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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ラウリは、ウィルヘルミナをベッドに寝かしつけると、そのままベッドの縁に腰かけた。

 ウィルヘルミナの寝顔を見下ろしながら手を伸ばし、その頭を優しく撫でてやる。

 ラウリは、すやすやと幸せそうな寝息を立てるウィルヘルミナを、深い愛情のこもった眼差しで見つめていた。

「クラエスに良く似てきたな」

 孫娘の寝顔に、今は亡き最愛の家族の面影を見つけて、寂しげにぽつりとつぶやいた。

 クラエス・ノルドグレンは、ウィルヘルミナの父親であり、そしてラウリの長男でもあった。

 クラエスは、五年前に賊の凶刃に倒れこの世を去っている。

 その事件で、ラウリは妻アネルマと息子の嫁であるカトリンをも失っていた。

 あの日の出来事を思い出すと、今でも瞬時にして怒りの業火が燃え上がり、ラウリの心を暗く蝕む。

 その度にラウリは、私怨に走ってはならぬ、あれは定めだったのだと己に言い聞かせていた。

 怒りのままに復讐を遂げたところで、晴れるのは己の気持ちだけだ。

 その復讐の結果、北壁は分裂し、取り返しのつかないような内乱状態に陥ることだろう。

 いや、混乱が北壁にとどまることはないはずだ。すぐにトゥオネラ全土にまで波及することになるのは必至。各地で抑圧されていた様々な火種が次々と燃え上がり、やがて戦乱が全土を覆い、争いの業火が全てを燃やし尽くしてしまうに違いない。それほどまでに、今のトゥオネラは危うい均衡の上に、成り立っているのだ。


