75
ザクリスは、パルタモの警備所に安置されている遺体の検分をしていた。腕の付け根にある刺青をしげしげと見つめて考え込んでいる。
部屋の中にいるのは、ウィルヘルミナ、ベルンハート、ザクリス、カスパル、フェリクス、イッカの六人だけだ。
そして、今は真夜中――――。
本来ならば、ウィルヘルミナたちは詰め所で休んでいるはずの時間だった。
しかし、ウィルヘルミナたちは今詰め所を抜け出し、警備所の遺体が安置されている部屋にザクリスとパスカルを伴って訪れている。
これら一連の行動は、事前に教師たちへの了解を取ってはおらず、全ては無断。事後報告のつもりで行っていた。
フェリクスが、ベイルマン家の威信を利用して、詰め所の人間に今回の外出の言伝を頼んではあるが、直接教師たちに外出許可をとってはおらず、おまけに、行き先や目的までもを伏せてある。
帰ったら早々に処分を受けても仕方のないような問題行動だった。
そんな問題行動に走ってしまったのには理由がある。
刺青の呪術によって死亡した男たちの遺体は、翌日早々にユバスキュラに運ばれてしまうという話を聞かされたからだ。
そのため、ユバスキュラに移動される前に、なんとしてもザクリスに遺体を検分させておきたかった。
だからこそウィルヘルミナたちは、こんなにも強引な手段を使って真夜中の警備所を訪れていたのだ。
ザクリスは顔を上げ、ウィルヘルミナとベルンハートを振り返る。
「はっきりとは言えませんが、この刺青…もしかしたら西壁の少数民族スオミ族に関連しているものかもしれません」
そう言ったザクリスの表情は、何故か少しだけ辛そうだった。
気づいたウィルヘルミナは怪訝な表情に変わる。
しかし、それはほんの一瞬の事。
ザクリスはすぐにその表情を押し隠し、普段通りの顔に戻ってウィルヘルミナたちを見やった。
フェリクスとイッカは、話を聞いて純粋に驚いた表情に変わっている。
「わかるのか!? これがどんなものなのか!?」
ザクリスはフェリクスに視線を移した。
「すみません、刺青の仕組みや構造については、私には全く分かりません。ただ、スオミに関係するものであることは、たぶん間違いないと思います」
ザクリスは、何事もなかったかのように話しはじめている。
しかし、ウィルヘルミナだけは、まだ先ほどのザクリスの表情に引っ掛かりを覚えていた。
(さっきの気のせいじゃねえよな。一瞬だったけど、ザクリスさん絶対に変な感じだった…)
内心で首をかしげている。
そんなウィルヘルミナをよそに、ザクリスは淡々と続けた。
おかげで、ウィルヘルミナも次第に違和感を忘れ、ザクリスの話の続きに引き込まれていく。
「スオミには、成人すると顔に赤い刺青を彫る風習があります。そして、スオミが祀る独自の神は、地を這う巨大な竜。この刺青の竜には羽がついていますが…それでも、赤い竜の刺青となると、私には無関係とは思えないのです」
ザクリスの言葉に、ベルンハートは考え込むように顎をつまみながら口を開いた。
「確かに、私が知る限り竜を信仰の対象とするなどという話は聞いたことがないな。トゥオネラでは、竜は魔物の眷属と言われているからな。神というより、むしろ悪の化身に近い。緋の竜は、その竜の刺青を象徴として体に刻んでいるのだから、スオミという部族と無関係とは言い切れないだろう。むしろ関係性の方を疑われる」
ザクリスはうなずき、さらに続ける。
「もう一点気になるのは、金界魔法で中和できなかったという魔法についてです。スオミは、我々の使う魔法とは異なった系統の術――――一般的には呪術と呼ばれているのですが、特殊な技を使うことができるのです。呪術の構造については、私も詳しくはありませんが…。レイフ君たちから聞いた状況を鑑みると、たぶん呪術ではないかと思うのです」
(さすがザクリスさん、博識だな。そういえば、改めて聞いたことはないけど、ザクリスさんは見るからに西壁の人だよな。だからスオミ族っていう少数民族の事を知ってたのかな)
