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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ウィルヘルミナたちが、警備所で遺体の検分をしはじめるよりも前の事――――。

 詰め所を抜け出したヨルマは、パルタモの外れで人知れずコルホネンと落ち合っていた。

「不甲斐ないことだなコルホネン。あんな大口をたたいておきながら失敗するとは、どう責任を取るつもりだ」

 コルホネンの顔を見るなり、きつい口調でそう吐き捨てる。

 すると、コルホネンが不服そうにヨルマを睨みかえした。

「任務の半分は遂行できたはずですが? 確かにレイフ・ギルデンの捕縛には失敗しましたが、そもそもの目的であったベルンハート王子の暗殺は成功しました。そのように罵られる筋合いはございません。だいたいレイフ・ギルデンの捕縛に失敗したのは、いただいていた事前情報に不備があったからで――――」

「馬鹿を申すな! 第二王子の暗殺に成功しただと? あやつなら傷一つなく生きておるわ!」

 言葉を遮りかんしゃくを起こしたヨルマを、コルホネンは驚きをもってみやる。

「ベルンハート王子が…生きている…? そんな馬鹿な!?」

「では聞くが、お前は王子の死体を確認したのか?」

「確認はしておりませんが…。しかし、あの場所に設置した魔法具は闇界魔法二位が付与された一級品の魔法具です。あの状況で暗殺に失敗するなど絶対にありえませ――――」

「だが、そのありえないことが現実に起きているのだ! ベルンハートは生きている。それはまごうことなき事実だ。お前は失敗したのだコルホネン」

 コルホネンは驚愕に目を見開いた。

 がくがくと震え、青い顔でうつむく。

「それでは私は…」

「始末されても文句は言えぬな。何しろ、お前は王子たちに顔を見られている」

 それを聞いたコルホネンは、はじかれたように真っ青な顔をあげた。

「たちとは…? まさか、レイフ・ギルデンも生きているのですか?」

 ヨルマは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。

「ベルンハートとレイフ・ギルデンだけではない。全員生きているぞ。フェリクス・ベイルマンとその従僕も、それ以外の生徒たちもな」

「馬鹿な!?」

 コルホネンは悲鳴のような声を上げた。

「それだけではない。お前が言う『一級品の魔法具』まで失うことになったぞ」

 コルホネンは、ごくりと喉を鳴らす。

「それは…どういうことですか…?」

「中和されたのだ。それをしてのけたのは、おそらくレイフ・ギルデンだ。お前の仲間は全滅してしまったので、もはや話を聞けぬがな」

 ヨルマは金界魔術師ではないのだが、何故か魔法具の鑑定ができる。

 その事実を知っているコルホネンは愕然とした。

「まさか…そんなはず…!?」

「私がこんな嘘をつくはずがないだろう。ここに来る前に魔法具を回収しに行ったのだが、間違いなくあの魔法具は中和されてしまっていた。もう二度と使うことはできない」

 そう言って、ヨルマはきつく唇を噛んだ。

 ヨルマは、生き残った生徒たちから直接話を聞く機会があった。

 そのため、いったいどういう状況で中和されたのか知ろうと努力したが、生徒たちの報告ではその全貌がまったく見えなかった。

 生徒たちの話では、レイフ・ギルデンの使った金界魔法は五位と四位。だが、闇界二位の付与された魔法具が中和されているのだ。明らかに事実と矛盾している。

 しかし、ヨルマの立場上、知りえるはずのない矛盾を指摘するわけにはいかず、表面上は生徒たちの話をそのまま受け入れることしかできなかった。

 コルホネンはがたがたと体を震わせる。

