77
ウィルヘルミナたちと別れたザクリスとカスパルは、そのまま警備所に残り、東壁の魔術師たちから赤い竜の刺青を持つ人間の過去の死亡例をつぶさに聞き取っていた。
昨日の事件で賊が死亡した時の状況については、ウィルヘルミナたちから聞いているのだが、ザクリスは他の死亡例についても聞いて回っているのだ。
フェリクスからの口添えがあったおかげで、魔術師たちは協力的で、ザクリスは詳細な話を聞くことができていた。
一通り話を聞き終え、二人は警備所の廊下を歩いている。
ザクリスは顎をつまみ、考え込んだ状態のまま歩いていた。
「何か不審な点があるのですか、ザクリスさん」
「不審というか…疑問に思うことがありまして…。死亡するときの呪術の発動のきっかけがどんなものだったのかを知りたくて話を聞いていたのですが、やはり状況が不思議で…」
歯切れが悪い様子でそう答えたきり再び考え込むザクリスを見て、カスパルは不思議そうに首をかしげる。
「それはどういうことですか?」
ザクリスは足を止め、顎をつまんだまま顔を上げて正面を見据えた。
「私自身は呪術に詳しくないのですが、先ほどもお話ししたように、昔の知り合いに呪術の研究をしている者がおります。その知人から以前聞いていた話と、レイフ君たちが実際に目撃した呪術の発動の様子が違っていたので、少々不思議に思って他の死亡例についても話を聞いていたのです。しかし、結果はレイフ君の目撃した状況と同じでした。それが不思議で、少し考えていました」
「起こった現象が違うとは? 具体的にどう違うのでしょう」
「まず、呪術では、我々が精霊契約を結ぶときに使うような魔方陣に似た紋様を使用します。ですが、今回は赤い竜の紋様でした。つまり使用している紋様が違うという事が差異の一つ目。そしてもう一点気になっている事は発動条件の違いです。通常呪術の発動の仕組みは、紋様に触れた瞬間に発動するようになっているはずなのです。そのため、呪術を攻撃に使う場合は、あらかじめ罠のように仕掛けて使うはずなのです。ですが今回の呪術は、紋様自体を消えることのない刺青として体に刻み込んだうえ、何か条件をそろえてから術を発動させる仕組みになっている。その発動構造は、むしろ精霊魔法に近い印象を受けたので、それが不思議で考え込んでいたのです」
「なるほど、それは不可解ですね」
ザクリスは、再び視線を伏せて考え込んだ。
「私の知人が研究していた呪術は、主に病気を回復させる呪術についてだったので、それゆえ今回使用された呪術とは種類が違うのかもしれませんが…」
話を聞いたカスパルは驚きの表情に変わる。
「呪術は病気を回復させることができるのですか!?」
精霊との契約で行使する聖界魔法は、怪我や、闇界魔法によって被る毒や睡眠などの異常を回復することはできるが、病気の治療はできない。そのため、カスパルは驚いたのだ。
「ええ、呪術は病気の治療ができます。とはいっても、聖界魔法のように短時間での劇的な回復は見込めません。呪術での回復は、長期間かけて徐々に回復させる類のものなのです。病状によって使う紋様も違うので、医師のように病気を把握する能力も必要になってきます」
「そうなのですか…。だとすると、確かに今回の事件で使われている呪術はおかしいですね。話を聞く限り、緋の竜の一員に対して使われている呪術は、まるで発動条件をそろえて即死魔法を使ったような印象を受けます」
ザクリスもその意見に同意してうなずいた。
「ですが、レイフ君が金界魔法を使って効果を消せなかったことと、レイフ君ほどの金界魔術師が発動時に金界魔法の気配を感じ取れなかったという事実から、やはり呪術が使われている可能性が高いと考えられるのです。私も呪術に関しては聞きかじっただけですので、はっきりとは言いきれないのですが…」
そこで二人は黙り込む。
やがて、ザクリスが考えを切り上げるように顔を上げた。
「今ここでは、これ以上の結論はだせそうもありませんね。一度詰め所に戻りましょう」
その言葉をきっかけに、二人は再び歩き出す。
