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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 カスパルは、昔話を終えると、辛そうに目を伏せる。

「ベルンハート様に剣を捧げた事を後悔しているわけではありません。ですが時折、あの時私がもっとうまく立ち回っていれば、トビアスが父上に向ける憎悪を減らすことができていたかもしれないと、そんな思いに囚われることがあるのです。私がもっとうまくトビアスの誘いをかわせていれば、父上たちをあそこまで追い詰めることにはならなかったかもしれない。私には今でも正解がわからない。だから、家族を思えば、あえて泥水をのむべきだったのかもしれないと後悔が脳裏をよぎってならないのです。あの一連の出来事を思い出すたびに、私はいてもたってもいられなくなる」

 後悔の色の濃い声で苦しげに言葉を吐き出すカスパルを見て、ザクリスはきっぱりと首を横に振った。

「それは違います。きっとお父上はそんなことを望んではおられませんよ。私は部外者ですが…それでも、きっとお父上が貴方の選択を支持しておられたであろうことがわかります。その証拠に、お父上は、トビアス王子の暴政を正面から批判しておられたではありませんか。そのような方が、カスパルさんの選択を喜ばないはずがありません」

 カスパルは、いまだ後悔の滲む表情でザクリスを見返す。

 そして、少しだけ悲しみの色が滲む微笑みを浮かべてみせた。

「ありがとうございますザクリスさん。では、そのお言葉、ザクリスさんにもお返しさせていただきます。きっとザクリスさんのお師匠様も同じですよ。貴方の信じた道を支持してくださっていたから貴方の事を全力で守ってくださったのだと思います」

「カスパルさん…」

 ザクリスはつぶやき、呆然と立ち尽くす。

 カスパルは励ますように続けた。

「もし、自分の行為に本当に反省すべきところがあったなら、きちんと反省しなければなりません。ですが、その必要はないのでしょう? 私には、貴方が命を懸けてまで貫こうとした信念が間違っているとは思えません。きっと貴方のお師匠様も、あなたの選択を間違っていたなどとは思っていないと思いますよ。むしろ、それほどの覚悟で貫くべきものをみつけられたことを、誇るべきなのではないですか? なのに、どうしてそのようにお師匠様に対して勝手に負い目を感じておられるのですか。お師匠様が知ったら悲しみますよ」

 ザクリスは苦しげに視線を伏せる。つらそうに首を横に振った。

「私には、最後まで信念を貫くことはできませんでした。結局、最後には主張を撤回させられ、教会に屈服したのです。だから私は、こうして生きながらえることができた…。私は敗残者として生き延び、生き恥をさらし続けているのですよ」

 カスパルは首を横に振る。

「そんな言い方をするものではありません。貴方を救ってくださった方々に失礼ですよ。皆さんは貴方に生きてほしかったから…だからこそあなたを全力で守ってくださったのです。そうまでして助けてくださったその命を、貴方がそんな風に卑下してはいけません」

 カスパルは、顔を上げ一度遠くを見るように目を細めた。

「人は誰しもが後悔を抱えて生きています。あの時ああしていればよかったと、長く生きれば生きるほど何度も感じるものです。人というものは、いつだって失敗ばかりを繰り返し、どんどんと汚辱にまみれていく。ですが、後悔するばかりではないはずです。失敗から学ぶことはたくさんありますから。ザクリスさんは違うのですか?」

 カスパルは、戸惑うザクリスをまっすぐに見てほほ笑む。

「大丈夫ですよ、貴方の選んだ道は絶対に間違いではありません。それは私が保証します。そして、失敗と挫折を知っているあなただからこそ、後進に正しい道を示すことができるのです。自分の行いに、もっと自信を持ってください」

 ザクリスは、眉根を寄せながら微笑み返した。

「ありがとうございます、カスパルさん。貴方の言葉のおかげで少しだけ勇気が持てました。師匠に連絡を取ってみます。もし叱られた時は…その怒りを甘んじて受け入れるつもりです」

「大丈夫ですよ。きっとお師匠様は喜んでくださいます」

「そうだといいのですが…」

 ザクリスは、つぶやきながら一度視線を伏せる。

 やがて、吹っ切るようにして顔を上げた。

「では、せっかく頂いた勇気が消えてしまわないうちに、フレーデリクさんに連絡を取ってみます。人探しとなると、私にはどうしたものかわかりませんので、フレーデリクさんにお願いしてみようと思うのです」

