71
パウルスのために用意されている部屋に入ると、パウルスは表情をがらりと変える。
柔和な印象を与える仮面は見事に剥がれ落ち、鋭く尖ったまなざしで鬱陶しそうに髪をかき上げた。
ヴァロから受け取った手紙の封蝋をぞんざいな動作で破ると、凍えるような冷たい眼差しで書面に目を通す。
読み終えるなり、無造作にヴァロに放った。
いつの間にか、パウルスの髪と目の色が変わっている。
北壁人の特徴通りであった金髪碧眼が、今は黒髪と茶色い目に変わっていた。
これこそが、パウルスの本来の姿であるのだ。
「ニルス=アクラスからだ。お前も目を通しておけ」
受け取ったヴァロは、無表情のまま手紙を読みはじめる。
手紙に視線を落とすヴァロの横顔に向けて、パウルスは口を開いた。
「前回の報告書で、カヤーニでベルンハート殺害に失敗した原因は、金界魔術師の存在にあるという報告だった。可能性として一番高い金界魔術師は、ルメス商会のフレーデリクと懇意にしているザクリス・エーンルートという話だったが、その報告が間違いだったと書いてある。ニルス=アクラスがベルンハート殺害のためにラハティ教会学校に仕掛けた罠を防いだ金界魔術師は、レイフ・ギルデン。レイフ・ギルデンは北壁人の修道士見習いで、まだ少年ながらかなりの腕を持っており、その実力はザクリス・エーンルートにも引けを取らないとも書かれている。ロズベルグ邸の件もそのレイフ・ギルデンが阻んだ線が濃厚になったとの報告だ。つまり、ニルス=アクラスの奴もようやくレイフ・ギルデンにたどり着いたということだな」
「レイフ・ギルデン。ラハティ教会学校に潜っているヨルマから、先に届いていた報告にあった例の金界魔術師ですね」
「ああ、ラハティ教会学校でその存在感を示すまで、我々の情報網にかからなかった例の金界魔術師だ。ヨルマからの報告では、魔術だけでなく剣術の腕もたつと書かれていた。子供といえど侮れぬ腕前だ」
「レイフ・ギルデンは、ベルンハートと同じくらいの年齢ということでしたが、将来が末恐ろしい子供ですね」
「だからこそ、早めに仲間に引き入れるのだ」
パウルスがそう言い切ると、ヴァロは手紙から顔を上げて目をきらりと光らせた。
「それで急きょコルホネンにレイフ・ギルデンの生け捕りを命じたのですか」
「そうだ。レイフ・ギルデンが、たとえこちら側に寝返ることを嫌ったとしても、最終的にはゲルダの術で洗脳すればいいだけのこと。未熟な子供なら付け入る隙はいくらでもある」
「そうですね、子供というのは何色にも染まりやすい。成長過程で我々の管理下に置くことができれば、如何様にも作り替えることができます」
「そうだ。子供のころから洗脳して仕込めば、いい手駒ができる。そうなればニルス=アクラスに固執する必要もなくなる」
パウルスの言葉を受け、ヴァロは無表情のまま再び書面に目を落とす。
「確かに潮時かもしれませんね。ニルス=アクラスは、ベルンハート殺害の失敗が響き、アードルフの信頼がゆらぎはじめたようですから。この手紙で我々と協力したいと言ってきているのは、これ以上失敗できないからでしょう」
パウルスが、さも馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「たかだか子供一人殺すのに、どれだけの手間をかけているのだ。ニルス=アクラスも老いたということだな。かつてのニルス=アクラスの金界魔術師としての腕前は、それなりのものだったが、もはやそれも過去の遺物。今はもうかつて程の力はない。長く生き過ぎたのだ。今のアレには、新しい魔法具を作り出すほどの余力もない。できることと言えば、過去に己が作った魔法具で、つまらぬ罠を張るのが関の山。奴はそろそろ用済み。だから新しい替えが必要なのだ」
「ではニルス=アクラスを処分させますか?」
「いいや、あれにはまだ利用価値がある。奴の望み通り、表面上は協力してやろうではないか。ベルンハートを壁際に誘き寄せ、そこで抹殺し、レイフ・ギルデンを捕縛する罠を仕掛けさせるのだ」
「壁蝕でベルンハートを抹殺するということですか? つまり、コルホネンがパルタモでの抹殺に失敗することを見越していると?」
「そうだ。カヤーニに仕掛けてあった魔法具は、あの忌々しいヴェルネリ・ロズベルグを殺した一級品の魔法具。あの罠を回避したとなると、レイフ・ギルデンの腕は恐ろしいほど確かであるという証拠。コルホネンごとき小物には荷が重かろう」
「ヴェルネリ・ロズベルグ…。懐かしい名ですね。当時魔術師として全盛期であったレンナルト・ラムステッドとサウロ・カルヴァイネンと合わせて三傑と呼ばれた稀代の召喚士の一人。あの男を葬るのには骨が折れました」
そう言ってヴァロは顔をゆがめた。
