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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 魔術師が行使する魔法は、正確には精霊魔法と呼ばれている。

 精霊魔法には七種の属性があり、それら属性を地界(ちかい)火界(かかい)氷界(ひょうかい)風界(ふうかい)雷界(らいかい)聖界(せいかい)闇界(おんかい)と呼ぶ。

 そのうち、地界だけには付属する特殊な属性が存在しており、その副属性を金界(きんかい)と呼んでいた。

 これら全てを合わせて八界と呼ぶ。

 そして、魔術師が使用可能な界の単位は『職』と数えられた。

 例えば地界、氷界、風界と契約できた魔術師は三職と数えるのだ。

 精霊との契約に一番必要な要素は相性で、全ての精霊との相性に恵まれる魔術師はこの世に存在しないとされている。歴史にその名を遺す大召喚士ペルクナスでさえ、五職であったと言い伝えられていた。

 実際、歴史を紐解いてみても、八職はおろか、六職の魔術師が存在したという史実すらもが存在しない。歴史のみならず、地方の言い伝えや、おとぎ話などにまで裾野を広げてみても結果は同じだった。

 この世で、相克し合う属性――――聖界と闇界、もしくは火界と氷界の両方を契約できた人間の存在が確認されたことはなく、よって、相克し合う精霊を同時に契約することは不可能だと結論付けられている。

 そして八界の中で、地属性の副属性である金界はかなり特殊で、契約が可能な人間が極少数に限られていた。そのため、金界が使える魔術師だけは特別に金界魔術師という呼称で呼ばれ、他の魔術師とは一線を画す稀少な存在とされている。

 これらの事実から、一般的に人がたどり着ける限界は、五職とされているのが実情だった。

 これら八界には、それぞれ十段階の階位が存在し、下が十位、一番上は一位と位置付けられている。

 ただし、同じ階位の魔法であっても、使い手の魔力の質や量などといった個人の資質によって、行使した時の威力は大きく異なっていた。



(高位の魔法陣てのは、なんでこんなにも書くのが面倒なんだよ)

 ウィルヘルミナは、内心で悪態をつきながらもイヴァールの見守る前で真面目に魔法の習得に取り組んでいた。

 ラウリたちの思惑通りに進んでいることは、ウィルヘルミナの本意ではなかったのだが、しかし、今はひとまず真面目に魔法陣の作成に勤しんでいる。

 それは、壁蝕の壁の畔を経験したことで、身を持って魔法の重要性を思い知らされたせいであった。決して心を入れ替えたわけではない。

 ラウリの怒りに触れ、壁の畔の奥深くに再度置き去りにされたあの日、ウィルヘルミナが屋敷にたどり着いたころには体力の限界に達しており、気力で立っているだけの倒れる寸前の状態だった。

 まさしく命からがら、ギリギリのところでようやく逃げ帰ることに成功していたのだ。

 泥と汗と血にまみれ、ゼイゼイと荒い呼吸を吐いたまま玄関に仁王立ちし、それでも屈服することなく大人たち三人を睨み返していたウィルヘルミナに、ラウリは冷然と問いかけた。

「このトゥオネラに住む人間が、何故魔法を必要とするのか理解できたか?」

 と――――。

 もしあの時、できていないと答えれば、ラウリはきっとまた躊躇なくウィルヘルミナを壁の畔に置き去りにしに行ったことだろう。

 経験から学ぶことができない愚か者は、学べるまでその身にたたき込む。

 それがラウリの教育方針なのである。

 悔しそうに『理解できました』と答えたウィルヘルミナをみて、ラウリはようやく家の中に招き入れた。

 イヴァールは能面のまま成り行きを見守っていたが、その時のトーヴェはというと、あからさまに安堵の息を吐き出していた。

 その後、不貞腐れたウィルヘルミナは、食事もとらずにしばらく自室に籠ったのだが、頭が冷えてからは気持ちを切り替えた。

(盗める物は全部盗んでやる。技術も知識も全部。当主とか結婚とか…そういうことは全部後回しだ)