 だからラウリは、己に忍耐を課すのだ。

 先日ウィルヘルミナに言った言葉――――。


『いいや偶然などではない。必然だ。この世に起こることの全ては、避けることのできない必要な要素だ。もっともらしいうわべだけの言葉で己の立場から逃げようとするな』


 あの時口をついて出た言葉は、いつも己自身にこそ言い聞かせている言葉であった。

 ラウリが、己の激情を鎮めるために言い聞かせる言葉。

 ラウリの心もまた、いまだ悲しみに囚われたままなのだ。

「それにしても、気性までクラエスに似てきたな」

 こうと信じたら、決して己を曲げぬウィルヘルミナの芯の強さ。

 それは亡きクラエスを彷彿とさせる。

「あの頑固さは似なくても良かったのにな…」

 ラウリはフッと笑って、幼いその頬を撫でた。

 ウィルヘルミナが可愛くて仕方がないのだとその表情が物語っている。

「私を恨んでいい。だから誰よりも強くなれ。どんな者にも負けぬほど強くなるのだウィルヘルミナ」

 ウィルヘルミナの存在こそが、今のラウリの生きる理由の全て。

 ウィルヘルミナがいるからこそ、ラウリはまっすぐ恥じることのない道を歩むことができているのだ。

 己の身の内にくすぶる醜い怒りを鎮め、正しくあろうとするのは、ひとえにウィルヘルミナにもそうあってほしいと望んでいるからこそ。

 もし五年前のあの日、ウィルヘルミナが生き残ってくれていなければ、きっとラウリは己のうちに潜む復讐の業火に身を焼かれ、滅びの道を歩んでいたに違いない。

 世界の均衡などすべてかなぐり捨てて、ただ自分の復讐心を満たすためだけに、世界を道連れに破滅の道を選んでいたに違いないのだ。

 ラウリにはそんな自覚がある。

 ウィルヘルミナの寝顔を見ながら、改めて自分の卑小さを再認識して、知らず知らずのうちに苦笑を漏らしていた。

「お前に偉そうなことを言えないな…。だが、私もお前に恥じぬ道を必ず歩む。だからお前も頑張ってほしい。強くなれ、そして正しくあれ、ウィルヘルミナ」

 そう言って額に口づけを落とす。

 その時、コンコンと遠慮がちに扉がノックされた。

 ラウリはすぐに表情を厳しく引き締めなおし、静かにベッドから立ち上がった。

 そのまま扉まで移動し、一度だけウィルヘルミナを振り返る。

 深い眠りについていることを確かめると、部屋を後にした。

 廊下に出ると、イヴァールと共にラウリの部下であるイサクがいた。

 イサクは、表向きはノルドグレン家で下男として働いている男だが、裏ではラウリの密命を受けてノルドグレン家の内情を探っている間者でもあった。

 定期報告ではない時期に、直接ラウリの元を訪れるという事は、急を要する報告があるということ。

 ラウリは無言のままうなずき、三人は重々しい空気を纏ったまま移動した。



 執務室で、イサクの報告を受けたラウリは、苦々しい表情に変わった。

「エイナルが特使を立ててアードルフ国王に親書を送っただと?」

「はい」

 イサクがうなずくと重苦しい沈黙が下りる。

 ラウリは厳しい表情で机の上に両肘を乗せ、顔の前で手を組んでそのまま考え込んだ。

 エイナルというのはラウリの次男で、現ノルドグレン家当主である。

 そして、五年前の犯行の被疑者でもあった。

 表向きあの事件は賊の仕業ということになっているが、ラウリの妻と息子、そして息子の嫁の命を奪った真の犯人は、おそらくエイナルに違いないと確信していた。

「親書の内容は、十中八九叙任権の事だろうな。国王側と教会は、長年聖職者任免権をめぐって対立している。おそらくエイナルは、国王を焚き付けてソルム教皇を追い落とそうとくだらぬ画策をしているのだろう。迂拙すぎる。アードルフ国王が応じるはずもないというのに、何故それがわからぬのだ。むしろこちらの不和を態々さらけ出し、敵を喜ばせているだけだというのに、こんな簡単な想像もつかぬのか。どこまで愚かなのだあの男は」

 ラウリは吐き捨てるように言った。

「王家、都市貴族、自由都市商工業組合らの連合に対抗するには、四壁と教会が結束を強めるしかないというのに、自らの手で自分の首を絞めるとはな…。これもあの毒婦の差し金か」

 ラウリが毒婦と呼んだのはエイナルの妻ゲルダの事である。

 ゲルダという女は、エイナルをそそのかし、様々な悪事に手を染めていた。五年前の事件にもまたゲルダが噛んでいるのは間違いない。

 イヴァールも硬い表情で口を開いた。

「これで北壁は四壁の中で増々孤立することになりますね」

 その言葉に、ラウリは深く嘆息する。

「夏のない年が終わり、二度目の冬に入ろうとしているこの時期に、孤立を深めた状態でどうやって北壁の民を守れるというのだ。飢えるのは民たちだ。このままではノルドグレンは民からも見放されることになる」

「厳しい冬になります」

 ラウリの言葉にうなずき、続けられたイヴァールの言葉で、再び重い沈黙が下りた。

『夏のない年』というのは、夏の異常気象――――いわゆる冷夏の事である。

 北壁では、二年前に火山が大規模な噴火を起こしており、火山灰が大気中に放出されたことによって様々な異常気象が起こっていた。

 火山灰が太陽光を遮ることで起こる冷夏や、河川一帯で起こる異常な降雨によって洪水が多発し、農作物が深刻な被害を受けているのだ。

 その影響は一年にとどまらず、今後も数年続くことが予想されている。

 今年は夏のない年から二年目。去年よりも厳しい冬になる事が予想されていた。

 自領の食料だけでは、賄いきれるはずもなく、他家からの援助を乞う他に道はない。

「こんな時に政治を玩具にして戯れるとはな。あの愚か者は、いったい何を考えているのだ」

 ラウリは、嫌悪を露わに吐き捨てた。

 しかし、すぐに静かに息を吐きだして、激情を外へと逃がす。

 冷静さを取り戻すと、イヴァールとイサクを見た。

「私が教会に書状を送ろう。ベイルマン、カルヴァイネン、ラムステッドにも送る。恥を忍んで許しを請う以外に手立てはない」

 しかし、イヴァールが居住まいを正して口を開いた。

「恐れながら申し上げます。まずは、エイナル様の処遇をご決断なさるべきではありませんか。最近のウィルヘルミナ様のご成長には目を見張るものがございます。この際時期を早めて――――」