 カスパルは表情を明るくかえる。

「それはいい考えですね。フレーデリクさんなら、きっと見つけ出してくれますよ」

 そうして二人は再び歩き出した。

 カスパルは空を振り仰ぐ。

 晴れ渡った夜空には、星がきらめいていた。

 ザクリスもつられて空を見上げる。そして穏やかに目を細めた。

「ついこの前までの私は、自分の過去からただ逃げているばかりだったのに、レイフ君に出会ったおかげで、私を取り巻く全てがとても意味のあるものに変わりました」

 カスパルも頷く。

「彼は不思議な子ですね。とても真っ直ぐで、周りにいるすべての人間を明るく照らし出す太陽のような子です。彼のおかげで、ベルンハート様も随分と変わられた。とても良い方向に」

「そうですね…」

 ザクリスは、そこで一度言葉を切って、真面目な顔で正面を見つめなおした。

「絶対に、あの子たちの事を守りましょう」

 真剣なザクリスの声に、カスパルもまた真顔になってうなずく。

 そうして二人は、肩を並べて詰め所へと続く道を戻っていった。



 真夜中の詰め所では、イヴァール、ヨルマ、ペテルの三人が集まり話をしていた。

「それでは、このまま明朝生徒たちはキッティラに向かうことになるということですか」

 イヴァールが、腕を組んだ状態で無表情にペテルに問いかける。

 ペテルは、苦悩するように眉根を寄せ、深いため息とともにうなずいた。

「申し訳ない、イヴァール先生。私の力不足です。上を説得することができませんでした」

 そう言って、ペテルはうなだれる。

「あと一歩で説得ができるところだったのですが…。面目ない」

 はじめに、ペテルが詰め所の責任者と話し合いをしている時には、生徒たちはラハティに帰還させるという方向で話がまとまりつつあった。

 しかし、突然横やりが入った。

 ペテルと詰め所の責任者が帰還の段取りを話しはじめた頃――――。

 まるで狙いすましたかのように、キッティラ入りを早めるようにとの教会からの通達が詰め所に届いたのだ。

 ペテルたちは驚き、すぐに使者へ問題が起こったためキッティラ行きを断念したいと申し出たのだが、受け入れられることはなかった。

 むしろ予定を早め、翌日早々にパルタモを出立し、キッティラに向かうようにと指示されたのだ。

 この性急さには、ペテルも詰め所の責任者も驚き、夜だというのに二人で急ぎ詰め所の近くにあるパルタモ教会支部に赴いた。そして、生徒たちが誘拐に巻き込まれた旨を伝え、ラハティへの帰還を強く願ったのだが、とうとう決定が覆ることはなかった。

 そして今に至る。

 ヨルマが、沈んだ様子で口を開いた。

「ペテル先生のせいではありませんよ。上層部の決定でしたら我々に覆せるはずもありません。学長ですら決定を変えることは無理だったのですから…。仕方がありません。我々は、引き続き生徒たちの安全の確保に努めましょう」

 慰めるようにペテルに声をかける。

 ヨルマを見るイヴァールの目が、一瞬だけ鋭く細まった。しらじらしいと言わんばかりの眼差しだ。

 しかし、イヴァールはすぐに無表情に戻り、無言のまま二人を見つめる。

 ヨルマは、うなだれるペテルを励ましていたが、やがて、何かを思い出したと言った様子で突然顔をイヴァールに向けた。

「そういえば、生徒たちが数人外出しているようですね。なんでも今回の誘拐に関することで確認事項があるとかで、当事者であるフェリクス様とベルンハート殿下が東壁の警備所に呼ばれたとか…。殿下たちは、詰め所の人間に言付けをしただけで、我々教師には何も言わずに外出してしまいました。イヴァール先生はその辺りの事情を何か聞いておられませんか?」

