62
ウィルヘルミナたちは、昨日と同様、市場から仕入れた荷物を、詰め所まで運ぶ仕事を任されていた。
昨日のうちに市場の場所を教えてもらっており、荷運びの説明も受けて要領も分かっているため、今日は生徒たちだけでの行動となっている。
昨日は、ベルンハートやフェリクスをはじめとした一年の男子生徒たちだけだったのだが、今日はフローラやヘリン、ヤニカといった女生徒も交じっていた。
イッカは、朝のぎくしゃくした空気は全く引きずってはおらず、まるで何事もなかったかのようにふるまっている。
それが、かえって引っ掛かりを覚えていた。
(朝は、はっきりと疑ってたよなオレのこと…)
市場へ向かう道すがら、ちらりとイッカを盗み見るが、ウィルヘルミナのことを全く気に留めていない。いつもの調子でフェリクスの世話を焼いていた。
ベルンハートには、イッカに疑われている可能性について話してある。
ベルンハート自身も、朝のイッカの態度には引っかかりを覚えていたようで、その可能性を否定しなかった。
ただ、向こうから何か言ってこない限り、しばらくは様子を見ようということになった。
(たぶんイッカは、ここ数日のオレの行動を監視しているな。だからあんな態度とるんだろうな)
実際、数日前のパルタモへの移動の最中、イッカからのあからさまな視線を感じていた。
恐らくあの時、すでにイッカはウィルヘルミナのことを怪しんでいたのだ。
(そういえば、あの日の朝も、オレは天幕を抜け出してイルに会ってた。きっと、それをイッカに目撃されてたんだな。そのせいで何か誤解を招いたのかもしれない…。でも、あれ? いったいオレは何を疑われてんだ?)
客観的に見て、確かにウィルヘルミナの行動は怪しい。
だが、もしイルマリネンと会っているのを目撃していたのなら、会っていた相手は誰だと問いただせばいいだけの話だ。
にもかかわらず、イッカはその事実を問い詰めてくるようなことはせず、ただ暗ににおわせてくるばかりなのだ。お前の行動は把握できているぞと。
イッカが、何をそこまで疑心暗鬼になっているのかがわからなかった。
(今朝のあの態度って、オレのことをけん制してたってことで間違いないよな? でも、だったらオレは何をけん制されたんだ? イルと会ってたのを知ってるぞってけん制されたのか? けど、それだったら、あれは誰だってオレに直接問い詰めたほうが効率的だと思うんだけどな…。隠れて人に会っていた理由を聞いてくるわけでもなく、わざわざけん制して圧をかけてくるのってどういうことなんだろ?)
実際のところ、ウィルヘルミナは人目を忍んでイルマリネンに会っていたというだけで、何か策略をめぐらせているわけではない。
ただ単に、ベルンハートの警護の打ち合わせをしていただけに過ぎないのだ。
会っている現場を押さえられた上、その相手の素性を問い詰められれば、ウィルヘルミナとて逃げようはない。そうなればきっと観念して、ベルンハートの警護の事だけについては素直に白状したに違いない。むろんイルマリネンの説明を素直にするわけにはいかないのだが…。
しかし、イッカやフェリクスになら、警護の事は話しても問題はないと判断していたのだ。
(もし、バレてるのが最初からわかってたら、変な嘘つかないで話したんだけどな…。それにしても、いったいオレは何を疑われてんだ?)