「いいや、時期尚早だ。アレはまだ幼い」

 ラウリはイヴァールの言わんとしている言葉を遮った。

 だが、イヴァールも退かない。

「ですが、ラウリ様が後見人と公に発表なされば、異論を封じることは可能でございます」

「だめだ、まだ早い。早すぎるのだ」

「しかし――――」

「頼む、今は忍んでくれ」

 ラウリは頭を下げた。

 イヴァールとイサクは驚き、目を見開いたまま固まる。

 ラウリは頭を下げたまま続けた。

「あれにはまだ早いのだ。あれはまだ北壁当主という立場を軽んじすぎている。当主がどういうものなのか、きちんと理解できていないのだ。もう少しでいい。あれを成長させる時間をくれ」

 我に返ったイサクは慌てた。

「おやめください、我々に頭を下げるなどとそんなことは――――」

 イヴァールも頭が冷え、冷静に戻った。

「わかりました。確かに今のウィルヘルミナ様では北壁当主の座は荷が重いでしょう。私も拙速に過ぎました」

 ラウリは安堵の息を吐き出す。

「すまぬ。お前たちには苦労を掛ける」

 イヴァールは内省し、視線を伏せた。

「いいえ、私もいささか冷静を欠きました。クラエス様の件を思い出すと、どうしても自制心を失ってしまうのです。出過ぎたことを申しました」

 思いがけず聞かされたクラエスの名に、しばし沈黙が下りる。一同の脳裏に、一瞬にして悲しみの記憶が呼び起された。

 ラウリはその悲しみを拭い去るようにして、強い意思を宿した面持ちで口を開く。

「エイナルの元へは、私が直接出向く。当主として慎重な行動をとるように言い含めてくる」

 その言葉に、イヴァールとイサクが弾かれたように顔をあげた。

「それは無茶です! ラウリ様の御身が危険にさらされます。御身自ら態々敵地に赴くなど、絶対に反対です!」

 強固に反対する二人をラウリはたしなめる。

「大丈夫だ。エイナルに私は殺せぬ。あの毒婦とて手を出せぬ理由があるのだ。それに例の件、この目で確かめてみたい」

『例の件』と暗にほのめかしたラウリに、イヴァールもイサクも顔をこわばらせた。

 確かに、実際にその目で確かめることのできる立場に居るのはラウリだけだ。

 その思いが、一瞬だけ二人の言葉を奪ったが、しかし、それでもラウリの身を案じる気持ちの方が強かった。

「なりませんラウリ様、私は反対で――――」

 だが、言いかけたイヴァールの言葉をラウリは手をあげて遮る。

「我々の都合で民を飢えさせるわけにはいかぬ。それに、虎穴に入らずんば虎児を得ずとも言う。毒婦とエイナルの腹を私が直接探ってくる。この一件私に任せてくれ。それよりイヴァール」

 ラウリは無理やり話を切り上げ、イヴァールを見やった。

「お前の旧知に、腕の確かな金界魔術師がいたな」

 イヴァールの中ではまだ話は終わっておらず、なおももどかしい思いを抱えていたが、しかしラウリの問いかけにはしぶしぶ応じた。

「はいおります。今は自由都市カヤーニで魔法具の研究を行っております」

「そこに、しばらくのあいだウィルヘルミナを預けたい。頼めるか」

 そこには、否やを言わせぬ空気がにじみ出ている。

 イヴァールは諦めたような吐息を胸の内で吐き出した。

「おおせとあらば」

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