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生徒たちは寝静まっていたが、ウィルヘルミナはなかなか寝付けなかった。
まんじりともせず、寝返りばかりを打つ。
念のため、周辺の警戒をイルマリネンに頼んであるので、ウィルヘルミナは眠っても問題ないのだが、不意にラウリのことを思い出してしまい、眠気が遠のいてしまったのだ。
一度思い出してしまうとそのことばかりが気にかかってしまい、もはやゆっくりと休むことなどできない。
(爺さん、今頃どうしてんのかな…)
ラウリの身を案じると、つい先日、イヴァール相手に自分がとってしまった軽率な行動を、改めて反省させられた。
(本音を言えば、やっぱ今でもイヴァール先生に直接話を聞きに行きてーんだよな。けど、それは無理だ。ていうか、考えれば考えるほど、あの時のオレの行動まずかったよな。今まであんなに気を付けてきたのに、あの時はつい頭に血が上っちまった…。先生、大丈夫かな。オレのせいで何か迷惑かかってねーといいんだけど)
あの時は、不意打ちに突然ラウリの現状をコルホネンから知らされ、冷静さを欠いてしまった。
一連の自分の行動を思い返しては、ウィルヘルミナは一人落ち込む。
今更の言い訳だが、あの時はラウリのことを思うと居てもたってもいられなかったのだ。
いや、今だってそうだ。
ラウリの身が心配でならない。不安でたまらなかった。
だが、今の状況が、イヴァールとの接触を許さない。
それは、ウィルヘルミナも重々承知していた。
(爺さんのことだから、きっと大丈夫だ。あの人は強いから。そうだ、絶対に大丈夫だ)
必死にそう思い込もうとする。
根拠などないそれは、もはや願望に近い。
ウィルヘルミナは、去年北壁を出て以来、ずっとラウリの顔を見ていない。
無事な顔を見ていないというその事実が、よけいに不安を覚えさせるのだ。
(やめよう。これ以上は、今考えても仕方ないことだ。オレにできることはないんだし、それに――――)
ウィルヘルミナは、ふとラウリに渡した魔法具を思い出す。
(あの魔法具を持っていてくれさえすれば、とりあえずどんな魔法攻撃を受けたって大丈夫だ。武術の方は、トーヴェ先生に匹敵するくらいつえーし、魔法だってイヴァール先生に負けないほどの腕だ。爺さんなら絶対に大丈夫だ。今は爺さんと先生たちのことを信じよう)
やみくもに行動すれば、イヴァールたちの足を引っ張るような事態を招かないとも限らない。
ともすれば、焦りを感じてしまう自分を、ウィルヘルミナは必死になだめた。
(そうだ、今の俺にはやらなきゃならないことだってある)
今は、ベルンハートの安全を考えるべきなのだ。
(今はベルのことを優先させよう。オレがベルを守ってやるんだ)
気持ちを切り替え、横を向いてベルンハートの寝顔を見やる。
疲労のため、深い眠りに落ちているベルンハートを見て、ウィルヘルミナは穏やかにほほ笑んだ。
(ベルのやつ、慣れないことしてよっぽど疲れたんだな。全然起きる気配ねーわ。それにフェリクスも)
視線をめぐらせ、幸せそうな寝息を立てているフェリクスも見やる。
今日見たばかりの、フェリクスの好感の持てる意外な一面を思い出し、ウィルヘルミナは自然と口元を緩めた。
(フェリクスはいい奴だな。ベルの友達になってくれるといいんだけどな…)
ウィルヘルミナはごろりと上を向く。
もし友達が無理でも、せめて敵にはならないでほしいと願いながら目を閉じた。
ウィルヘルミナも気づかぬうちにかなり疲れていたようだ。
いつの間にか眠りに落ちる。
だから、そんなウィルヘルミナの行動を見張る者があったことに、気づくことはない。
眠れずに何度も寝返りを打つウィルヘルミナを、暗闇の中、イッカがじっと見つめていた。
翌日、ウィルヘルミナは誰よりも早く起きた。それは、イルマリネンに会うためだ。
