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ウィルヘルミナたちは、ヘリンたちが言っていた西の方角に向かって路地を進んでいった。
奥に進むにつれ人けがなくなり、市場の喧騒からどんどんと遠のいてゆく。
(この方向であってるのか? なんか不安になってきたな)
ウィルヘルミナが内心でそんなことを考えたその時――――。
不意にベルンハートが切り出す。
「一つ聞きたいことがあるのだが、いいか」
フェリクスは、走りながら怪訝な表情でベルンハートを振り返った。
「なんだ?」
「先ほどベイルマン家として対応しなければならない問題だと言っていたが、あれはどういう意味だ? お前は、フローラを連れ去った犯人に心当たりがあるのか?」
(それ、オレも気になってたんだよな)
フェリクスは、唐突に足を止める。
そして、厳しい表情でうなずいた。
何かを話そうと決意した様子で、フェリクスは口を開きかけたのだが、しかし、イッカが険しい視線でその言葉を制する。
「フェリクス様」
フェリクスは、開きかけた口をいったん閉じ、イッカを振り返った。
二人は、衝突するかのような厳しい視線を合わせる。
「イッカ、お前の言いたいことはわかる。だが、いつまでもこんな中途半端な状況でいるわけにはいかないだろう。それは、お前だってわかっているはずだ。私は今この場ではっきりさせたい」
「ですが――――」
「絶対に大丈夫だ。私には確信がある。信じてくれ」
フェリクスの真っ直ぐな勢いに押され、イッカは続けようとした言葉を仕方なく飲み込んだ。
その態度から、消極的ながらも肯定の意を確認したフェリクスは、イッカから視線を外し、ベルンハートとウィルヘルミナに向き直る。
「単刀直入に言う。レイフ、左腕の付け根を見せてくれ」
(へ? 腕の付け根? なんで???)
全く意味が分からず、思わずベルンハートと顔を見合わせる。
「突然こんな要求をするのは無礼であること承知している。だが、無関係であるという証拠が欲しい。だからレイフ、腕を見せてほしい」
イッカも、真剣な表情でウィルヘルミナを見ていた。
(よくわかんねえけど、もしかしてオレがイッカに何かを疑われていた原因はそこにあるのか?)
二人の態度から、そんなことを想像する。
聞きたいことはたくさんあったが、ウィルヘルミナはそれを飲み込んだ。
ベルンハートは不満そうに険しく目を細め、何か言いかけたが、ウィルヘルミナは首を横に振ってそれを制する。
(腕を見せることが証明になるなら、疑いを晴らしてから聞けばいい)
おもむろに袖をまくり、フェリクスに向かって腕を見せた。
フェリクスは、ウィルヘルミナの腕をとってその手を持ち上げ、食い入るようにその付け根を見つめる。イッカも、かがんでウィルヘルミナの腕を確かめた。
そこに何もないことを確認すると、二人はホッと息を吐き出す。
「だから言っただろう。レイフに限ってそんなはずはないと」
フェリクスの言葉に、イッカはわずかに視線を伏せた。
「私とて疑いたくなどありませんでした。ですが、レイフ様は早朝に一人でこっそりと抜け出し、遠目で相手の人相までははっきりとはわかりませんでしたが――――とにかく、人目を忍んで見知らぬ人物と接触していたのです。それに、その事実を隠してもいた。あれを疑うなというほうが無理です」
その話を聞いたウィルヘルミナは、ばつが悪そうな表情に変わる。
(やっぱそうか。イルと会ってるところ、イッカに見られてたんだな。それで何かを疑われてたのか。でもいったい何を? なんで腕の付け根なんて確認する必要があるんだ?)