イッカが何をけん制しているのか、皆目見当がつかない。
そうして一人考え込んでいるうちに、いつの間にか市場に到着していた。
パルタモの市場は活気にあふれている。
交易が盛んな土地柄、たくさんの珍しいものが店先に並び、今日初めてパルタモの市場を訪れた女生徒たちは、目を輝かせかなりはしゃいだ様子であたりを見て回っていた。
「ねえ、ヘリン見て桜貝のイヤリングよ。可愛い」
フローラが、通り沿いの店で目ざとくピンク色の装飾品を見つけて指をさす。
フローラに促されるようにして、ヘリンとヤニカも、目を輝かせて装飾品をのぞき込んだ。
こうしてみると、日頃は大人びて見えるフローラや、物静かで落ち着いた態度のヘリンやヤニカも、年相応に見える。
いつもならば、みな無駄話などほとんどすることもなく、落ち着き払った真面目な態度でいるばかりなのだが、今日は年相応のただの少女に戻っていた。
ウィルヘルミナは、和やかに目を細めてフローラたちを見守る。
だが、ベルンハートは違った。
皆のはしゃぎぶりに水を差すかのように、あからさまにため息をついてみせる。
「はしゃぐのは勝手だが、ここへ来た目的を忘れてはいないか?」
耳に痛い正論に、フローラたちは我に返って気まずそうにうつむいた。
ウィルヘルミナの頬が、ぴくりと引きつる。
(おいベル、空気読めよ)
どこまでも杓子定規なベルンハートを、半眼になって睨むが、ベルンハートはお構いなしだ。
「ここには、お前たちの買い物に来たわけではないぞ」
ベルンハートが重ねてそう続けたのを聞き、ウィルヘルミナは思わず額に青筋を浮かべる。
(だから空気読めっつってんだろうが)
ギロリとベルンハートを睨むが、当のベルンハートは全く気づかない。
かわりにイッカと目が合った。
じっと観察されていたことに気づき、ウィルヘルミナはわけもなく気まずい思いを抱く。
しかし、同時にベルンハートたちの会話も続いており、ウィルヘルミナの意識はすぐにそちら側に引き戻された。
「確かにベルンハート殿下のおっしゃる通りです。軽率でした。申し訳ありません」
フローラが謝罪すると、ヘリンとヤニカもそれに倣った。
「申し訳ございません。浅慮な行動でした」
深々と頭を下げるフローラたちを見て、間に入ったのはフェリクスだった。
「まあまあ、そんなに固いことを言わなくてもいいのではないか? ここは東壁でも屈指の市場だ。後学のためにも、ここは少し見聞を広めてみるのも悪くはない考えだと思うぞ」
ベルンハートは、尖った空気でフェリクスを睨む。
「服務違反だ。我々は今、物資調達のためにこの市場を訪れている」
「それはわかっているが、ついでに少し市場を見て回るくらい問題はないのではないか?」
すると、ベルンハートがすっと目を細めた。
「それは班長としての判断か?」
今回、ベルンハートたち生徒だけで市場を訪れるにあたり、便宜上フェリクスが班長に任命されている。
だからベルンハートは、そう尋ねたのだ。
「いや、私個人の意見だ。班長としての立場を述べるなら、ベルンハート王子の意見に賛成だな」
「だったら余計な寄り道などするべきではないだろう」
フェリクスは腕を組み、小さく息を吐く。
「そうだな、貴公の意見は正しい。だが、ただ正しいだけだ。私の意見は、そんなにもかたくなに排除されなければならないほど問題のある意見か? 我々は、教会学校の生徒である前に普通の人間だ。その人間として揺れる部分を、規律を持ち出して頭ごなしにおさえつけることが、果たして正解なのか? そんなやり方では、不満しか生まれない。そういう人間に、人はついてこないぞ」
「では聞くが、もし余計なことをしているその間に、何か事故が起こったらどうする? 責任をとれるのか? 責任を取らされるのはお前なのだぞ?」
その言葉で、ウィルヘルミナはようやく気づいた。
(ああ、ベルは、ベルなりにフェリクスのこと心配してんだな。不器用な奴)
問題が起きた時にフェリクスが責任を取らされることを、ベルンハートなりに心配しているのだが、しかし、フェリクスにはその意図が全く通じてはいない。
怒ったような冷たい目でベルンハートを見返した。
「その時はその時だ。甘んじて責任をとるさ。しかし、今の貴公の論法は、何か起きた時に、責任を回避する実績づくりのために規律を守るというようにも聞こえるぞ。それこそおかしな話だ。人が人らしくあるためにも、多少の自由は必要だと私は思っている。だからほんの少しの息抜きくらい、見逃しても問題はないはずだ」
フローラたちは、ハラハラとした表情で二人の言い合いを見つめている。
「だったら何も言わん。勝手にしろ。だがひとことだけ言わせてもらう。物分かりの良いふりをして、規律を破ることを見逃してやることは、明らかに間違いだぞ。何のために規律があるのか、よく考えてみろ。私は、他人に迎合して耳ざわりのよい話ばかり並べるような人間こそ信用がならないと思っている。そういう人間には、そもそも上に立つ資格がない。自分の裁量の範囲すら理解できず、他人によく見られたいがために、軽率に自分勝手な判断をしてしまうのだからな」
ベルンハートとフェリクスはにらみ合った。
(ベル!! そんな言い方はよくねーぞ!!)