ザクリスとカスパルは、ウィルヘルミナたちが留まっている詰め所のすぐ側に寝泊まりしており、ひとまずそこに戻ることにした。
そして二人は警備所を後にする。
暗い夜道を、二人は肩を並べて歩いていた。
ザクリスはまだ考えこんでいるのか無言だ。
その沈黙を破るようにカスパルが口を開いた。
「ザクリスさんのお知り合いの呪術研究者の方は、今どちらにおられるのですか?」
カスパルが問いかけると、ザクリスは視線を伏せつつ首を横に振る。
「ここ五年程、全く連絡をとっておりませんので、いったいどこで何をしているのか…。私が知っているのは、五年前にバルケアコスキの教会に居たところまでです。その後彼女は還俗し、教会を去ったそうです」
そう答えたザクリスの顔は暗く陰っていた。
その気配に気づいたカスパルは、気遣うような視線を向ける。
「女性なのですか、その研究者というのは」
「はい、エルサ・カッシラという西壁出身の女性です。私の師のような人です」
ザクリスは、懐かしむように目を細めたが、その眼差しには拭うことのできない悲しみの色が宿っていた。
「カスパルさんがご存知かどうか知りませんが、私は元教会魔術師でした。しかし、五年前に破門されて還俗しているのです」
カスパルは、驚きに目を見開いていた。かける言葉がすぐには見つけられず、開きかけた口を閉じて黙り込む。
ザクリスは、懺悔するかのように眉根を寄せて続けた。
「私は、事情があって五年前に異端審問にかけられました。その時、私を救うために何人もの友人たちが動いてくれました。彼女もその中の一人です。私の火刑回避のために、おそらく彼女は何か無理をしたのでしょうね…。結果的に、彼女は教会を去ることになりました。私のせいです。私には、今更彼女に会わせる顔がありません」
悲しげにつぶやくザクリスを、カスパルは眉根を寄せて見やる。
「そんなことを言ってはいけませんよ。自分を責めるものではありません。エルサさんは、貴方を助けたくて尽力したのです。その結果どうなるのかは、承知の上だったはずです」
ザクリスは激しく首を横に振った。
「だからこそ会わせる顔がないのです。私は、自分が信じたものを貫くために、周りの人々をも巻き込み犠牲にした。エルサ先生は、清廉なる信徒でした。彼女ほど純粋な求道者を私は他に知りません。にもかかわらず、不出来な弟子の私を救うために、彼女は教会を去らなければならなくなった。いったいどの面下げて彼女に会えるというのですか。私には会わせる顔なんてありませんよ…」
ザクリスは、苦しげに言葉を漏らして顔を覆う。
「私が、彼女から全てを奪ったのです。彼女が人生を捧げた全てを私が奪い去った…」
後悔に濡れたザクリスの声を聞き、カスパルはまるで自らの事のように辛そうに目を伏せ、やがてぽつりと呟いた。
「その気持ち、私にもよくわかります。かつての私も、選択を誤ったばかりに、家族を窮地へと追い込んでしまったことがあるのです」
そう言って、カスパルは苦しげに眉根を寄せた。
ベルンハートは、視線を伏せたまま詰め所への帰り道をとぼとぼと歩いていた。
いつもの、どこか人を食ったような勝気さはなりを潜め、一回り小さく見える。
ウィルヘルミナは困ったように小さく息をつきながら、元気付けるようにベルンハートの背中を軽くたたいた。
「ベル、そんなふうに自分を責めるなよ。オレは平気だって言ってるだろ? だいたいお前はなんも悪くねーだろ。そうやって何もかも自分のせいにするのやめろよ」
しかし、ベルンハートの表情は晴れない。眉根を寄せたままぽつりとつぶやいた。
「私は、私を守ろうとしてくれる人間を、不幸にすることしかできない。きっとニルス=アクラスの占いは当たっているのだ。私は呪われた子なのだ」
ウィルヘルミナはぎょっと目を見開く。
「バカ! 何言ってんだよ! らしくねーな。占いなんてくだらねーもの信じてんじゃねーよ。あんなものインチキに決まってるだろ。お前はもっと現実主義者だと思ってたのに…つまんねー迷信を鵜呑みにすんじゃねーよ」
