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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ウィルヘルミナたち一行は、無事パルタモへと到着した。

 町に着いたと同時に、コルホネンはギルドに報告があるということでいったん別れる。

 コルホネンは、後でお礼をさせていただくからと言って、皆に感謝してまわっていた。

 一方ウィルヘルミナたちは、まっすぐ東壁魔術師団の詰め所へと向かう。

 ラハティ教会学校の生徒に与えられる任務は、詰め所で割り振られることになっているのだ。

 詰め所に到着すると、人々が慌ただしく荷造りの準備をしていた。

 それは、キッティラに送るための物資だ。

 詰め所の人間に確認すると、この荷物がまとまり次第、キッティラに向けて運搬するのがウィルヘルミナたちに与えられた任務ということだった。

 とはいえ、まだ物資はそろっておらず、出発まではあと三日程度の時間を要する。

 それまでの間、詰め所での雑用がもっぱらの任務となった。

 生徒たちは、いまだ遠足気分が抜けず、はしゃいだ様子で詰め所の仕事を勝手に見学してまわり教師にたしなめられた。

 ばつが悪そうに謝る姿は、やはりまだまだ子供だった。

 東壁魔術師団のパルタモ詰め所の責任者は、教会から派遣された応援が教会学校の生徒であることを知り、大いに驚いていた。

 一行が到着するなり、詰め所の責任者は教師たちと別室で話をしはじめ、生徒たちはというと、とりあえずそれぞれ雑用を割り振られる。

 ウィルヘルミナたち一年生は、荷運びを手伝うことになっていた。

 詰め所内の手伝いを割り当てられた上級生たちとは別行動になり、ウィルヘルミナたちは市場へと向かう。

 案内役の人間に、市場までの道順や作業の手順の説明を受け、作業をしているうちに、あっという間に日が落ち夜になった。

 詰め所に戻ったウィルヘルミナたちに用意されていたのは大部屋で、寝具などはなくただの雑魚寝。

 ウィルヘルミナはそれでもよかったが、ベルンハートやフェリクスなどは、無言のまま沈んだ表情に変わっていた。

(やっぱお坊ちゃんだよな、この二人は…。ま、その気持ちも分からなくはねえけど。このところ野宿続きで、ようやく屋根がある場所で寝られると思ったらこれだもんな)

 ウィルヘルミナは気の毒そうに二人を見やる。

 ベルンハートもフェリクスも、表情に疲労が色濃く出ていた。

 それも仕方がない事だった。

 二人とも力仕事には慣れておらず、作業の手際も悪く、仕事が終わるころには疲れ切っている様子だった。

 体力的に疲れたというよりも、慣れない作業での気疲れが大きかったようだ。

 その疲労を癒すための睡眠がこの状況。

 二人は沈んだ顔のまま壁際に座り、背中を壁に預けている。

 どうも二人は、床に寝転がることに抵抗があるようだった。

「フェリクス様もこちらでお休みになるのですか?」

 ウィルヘルミナは、へばった様子のフェリクスが心底気の毒になり、思わず聞いてしまった。

 ここは東壁魔術師団の詰め所。ベイルマン家の四男坊であることを伝えれば、おそらくフェリクスの待遇は変わるはずだ。ここで慣れない雑魚寝などする必要はない。

 そう思ったのだが、その質問の意味をさとったフェリクスは首を横に振った。

「今の私は、ラハティ教会学校の一生徒だ。私だけ家の力を使って特別待遇を要求するのは間違っている」

 きっぱりと言い切ったフェリクスを見て、ウィルヘルミナは感心する。

(フェリクスって、意外とまともな感覚してるんだな。もっとわがままなお坊ちゃんかと思ってた。認識改めねえと悪いな)

「それに、もし母上にそんなことが知られたら、私は蹴り飛ばされるぞ」

 フェリクスは、ぶるりと体を震わせる。

 その話を聞くなり、ウィルヘルミナは思わずラウリのことを思い浮かべていた。

(四壁の当主ってのは、すぐ手が出る人間が多いのか? もしオレがフェリクスと同じ状況にあったとして、そんなことしたら、たぶんうちの爺さんも、まるっきり同じ反応するよな。怒鳴られてぶん殴られるにきまってる)

 そう思い至って苦笑する。

 それを見たフェリクスは、自分が笑われたと勘違いをし、ふくれっつらになった。

「レイフ、お前信じてないな。うちの母上は、かなり凶暴な人なのだぞ。女というのは、ああも怖い生き物なのかと、将来妻を迎えるのが恐ろしくなるほど怖いのだ」

 フェリクスは、何か恐怖体験を思い出したのか、ガタガタと震えはじめる。

 ベルンハートはというと、ぴんとこないのか首をひねっていた。

「私の母上は、しとやかで優しい方だ。その…蹴る…というのは本当なのか?」

 信じられず、うろんな表情でフェリクスを見やる。

「貴公まで信じてくれないのか! 本当だ。私の母上は厳格で本当に恐ろしいのだ!!」

 必死の形相で訴え、顔を青くしておびえる姿は紛れもなく本物だ。

 噂では、東壁当主エルヴィーラ・ベイルマンはかなりの女傑だと聞いているが、フェリクスの怯え方を見る限り、やはりそれは本当のことなのだろう。

 逆に、ベルンハートの母親であるシルヴィ王妃は、病弱でほとんど表に出ることはないと聞いている。

 ベルンハートの母親の評価もまた本物なのだろうと、ウィルヘルミナは内心で想像していた。

 すると、フェリクスがウィルヘルミナをみやる。

「レイフの母上はどうなのだ? 優しいのか? それともやはり恐ろしい部類か?」

 興味深々といった様子のフェリクスの言葉に、ウィルヘルミナは、考えるようにしてふと視線を宙にさまよわせた。

 前世のころの母は、明るくて元気で、とても働き者だった。いつも慌ただしく動いていた姿しか思いだせない。

 すでに会うことのできないその顔を思い浮かべて、思わずチクリと胸が痛んだ。

 慌ててその感情に蓋をして意識をそらす。

(違うな、この姿の母親って言ったら――――)