「ヨルマ様! お願いです、私にもう一度機会を与えてください。必ずやベルンハートを始末いたします!」

「お前にできるのか?」

 嘲るように笑って、低く残忍に喉を鳴らした。どうせ無理だろうと小ばかにした様子でコルホネンを見やる。

 しかし、コルホネンは必死の形相でヨルマを見上げていた。

「もちろんです! 今度こそ必ずや仕留めてみせます! ですからどうかもう一度機会をお与えください!」

 ヨルマは、冷たく目を細める。

 コルホネンは、恐怖に震えて体を縮こませた。

 長い沈黙を置いてから、ヨルマは勿体つけるように口を開く。

「その前に、お前にはやってもらいたいことがある」

 冷酷なその声を聞き、コルホネンははじかれたように顔を上げた。そして、すぐに膝をついて首を垂れる。

「何なりとお申し付けください! なんでも致します!」

 必死の形相で次の言葉を待った。

「では、今すぐ教会幹部を動かし、ラハティ教会学校の生徒を、明日の朝早々にキッティラに向かわせるように手配せよ」

「キッティラに…?」

 コルホネンは、一度怪訝な表情をしたが、すぐに表情を引き締め頭を下げる。

「かしこまりました。今すぐ手はずを整えてまいります」

「それから、手に入れたばかりの例の切り札を使って、エルヴィーラ・ベイルマンをキッティラまで誘き寄せろ。現地にはヤンがいる。ヤンの手を借りてもいい」

「エルヴィーラ・ベイルマンを誘き寄せる? 切り札…?」

 コルホネンは、一度言葉を切ってから、ハッと顔を上げた。その目が、一瞬だけ暗く輝く。

「なるほど…イリーナ・ベイルマンですね。わかりましたあれを使って、必ずやエルヴィーラ・ベイルマンを壁際に誘き寄せてみせます。今度こそご期待に副う結果を出してみせます」

 そう言ってコルホネンはすぐに立ち上がり、急いで退出しようとした。

 だが、その背中に、ヨルマは言い放つ。

「もう後は残されてはいないぞ。心してかかれ」

 コルホネンは、表情を硬くこわばらせたまま短く頭を下げると、すぐに部屋を出て行った。

 ヨルマは冷たい表情でコルホネンが出て行った扉を見つめ、忌々しそうに舌打ちをする。

「コルホネンが無能なせいで、こっちまで面倒なことになった。急いでヤンとともに次の手を打っておかねばならぬな」

 ヨルマは、受け取ったばかりのパウルスからの手紙に目を落とした。

「あの女の始末はヤンに任せるとして問題はベルンハートだな…。奴にはレイフ・ギルデンがついている。どうあがいてもコルホネンには殺せぬ。ましてやレイフ・ギルデンを生け捕りにするなどできようはずもない。あれほどの魔術師を、いったいどうやって捕らえろと言うのだ。パウルスの奴無理難題ばかり言いおって…」

 ヨルマは苦虫をつぶしたような顔になる。

「あいつは実際にレイフ・ギルデンを見たことがないからそんなことが言えるのだ。あれは只者ではない。生け捕りなどにこだわらず殺すしかない。その方が賢明だ。事前にニルス=アクラスと連絡を取って、その辺りの打ち合わせをしておくべきだな」

 ヨルマは、考えるように顎を撫でる。

「それに、エルヴィーラ・ベイルマンの使役する召喚獣も厄介だ。パウルスは、壁際で決着をつけろと簡単に言うが、迂闊に無傷のまま壁に近づけて、せっかく育ててきた眷族たちを召喚獣に殺されてはたまらぬ。そうなれば、ヤンの計画にも支障が出てくる。壁にたどりつく前に、エルヴィーラ・ベイルマンをなんとか消耗させておかねばならぬな…」

 ヨルマは思案する。

「コルホネンを使うか…。あれに魔法具と下位の眷属を預ければ、少しはエルヴィーラ・ベイルマンを消耗させることができるだろう。最期くらい役に立ってもらわねば。あれは色々と知り過ぎているからな。敵の手に落ちる前に始末をせねばならぬ。利用し終えたコルホネンの始末は、ニルス=アクラスに任せるか」