ベルンハートは、ウィルヘルミナの腕を引いてフェリクスから引き離し、背中にかばうようにして立った。
「これで疑いは晴れたか? 言っておくが、レイフが人目を忍んで人に会っていたのは、私の警護ためだ。変な誤解はやめてもらおう。レイフは、お前の望み通りに腕を見せた。今度はお前たちの番だ。納得がいく説明してもらおうか」
「ああ、そうだな。すまなかった。疑って悪かった」
フェリクスが謝罪すると、イッカもそれに倣う。
「大変ご無礼をいたしました。申し訳ございませんでした」
フェリクスは、小さく吐息をついてから、真面目な表情で口を開いた。
「時間がないので手短に話すが、おそらく、フローラを連れ去ったのは緋の竜だ」
ベルンハートとウィルヘルミナは、怪訝な表情でフェリクスを見返す。
「緋の竜? それはなんだ」
二人とも聞いたことがないため、怪訝な表情でフェリクスとイッカを交互に見た。
その様子を見たフェリクスが、『ほらな』と言わんばかりの表情をイッカにちらりと向ける。
イッカは、気まずそうに視線を伏せた。
フェリクスは、ウィルヘルミナとベルンハートに向き直って続ける。
「緋の竜というのは、ここ数年東壁の領地で誘拐を働いている集団のことだ。その緋の竜に所属する人間は、皆左腕の付け根に赤い竜の刺青を掘ってあることから、我々はそう呼んでいる」
(腕の付け根に刺青? なるほど、だからオレの腕を調べたわけか)
ウィルヘルミナは、心の中でそう納得する。
「なかなか尻尾を出さない手ごわい相手でな。我々ベイルマンは、奴らに長い間辛酸をなめさせられている。今回私とイッカは、緋の竜に関係する人間が、ラハティ教会学校に潜んでいるらしいという情報をもとに教会学校に潜入していた」
するとベルンハートが馬鹿にしたように鼻を鳴らした。
「我々が入学したのは、お前たちよりも後のことだぞ。その情報をもとに学校に潜入していたのなら、レイフを疑うことはおかしいだろう。なぜそんな簡単な矛盾に気づかない。お前たちは馬鹿なのか」
フェリクスに向かってそういうと、イッカが鼻白む。
「レイフ様を疑っていたのは、この私でございます。フェリクス様ではございません」
「だが、お前の疑いをフェリクスは否定しなかったということだろう。だったら同じことだ」
「いいえ、違うのです。フェリクス様は、レイフ様の人となりに触れ、絶対に違うとおっしゃっておりました。私が、一人で疑わしいと言い張っておりましただけです。本当です」
それを聞いたベルンハートは不快気に眉を顰め、なおも反論を口にしようとしたが、ウィルヘルミナが首を横に振ってそれを止めた。
「私がイッカ様に疑われるような行動をとってしまった事が、そもそもの間違いでございます。疑いが晴れたのでしたら、その話はもうよろしいでしょう。ベルンハート様のお気遣いには感謝いたします。ですが、今は話の続きの方が気になります」
当人であるウィルヘルミナにそう言われ、ベルンハートは仕方なさそうに口をつぐむ。
ウィルヘルミナはフェリクスとイッカに向き直った。
「それで、ラハティ教会学校に潜んでいる、緋の竜の仲間というのは特定できているのですか? その人物が、今回のフローラ様誘拐の件にもかかわっているということでしょうか?」
フェリクスは、ため息を吐き出して首を横に振る。
「いいや、疑わし人物を絞ってはあるが、特定まではいたっていない。それに、フローラの誘拐に緋の竜が関わっているかどうかも現段階では不明だ。ただし、可能性は高いと思っている」
ベルンハートは、呆れたように鼻を鳴らした。
「まるで話にならんな。レイフを疑ってかかっていたせいで、本来の仕事が疎かになってしまったのではないか?」
「面目ない、返す言葉もない。だが、敵はかなり用心深く結束が固いのだ。たとえ緋の竜の人間を捕らえたところで、情報を引き出すことは難しい。おかげで、アジトも不明だし、誘拐の目的も、誘拐した人間の所在すらもが不明なのだ」