 もはや遠くかすみ、淡い輪郭しか思い出すことのできない彼方の記憶を手繰り寄せた。

 それは、ウィルヘルミナの三歳のころの記憶。

 覚えているのは、太陽の光を受けてキラキラと輝く長い金色の髪。そして、温かな手と柔らかい微笑み。

「そうですね…優しい人でした。そして美しかった。もう亡くなっておりますので、あまり覚えてはいないのですが」

 その答えに、フェリクス、ベルンハート、イッカが息をのんだ。

 そこで我に返る。

(あ、やべ。つい真面目に答えちまった。これ、ガチで気を遣わせるやつだ)

「その…立ち入ったことを聞いてしまったな…」

 フェリクスが、申し訳なさそうな表情にかわり、反省するように自分の後頭部を撫でた。

 ウィルヘルミナは、気まずい思いを抱えながら首を横に振る。

「いいえ、こちらこそお気を遣わせるようなことを申し上げてしまい、申し訳ございません」

「だが、つらいことを思い出させた。すまなかった」

 フェリクスは、眉根を寄せながら頭を下げた。

 これには、ウィルヘルミナは心の底から驚き、ぎょっとした顔に変わる。

「おやめください! 私にそのように頭を下げるなど、絶対に人前でしてはいけません。ご自分の立場をお考えください」

 小声で言ってから、周囲を見回した。

 幸い、他の生徒たちも疲れているものが多く、早々と寝ている者や、横になっている者がほとんど。

 周りを気遣って、小声で話していたこともあり、フェリクスが頭を下げたところを見られてはいないようだった。

 ウィルヘルミナは、ホッと安堵の息をついてフェリクスを振り返る。

(貴族は面子が命なんだぞ。他人の従僕相手に頭を下げてるところなんか見られたら、何を吹聴されるかわかんねえのに。バカだろこいつ)

 ウィルヘルミナは非難するようにフェリクスを見たが、しかし、真面目な表情のフェリクスに気が付き、思わず怒りの気配を消した。

「確かに私はベイルマンに連なる人間だ。体面を重んじなければならないことは、十分承知している。しかし、反省すべき時に、体面を気にして謝れないようなくだらない人間にはなりたくない。それに、私は気楽な四男坊だ。そういう面倒なことは、兄上たちが背負っているからいいんだ」

 ほほ笑むフェリクスに、ウィルヘルミナは毒気を抜かれる。

 いつもは無表情の仮面をかぶっているはずのウィルヘルミナだが、とっさに素になって笑い返してしまっていた。

(なんつーか、好奇心旺盛なところもそーなんだけど、素直な奴だなフェリクスって)

 ウィルヘルミナは苦笑し、困ったようなため息を吐いてから首を横に振る。

「その…どうか本当にお気になさらず…。幼いころに亡くしているので、あまり記憶もないのです」

 三歳の時に賊に襲われ瀕死の状態になり、激しい痛みとともに目覚めた時からウィルヘルミナの記憶ははじまっている。

 それ以前の記憶は曖昧としていてはっきりしない。

 襲撃された日のことも、ぼんやりとしか覚えていないのだ。

 ただ、ほんのわずかではあるが、あの事件以前の記憶が今も残っている。

 母親であるカトリンの、しっとりと柔らかい優しい手。

 父クラエスの、逞しくごつごつした安心感を与えられる手。

 二人の口元はいつも微笑みをたたえており、両親の温かい手が、ウィルヘルミナを大切そうに抱きあげていた。二人は、たくさんの愛情を向けてくれていた。

 幼いウィルヘルミナも、そんな両親のことが大好きだった記憶が、おぼろげながら残っている。

 ほとんど覚えていないというのに、何故か二人のことを思い出すと、わけもなく泣きたくなるような切ない痛みを覚えて仕方がなかった。

 いつものように、胸にその痛みを覚え、かすかに眉根を寄せたウィルヘルミナを、ベルンハートが真顔で見やる。

「大丈夫な顔には見えないぞレイフ」

 ウィルヘルミナは、はっとした表情でベルンハートを見返した。

「本当は悲しいのだろう? 無理に笑う必要はない」

「そうです。故人を悼む気持ちを、無理に取り繕う必要はありません。優しいお母上だったのですね、レイフ様のお母上は」

 イッカも気遣うようにウィルヘルミナをみやる。

 ウィルヘルミナは視線を伏せた。

「そうですね…優しい人たちでした。とても、とても…」

 ウィルヘルミナの言葉が複数形であることに気づいたようだが、ベルンハートもフェリクスもイッカも、それ以上の言葉はなかった。

 やがてウィルヘルミナはばつが悪そうな表情を浮かべる。

「すみません、しんみりさせてしまいましたね。さあ、もう寝ましょう。フェリクス様もベルンハート様もお疲れでしょう。どうぞお休みになってください」

 ウィルヘルミナは、二人に強引に毛布を渡した。

 二人も大人しく言葉に従い、渡された毛布をかける。

 そのまま目を閉じ、すぐに眠りに落ちた。


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