当時の事を思い出しているのだろう。忌々しさも顔ににじみ出ていた。
パウルスは、肩をすくめながら意味ありげな視線をヴァロに向ける。
「ヘルゲ・エルヴァスティとクラエス・ノルドグレンにも手古摺らされたぞ。ヴェルネリ・ロズベルグとヘルゲ・エルヴァスティはニルス=アクラスの作った魔法具がなければ始末できなかったし、クラエス・ノルドグレンはゲルダの術がなければ殺せなかった。奴らは皆敵ながら天晴だった。我々にとっても不足のない相手だった」
そう言いながら、パウルスはキャビネットからグラスと酒を取り出した。
「あれらを始末できたことは、我々にとって大きな勝利だった。おかげで我々の計画を大きく前進させることができたのだからな。今のトゥオネラの状況を見てみろ。王国、教会、四壁、自由都市商工業組合、どこを見回してみても瓦解寸前。実に愉快だ」
パウルスは、にんまりと笑ってグラスに並々と酒を注ぎ一気に煽る。
クツクツとのどを鳴らしながら、口元を乱暴に手の甲で拭った。
「とはいえ、まだまだ殺さねばならぬ目障りな輩は山ほど残っているがな。当時殺し損ねたレンナルト・ラムステッド、サウロ・カルヴァイネンに加えてエルヴィーラ・ベイルマン、ラウリ・ノルドグレン――――四壁の当主たち全員が目障りだ。順々に始末していかねば」
「ええ、その件でしたらユルキが計画を進めています。じきに神獣眼狩りを開始します。それと同時に、当主たちの暗殺も進めていく予定です」
ヴァロの言葉にうなずきながら、パウルスは再びグラスに酒を注いで飲み干す。
「百年も前から芽を摘み、有望な魔術師殺しを着々と進めているというのに、殺した端から次々と邪魔な奴らが増えていく。人間とはしぶとい生き物だ。大人しく我々に飼われておればよいものを…。早く目障りな魔術師どもをまとめて始末してやりたいものだ」
「それも時間の問題です。ユルキに任せて確実に進めてまいりましょう。我々の時代が来るのはもうじきです。手始めに壁の畔で惨殺がはじまります。ヤンが準備をしている宴のはじまりですよ。その宴で、多くのゴミどもを屠ることができるでしょう。東壁の魔術師の数を減らすことができれば拮抗が崩れます。東壁の混乱が発端となり、そこから人間どもの秩序の瓦解がはじまることでしょう」
ヴァロもグラスをとり、そこに酒を注いでさらに続けた。
「今回の宴でエルヴェーラ・ベイルマンを血祭りにあげられないのは残念ですが、目障りなゴミどもを一度にまとめて掃除できる。私はそれが愉快でなりません」
ヴァロの言葉を受けて、パウルスがしばし黙り込む。
やがて、ふと何かを思いついたような表情で顔を上げた。
「そうとは言い切れぬぞ…。エルヴィーラ・ベイルマンは、今パルタモ近辺にいる。うまく壁に誘き寄せることができれば、ヤンに任せて一緒に始末することができるやもしれぬ」
「なるほど、それはいい考えですね。至急ヤンに連絡を取りましょう。コルホネンにはエルヴィーラ・ベイルマンを壁に誘導するように伝えておきます」
「ニルス=アクラスにもその旨を連絡しておけ。ベルンハートの抹殺はニルス=アクラスに、エルヴィーラ・ベイルマンの方はヤンにやらせるのだ」
「わかりました。すぐにでも手配いたします」
ヴァロは踵を返して歩き出そうとする。
だが、その背中に向けてパウルスが続けた。
「ところで、トーヴェ・ヴァルスタはどうなっている」
ヴァロは歩き出したその足を止めて振り返る。
「今のところトーヴェ・ヴァルスタに、変わった動きはないようです。ベルンハートの失脚に伴って王宮から移動になり、今はミッケリの警備所詰めの閑職に追いやられていますが、特段外部との接触もなく、淡々と仕事をこなしているようです」
「つまり、トーヴェ・ヴァルスタの線から、ラウリ・ノルドグレンとウィルヘルミナ・ノルドグレンにたどり着くことは難しいということか」
「そういうことになります。イヴァール・クーセラの方からたどり着くのも難しいでしょう。ラウリ・ノルドグレンと懇意にしているヘンリッキを使って無理矢理ラハティ教会学校に異動したので、何か動きがあるに違いないと思っていたのですが、どうも期待外れだったようです。これは私の勝手な私見ですが、イヴァール・クーセラは、トーヴェ・ヴァルスタの代わりにベルンハートを庇護しようとしているのかもしれません。あくまでも推測ですが」
「イヴァール・クーセラは用心深い男だからな。なかなかこちらに手の内を見せん。しかし、ベルンハートを警護するかのようにわざわざキッティラにまでついて行くとなると、その線も捨てきれないな…。奴らはベルンハートを王位につけて、王国と四壁の和解にこぎつけることが目的だったようだからな。だが、すでにベルンハートの王位継承の可能性は摘んである。今更イヴァール・クーセラを使ってまでベルンハートを庇護するとは考えにくいのだが…」