ウィルヘルミナはというと、ダラダラと冷や汗を流す。
しかし、二人はどちらも引く様子はなかった。
ウィルヘルミナはため息を吐き出し、頭が痛いとばかりに額を抑えてうつむく。
(ベルの言い方は確かに悪い。正直言って酷い。けど…ベルの言い分もフェリクスの言い分も、オレには分かるんだよな…)
ベルンハートの考えは、言い方には問題があるが筋は通っている。
対して、フェリクスの意見にも賛成してやりたい心情があった。
(本音を言うと、オレも女の子たちに少しだけでいいから市場を見せてやりたいんだよな…)
この世界の女性は、父親や夫、兄弟、婚約者などの付き添いなしに、街中を自由に歩けない。女に生まれるということは、それだけですでに制限された暮らしを強いられるのだ。
(オレたちが目をつぶれば許される間くらい、せめて自由にさせてやりたい。けど、そもそもオレたちの仕事は物資の運搬なんだよな。はめをはずして、任務に支障が出ても困るのは事実だ。しかも、その責任はフェリクスが引き受けることになるんだ。やっぱここは慎重にいくべきだよな)
そんなウィルヘルミナの葛藤などよそに、ベルンハートとフェリクスの対立は増していく。
「それは、私が上に立つ資格がない人間だと言っているのか」
そう言って、フェリクスはベルンハートを睨みつけた。
ウィルヘルミナは、顔を上げぎょっと目をむく。
(うわぁ、やっぱそう思うよな。怒るよな。あれは絶対に言い方がまずいもん。でも違うんだよ。ベルの場合、たぶんそんな意味では言ってねー。けど、これは誤解されても仕方ねーよな。まずいな)
フェリクスの問いかけに、ベルンハートは小ばかにするように鼻を鳴らした。
ウィルヘルミナは、その態度をみるなり息をのんだ。
(ベル!? なんでそうなんだよお前は!? もっと色々と考えろよ。相手の気持ちを少しは想像してみろ! 誤解されるだけだろーが! これ以上事態を悪化させてどーすんだよ!?)
視線でうったえるが、しかしベルンハートの舌鋒は止まらない。
「私は、あくまでも一般論を言っているだけだ。だが、もし自分に対して言われていると感じる部分があるのなら、それはお前の方に問題があるからじゃないのか」
(ちょ! だから言い方!!)
フェリクスは鼻白んだ。
「私は、他人に迎合しているわけではない。私が責任のとれる範囲でくらい、彼女たちを自由にしてやりたいと思った。ただそれだけだ!」
ウィルヘルミナは、青い顔になってベルンハートとフェリクスの顔を交互に見る。
しかし、二人の言い合いは止まらなかった。むしろどんどん悪化していくばかりだ。
「お前は他人に自由を与えてやるつもりでいるのか? なんとも酷い思い上がりだな。人として未熟な我々が、他人にいったい何を与えられるというのだ。今の私たちは自分の身すら満足に守れない。だから責任が取れないような事態を招く危険性がある場合は、安易な自己判断を下すべきじゃないと言っているんだ。大言壮語は、真の意味で責任が取れるほどに成長してからにするんだな」
突き刺さるようなその言葉に、フェリクスはぐっとこぶしを握り締める。
ウィルヘルミナは、真っ青な顔のまま頭を抱えた。
(どうすんだよこれ…収集つかねーよ。確かにベルの言ってることは正論かもしんねーけど、そんなこと頭ごなしに言ってフェリクスが大人しく聞き入れるわけね―じゃねえか…)
ベルンハートは、言いたいことだけ言い終えると、フェリクスが次の言葉を続ける前に踵を返す。
そして、背中越しに言い放った。
「今の班長はお前だ。だから私はお前の判断には従う。私の話を踏まえた上で、それでも市場の散策を続けるというなら勝手にすればいい。私はここで待っている」
そのままスタスタと歩きはじめ、市場の壁に背を持たせかけた。
腕を組んで正面を向いたまま宙を睨む。
(ああもうベル…。なにしてくれてんだよ…。なんであんな言い方しかできねえんだよお前は…。もっと他に言い方があんだろうがよ。口の利き方で絶対に損してるぞ。これはもう、後で絶対に説教だ)
ウィルヘルミナは、内心でひどい頭痛を覚えつつも、無言でベルンハートの後に従う。そして、側に歩み寄り隣に控えた。
ハラハラとした表情でやり取りを見守っていたフローラが、躊躇いがちに声をかける。
「あの…フェリクス様、私たちが不謹慎でした。ベルンハート殿下のおっしゃる通りです。任務を優先させましょう」
フローラはそう言ったが、フェリクスは今更素直になることができなかった。
悔しそうな表情でベルンハートを一瞥する。
「ベルンハート王子は、私の判断に従うと言った。だったら私は、ここで自由時間を設ける。少しだけ市場を見て回ろう」
「ですが――――」
ヘリンも否定の言葉を続けようとするが、フェリクスはその言葉を聞かずに踵を返した。
ベルンハートに背を向けて苛立たしげに歩き出す。
(あーあ、フェリクスも意固地になっちまったよ)
その背中を目で追っていると、ウィルヘルミナは、またしてもイッカと目が合った。
イッカは、無言のままじっと見つめてくる。
(おいおい、今度はなんだよ。だからその視線はいったい何なんだ? オレ、やっぱり警戒されてるよな?)
内心で嫌な汗をかく。
だがイッカは、無言のまま踵を返し、フェリクスの後に従った。




