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ぎこちないながらも、ベルンハートとフェリクスが和解していると、ちょうどそこにヘリンが慌てた様子で走り寄ってきた。
後からヤニカもついてきている。
二人とも、ひどく取り乱した様子だった。
「フェリクス様!! ベルンハート殿下!!」
普段は物静かなヘリンが、声を張り上げながら駆け寄る。
名前を呼ばれたベルンハートとフェリクスは、怪訝な顔で振り返った。
「どうしたのだ、何があったヘリン、ヤニカ」
「それが、フローラが――――」
一度そこで言葉を切ってから、悲痛な声で続ける。
「フローラが居なくなってしまったのです! もしかしたら、攫われたのかもしれません」
フェリクスが片眉を跳ね上げた。
「攫われた!? どういうことだ? いったい誰に?」
ヘリンは泣き出しそうな表情で首を横に振る。
「わかりません、でもおかしな人影を見て…」
ヘリンは、しゃくり上げはじめてしまい、うまく言葉にならない。
代わりにヤニカが口を開いた。
「私たち三人で店を回っていたのです。でも、途中でフローラがお婆さんに道を尋ねられて…昨日パルタモに着いたばかりの私たちには道が分からないから、誰かに聞こうという話になって、私たち皆で市場の人に声をかけようとしたのです。でもフローラが道を聞くくらいなら自分一人で大丈夫だから、私とヘリンには店を見回っているようにと言ってくれて…」
ヘリンは鼻をすすりながら、ヤニカの後をとって続ける。
「私たち近くの店を見て回っていたんですけど、いつまでたってもフローラが戻らないので、何だか気になって…嫌な予感がしたのでフローラを探しはじめたんです。その時、突然路地裏の方から魔法が爆ぜたような爆音が聞こえてきて、その後にフローラの声によく似た悲鳴が聞こえてきたのです。私とヤニカは、慌てて声のした方に向かったのですが、魔法が使われた現場にフローラの姿はなく、ちょうど数人の男が走り去る姿を見かけたのです。その男たちは大きな麻袋を抱えて移動していました。もしかしたら、フローラがその袋の中にいるのかもしれないと思って、私たちは男たちを止めようとしたのです。ですが、今度は突然現れた魔術師に行く手を阻まれて…」
そこまで言うと、ヤニカも泣き崩れた。
「申し訳ありません。男たちはかなりの魔法の使い手で、私たちの事も捕まえようとしていました。そのため、私たちには逃げることしかできませんでした」
話を聞いたウィルヘルミナ、ベルンハート、フェリクス、イッカの顔に緊張が走る。
ヘリンが、縋るようにフェリクスを見上げた。
「お願いです。フローラを助けてください!」
フェリクスは、落ち着かせるように軽く肩を叩いて、いくつか質問をする。
「その賊というのは、どんな人相風体だった」
ヘリンとヤニカは、首を横に振った。
「わかりません。フードを被っていて、口元は布で覆っていたのです。でも、たぶん東壁人です。肌と目の色がそうでしたから…。服装はありきたりな平民の服装です。汚れたチュニックに皮のズボン、革靴。目立つ色の服は着ていませんでした」
「人数は?」
「袋を抱えて行った男と、私たちを足止めした魔術師を合わせて四人いました。でも、もしかしたら他にも仲間がいるかもしれません…」
「では、その賊が逃げた方向は? 場所に見当がつくなら案内を頼む」
「もちろんです、こちらです」
ヘリンとヤニカは、フェリクスを案内しようと走り出そうとする。
だが、フェリクスは声をかけて一度二人の足を止め、ベルンハートを振り返った。
「やはり、貴公の忠告を受け入れておくべきだった。謝罪は後で必ずする。叱責も甘んじて受け入れる。しかし、この通りだ。今はフローラの救出の手伝いを――――」
フェリクスは頭を下げ、慙愧の念が混じる切迫した表情で言いかけたが、その言葉をベルンハートが遮る。
「そんなことは、今はどうでもいいことだ。もたもたするな、早く行くぞ!」
ベルンハートはフェリクスを追い越し、ヘリンとヤニカの側に移動した。
早く行くぞと促すようにフェリクスを振り返る。
ウィルヘルミナは微笑みを浮かべ、そんなベルンハートを見守った。
フェリクスはというと、一瞬だけ驚いた表情をしたが、すぐにホッとした表情を浮かべる。改めて謝意を込めてうなずいた。
(これで少しはお互いの距離が縮まったみてーだな。よかったなベル)
しかし、一人だけ全く別の表情を浮かべるものがいる。
それはイッカだ。
イッカはこの流れにあまり納得がいかない様子だった。
あからさまにフェリクスの行動を咎めるような眼差しを送っている。
その表情は、正気かと問いただしているかのようだ。
フェリクスはイッカのその視線の意味を理解しているようで、無言のまま首を横に振って返す。強い態度でイッカの意見を否定した。
二人のそんなやり取りの真意が、ウィルヘルミナとベルンハートにはまるで理解できない。
ウィルヘルミナたちは、怪訝な表情で二人を見ていたが、やがてイッカが渋々ながら折れた。
フェリクスは改めて視線をベルンハートに戻すと、『感謝する』と短く返してすべての事態を無理やり収める。
一同は疑問を抱いていたがそれを口にはせず、ヘリンたちの案内で現場に向かいはじめた。
市場は込み合っており、人込みの中を走り抜けるのは困難を極めた。