 そう言って、ヨルマは邪悪に笑った。



 ウィルヘルミナたちは、ザクリスとカスパルと別れ、真夜中の警備所の前にいた。

 遅くなっても必ず詰め所に戻る約束をして無理やり外出してきていたため、四人は夜が明ける前に詰め所へと戻らなければならない。

 だが、フェリクスたちはこの後エルヴィーラにザクリスの見解を報告に向かうつもりだった。

 本来ならすぐにエルヴィーラのもとに向かうべきなのだが、しかし、先ほどのニルス=アクラスの話がフェリクスたちの頭に残っており、中々その場を立ち去ることができない。

 胸につかえた疑問をどう口にしたものかと悩み、フェリクスたちは言葉を探しながら、警備所の前で佇んでいた。

 四人は皆一様に黙り込み、重苦しい沈黙が支配している。

 その沈黙を破ったのはフェリクスだった。

「ベルンハート、率直に聞く。アードルフ国王お抱えの占星術師ニルス=アクラスは、緋の竜に関係していると思うか?」

 ベルンハートは、きゅっと口元を引き結ぶ。

 ウィルヘルミナは、気遣うようにベルンハートを見た。

(さすがにフェリクスも気づいたか。関係してることはたぶん間違いない。けど、それを正直に白状したら、四壁と王家の対立はより激化することになる。ベルにしたら全く関係のないところで勝手に父親たちがやってることなんだけど、でも第二王子である立場上、王国側と判断されて当然だ。自分は無関係だなんて言い訳は通用しねえ。それに、ベルは自分の保身のために、その場しのぎの誤魔化しができるような奴でもねえんだよな…)

 ベルンハートは、一度視線を伏せてからおもむろに顔を上げ、フェリクスを正面から見返す。

「おそらく関係している」

 きっぱり言い切ったベルンハートを見て、ウィルヘルミナは溜息を吐きだした。

(やっぱりな、そういうと思った。っとに困ったやつだな。ま、こいつの場合、ただ質問に答えてるだけだけど、それにしても言葉が足りなさすぎんだよ。全く自己弁護をしないで、簡潔に答えだけ返すんだもんな。自分の立場も説明しねえと誤解されんだろうが。ったく世話のかかるやつだ)

 返事を聞いたフェリクスの表情がこわばる。

 イッカの表情も厳しいものに変わった。

「フェリクス様、緋の竜に王家に近い人間が関係しているとなると、今回の件をエルヴィーラ様に伏せておくことはできません」

 イッカは首をめぐらし、ウィルヘルミナに視線を向ける。

「事情が事情です。私には、貴方の事をエルヴィーラ様に隠しておくこともできなくなりました。どうぞご承知ください」

 イッカは、エルヴィーラにレイフの使った金界魔法の件を報告すると告げてきたのだ。

(そうだな…。ベルの従僕であるオレの件も含めて、報告すんのが筋だろうな。何しろ、今のオレはベルの従僕。王家の側と判断されても仕方がない。イッカやフェリクスにとって、敵になるかもしれねー相手なんだ。敵の情報は、正確に報告されて当然だ)

 ウィルヘルミナは、黙って受け入れる。

 しかし、ベルンハートが激しく首を横に振った。

「やめてくれ! レイフは今回の件に全く関係ないのだ。前にも説明したが、もともとレイフは、厚意で私を助けてくれているだけ。そもそも王家に所縁のある人間ではないのだ。むしろお前たちの側に近い人間のはずだ。レイフは、決してお前たちの敵にはならない。だから、レイフのことを報告するのだけはやめてくれ」

『レイフ・ギルデン』は中央の人間ではない。四壁側の人間だと言っているのだ。

 ベルンハートは、頭を下げてイッカに懇願する。

「頼む、この通りだ」

 頭を下げるベルンハートを見て、ウィルヘルミナがベルンハートの腕をつかんだ。

 顔を上げさせようとして腕を強く引く。

「やめろベル! いいんだ、オレなら大丈夫だから、お前がそんなことしなくてもいい」

「何が大丈夫なものか!? お前も命を狙われているんだぞ!? もし今回の事で、お前の居場所が敵に知られたらどうするつもりだ!? もしそんなことになったりしたら私はどうすればいい。どうやったらお前に償える!?」

「だからいいって言ってるだろ。償うとか…お前はそういう発想すんなよなよ。そういうところ、お前の悪い癖だぞ。別に居場所がバレたっていいさ。そうなったら、オレはオレの力で切り抜けて見せる。だからお前はそんなこと心配すんな」

