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コルホネンの案内でたどり着いた場所は、川岸に並ぶ石造りの古びた倉庫のうちの一つだった。
事前にコルホネンから聞いていた通り、倉庫の前には見張りの男が三人ほど警戒するように立っている。
ウィルヘルミナたち四人とコルホネンは、離れた壁の陰から倉庫を覗き見ていた。
「外に見えるのは三人だな」
そう確認してから、フェリクスは壁の陰に顔を引っ込める。
「ヘリンたちの話では、フローラを連れ去った人間は四人いたようだが、ここに誘拐した人間を集めているとなると、中にはもっと多くの仲間が潜んでいるに違いないな」
フェリクスの見立てに、ベルンハートはしばし考えこんでから口を開いた。
「確かにこの立地、誘拐した人間の運搬にかなり適している。誘拐した人間が連れ込まれている可能性は高いな。陸路で生きた人間を秘密裏に運ぶのはかなり難しいが、船を使えば格段に運びやすくなる」
ウィルヘルミナも、考えるように顎をつまみながら口を開く。
「確か、この川はサーミ川の支流。サーミ川は、北は北壁のシーリンヤルビ、南は南壁のフォルッカにまでつながる大河。この支流をのぼれば、捕まえた人間を遠くまで運搬することは確かに可能ですね」
ウィルヘルミナが、そう言ってベルンハートに同調すると、フェリクスも硬い表情でうなずいた。
「そうなのだ。川を使っている可能性は、我々も随分前から考えていた。だが、経路の特定が難しく発見できずにいた」
サーミ川は大陸一の大河で、支流は網の目のように複雑に広がり、流域は広範囲にわたる。東壁は湿地が多いこともあり、途中でたくさんの湖沼につながっており、運搬経路を特定するのは難しかった。
その上、この辺りは市場に隣接する倉庫街。
巨大な市場の倉庫街に埋没しており、発見は難しいというのが現状だった。
フェリクスはしばし考え込んでいたが、顔を上げてコルホネンを見やる。
「コルホネン殿に頼みがある。貴方にはこのまま市場に戻ってもらい、警備所の人間をここまで案内してきてほしいのだ」
「フェリクス様たちはどうなさるのですか」
「我々は、このまま倉庫内に向かう。ここからの行動には危険が伴う。絶対に貴方を同行させるわけには行かない」
きっぱりと言い切られ、コルホネンは小さく息を吐き出した。
「仕方ありませんね、確かに商人が一緒では足手まといでしょう。私はここまでですか。ではフェリクス様のおっしゃる通り、私は一度市場に戻ります。どうぞ皆様ご武運を」
コルホネンが去っていく姿を見送ると、ウィルヘルミナたちは作戦を立てはじめる。
「さて、どうやって中に侵入するかな。中に何人の敵がいるのか、それに、どれだけの人質がいるのかも不明だ。慎重にいくべきなのだろうが…」
「言っておくが、今の段階では、まだただの当て推量だぞ。フローラや他の誘拐された人間が中にいるのかどうか、確認できていないことを忘れるな」
ベルンハートの言葉に、フェリクスは不満そうな表情を浮かべた。
「先ほどは、私の見立てを肯定していたではないか。今更だぞ」
「私は、あくまでも可能性があると言っただけのこと。ここにフローラがいるかどうか確認できていないのは事実だ。最初から決めつけてかかるのはよくない」
「だが、あの倉庫の中を確認するのは、もう決定事項だろう?」
フェリクスの意見に、ベルンハートはうなずいた。
「そうだな、まだ不明な点は多いが、あの場所が何かしらの犯罪に関わっているだろうことは想像に難くない」
「では、どうやって侵入する? おそらく倉庫周辺は、魔法具が設置されているに違いないぞ。魔法を使って強引に侵入するのは危険だ。何か他の侵入手段を考えなければ」
フェリクスの言葉を受け、ウィルヘルミナは視線を伏せて考え込む。