改めてザクリスに聞いたわけではないが、ザクリスの容姿は西壁人の特徴に合致する。
それゆえ、ウィルヘルミナは西壁人だと勝手に判断していたのだ。
「あのさ、ザクリスさんて出身は西壁だよな?」
ウィルヘルミナの問いかけに、ザクリスはうなずく。
「そうですよ。私はナーンタリの出身です」
ナーンタリは、西壁の自由都市だ。教会の西方大司教区も置かれている巨大都市である。
「やっぱりそうなんだ…」
ウィルヘルミナはそうつぶやいて黙り込んだ。
(初めて聞いたなザクリスさんの出身地。オレは、自分が色々と隠し事してたから、他人の事をあれこれ詮索するのも気が引けて、あんまり聞かないようにしてたんだよな)
考え込むウィルヘルミナをよそに、ザクリスは話を続ける。
「話を戻しますね。私自身はスオミに詳しくはないのですが…。スオミの呪術について研究をしている人物を知っているのです。そのため、少しだけスオミについての知識があるのです。スオミは閉鎖的な部族。その習慣や文化を知る外部の人間は少ないはずです。ましてや呪術となると…」
ザクリスは言葉を濁したが、フェリクスは言わんとするその意味を理解した。
「つまり、緋の竜の構成員にスオミ族の人間がいる可能性が高いということか?」
その言葉に、ザクリスは表情を硬くして頷く。
「おそらくその可能性は高いかと…。スオミの呪術は、代々親から子へと受け継がれていく秘術と聞いています。外部の人間に呪術を教えるとは考えにくいのです。私の知っている研究者は、スオミの住む地域に近い場所の出身であったため、古くからスオミと交流があったのです。それゆえ研究ができていましたが、もしそうでなければ無理だったはずです。外部の人間は、呪術の存在を知る機会すらもないと思います。今回の刺青の件には、かなり高い確率でスオミの人間が関わっているとみて間違いないでしょう」
フェリクスは難しい顔になった。
「だとすると一つ疑問がある。西壁の少数部族であるスオミが、なぜ緋の竜に加担しているのだろう。しかも、秘術である呪術まで提供している。それは何故なのだろうな…」
フェリクスの問いかけにこたえるものはいない。皆同じ疑問を抱えているのだ。
やがてフェリクスは、考えを切り上げるように顔を上げる。そして、ベルンハートとウィルヘルミナを振り返った。
「今の段階で理由まで突き止めることは無理だろうが、ともかくこの刺青がスオミという西壁の少数民族に関係しているということがわかっただけでも一歩前進だ。助かったベルンハート、レイフ」
ベルンハートは、肩をすくめる。
「礼なら、我々ではなくザクリス・エーンルートにしろ。彼の知識のおかげだ」
「そうだな。感謝するエーンルート卿」
フェリクスの謝意に、ザクリスは軽く膝を折って返した。
「いいえ、たいしたお役に立てず…申し訳ありません」
「いいや、謙遜する必要はない。大したものだ。我々は助かった」
「そう言っていただけて光栄です、ベイルマン卿」
フェリクスはうなずき返してから再びウィルヘルミナに視線を戻す。
「ところでレイフ、私の母上に会ってほしいと頼んだ例の話、考えてはくれたか?」
ウィルヘルミナは、『ああ…』と小さく言葉を漏らし、気まずそうに頬を掻いた。
「あのさ、その件ならもう断っただろ。悪いけど無理だから」
「そういわず、もう一度考えてみてくれ。私とイッカは、これから母上と会うつもりなのだ。一緒に行かないか」
(そういえば、近くに来てるって言ってたよな。だからこんなにもしつこいのか)
「無理なものは無理」
(今のオレは正体隠してんのに…。この状態で四壁の当主に会うとか絶対にまずいだろ。初顔合わせで相手騙して偽名なんかで面会したら、第一印象からして最悪だ。下手したら後々外交問題にも発展しかねねーよ。ぜってー無理)
「何と言われても無理だから。オレにも事情があんの。友達ならその辺りのこと言わなくても察してくれよ」
すると、フェリクスがぐっと言葉を詰める。