「パルタモの市場は、いつもこんなに盛況なのか? 昨日はここまでの人出ではなかったような気がするのだが」
ベルンハートが、うんざりした様子でフェリクスに問いかける。
フェリクスは嘆息した。
「今日は月に一度ある市場の一般開放の日なのだ。普段ここの市場はギルドの関係者や東壁の関係者、それに準ずる人間にしか入場を許されていないのだが、今日は一般人にも開放されている。だから混雑しているのだ。よりにもよってこんな日に…」
フェリクスは、苛立ったように唇をかむ。
(たぶん、この混雑に乗じて犯行を行ったんじゃねえのかな)
ウィルヘルミナは、内心でそんな感想を抱いていた。
「ここです!」
ヘリンとヤニカは、細い路地の入口で立ち止まると奥を指さす。
「この辺りを通った時に声が聞こえてきて、私たちがこの奥に進むと、そこで怪しい男たちを目撃したのです。男たちは、この路地の奥を西の方角に向かっていました」
こちらですと言って、ヘリンとヤニカが案内をしようとするが、それをフェリクスが止めた。
ヘリンとヤニカは、怪訝な表情でフェリクスを見返す。
フェリクスは、二人を大通りに押し戻すと口を開いた。
「二人は、市場の警備所に行ってこの件を報告してくれ。そこで指示を仰いでくれ」
「そんな!? フェリクス様たちはどうされるのですか?」
「我々はこのままフローラの捜索を続ける。だから二人は報告を頼む」
「ですが…」
渋る二人に、フェリクスはきっぱりと首を横に振る。
「この件は、おそらくベイルマン家として対応しなければならない問題になると思う」
その言葉に引っかかりを覚えたウィルヘルミナは、怪訝な表情に変わり、かすかに首を傾げた。
(ベイルマン家として? なんでだ?)
ベルンハートに、その真意を問いかけるように視線を向けたが、ベルンハートにもわからないようだ。ベルンハートも怪訝な表情を浮かべている。
二人ともがフェリクスの話の真意を測りかねていると、その様子を、少し離れた場所からイッカがまじまじと見ていた。
イッカはかすかに目を見開き、驚いているようにも見え、意外だといわんばかりの表情をしている。
だが、フェリクスの話に気をとられていたウィルヘルミナたちは、イッカの視線に気づくことはなかった。
「とにかく、二人には報告を頼みたい。この通りだ」
フェリクスは、ヘリンとヤニカに向かって頭を下げる。
「巻き込んで済まない。これは我々の落ち度だ」
頭を下げられた二人はぎょっとした顔になった。
慌てて首を横に振って返す。
「フェリクス様! おやめください!」
「そうです! 私たちに頭を下げるなど、そんなことをしてはいけません!」
ベルンハートも軽く目を見開いた。
ウィルヘルミナはというと、表情こそ変えなかったが、内心ではあきれたようなため息をつく。
(またか…。フェリクスらしいっちゃらしいけど、これじゃ面子が丸つぶれだよな。市民相手に貴族が簡単に頭を下げちゃまずいだろ。ま、オレはそういうとこ嫌いじゃないけどな)
ヘリンは、眉根を寄せて視線を伏せた。
「今回の事の発端は、私たちの我儘に原因があるのです…。私たちこそ申し訳ありません」
ヘリンは、涙をこらえつつ顔を上げ、ベルンハートを見上げる。
「殿下がご忠告くださっていたのに、このようなことになってしまって、なんとお詫び申し上げたらよいのか…。本当に申し訳ございません」
ヘリンの言葉に、ヤニカも眉根を寄せ、涙を浮かべはじめた。
二人とも、後悔の念に押しつぶされそうになっている。
そんな二人を叱咤したのは、謝られたベルンハートだった。
「そんなことはどうでもいいことだ。それに、今は泣いている場合ではないだろう。先ほどフェリクスが言った通り、お前たちは早く報告をして来い。我々はフローラの捜索に向かう」
フェリクスがうなずく。
「そうだ、今はフローラの捜索が優先だ」
ヘリンは、滲んでいた涙をぬぐい、唇をきつく結んだままうなずいた。
「はい、では私とヤニカは急いで警備所に向かいます。お叱りは、後程必ずお受けいたしますので、殿下、フローラをなにとぞよろしくお願い申し上げます。それでは失礼いたします。ヤニカ、行きましょう」
ヘリンは、ヤニカに声をかけて一緒に走り出す。
「我々も行こう」
フェリクスの言葉を合図に、ウィルヘルミナ、ベルンハート、フェリクス、イッカの四人は路地の奥へと走り出した。
ウィルヘルミナたちと別れたヘリンとヤニカは、警備所を捜して、慌てた様子で市場を走っていた。
だが、その途中で思わぬ人物と遭遇することになる。
「もしや、ヘリンさんとヤニカさんではありませんか?」
背後から声を掛けられ、二人は驚いた様子で振り返った。
見知った人物に偶然出会った二人は、驚きの声を上げる。
「コルホネンさん!!」
コルホネンの方でも、意外そうな表情を浮かべていた。
「そんなに慌ててどこへ行くのですか?」
その質問に、二人は一瞬言葉を詰まらせる。
だが、すぐに見知らぬ地で、見知った人物に会えた安堵感から、涙とともにフローラが行方知れずになった経緯を必死に語りはじめた。
そしてコルホネンに助けを求める。
「お願いです、コルホネンさん。助けてください」
「それは大変でしたね。もう大丈夫ですよ。私が警備所までお送りいたしましょう」
コルホネンの人の好い笑顔にうながされ、二人はしゃくり上げながらもその後に従って移動しはじめた。