 イヴァールは、無表情のまま首を横に振る。

「私も詰め所の人間からその話を聞かされましたので、詳細はわかり兼ねます」

「そうなのですか…。イヴァール先生はギルデン卿と同じ北壁人。もしかしたら先生には何か報告しているかもしれないと思っていたのですが…」

 ヨルマは意味ありげにイヴァールに視線を送った。

 しかし、イヴァールは無表情の仮面を外すことなくその顔を見返す。

「同郷だからといって、特別親しい間柄というわけではございませんので」

 にべもない返事にヨルマは肩をすくめた。

「そうですか、それは立ち入ったことを申しました。それにしても、あんな事件があったばかりだというのに勝手な行動をとって…困った生徒たちですね。後できつく叱らねば」

 一度言葉を切って、ヨルマは再びイヴァールに声をかける。

「そういえば、ギルデン卿は、北壁のサッラのご出身のようですね。先生はサッラに行ったことはおありですか?」

 話のついでを装ってはいたが、明らかに不自然な流れだった。眼差しが、どこか意味ありげに煌めいている。

 イヴァールは、無表情のままその目を真っ向から見返し、全く動揺するそぶりもなく淡々と首を横に振った。

「いいえ、ございません」

「そうですか、サッラはかなり田舎のようですから、北壁人のイヴァール先生でも用事がなければ足を延ばしませんよね」

 イヴァールは冷たく目を細める。

「いったい何がおっしゃりたいのですか? 私には話の意図がわかりかねます」

 すると、ヨルマは大仰に肩をすくめてみせる。

「申し訳ありません、たわいもない世間話をしてしまいました。私はただイヴァール先生もギルデン卿も同じ北壁人、何か通じるものがおありで、生まれにちなんだ故郷の世間話などなさったりはしないのかと、素朴な疑問を抱いただけです。他意はございません。話がそれてしまいましたね、申し訳ございませんでした」

 ヨルマはペテルに向けても謝った。

 イヴァールは表情こそ変えなかったが、その目には隠しきれぬヨルマへの不快さがにじみ出している。

 ペテルだけは、二人のそんな様子には全く気付いていなかった。憔悴しきった様子で顔を上げる。

「ヨルマ先生、イヴァール先生、お二方はもうお休みになってください。明日からのこともありますから…」

「ペテル先生はどうなさるのですか?」

「私は殿下たちを迎えに行って参ります。これ以上何か事件に巻き込まれては大変ですから」

「それでは私も行きましょう。ペテル先生お一人では何かあった時に大変です」

 ヨルマは、自分も迎えに行くと名乗りでた。

 イヴァールはペテルに向き直る。

「今から向かっては行き違いになる可能性もあるのでは?」

「それでも、このまま生徒たちだけで夜道を歩かせるのは危険です。まあ、今更ではあるのですがね…」

 ペテルは苦く言ってため息を吐き出した。

「今後は勝手な行動は慎むようにとよく言い含めておきます。いかにベイルマン家のご令息とはいえ、今回のような勝手ななさりようを許すわけにはいきません。他に示しがつきませんから」

 そう言ってペテルは踵を返す。

「イヴァール先生は、詰め所に残って生徒たちの監督をお願いいたします。そして、できる限り明日に備えて休んでおいてください。では、我々は行きましょう、ヨルマ先生」

 ヨルマは、イヴァールに後をお願いしますと言ってからペテルの後に従った。



 一人部屋に残されたイヴァールは、ヨルマたちの出て行った扉をじっと睨みつけていた。

 暗い室内で立ち尽くし、やがてぽつりとつぶやく。

「通行証を見ることができさえすれば、ギルデン家がサッラにあることはすぐにわかる。かまをかけてきただけだな」

 先ほど、ヨルマがレイフ・ギルデンの出身地に触れてきたことを、イヴァールはそう分析していた。

(しかし、奴が私とウィルヘルミナ様の関係に興味を持ち始めたのは間違いない。パルタモへの移動中に、一度だけウィルヘルミナ様が接触してきたことがあったからな。恐らくあれを見られていたのだ…。だが、その程度はまだ想定の範囲内)

 イヴァールは、きらりと光る鋭い視線を伏せる。

(あの程度の話で、私に揺さぶりをかけたつもりならば笑わせてくれる)

「お前は我々を見くびり過ぎだぞヨルマ」

 イヴァールは低くつぶやいた。

(ウィルヘルミナ様に牙をむくつもりならばやって見せるがいい。ヨルマ程度の小物をあしらえぬウィルヘルミナ様ではない)

 イヴァールはギラリと目を輝かせて虚空を睨みつける。

(それにしても、向こうからわざわざ揺さぶりをかけてくるとはな…。あちら側も、しびれを切らしたということか。それだけ向こうも攻め切れていない証拠だろう)

 イヴァールは、両腕を組んだまま窓の外を見上げた。

 晴れ渡った空には、数多の星々が瞬いている。

「待っているがいいパウルス枢機卿…。ようやく掴んだ尻尾、決して放しはせぬぞ」

 イヴァールは、底冷えのするような目で夜空を睨みつけた。

 決意の宿ったその強い眼差しは、今は見えざる敵の姿を確かに捉え、らんらんと輝いていた。


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