 腹をくくって、ようやく精霊との契約に真面目に取り組みはじめたのだ。

 そうして現状に至る。

 ウィルヘルミナが、磨き上げた石床にインクを使って書き込んでいるこの魔法陣は、聖界魔法第二位のアミトを呼び出すため魔法陣だ。

 精霊と契約するための魔法陣は、自らの手で描かなければならない。他人が書いた魔法陣では、精霊を呼び出すことができないのだ。

 そして、上位に行けばいくほど魔法陣は巨大になり、描く紋様も複雑になってゆく。作業中は、一瞬たりとも気を抜くことはできなかった。

 少しでも間違えば、それまでの苦労が全て無駄になる。途中で書き損じた場合は、一度すべてを消し、改めて最初から全部書きなおさなければならなくなるのだ。

 細心の注意を払い、ウィルヘルミナは無心で魔法陣を書き続ける。

 わざと間違えて書いていた過去の自分の愚かしさを、今更ながらに痛感させられ、後悔もしていた。

(うぬぼれがあったのは確かだな。爺さんの言ってた事、今なら少しは理解できる)

 それまでのウィルヘルミナは、何の根拠もないのに、自分だけは死なないという自信があった。

 それは、この体がかつての自分の体とは全く違い、健康で頑丈で才能に溢れ、自分の思うままに動かすことができていたからだ。

 前世のウィルヘルミナは、子供のころから難病を患っており、いつも病気を体の中に住まわせ、死と隣り合わせに生きていた。

 できることも、生きることも、常に限りが見えていた。

 だがこの体は違った。

 限りなど全く見えないのだ。

 無限の可能性を感じさせるような素晴らしい体だったからこそ、心のどこかでうぬぼれていた。

 この体ならば、自分は何でもできる。絶対に死なないのだと。

 しかし、それは根拠のないただの慢心だった。

 自分の力の限界を、そして魔物の強さを、この世界の過酷さを、あの一日で嫌というほど突きつけられ、ウィルヘルミナはようやく自覚することができたのだ。

(死んじまったら、自由なんか勝ち取れねえんだ)

 心の底から、そう実感させられた。

 だからこそ、生き残るために強くなろうと決心した。

 今描いているアミトを呼び出すための魔法陣の大きさは、畳でたとえるなら二畳分はあろうかという巨大なもので、八歳児の小さな体で描ききるのは骨の折れる作業だ。

 しかし、三週間もの期間を費やして描いているこの魔法陣の完成は、もはや目前に迫っている。

 そして、今更その労力を無駄にするつもりなど毛頭なかった。

 ウィルヘルミナは慎重に紋を描いていく。

 イヴァールが一度修道院に戻っていた期間も、ラウリの監督の元でひたすら続けてきた苦労が、今ようやく実ろうとしていた。

「できた」

 ホッと息を吐きだし、己の書いた魔法陣を見つめるウィルヘルミナの肩に、イヴァールが手を置く。

「一段落しましたが、重要なのはここからです。わかっていますね」

 確認してくるイヴァールに、ウィルヘルミナは神妙な顔でうなずいた。

「では、魔法陣が完成したことですし、一度休憩を挟みましょう」

 イヴァールはそう促したが、ウィルヘルミナは首を横に振る。

「このままいく」

 休憩を断り、ウィルヘルミナはすっと立ち上がった。

 背筋を伸ばして魔法陣の上で目を閉じる。

 こうして苦労を重ね、完璧な魔法陣を書き上げたとしても、それで必ず精霊が呼び出せるわけではない。

 精霊というものは気まぐれで、好き嫌いが激しい。それゆえ、術者の魔力が気に入らなければ、呼出しにすら応じないのだ。

 そして仮に呼び出しに成功したとしても、精霊を満足させるだけの魔力を与えることができなければ、契約は成立しない。上位に行けばいくほど対価として与える魔力量は増えてゆき、失敗する可能性が大きくなるのだ。

 ウィルヘルミナは右手を前に伸ばし、目を閉じて神経を研ぎ澄ませその名を呼んだ。

「アミト」

 名を呼んだと同時に目を開けると、石床に描かれた魔法陣が光りを放つ。

 シューと音を立て、魔法陣から勢いよく風が吹き出した。その風が渦を巻き、ウィルヘルミナたちが立っていられなくなるような強い風が辺りに吹き荒れる。やがて、その風の渦を破るようにして、突然何かがウィルヘルミナの目の前に姿を現した。

