出回っているある薬が、同時に取引されている形跡があるというものだった。

 その報告は、エルヴィーラに少なからぬ衝撃を与えていた。

(緋の竜だけでも頭が痛い事案だというのに、まさか例の薬まで関わっているとはな…。かなり厄介なことになった。敵はいったいどんな組織なのだ。いったい何を目的としているのだ…)

 通常ならば、犯罪組織の目的は金を稼ぐためというわかりやすい理由であるはずなのだが、緋の竜に関しては何故かそういう結論には至らない。

 誘拐については身代金目的ではないことは確かであるし、人身売買の形跡もみつからない。

 そして、今王国内で大量に取引されている問題の薬も、かなり安価に流通されており、金を稼ぐことが目的であるとは思えないのである。

 エルヴィーラは深いため息をついた。

(薬が関わっているとなると、必然的にギルドの関与が濃厚になる。だが、商人が関わっているというのに、金銭が目的でないとすると、いったいどんな目的があっての行動なのか…。ますます分からなくなった。もう一度情報を最初から整理して洗いなおす必要が出てきてしまった)

 緋の竜の捜索過程の中で、コルホネンが緋の竜に関わっているという事実を掴んだ時から、自由都市商工業組合―――通称ギルドの、誘拐への関与はずっと疑われていた。犯罪の規模からしても、十分その可能性が高いと推察されていたのだ。

 だが、その証拠を見つけることができず、疑いの域を出ることはなかった。

 しかし、今回『薬』の取引も同じ経路で行われていることが確認されたことで、それは確かな情報にかわった。

 何故なら、問題の『薬』は、かなり以前よりギルドの関与が濃厚との調査結果が出ていたからだ。これは、カルヴァイネン家の分析でも同じ結論が出されている。

(誘拐と薬が、いったいどどのようにして繋がっているのか現段階では見当もつかないが、これでコルホネンを捕まえただけでは終わらぬことが確定してしまった。しかも、これからは薬の捜査にも人員を割かなければならなくなる。じき誘拐の案件にめどが立ちそうだったというのに、これではまた最初からやり直しだ。しかも、これからは東壁以外の場所でも調査をしなければならなくなる。他家の領地を荒らすような真似はしたくなかったのだが止むを得まい)

 エルヴィーラは、人知れず深いため息をついた。

『例の薬』とは、ここ数年、自由都市を中心に出回っているたちの悪い麻薬サジーの事である。

 サジーというのは、本来は酸味の強い果物の名前なのだが、問題の薬が酸い臭いがするため、そう呼ばれているのだ。

 サジーは安価であるため、各地の自由都市の下層民の間で爆発的に使用者が増えている。

 おかげで、薬欲しさに安い賃金で悪事に手を染めるものが増え、自由都市の治安はかなり悪化していた。

 この件については、四壁だけではなく、教会とも情報を共有し、各領地で厳しく取り締まっているが、効果はあまりなかった。

(薬については、カルヴァイネン卿の方が詳しいな。西壁で流行している疫病の件で悪質なデマが流れ、西壁ではかなりの量の薬が消費されているようだからな…。早々に連絡を取って情報のすり合わせをするか。そして、我々が西壁で捜査する許可も得ねばなるまい)

 西壁では、現在原因不明の病気が流行している。

 西壁の一部地域を中心に、酷い関節の痛みや、骨の軟化による骨折などが多発する病気が発生しているのだ。

 この病気は、重症化すると骨格まで変形してしまう病なのだが、原因は不明で、そのため治療法も全く確立されてはいない。

 さらに悪いことに、病気の流行範囲は徐々に拡大していた。

 この病気の主な症状は強烈な痛み。

 そのため、サジーで痛みを紛らわす人間が増え、その話が転じて、サジーで病気が治るという悪質なデマが西壁では広く流布されているのだ。

 サジーは、乾燥した葉っぱ状の薬で、煙草のようにして火をつけて吸うのが一般的だが、食べ物に混ぜて経口摂取することも可能だ。

 サジーには、確かに鎮痛作用もあるのだが、同時に強い陶酔感を覚え、幻覚や幻聴、精神錯乱を引き起こす。

 依存性が高く、乱用し、大量摂取すると呼吸困難に陥り、死に至ることもある危険な薬だった。

 そんな麻薬が安価で取引され、じわじわと人々を廃人へと追い込んでいるのだ。

 治安も確実に悪化し、領主たちにとってサジーは頭の痛い問題であるのだった。

(それにしても、コルホネンが所属しているのは絹織物・毛織物販売ギルド。だが、薬の売買への関与が疑われているのは鍛冶師ギルドだったはずだ。代々不仲の商人ギルドと工人ギルドが裏で手を組んでいたとはな…。盲点だった)