まだ皆が眠っているうちに詰め所をこっそりと抜け出し、ウィルヘルミナはいつも通り不審な人物がいなかったことをイルマリネンに確認してからベルンハートのところに戻った。
すると、すでにイッカが起きていた。
イッカは、探るような目でウィルヘルミナをみている。
「レイフ様、もう起きていらっしゃったのですね。どこへ行かれていたのですか?」
(やっべ、もう起きてたのか。まだ夜は明けきってねえし、寝てると思ってたんだけどな)
そんな内心はきれいさっぱり隠しきって、ウィルヘルミナは微笑を浮かべた。
「早く目が覚めてしまったので、周辺をぶらりと散策しておりました」
その返事に、イッカは小さく笑いを漏らす。
しかし、その笑いはどこか冷たい。
昨晩、亡くした両親の話で気遣いを見せてくれたイッカの姿は、どこにもなかった。
今のイッカは、警戒の色ばかりが濃い。
「つい先日もそのようなことをおっしゃっておりましたね。レイフ様は散歩がお好きなのですね」
イッカはきれいな笑顔を浮かべているのだが、何やらヒヤリとするような気配が感じられた。
(あれ? なんか変な態度だな…。もしかして疑われてる? 確かに今の返しはウソなんだけどもさ…)
本当は散歩ではなく、イルマリネンに会ってきていたのだ。それを見透かされたような気がして、ウィルヘルミナは内心で嫌な汗をかく。
(理由がベタすぎたか? もうちょいひねった返事考えとくべきだったな。でも、もう口に出しちゃった後だし、今更撤回するのもな…。つか、なんだろう。めっちゃ視線が冷たい気がする)
しかし、そんな内心の焦りは覆い隠し、ウィルヘルミナはとってつけたような笑顔を張り付けた。
(もうこれは最後までウソをつき通すしかねえ)
「はい、散歩は日課なのです」
非の打ちどころのない笑顔の仮面を被って答える。
「今度イッカ様も一緒にいかがですか?」
イッカの顔がすっと消え、一度無表情になった。
だが、すぐにウィルヘルミナと同じような嘘くさい仮面を被りなおす。
「そうですね。とてもありがたいお申し出ではありますが、私にはフェリクス様のお世話がありますので」
イッカは、口だけでは残念そうに断る。
しかし、それが演技であることは一目瞭然だった。
そして、二人の間に、沈黙と微妙な空気とが流れる。
(やべーな。やっぱりこれは思いっきり疑われてる。もしかして、さっきイルと話してるところ見られてたのかな)
ウィルヘルミナはダラダラといやな汗をかいた。
何かもっといい言い訳がないかと考えていたその時――――。
ベルンハートが目を覚ます。
「どうしたレイフ、もう朝か」
眠い目をこすりながら声をかけた。
(ベル!)
ウィルヘルミナは、天の助けとばかりに顔を輝かせてベルンハートを振り返る。
ベルンハートは、一瞬だけきょとんとした表情をしたが、すぐにイッカとウィルヘルミナの間に流れる不穏な空気に気が付き、鋭い視線でイッカを睨んだ。
「レイフに何か用か? こいつに何か不手際でもあったか?」
イッカは、そのきつい視線を見返しながら首を横に振る。
「いいえ…何も。ただレイフ様に散歩に誘われまして、それをお断りしていただけです」
イッカは、またしても一線引くようなきれいな笑顔を張り付けた。
ベルンハートが、視線で本当かとウィルヘルミナに尋ねる。
ウィルヘルミナは小さくうなずいた。
だが、ベルンハートもイッカの態度に疑問を感じているようだ。
イッカは、ベルンハートに対しても、どこかよそよそしい空気をにじませていた。
しかし、イッカはベルンハートの次の言葉を待たずに二人から視線を外し、眠るフェリクスに向き直る。
「フェリクス様、起きてください」
控えめにフェリクスの体をゆすりはじめた。
そんなイッカの背中を見てから、ベルンハートはもう一度ウィルヘルミナを見る。
後で説明しろと、その目が訴えていた。
ウィルヘルミナは、内心でため息を漏らしながら、無言のままうなずいた。