(イッカはそこそこ剣が使えそうだけど、フェリクスはどうかな…。模擬戦の時には大将で戦闘に参加してなかったから、フェリクスの体術のレベルがどれくらいかわかんねーんだよな)
ちらりとフェリクスを見てから、ベルンハートに視線を向けた。
(ベルは、魔法が使えない状況でも、間違いなく戦力になる。だからベルは倉庫に連れて行くとして、フェリクスを連れてくのは今の段階じゃ冒険だよな。それに、倉庫の内情も分からねえから、やっぱフェリクスとイッカは外に待機させておきたいな。倉庫の外なら、何かあった時にイッカが魔法を使えるだろうし)
そこまで考えて、ウィルヘルミナはおもむろに口を開く。
「私に案がございます」
控えめに切り出すと、三人の視線がウィルヘルミナに集まった。
「どんな案だ?」
フェリクスに促され、ウィルヘルミナは続ける。
「フェリクス様とイッカ様が、外で物音を立てて陽動を行います。見張りをあの場所から引き離してください。そうして見張りを引き付けている間に、私とベルンハート様で中に侵入するのです」
そこで唐突に話が終わり、続きを待っていたベルンハートが額を抑えてため息を吐き出した。
「お前…それ…。中に入ってからのことは何も考えていないだろう」
ウィルヘルミナの案は、イッカとフェリクスを中に同行させたくないと考えてのものだということは、ベルンハートにも読めていた。
だが、無謀にも無策のまま突っ込んでいこうとするウィルヘルミナに、ベルンハートは頭痛を覚えている様子だ。
ウィルヘルミナは、そんなベルンハートにムッとする。
「私とベルンハート様であれば、特に問題はないと思いますが」
ウィルヘルミナは本心からそう言った。
ベルンハートはというと、呆れ気味の小さなため息をつく。
「先ほどのベイルマンの話を忘れたのか。中には高位の闇界魔法の付与された魔法具が置かれている可能性があるのだぞ。慎重にいかなければ危険だ」
(その可能性はちゃんと念頭に置いてあるっつーの。なんだよ、やけにつっかかってくるな)
「そう申されましても、今はあの倉庫の内情を探っているような時間がございません。フェリクス様たちが敵を陽動してくだされば敵も浮足立ちます。そこが、我々が付け入るべき隙です。それに、ベルンハート様は魔法具をお持ちでしょう? あれがあれば、闇界魔法の攻撃を受けても大丈夫です」
ウィルヘルミナは、ちらりとベルンハートの指輪を一瞥した。
(前にカヤーニでオレが作ってやった指輪の魔法具、ちゃんとつけてるもんな。それがあれば、闇界一位の魔法でも防げる)
ベルンハートはかすかに苛立ちを覚えた様子でウィルヘルミナを見る。
「私が大丈夫でも、お前はどうするんだ? 現状では倉庫にどんな魔法具が設置されているのかわからないんだぞ? 制限がかかっている場所で、とっさの時に魔法を使うわけには行かないだろう。お前は自分のこととなると無頓着すぎるぞ。少しは自分の身に降りかかるであろう危険についても考えろ!」
声を荒げて叱られて、ウィルヘルミナは思わずパチリと目を瞬いた。
(なんだ…。ベルはオレの心配してくれてたわけか。いつものことながら、わかりづれーやつ)
そう気がついて、ウィルヘルミナは思わずプッと噴き出す。
ベルンハートは、笑っている場合じゃないとばかりにギロリとウィルヘルミナを睨みつけた。
フェリクスとイッカはというと、驚いた様子で目を見開く。
二人の間に流れる、信頼に裏打ちされた対等な関係に気づいたのだ。
ウィルヘルミナは、すぐにフェリクスとイッカの視線に気づき、慌てて取り繕った。
コホンと咳をする。
「それは…申し訳ございません。お気遣い、大変ありがたく頂戴いたします。ですが、私もその辺りの対処はできておりますのでご心配なく」