ベルンハートとウィルヘルミナは怪訝な表情にかわる。
「目的も不明とはどういう事だ? 誘拐するからには、身代金や人身売買が目的なのではないのか?」
「それが、全く分からないのだ。誘拐の目的も、誘拐された人間の行き先も全部…。我々も最初は金目当ての誘拐、もしくは人身売買の線を疑っていたのだが、しかし、誘拐した人間の家に身代金の要求もなければ、人身売買の痕跡も見つからない。すでにかなりの人間が行方不明になっているというのに、誰一人として見つからないのだ」
ウィルヘルミナは目を見開いた。
「いったい何のために誘拐して人を集めているのでしょう? まさか、すでに殺されているのでしょうか?」
「遺体が見つかったこともないのではっきりとはわからない。本音を言えばその可能性は否定したいのだが、しかし、生きている可能性はやはり低いと思う」
フェリクスの言葉に、ベルンハートは、再びため息を吐き出す。
「話にならないな。不甲斐なさすぎるぞ。ベイルマン家は今までいったい何をしていたのだ」
フェリクスは視線を伏せた。
「返す返す面目ない。だが、我々もただ悪戯に時間を消費していたわけではない。捜査が進展しないのには理由があるのだ」
「理由? いったいどんな理由だ?」
「敵は高位の魔法を付与された魔法具を持っているため、うかつに手が出せないのだ。おそらく、敵の中に手練れの金界魔術師がいるのだと思う。だから高位の闇界魔法が付与された魔法具をいくつも持っているのだ。かなり厄介な相手だ」
ウィルヘルミナとベルンハートは視線を合わせる。
(金界魔術師に高位の闇界魔法の付与された魔法具か…。なんか嫌な感じだな。カヤーニでベルを狙ったやつと同じだ。やっぱり同一人物なのか? ザクリスさんも、前にその可能性を示唆してたしな…)
似たような思いを抱いたのか、ベルンハートも険しい表情に変わっていた。
「その魔法具のせいで、我々はかなりの数の仲間を殺されている。おかげで深追いもできない状況なのだ」
(そういえば、東壁のユピター・ルメスって人に、オレが作って渡した魔法具はどうなったんだろ? あれなら、闇界二位魔法も無効化できるはずなんだけど)
「つまり、手詰まりということか?」
ベルンハートの問いかけに、フェリクスは首を横に振る。
「いや、今は対策をとれるようになった。打開策も見つけた。その辺りは、母上が尽力してくれている。もう少しで何とかなりそうなのだ」
フェリクスが言っている『打開策』は、ユピターの手に入れた魔法具の事、そしてエルヴィーラの『尽力』とは、ラウリに頼んだトーヴェへの口利き。つまり、ユピターに渡した魔法具の製作者――――金界魔術師としてのウィルヘルミナの捜索のことである。
だが、フェリクスも、当のウィルヘルミナも、そんな事実を知らない。
そのため、この話はここで終わった。
「とにかく、フローラは十中八九緋の竜に捕まったはず。領地外に連れ出される前になんとしても発見しなければならない。だから手を貸してほしいのだ」
「むろんだ。そのために私もレイフもここにいるのだ」
ウィルヘルミナもうなずく。
「このままでは埒があきません。二手に分かれますか?」
しかし、フェリクスが首を横に振った。
「それはあまり気が進まない。今回、敵に闇界魔術の手練れがいると言っただろう。その対策として、私にはイッカが付いてくれている。イッカは聖界魔法五位を契約済みなのだ」
(五位か…。たとえどんなに練度の高い魔法であっても、闇界二位魔法を使われたら、防ぐのは無理だな)
イッカは、五位の火界魔法も契約済みである。その事実は模擬戦で証明済みだ。
イッカの年齢で、五位魔法を二つも使えるということは、天才といっても過言ではない。
フェリクスの言葉に表れている期待は、的外れではなかった。
だが、今回は相手が悪すぎるのだ。
どう考えても、イッカの聖界五位魔法では心もとない状況だった。