発破をかけるように声を荒げてみせるが、しかしベルンハートはまたしても首を横に振った。
「だが、私はカスパルの事も不幸にした。いや、カスパルだけではない。その家族のことも皆不幸にした。お前の事だってそうだ…。私と関わったばかりにこんな目に合っているのだ。私に出会ってしまったばかりに皆が不幸になる」
そう言って、ベルンハートは苦しげに眉根を寄せた。
「私の家は元侯爵家で、かつての私は、エルヴァスティ王家の近衛騎士団に籍を置いておりました」
カスパルの告白に、ザクリスは驚きに目を見開く。
そして、まじまじとカスパルの容姿を見た。
カスパルの外見はみるからに南壁人で、まさか中央の貴族――――しかも侯爵家の人間であるとは思いもよらなかったのだ。
気づいたカスパルが苦笑する。
「私は南壁人にしか見えないでしょう? この外見は母譲りなのです。私の母は、南壁の副伯の出なのです」
そう言って、カスパルは目を細めつつ述懐しはじめた。
カスパルの父親キルシは、クリエンサーリ侯爵家の三男であった。
家督は長男が継ぐことが決まっていたため、三男であるキルシは、幼いころから魔術師として立身出世することを夢見て日々精進していた。
だが、カスパルの祖父――――キルシの父親は、魔術師という危険な職務を嫌い、キルシが政治家になることを望んでいた。
カスパルの祖父の強い希望で、しかたなくキルシは軍属魔術師になることを諦め、成人すると南壁の自由都市の参事会員となったのだ。
そこで、運命的な出会いを迎える――――。
参事会の集まりの場で、キルシはカスパルの母親と出会い、一目で恋に落ち、周囲の反対を押し切って二人は無理やり結婚したのである。
しかし、幸せな時間は長くは続かなかった。
キルシたちの結婚の数年後、カスパルの伯父にあたる二人――――クリエンサーリ侯爵家の長男と次男が相次いで病死し、三男であるキルシが中央に呼び戻されることとなったのである。
およそ家督とは無縁であると思っていたキルシが、皮肉にも侯爵家を継ぐことになってしまったのだ。
その時、すでにカスパルは生まれており、周囲はキルシが家族を連れて戻ることに難色を示していた。
引いては王家に繋がる由緒正しい血統である侯爵家の当主が、副伯出身の女性を妻に迎えた前例はなく、周囲は離縁を促し、改めて中央貴族の女性を妻に迎えることをすすめたのだ。
しかし、当のキルシは離婚など毛頭考えてはおらず、周囲の反対などものともせず堂々と妻子を連れて侯爵家に戻ったのである。
しかし、中央では南壁の副伯出身であるカスパルの母親に対する風当たりは強く、カスパルも例外ではなかった。カスパルもその外見のせいでかなり屈辱的な扱いを受け、母子を追い出そうと、事あるごとに様々な嫌がらせを受けていたのである。
だが、キルシは全力で二人を守った。
もともとキルシは、中央にはびこる、そういった根強い地方蔑視の風潮を嫌っていたのだが、妻子に対する屈辱的な対応を目の当たりにして尚更その思いは強まった。
そのためキルシは、カスパルにかつて己の夢でもあった軍属魔術師となって立身出世することを強く望んだ。
侯爵家の後ろ盾を使うことなく、カスパル自身の力で己の地位を獲得するようにと厳しく育てたのだ。
実際、カスパルには魔術師としての天賦の才が備わっており、軍属魔術師となることでその能力は遺憾無く発揮された。
あっという間に、カスパルは自身の才能のみでエルヴァスティ王家直属の近衛騎士まで昇りつめたのだ。
一方その頃のキルシはというと、それまで商人たちが独占していた王立貨幣鋳造所の入札に侯爵家としてはじめて成功し、造幣局の管理官を任命されるほどの成功を収めていた。
王家への無償の資金援助なども行い、まさに順風満帆。
妻や息子たちへの批判を、キルシは自分の力で捻じ伏せ守ったのである。
だが、その成功は、反面で商人や他の貴族たちの恨みを買うことにもなっていた。
アードルフ国王が体調を崩し、貨幣鋳造に第一王子トビアスが関わるようになると、その風向きが怪しくなる。