内心では動揺しつつも、澄ました顔を無理やり張り付けてみせた。
だが、それでフェリクスとイッカの目を誤魔化せたとは言い難い。
「本当に大丈夫なのだな?」
ベルンハートの念押しに、ウィルヘルミナはしっかりと頷いた。
「はい、大丈夫です。ご心配には及びません」
ベルンハートは、やれやれと言いたげに髪をかき上げる。
「その言葉、信じるからな。無茶はするなよ」
「もちろんです」
『任せろ』と視線で返していると、フェリクスが口を開いた。
「お前たちは実に不思議だな。主従というより、友人というほうがしっくりとくる」
(やべ、気を抜きすぎたか)
ウィルヘルミナは、あわてて澄ました表情を取り繕う。
すると、フェリクスが苦笑した。
「別に責めているわけではないぞ。仲が良くてうらやましい限りだ」
ベルンハートが、心外だと言わんばかりに片眉を跳ね上げる。
「仲がいい? それは誤解だな。お前のところの従僕と違って、こいつが図々しいだけだ」
(にゃろう、人が今言い返せねーのわかっててそうくるか)
「ですぎたことを申してしまい、まことに申し訳ございませんでした」
ウィルヘルミナは、額に青筋を浮かべながらきれいな微笑みを浮かべた。
言外に、ベルンハートに向けて圧をかける。
対してベルンハートは、馬鹿にしたように鼻を鳴らして返した。
「わかっているなら自重しろ。少しはベイルマンの従僕を見習え」
(ごるぁ、ベル。てめーあとで覚えてろよコノヤロー)
そんな内心を押し隠し、にこやかな笑顔を顔に張り付けたウィルヘルミナは、慇懃な態度で返す。
「左様でございますね。是非、イッカ様を見習いたいと思います」
ウィルヘルミナのひきつった笑顔に気づき、フェリクスが噴き出した。
「やはり、仲がいいな。うらやましいぞ」
フェリクスは、そう言ってからベルンハートを見る。
「私のことは、フェリクスと呼んでほしい。その代わり、私もベルンハートと呼ばせてもらいたい。だめだろうか?」
ベルンハートは、驚いたように片眉を上げてフェリクスを見た。
目を瞬いてから、ようやくフェリクスの言わんとしていることを察したベルンハートは、慌てたようについと視線を逸らす。
「呼び方など好きにすればいい」
ぶっきらぼうに返した。
ウィルヘルミナは、思わずニヤニヤと笑う。
(あ、照れてんなこいつ。フェリクスに友達になろうって言われてるようなもんだもんな)
気づいたベルンハートが、苛立ったように目を細めた。
「何か文句でもあるのか」
ウィルヘルミナは、すぐに笑いを引っ込めて澄ました顔に戻る。
「いいえ、何もございません」
丁寧すぎるその態度に、ベルンハートはさらなる苛立ちを覚えた。
なおも言いつのろうと口を開きかけたのだが、その言葉をフェリクスが遮る。
フェリクスは、苦笑を浮かべつつ再び口を開いた。
「さて、話がそれたな。闇界魔法対策の魔法具を用意してあるのなら倉庫内に入っても問題はないはずだ。レイフの意見を尊重し、私とイッカは陽動を引き受けよう」
ウィルヘルミナの剣術の腕については、もはや疑いようもない。ベルンハートの腕についても、模擬戦で十分知っていた。
魔法を使わなくても、二人なら体術で敵を倒すことが可能である。
それを承知したうえでのフェリクスの判断だった。
「敵を引きつけ、足止めができたら我々も後から追いかける。我々とて、東壁を守る魔術師の端くれだ。見くびってもらっては困るぞ」
イッカも、フェリクスの言葉にうなずく。
「決して足手まといにはなりませんので、同道をお許しください」
ベルンハートはうなずいた。
「わかった。では、時間もない事だ。はじめるか」
四人は真顔に戻ってうなずき合い、二手に分かれる。
「ベルンハート様、レイフ様、ご武運を」
「お前たちもな」
イッカの言葉にベルンハートが返した。