その考えを、ベルンハートも酌んだようだ。
「そうなると、このまま四人で行くしかないな」
ウィルヘルミナの魔法ならば、完全に防ぐことができる。その事実が言わせた言葉だったが、フェリクスたちには逆の意味で通じているようだった。イッカと一緒の方が心配ないと判断したと思っていたのだ。
フェリクスたちは『高位の闇界魔法』と言っている。
おそらく敵が使う魔法階位が、『二位』であるという事実は特定できていないのだ。
だから、敵の使う魔法を闇界三位と見当を付けて、イッカの聖界五位魔法でもなんとかしのげると思い込んでいるに違いなかった。
確かに練度の高い聖界五位魔法ならば、闇界三位魔法であっても相手の練度次第では即死を防ぐことは可能かもしれない。
だが、それはかろうじて即死を免れるというだけの事。根本の解決策にはならない。救った人間を、いたずらに苦しませるだけに過ぎないのだ。
そんなすれ違いを内包しつつも四人の意見はまとまる。
「手分けして探すことができないとなると、ここからの捜索はかなり難しくなるな。この広さを、あてもなく四人で探すというのは雲をつかむような話だ。何か少しでも手掛かりがあると探しやすくなるのだが…」
ベルンハートがつぶやいたその時、四人はバタバタと大きな足音を耳に拾い、怪訝な表情で音のした方向を振り返った。
すると、そこに見知った人物の姿を見つけた。
四人は目を見開く。
「コルホネン殿!? どうしてここに?」
イッカが怪訝な声で問いかけた。
コルホネンは、息を切らせながら四人に走り寄る。
怪訝な表情で驚く四人の側にたどり着くと、両手を膝につけて前かがみになり、荒い息を吐き出した。
「皆さん、ご無事でしたか、よかった。フローラさんは見つかりましたか?」
フェリクスは、戸惑った表情で首を横に振る。
「いや、見つかってはいないが…どうしてフローラのことを知っているのだ?」
「実は、先ほど市場でヘリンさんとヤニカさんにお会いしたのです。二人から経緯を聞き、助けを求められたので、二人を私の知人に託してきました。二人は今、私の知人の案内で警備所に向かっています。それで私は、こうして皆さんの後を追ってまいった次第です。パルタモには何度も来ておりますので、私はこの町の土地勘があります。きっとお役に立てることでしょう」
「それはありがたいが…しかし危険だ。やめた方がいい」
「いいえ、私にもお手伝いさせてください。決してお邪魔にはなりませんから」
フェリクスとベルンハートが顔を見合わせる。
「班長はお前だ。お前の指示に従う」
ベルンハートの返事を聞き、フェリクスはコルホネンに向き直った。
「情報だけ協力してもらえれば大丈夫だ。この辺りで、不逞の輩が潜んでいそうな場所に心当たりはないか? 怪しい人間が出入りするような場所であるとか、不審な荷物が運び込まれるような場所とか…」
コルホネンは、顎に手を当てしばらく考え込んでから、おもむろに口を開く。
「そういえば…。確か噂で、不審な輩がたむろしている倉庫があると聞いたことがあります。なんでも、いつでも周囲を警戒している番兵のような男たちがおり、近づくと追い払われるとか…。そう、確かこの近くです」
フェリクスは、しばし考えてからベルンハートを振り返った。
「どのみち、このままでは見つけられそうもない。ひとまずそこに行ってみよう」
「わかった」
返事を聞いて、フェリクスは再びコルホネンに視線を戻す。
「では、その場所を教えてくれ」
「ご案内いたします」
「場所を教えてくれるだけで大丈夫だ。あまりにも危険だ」
「水臭いことを言わないでください。私は貴方たちに恩義があるのです。ご案内いたします。今は一刻を争う状況です。さ、お早く」
コルホネンに無理やり押し切られ、フェリクスは仕方なくうなずく。
「では案内してくれ。すまない」
ウィルヘルミナたちも、その判断に従った。
四人は、コルホネンの案内で移動しはじめた。