「そうですね。だからこそトーヴェ・ヴァルスタも、ベルンハートからあっさりと手を引いたのだと思っておりました。しかし、奴らはまだベルンハートとの関りを切らずにいる。たとえ運よく生き残れたとしても、ただの教会魔術師になり果てようとしている第二王子に、この先いったいどんな利用価値が残っているというのか…」
ヴァロの問いかけに、パウルスは顎に手を当て考え込みはじめた。
やがて吐息を吐き出す。
「今の段階では、その辺りの判断材料が少なすぎるな。イヴァール・クーセラにはヨルマを張り付けてあることだし、そのうち何か尻尾を出すだろう。ヨルマからの定期報告もそろそろ届く頃だ。もしかしたら何か新しい情報があるかもしれない」
そう言って、パウルスはグラスを持ったままドカリと椅子に腰かけた。
「さて、面倒な話はこのくらいにして――――」
パウルスは、そこで一度言葉を切ってにんまりと笑った。
「ところでヴァロ、今日の食事の手配はできているのか? 小賢しいエルヴィーラ・ベイルマンに邪魔をされて、最近は上質な食料の調達ができていない。その上、いい食材は全てラーファエルが先に奪っていってしまう。私の食事といったら食べるところもないようなやせ細ったガキや老人ばかりだ」
ヴァロも、全くその通りだと言わんばかりに肩をすくめる。
「ラーファエル様は、何かといえばカレヴィを持ち出して、優先的に上質な食料を持ち去ってしまいますからな。このところ我々にはろくな食事が与えられていない」
二人は不満そうに鼻を鳴らす。
「ですが今日の食事は、壮年の男のようです。まあ、可もなく不可もなく、それなりの食事と言ったところですね」
「そうか、男か…。まあ仕方がないな」
パウルスは、ややがっかりしたようなため息を漏らした。
「ああ、早く若くて肉付きのいい美味い女を食いたいものだな。張りのある若い肌を存分に噛み千切りたい。そして生きのいい血肉をすするのだ」
パウルスは、うっとりとのどを鳴らす。
ヴァロもつられて舌なめずりをした。
「若い女の肉はいいですからな。脂が程よくあって弾力も抜群。今度私がこっそりと調達してきましょうか」
「やめておけ、ラーファエルにバレると面倒だ。あ奴は、我々の存在が人間に知られることを病的なまでに回避しようとしているからな。我々が、勝手に人を捕まえて食ったと知れたら、どうなる事かわからん」
「そうですね…。確かにバレては後が面倒です。近い未来、我々が万全の状態に戻れたならば、その時こそは思う存分人間の女を食らうことができるようになりましょう。それまでは辛抱いたしましょう」
「そうだな、今日の夕食は脂の少ない味の落ちる男で我慢するとしよう」
そう言って、二人は残忍な忍び笑いを漏らした。
その数日後、パウルスのもとへヨルマからの定期報告書が届く。
それはここ数日間のイヴァールの動向と、たまたま目撃したレイフ・ギルデンの動向とが記載されていた。
今のヨルマの主な任務はイヴァールの監視なのだが、パルタモまでの移動中に、国王の部下の手によるものと思われるベルンハートへの刺客の襲撃場面に偶然遭遇していた。
その時に、レイフ・ギルデンが、カスパルやザクリス・エーンルートらと一緒に刺客を撃退していたところを目撃していたのだ。
パウルスがレイフ・ギルデンの能力に着目していることを知っていたので、ヨルマはこの時からイヴァールの監視に差し支えない程度にレイフ・ギルデンの監視をしはじめていた。
そしてレイフ・ギルデンが北壁人であることから、試しにコルホネンを使ってラウリの現状を話題に出させて反応を探ってみたところ、イヴァールに接触しようとした形跡があったことなどが報告されていた。
実際に接触があったわけではないが、レイフ・ギルデンはイヴァールと面識があると、ヨルマは報告書で断言している。
レイフ・ギルデンの身元は調査中で、現時点でわかっていることといえば、南壁カヤーニに拠点を置くルメス商会のフレーデリクの紹介でベルンハートの従僕になったことと、出身地が北壁のサッラであることくらいだ。
ちなみに出身地の情報は、通行証の確認時に手に入れたものであり、まだ偽造証の可能性も捨てきれてはいない。
どういう経緯で北壁人であるレイフ・ギルデンが南壁のカヤーニに住まいを移したのか、何故ベルンハートの従僕になったのか、その経緯が全く明らかになってはいないのだ。
ただ、イヴァールと何かしらの接点があるとは確かで、レイフ・ギルデンはラウリに関係する人間である可能性も出てきていた。
引き続き観察を継続し、随時報告を行うと結ばれていた。
その報告書を見たパウルスは、急ぎレイフ・ギルデンの詳しい身元調査を開始させた。