 大まかに分けて自由都市商工業組合は二つのギルドに分かれている。

 それは、商人ギルドと工人ギルドだ。

 商人ギルドは、主に大商人たちが所属する流通販売を行う者が集まるギルド。

 そして、工人ギルドは言い換えれば職人組合で、生産に携わる工人たちが所属するギルドである。

 商人ギルドと工人ギルドは、代々組合理事の席をめぐって熾烈な争いを行っている。協力体制が築かれていないのが実情だ。

 両者は、仕方なく利害でつながっているだけの間柄。

 いつでも、どちらかが、どちらかを蹴落として覇権を奪おうと企むような殺伐とした仲だった。

(緋の竜の手は、王室にも教会にも及んでいる。そのうえギルドにまで進出しているとは…いったい敵の手はどこまで及んでいるのだ)

 エルヴィーラは、敵の底知れぬ巨大さに、恐れすら抱いた。

 だが、すぐに首を振って悪い考えを頭から払うと、気持ちを切り替える。

(まずは、フェリクスの調査で浮かび上がったあの男についてもっと調べてみる必要があるな)

 教会学校に潜入していたフェリクスとイッカの調査で浮かび上がった人物を調べると、色々と疑わしい形跡が見られていた。

(フェリクスの参加している壁蝕後方支援部隊に同行しているあのヨルマという教師、以前から頻繁にコルホネンと接触している形跡がある。まずはあの男が誘拐にどう関与しているのか…そこを調べなければなるまい)

 考え込んでいるうちに再び同じ疑問にぶち当たる。

(それにしても不思議だ。敵は、危険を冒して捕まえた人々を、いったい何に利用しているのだ? 何故殺す必要がある? どうして殺すために人を捕まえる?)

 エルヴィーラには理解できないことだらけだった。

 何のために殺されるのか、その最大の疑問の答えを見つけられない限り、一連の動きは霧の中に隠れたままだ。

(それに、ヨルマというあの男…パウルス枢機卿一派に属している。最近、次の教皇選挙での穴馬と囁かれはじめたのがパウルス枢機卿…。もし何か関係があるとするなら嫌な符合だ…)

 次期教皇選挙の有力候補といえば、ベンクトとエーミルの二人だけだった。

 しかし、最近、その両者を嫌う票が、パウルスに流れはじめているのだ。

 この件は、先日ラウリとの面会の折に聞かされたばかりの話だ。

 パウルスは、タカ派でもハト派でもなく、評判を信じるなら両者の中庸である。

 だからこそ、ベンクトとエーミルの両極端な主張を嫌った人々の票が、パウルスに流れているらしいのだ。

(ノルドグレン卿は、教会内で情報操作を行っている何者かの存在を懸念していた。枢機卿の総入れ替え案についてもそうだ。不文律実行の可能性はまだ払拭しきれてはおらず、今後起こりうる最悪の事態の一つだとも言っていた)

 ラウリの分析では、今教会がかろうじてまとまっているのは、ソルム教皇の存在が大きい。だが、代替わりすれば、現候補の誰が選ばれても教会内が分裂する可能性が高い。

 だからこそ、各派のかけ引きが続いており、いまだ次期教皇選挙の日程が決まらずにいるのだ。

 そのため、敵はソルム教皇の信頼を失墜させようと舵を切り、枢機卿総入れ替えの噂流しはじめているのだろうとラウリは言っていた。

(ノルドグレン卿の仰る通りだ。枢機卿の総入れ替えなど行っては、教会が混乱するのは必至。下手をすれば、教会が取り返しのつかない決定的な分裂を起こす。新たに独自の教皇を祭り上げ、新派を作る可能性すら否定できない)

