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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 場面はパルタモに戻る。

 コルホネンが、倉庫の入口で魔法具を発動させるために人知れず聖界魔法を唱えるその直前の事――――。

 コルホネンとともに襲撃してきた男たちを無力化させ終えると、ウィルヘルミナたちはコルホネンがいないことにようやく気が付いた。

「コルホネンはどこに行ったんだ」

 負傷してうめき声をあげる男たちを拘束しつつ、皆で周囲を見回す。

 だが、手分けして辺りを捜しても見つからない。

 当のコルホネンはというと、すでに倉庫から脱出しており、腕だけを倉庫の中に差し入れている状態だった。

 コルホネンが魔法を唱えたその瞬間――――。

 ウィルヘルミナは、突如として魔法具が発動する気配を感じ取った。

(まずい! まだ魔法具が残ってたのか!)

 フェリクスたちが、心臓のあたりを押さえながら苦悶の表情を浮かべて片膝をつく。

 倉庫内のどこかに設置されている魔法具の、闇界魔法が発動しはじめたのだ。

 ウィルヘルミナとベルンハートの身に着けている魔法具も、今まさに発動途中にある。

 ベルンハートが身に着けている魔法具が輝きだし、ベルンハートの体を光の膜で覆いはじめた。

 同じくウィルヘルミナの魔法具も淡く光りだし、闇界魔法からその身を守ろうと発動しはじめている。

 だが――――。

 魔法具が発動を完了するその前に、ウィルヘルミナは考えるよりも早く金界魔法を唱えていた。

「アポピス!」

 ウィルヘルミナは、とっさに地面に手をつき、早口で金界二位魔法を唱える。

 すると、一瞬にして倉庫全体を光が覆いつくし、倉庫内に満ちようとしていた闇界魔法の気配が見事に消え去った。

 ベルンハートの胸元で淡く輝きはじめていた魔法具も、ウィルヘルミナの魔法具も一瞬にしてその光が消え失せる。

 そして、フェリクスたちはというと――――。

 突然襲い掛かった痛みが消え失せたのと同時に、耳に飛び込んできたウィルヘルミナの言葉を頭で反芻し、一拍遅れて驚愕に表情を塗り替えていた。

 フェリクスが、のろのろと立ち上がる。

 まん丸に見開いた眼で、呆然とウィルヘルミナを見やった。

「先ほど『アポピス』と聞こえた…。私の記憶に間違いがないなら、それは金界二位魔法のはずだ」

 ウィルヘルミナは、しまったとばかりの表情で固まる。

 イッカ、フローラ、ヤニカ、ヘリンも心ここにあらずという表情で動きを止めていたが、フェリクスの言葉をきっかけに覚醒していった。

「金界…二位…。人間は、二位の境地まで辿りつくことができるのですか…?」

 信じられないという表情でつぶやくフローラに、イッカたちも同意する。

「先ほど金界四位魔法を聞いた時にも驚きましたが…。まさか二位とは…。レイフ様、貴方はいったい何者なのですか?」

 イッカの目には、驚きの色と一緒に怖れの色も見え隠れしていた。

 それは、イッカだけではなかった。敵であるはずの男たちまでもが、恐怖をにじませた表情でウィルヘルミナをみている。

 ウィルヘルミナはというと、蒼白になって立ち尽くしていた。

(やっべ、ついとっさのことだったから、思わず魔法使っちまった。どうする? どうやってやり過ごしたらいいんだ?)

 すると、不意にベルンハートが動き出す。

 ベルンハートは、冷や汗をダラダラと流してがけっぷちの表情で固まるウィルヘルミナの前に移動し、背中に庇うようにして立ちはだかった。

 そして、突如その場で膝を折る。

 ウィルヘルミナもフェリクスたちも、その意図を理解できずに怪訝な表情にかわった。

「今見たことは忘れてくれ。頼む、この通りだ」

 ベルンハートの言葉を聞いて、ウィルヘルミナは驚きに目を見開く。

 貴族は体面が命。舐められたら終わりの世界だ。

 だからこそ貴族というのは、必要以上に高圧的に振る舞い、目下のものに対して自分を誇張して見せるのだ。

 たとえ自分に非があったとしても、素直に謝ったりはしない。

 もし謝るところを第三者に見られでもしたら、その噂はすぐに貴族世界に広まる。

 そして、無関係の輩からも見下されることになるからだ。

 馬鹿にされるような為政者に、臣下が従うはずもない。

 安易な謝罪は、ひいては権力低下に直結し、浮き沈みの激しい貴族世界での、凋落のきっかけにもなりかねないのだ。

 今のベルンハートには、国や国王という後ろ盾はない。

 ベルンハートが、高貴な人間として扱われるその根拠は、今や名ばかりになってしまっている『エルヴァスティ王家第二王子』という肩書だけなのだ。

 だから、他の貴族相手に簡単に頭を下げてはならない。

 ましてや、市民相手に頭を下げるなど、決してしてはいけないのだ。

 だが、ベルンハートはフェリクスに対してだけでなく、イッカ、フローラ、ヘリン、ヤニカに対しても膝を折り、懇願して見せた。

「ばっ!! やめろよベル!! なんでお前が頭下げてんだよ!?」

 ウィルヘルミナは、慌ててベルンハートの腕を引く。

 無理矢理立たせようとするが、ベルンハートは動かなかった。

「必要があるから、こうして頭を下げているのだ。私は無意味なことはしない。お前と違ってな」

 最後はにやりと笑って軽口を付け加える。

 ベルンハートが、あえて軽口を付け加えたのは、ウィルヘルミナの罪悪感を減らすためだ。

 その真意を理解すると、ウィルヘルミナはぐっと言葉を詰める。

 ベルンハートは、ウィルヘルミナを『守る』と誓ったその約束を、今まさに果たそうとしているのだ。

 自分はウィルヘルミナに守られている。だから、自分がウィルヘルミナを守れる場面では全力で守るのだと言ったあの誓い。

 その約束を果たすために、ベルンハートは矜持をかなぐり捨てて頭を下げたのだ。

(こいつ…馬鹿だな…。いつも憎まれ口ばかりたたいてるくせに、いざとなったらオレのためにこんなことしてくれちゃってさ…。ったく、これじゃベルの面子が丸つぶれじゃねえか…。でも、ありがとなベル)