「そこで友達を持ち出すのか…。ずるいぞレイフ、それを持ち出されたら、諦めるしかないではないか」
「じゃ、潔く諦めてくれよ。オレは、偉い人種に会いたくねーの」
フェリクスは眼を瞬き、意外そうに首をかしげた。
「偉い人種? お前がそういうことを気にする人間だとは思わなかったぞ。私はただ、お前とベルンハートを友人として母上に紹介したかっただけなのだ。まあ少しだけ打算も働いてはいたがな…。しかし、ダメだというなら仕方がない。諦めるか」
「打算? どんな打算だよ」
ウィルヘルミナは、腕を組んで首を傾げつつフェリクスにたずねる。
フェリクスは、ばつが悪そうに首の後ろを掻いた。
「実は、レイフの金界魔術師としての腕をあてにしてもいたのだ」
(金界魔術師としての腕か…。そういや、東壁はたぶんベルを狙った金界魔術師を相手にしてるんだっけ…。闇界二位の使い手か…。できるなら手伝ってやりてーけど、でも今はまずいんだよな。偽名で会うわけにはいかねーし、何よりベルを守るだけで今のオレは手いっぱいだ)
そんなことを考えていると、不意に視界の隅に、考え込むカスパルの姿が飛び込んできた。
(あれ? カスパルさんなんか難しそうな顔してんな…。そういえば、カスパルさんさっきからずっと黙り込んでるな。なんだろ、なんかあったのかな?)
「なあカスパルさん、難しい顔してどうしたんだ? なんかあったのか?」
気づいたベルンハートも声をかける。
「どうした、何か問題でもあったか?」
カスパルは、二人に声をかけられて顔を上げた。
「いえ…少々気になることがありまして」
「気になること? なんだ、言ってみろ」
ベルンハートに促され、カスパルは言葉を選びながら口を開く。
「殿下はニルス=アクラスの顔を見たことがおありですか?」
カスパルは唐突に切り出した。
ベルンハートは怪訝な表情をしながらも首を横に振って返す。
「ニルス=アクラス…いいや、私は一度も見たことがない。あの者はいつもフードを目深にかぶっているからな…。声もほとんど聞いたことはない。父上の後ろに黙って控えている姿を、何度か見たことがある程度だ」
「そうですか…」
カスパルはつぶやいて視線を伏せた。
「私は、過去に一度、ニルス=アクラスの顔を偶然見たことがあります。とはいってもほんの一瞬のことで、見間違いであったかもしれないのですが…」
「どうしたカスパル、お前にしては随分と歯切れの悪い物言いだぞ。もっとはっきりと言え」
ベルンハートに促され、カスパルは再び顔を上げる。
「ニルス=アクラスの左頬には、赤い刺青がございました。模様までは確認できておりませんが、確かに刺青があったのです」
ベルンハートとウィルヘルミナは息をのんだ。
(それって…つまりニルス=アクラスってやつがスオミ族の人間てことか? ニルス=アクラスって確かベルの父親のお抱え占星術師だよな…。ベルのことを呪われた子だとかいう腹の立つ予言をした例の占い師だ。もしかして…そいつがさっきザクリスさんが言ってた緋の竜に関わってるスオミって可能性もあるのか…? だって緋の竜は、ベルのことを殺そうとした…。そもそも閉鎖的な少数民族の人間が、村の外に出ること自体がきっとレアなケースだろうし…。だとすると、緋の竜に関わっているスオミがニルス=アクラスである可能性は高くなる)
ウィルヘルミナは息を詰めたまま考え込む。
(まてよ、もしそうだとしたら、やっぱりベルの父親がこの件に一枚噛んでる可能性が高くなるってことだよな。それってやべーじゃん!! ベルが予想した最悪のケースの場合、戦争になっちまうパターンのやつじゃん!!)
ベルンハートもその可能性に気づいたのだろう。驚愕に目を見開いていた。
やがて、ベルンハートは口を固く引き結ぶ。
その横で、我に返ったフェリクスがぽつりと漏らした。
「ニルス=アクラスがスオミの人間…?」
一同の間に沈黙が下りる。
フェリクスがふいに漏らしたそのつぶやきは、不穏な響きを伴って皆の心の中に刻まれた。