 それは、翼を持った美しい女性型の精霊だった。

 魔法陣は神々しい光を放ち、精霊アミトとウィルヘルミナとを照らしだす。

 ウィルヘルミナは、厳かに口を開いた。

「我が名はウィルヘルミナ・ノルドグレン。我は理に従い汝に約定を献言す。我は、我が名にかけて高潔さと誠実さと寛大さを以って汝に接し、汝を潤し、汝の誇りを守ることをここに誓う。汝の勇気と力と献身を我に与えたまえ、アミト!」

 すると、魔法陣がさらに眩く光り輝き、その光が、吹き上がる風と共に立ち昇った。

 光りと風圧とが、ウィルヘルミナに襲い掛かり、髪や服の裾を荒々しく舞い上げる。

 同時に、ウィルヘルミナは、力を吸い取られるような感覚に陥った。わずかにめまいを覚える。

「我ガ名ハアミト。我ハ理ニ従イ契約ヲ承諾ス。我ガ名ニカケテ汝ノ召喚ニ応ジ、汝ニ力ヲ供与ス、ウィルヘルミナ・ノルドグレン」

 アミトの契約の言葉と共に、なお一層光りは強まり、部屋中を輝きが満たす。

 目を開けていられないほどの光が部屋中を照らしだし、やがてその光が突如として消え失せた。

 光りが消えるとともに、アミトも忽然と姿を消す。

 こうして契約は結ばれたのだった。

 イヴァールは目を見開き、驚愕とともにその光景に見入っていた。

 イヴァールが、動揺を外に出す事はとても珍しい事だ。

 どんな危機に直面しても、眉一つ動かすことなく冷静に対処する事ができるはずのイヴァールが、まるで魂を奪われたかのように呆然とその場に立ち尽くし、身動き一つできないでいる。

 しばしののち、ようやくイヴァールが我に返ると、驚愕の色を宿したままの眼差しをウィルヘルミナへと向けた。

「成功…いたしましたね。お見事ですウィルヘルミナ様」

 イヴァールの声は驚きにかすれ、激しい動揺の色が現れていた。その表情にも、隠しきれない驚きの色が宿り、ウィルヘルミナを見つめるその目には、尊敬の念すらもが滲んでいる。

「すぐにラウリ様にご報告してまいります。お疲れになったでしょう。ウィルヘルミナ様は、どうぞお休みになっていてください」

「わかった」

 ウィルヘルミナは、部屋から出ていくイヴァールを見送ると、床に座って力尽きたかのようにばたりと寝ころんだ。

「あー、疲れた。ねみー」

 ぐったりと手足を投げだし、目を閉じる。

(魔法陣なんか、もうしばらくは描きたくねー。もう無理だわ。限界、へとへと)

 内心で愚痴をこぼしながら、精魂使い果したウィルヘルミナは、そのまま眠りに落ちていった。



 しばらくして、イヴァールがラウリを連れて部屋に戻ってくる。

 口を開けたまま床の上で眠り込むウィルヘルミナを見て、ラウリは苦笑した。

 ラウリはその側に跪き、眠るウィルヘルミナの体をそっと抱き上げる。

 起きている時には決して見せない、慈愛に満ち溢れた微笑みを浮かべ、腕の中のウィルヘルミナを見下ろしていた。

 イヴァールは、いまだ驚きの抜けきらない表情で口を開く。

「この短期間で、よくぞここまでと脱帽しております。人でありながら、第二位魔法の契約が可能であること自体がもはや奇跡ですが、ウィルヘルミナ様は八職です。金界魔術師ということも驚きなら、聖界と闇界、火界と氷界といった相克する相性両方の精霊と契約できることにも驚きです。天才――――いや、そんな陳腐な言葉で表し切れるような方ではありません。以前ラウリ様が仰っていたように、ウィルヘルミナ様は間違いなく召喚士になれる御方です。英雄ペルクナスに匹敵――――いえ、彼を凌ぐほどの大召喚士になるやもしれません」

「そうか…」

 ラウリは、言葉少なにつぶやいてウィルヘルミナの小さな頭をそっと撫でてやる。

 暖かな微笑みを浮かべたまま、自らの手でウィルヘルミナを彼女の部屋へと運んで行った。

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