 分裂という事態に陥れば、教会の弱体化は必至だ。

(今はまだ、ソルム教皇が教会内の不満を抑えてくださってはいるが、年齢が年齢だ。いつ体調が急変するとも限らない。そのもしもが起こった時に、いかにして傷を最小限にとどめるか…。彼の方ばかりに押し付けるのは心苦しいが、教会の問題となると我々は門外漢。ノルドグレン卿にお任せするしかない)

 ラウリは、自身の身の上も大変な状況だというのに、北壁の民のために腐心し、そして教会のためにも尽力している。

 エルヴィーラは、尊敬の念を禁じえなかった。

 ラウリを思い出したことで、ふとあることが脳裏をよぎる。

(そういえば――――)

 先だって、トーヴェへの口利きを願ったラウリとの面会の後――――。

 現状を分析した結果、エルヴィーラはある一つの可能性にたどり着いていた。

 あの時思い当った可能性が、今再び鮮明によみがえる。

(ノルドグレン卿がヴァルスタ卿への口利きを渋るのは、もしかしたら件の金界魔術師が、卿の大切なお方であるためかもしれぬと、あの時ふと感じたものだが…。しかし、今となれば、その直感が間違ってはいなかったことがわかる)

 そこでエルヴィーラは眼差しをきらりと光らせた。

 実は、昨晩フェリクスと会った折に興味深い話を聞いていたのだ。

(フェリクスから聞いた話では、第二王子の従僕は、北壁人で隻眼の優れた金界魔術師という話だった。あの時はヴァルスタ卿絡みの人脈で従僕に採用された人物なのかもしれないと思っていたのだが――――)

 ベルンハートは、ここ二年にわたって南壁カヤーニにあるロズベルグ侯爵邸に蟄居していたが、王都イーサルミにいた頃、周囲の反対を押し切って北壁人であるトーヴェを宮廷魔術師として召し抱えた経緯がある。

 トーヴェは南壁まで随従しており、ユピターはそのトーヴェから魔法具を手に入れていた。

 そして、ラウリもトーヴェも魔法具の作り手を間違いなく知っているが、何故か秘匿しようとしている。

(従僕の名はレイフ・ギルデン。ノルドグレン卿は、今ネストリ・ギルデンを名乗っておられる。ベルンハート第二王子の従僕は、おそらくウィルヘルミナ嬢で間違いないな)

 ウィルヘルミナは誕生日が来たら十歳。左目が神獣眼であると言われている。

 フェリクスから聞いた特徴は、性別をのぞけば、そのままウィルヘルミナ・ノルドグレンと合致するのである。

(ノルドグレン卿は、ウィルヘルミナ嬢の存在を隠したいが故に渋っておられたのだな。まさかウィルヘルミナ嬢が金界魔術師だったとは驚きだ)

 ようやく話の筋が通り、エルヴィーラは息をついた。

(確かに、大陸中に手配されている現状を考えれば、ウィルヘルミナ嬢の存在は極力伏せておくべきだ)

 北壁には、両目が神獣眼のカレヴィが生まれているとはいえ、ウィルヘルミナの相続順位は依然第二位。

 エイナルにとって、ラウリとウィルヘルミナは優先順位の高い抹殺対象であることは間違いない。

(だが、解せないのは、何故ウィルヘルミナ嬢が第二王子の従僕をしているのかということだな。どうせなら、どこかに隠伏して他人と関わらせずにいた方が安全だ。にもかかわらず、わざわざ危険の伴う第二王子の従僕などという身分に扮しているのか…。そこが解せぬ)

 ウィルヘルミナの気性を知らないエルヴィーラは、そんなことを考えていた。

 その時の事だった――――。

「停止! 停止!」

 一行の先頭を走っていた魔術師が、突然叫びだす。

 エルヴィーラたちは、慌てて馬を止めた。

 視線を前方に向けると、そこには魔物の姿が見える。

 一同は驚愕に目を見開いたが、それも一瞬の事。

 すぐさま全員が抜刀した。



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― 新着の感想 ―
[良い点] 遂にレイフの正体に気が付いた人物が! どこでベルンハートにウィルヘルミナ"嬢"だとバレるのか、今から楽しみです。 [一言] 僕もテンション高めなTS主人公で、重めなファンタジーを書いている…
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