 ウィルヘルミナは、ぐっと口元を引き結び、滲みだしそうになった涙を瞬きでやり過ごした。

 ベルンハートは気にするなという表情を浮かべてから、視線をフェリクスたちに戻し、再び頭を下げる。

「レイフの能力を他人に知られることは、レイフの命を脅かすことに繋がるのだ。どうか、今見たことを忘れてほしい。この通りだ」

 ベルンハートのような立場の者が、こうして弱みをさらけ出すことは、相手に付け入る隙を与えることに等しい。それでもベルンハートは、頭を下げることをやめなかった。

「ベル、もういい。後はオレが自分でみんなに頼むから」

 ウィルヘルミナは、そう言ってベルンハートの肩に手を置く。

 そして、フェリクスたちに向けて膝を折り、自らも頭を下げた。

「今まで皆に嘘をついてて悪かった。事情があって、表向きはベルの従僕をやってるけど、本当はただの友達なんだ。それに、ベルがさっき言ったことも本当で、実はオレも命を狙われてる身。敵に居場所を知られるとまずいんだ。だから、目立ちたくねえ。虫のいい話かもしれねーけど、オレからも頼む。さっきのことは黙っててほしい。見なかったことにしてほしいんだ」

 ベルンハートは顔を上げてフェリクスを見る。

「レイフは、私を守るためについてきてくれたのだ。本来なら、教会学校など来る必要のない人間だというのに、友である私のために危険を顧みずついてきてくれた。それに、さっきの魔法は、皆を助けるためにやむを得ず使ったものなのだ。レイフは、いつだって自分の身の危険は後回しにする。当たり前のように体を張って他人を助ける、そういう人間なのだ。むろん、助けたという事実を恩に着せているつもりなど毛頭ないが、どうか今度は、レイフを助けるために協力してほしい。この通りだ」

 すると、フェリクスが詰めていた息を吐き出し、ベルンハートの前で片膝をついた。

「わかった、決して他言はしない。だから安心してほしい」

 そう声をかけてから、フェリクスはイッカを振り返る。

「イッカ、私からも頼む。レイフのことは他言無用だ」

 イッカは我に返り、フェリクスに首を垂れた。

「承知いたしました」

「それからフローラ、ヘリン、ヤニカ、私からも頼む。レイフの件、他言無用にしてほしい」

 フローラたちもまた真顔でうなずく。

「わかりました、決して誰にも言いません。誓います」

 その返事を聞いて、ベルンハートとウィルヘルミナはホッと息をついた。

 フェリクスは、もう一度ウィルヘルミナたちに視線を戻す。

「それにしてもレイフ、お前は随分と乱暴な口を利くのだな。可愛い顔に似合わぬ悪態だぞ」

 今更ながら口調が戻っていたことに気づいたが後の祭りだ。

 ウィルヘルミナは開き直る。

「うっせ、可愛いとかゆーな。オレはカッコいいんだ」

 言い返すと、フェリクスもイッカも、そしてフローラたちまでもが面食らった顔に変わった。

 全員が驚き黙り込む中、ベルンハートだけが頭痛を覚えた表情でため息を吐き出す。

「こいつは、元々こういう奴なのだ。今までは散々猫を被っていたが、これがまぎれもない本来の姿。取り澄ました態度で従僕を装っているうちは静かでよかったのだが…。これでまたうるさくなりそうだ」

 ベルンハートが、苦笑いを浮かべてウィルヘルミナを横目で見た。

「ベル、てめぇ、さっきは見直してたのによ。なんでそうやって、最終的には人の事馬鹿にすんのかな。ふざけんな」

 ウィルヘルミナは両手を伸ばしてベルンハートの髪をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。

 結んである長い髪が指に引っかかり、ベルンハートはかすかに表情をゆがめた。

「痛いからやめろ」

「お前が減らず口たたかなきゃ、オレだってこんなことしねーんだよ」

 ウィルヘルミナは、投げやりな態度でベルンハートから手を放す。

 ベルンハートが、心外だとでもいわんばかりの表情を浮かべた。

「私が悪いとでもいうのか?」

「悪いだろ。前から何べんも言ってっけど、お前は口の利き方がなってねーんだよ」

 すると、ベルンハートが呆れたような半眼になる。

「心の底から、お前にだけは言われたくない台詞だな」

「はぁ!? オレだってお前にだけは言われたくねーわ!」

 フェリクスやフローラたちは、驚きが半分、もう半分は生暖かい目で二人を見守った。

 ぎゃいぎゃいと場違いな喧嘩をしはじめた二人を遠慮がちに止めたのはイッカだ。

「あの…お二人ともそのくらいになさってください。今はコルホネンの行方を捜すことの方が先決です」

 その言葉で、二人は一気に我に返った。

「そうだった! あいつ、どこ行ったんだ!?」

 ベルンハートも気まずそうな顔でコルホネンの姿を探しはじめる。

「まったく、お前のせいで私まで調子が狂う」

「ざけんなよベル、オレのせいにすんなよな。もっかいあとで話付けよーじゃねーか。覚えてろよ」

「のぞむところだ」

 二人のやり取りに、フェリクスは苦笑いを浮かべていた。


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