キルシの成功に反感を覚えていた商人と貴族たちが結託してトビアスに取り入り、陰で操りはじめたのだ。
トビアスは、口車に乗せられるまま貨幣改悪を乱発しはじめる。
そのため経済が混乱し、トゥオネラ全体が不安定な情勢に陥った。
キルシは、トビアスが短期間に何度も行った貨幣改悪に真っ向から反発し、キルシの鋳造所では貨幣改悪を行わなかった。
この件で、トビアスとクリエンサーリ侯爵家の関係はかなり悪化した。
このころのアードルフ国王の政策はというと、中央集権化を第一に掲げていた。
アードルフ自身も、貨幣改悪によって経済情勢が不安定になることを懸念してはいたが、自身が体調不良であったこともあり、トビアスの政策に沈黙をもって消極的な支持の態度を示していたのだ。
しかし、王家へ無償の資金援助を行うクリエンサーリと対立することは、アードルフにとって好ましくなく、そのため水面下では国王自らが積極的に関係修復のための仲裁を行っていた。
その甲斐あって、両者は一度表面的には和解したのだ。
だが、それはあくまでも表面的なことだった。
気位の高いトビアスが、キルシの反抗を許すはずもなく、自分の顔に泥を塗られた屈辱を忘れることはなかった。
和解の裏で、着々とキルシを陥れる準備が進められたのである。
同じ頃、カスパルはトビアスの誘いを受けていた。
カスパルは、近衛騎士団の中で他の追随を許さぬ程の実力を示しており、キルシと反目していたトビアスさえもが無視できないほどの実力者となっていた。
そのため、トビアスは自分専用の近衛騎士の一員としてカスパルを欲したのだ。
このころ、最悪の状態にまで陥っていたトビアスとキルシの関係を考慮すれば、カスパルはトビアスの誘いを受けるべきだったのかもしれない。
しかし、カスパルはベルンハートの人柄に惹かれ、自らの剣をベルンハートに捧げる決意をしていた。
結果的に、トビアスの誘いを蹴ってベルンハートに仕えるかたちとなり、トビアスをより激怒させてしまったのである。
それは、トビアスの中に再びクリエンサーリ侯爵家に対する憎悪が募った瞬間でもあった。
そういう過程を経て、両者の関係がどんどんと悪化していく中、トビアス主導の元、最悪なかたちで貨幣改悪が行われることになる。
国王の代理で等族会議に出席したに過ぎなかったはずのトビアスが、こともあろうに会議の場で、王国内でも反対論が多くある貨幣改悪を一方的に宣言し、四壁と教会相手に取り返しのつかない溝を作ってしまったのだ。
この出来事が、四壁、教会との対立を激化させ、三年たった今でも埋めることのできない深い溝を生んだのである。
これには、王家を支持するはずの都市貴族や商人たちからも多くの反発が起こった。
ベルンハートも、不仲である父親に叱責覚悟で諫言したのだが、予想通り逆鱗に触れ、後に南壁にあるロズベルグ侯爵家に謹慎させられることになる。
しかも、この件でベルンハートの支持者が増えたため、アードルフは表立ってトビアスの政策の支持を宣言することになったのだ。
おかげで、混乱は一層深まった。
アードルフの支持を受け、はずみをつけたトビアスは、まるでトゥルク王国の総意を代弁しているかのように振る舞うようになり、ついには反対する人間の粛清をはじめる。
その矛先は、正面からトビアスを非難するキルシに向けられた。
第二王子派の急先鋒であったキルシは、真っ先にトビアス一派によって陥れられることとなる。
トビアスたちが行っていた貨幣改悪による出目の横領や、制限されている四壁への武器の納入、さらには全く身に覚えのない殺人罪などでキルシは次々と訴えられ、一方的に有罪判決が下されたのだ。
その結果、キルシは財産を全て没収され、爵位までもを剥奪されることになる。
むろんキルシも、身の潔白を証明しようと奔走したが、とうとう判決が覆ることはなかった。
これをもってクリエンサーリ侯爵家は断絶することになったのである。
その余波は、カスパルにも襲い掛かった。
キルシの有罪判決が出るなり、カスパルはすぐに近衛の職を解かれ、王宮を追放されることになったのだ。