「心配するなだと? そんなこと無理に決まっているだろう!」

 ベルンハートは、辛そうに眉根を寄せた。顔を見られまいと、片手で覆い隠す。

「レイフ、お前はいつもそうだ…。いつも自分のことは後回しにしてばかりだ。自分の身に降りかかる危険には無頓着で、周りの事ばかり優先させて…」

 やがてベルンハートは、覆っていた手を乱暴にどけて、真剣な表情でウィルヘルミナを見た。

「レイフ、私も自分の身は自分で守る。だから、お前は今すぐここから逃げろ」

「ふざけんな、お前を残して逃げられるわけないだろ!」

「だったらどうすればいいんだ! 私は、お前を身の危険にさらしてまで生き残りたいとは思わない!」

「落ち着けよベル。大丈夫だから。オレはそんなに弱くねーよ。お前のことも、オレ自身のこともオレは守れる。だから心配すんな」

 ウィルヘルミナは、フェリクスとイッカに向き直る。

「オレの事、報告したきゃしたっていい。けど、報告するならもう一点追加で報告しておいてくれ。レイフ・ギルデンは偽名だ。オレは自分の身を守るために、偽名を使ってるんだ」

 フェリクスとイッカが息をのんだ。

「訳あって、本名を名乗るわけにはいかねえ。そこは察してくれ。あと、ベルは緋の竜の件とは無関係だから。これは、オレが保証する。四壁がどこまでその辺りの事情を知ってるかしらねえけど、ベルは国王に命を狙われてる。つまり、ベルはアードルフ国王やニルス=アクラスとは敵対する立場にあるんだ。それに、お前たちだって見ただろう? ベルは緋の竜に命を狙われたんだ。その事実が、ベルが緋の竜と敵対関係にある証拠だ。今回の件で、ベルが東壁の敵になることはねえよ」

 まくしたてるように言ってから、ウィルヘルミナはベルンハートを振り返る。

「情けねー顔すんなよベル。大丈夫だから。オレは、お前を絶対に見捨てたりしねー。オレは、何があってもお前の味方だから。ほら、もう行こうぜ。早く詰め所に戻ろう。早いとこ帰らねーと先生たちに怒られるからな」

 微笑みを浮かべてベルンハートの腕を引いた。

 ベルンハートは眉根を寄せたままゆっくりと歩き出す。そして、再び空いた手で自分の顔を覆った。

『すまない』と消え入りそうな小さな声でつぶやく。

 ウィルヘルミナは笑った。

「気にすんなって、行こうぜ」

「私も…何があってもお前の味方だレイフ。たとえ世界中がお前の敵に回っても、私だけは絶対にお前の味方であると誓う」

 食いしばった歯の隙間から、うめくようにして言葉を漏らす。

 ウィルヘルミナは、ベルンハートの首に腕を絡め、頭を引き寄せた。自分の頭を、ベルンハートの頭にこつりとぶつける。

「心配してくれてんだな…。ありがとなベル。お前みたいな味方がいてくれて、オレは心強いよ」

 そう言ってから、ウィルヘルミナは腕を解き、手を下ろした。

 顔を覆ったまま肩を震わせるベルンハートの背中を、元気付けるようにそっと叩く。

 歩き出す二人の背中を見ていたフェリクスが、拳を握り締めて一歩踏み出した。

「レイフ! ベルンハート!」

 呼ばれて、ウィルヘルミナとベルンハートは足を止める。

 二人と目が合うと、フェリクスはぎゅっと眉根を寄せた。

「母上への報告はベイルマン家の人間の義務だ。だから隠すことはできない。だが、絶対にお前たちの身を危険にさらしたりはしないと誓う。信じてくれ」

 ウィルヘルミナは微笑んでフェリクスを見返す。

「大丈夫だ。お前にも立場があること、オレはわかってるから。ありがとなフェリクス。オレたちは先に詰め所に帰ってるから」

 ウィルヘルミナは軽く手をあげ、ベルンハートと二人で再び歩き出した。


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