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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ウィルヘルミナは、まだ皆が寝静まっているうちに、なんとか天幕に戻ることができていた。

 急いで寝たふりをして、皆と同じ時間に起きたかのようにふるまう。

 そして、出発の準備を黙々としていた。

「レイフ、そろそろ出発のようだ。準備はいいか」

「はい、整っております」

 手際よく荷物をまとめ終えたウィルヘルミナは、ベルンハートの後に続く。

 そこにフェリクスが近寄ってきた。

「レイフ、お前今朝はどこに行っていたんだ?」

 ウィルヘルミナは、内心でぎくりとする。

(やべ、天幕抜け出したところ見られてたのか…。気を付けたつもりだったんだけどな。フェリクスたちとは天幕が違ってたから、気がつかなかったな。しくった。まさか、イルと話してたところまでは見られてねーよな)

 フェリクスの顔を見返し、そっと観察した。

 さすがに、ザクリスとカスパルと一緒に、刺客を倒したところまでは見られていないはずだが、イルマリネンと会っている時は少しだけ油断していた自覚がある。

 フェリクスの態度に、特におかしな点は見られないが、用心するに越したことはない。

「眠りが浅かったようで目が覚めてしまいまして…少しこの辺りを散策がてら見て回っていました。フェリクス様も起きておられたのですか? それでしたら、お声をかけてくださいましたらよろしかったのに」

「いや、私は熟睡していたぞ。だが、イッカが、まだ夜が明ける前にレイフが天幕を抜けるところを見たと言っていたのでな。どこに行っていたのかと少々不思議に思って聞いてみただけだ」

(フェリクスに見られたわけじゃねーのか。じゃあ、あとでイッカに探り入れとくか)

「レイフ行くぞ」

 ベルンハートが、気を利かせて会話を切り上げさせる。

「それではフェリクス様、お先に失礼いたします」

 部隊の出発地点に向けて先に歩き出したベルンハートの後を、ウィルヘルミナは小走りに追いかけた。

 追いつくと、ベルンハートがちらりと視線を投げてくる。

「お前、天幕を抜け出していたのか。もしかして刺客の襲撃でもあったのか?」

 ウィルヘルミナはうなずいた。

「でもカスパルさんたちが対応してくれてあるから」

「そうか…」

「気を付けてたつもりだったんだけど、抜け出すとこ見られてみたいだ。わりい」

「いや、気にするな。それより二人に怪我はないか?」

「それは大丈夫」

「そうか、すまないな」

「別にそんなこといいって。お前こそ気にすんなよ」

 小声で言い合ってから、ウィルヘルミナはベルンハートが馬に荷物を載せるのを手助けする。

 その後、ウィルヘルミナも馬に荷物を載せ、手綱をひいて移動した。

 すでに馬車の隊列はできている。

 教師や上級生たちも準備を整え終わって待機しており、ウィルヘルミナとベルンハートもそこに合流した。

 めずらしくイヴァールと視線が合ったが、話しかけられることはない。

 代わりというわけではないが、ウィルヘルミナたちは別の教師に話しかけられた。同行している教師三人の中で、一番年の若い教師ヨルマである。

「ベルンハート殿下、昨晩はお休みなることはできましたか?」

「ああ、問題ない」

 ベルンハートの返事を聞いて、ヨルマは大げさなほどに胸をなでおろしてみせた。

 どうやらベルンハートに話しかけたのは嫌みの類ではなく、本当に心配してのことだったようだ。

「それはようございました。今回の件は急な話でしたので、このように粗末な設備しか準備できず、大変心苦しく思っておりました。今日の移動で、次の村に到着できる予定ですので、今晩こそはきちんとした住まいでお休みいただけることと思います」

 ヨルマは、ウィルヘルミナに視線を移す。

「ギルデン卿はいかがでしたか。ちゃんとお休みになれましたか? 何か、ご不便はございませんか?」

 教会からの勧誘を受けて以来、ウィルヘルミナは教師たちからこのような態度で扱われることが多くなっていた。

 教会は、今でもウィルヘルミナの獲得をあきらめてはいないのだ。

「お気遣いありがとうございます。私はきちんと眠れました。それに、不便なことも何もございません」

「そうですか、何か不都合がございましたら、なんなりとお申し付けください」

「有難うございます」

 ウィルヘルミナは、無表情のまま慇懃に返した。

 しかし、内心では一つ気にかかることに気づく。

(なんだろう、なんか落ち着かねーな。気のせいかもしれねーけど、観察されてるような気がする)

 ちらりとヨルマを見上げた。

 するとヨルマは『どうかしましたか?』というような視線で見下ろしてくる。

(この人の視線かなと思ったんだけど気のせいか?)

 ウィルヘルミナは、ヨルマと相対することで、座りの悪い奇妙な思いを覚えた。

 この場にいる全員の視線が、ウィルヘルミナとベルンハート、ヨルマに向けられている状態なので、誰が誰に向けているのかすらもがはっきりしないのだが――――。

(一つだけわかるのは、この視線には敵意が含まれてるってことだな。かなりやな感じだ…)

 ベルンハートやイヴァールも、それぞれ監視されている。

 今この視線にさらされているのはウィルヘルミナではない可能性も捨てきれない。

 しかし、誰かがこの場にいる誰かに対して、明らかな敵意を向けていることだけは確かだった。

 釈然としない思いを抱きつつ周囲を警戒する。

 心当たりが多すぎて、視線の理由すら定まらなかった。

 そこに一年生組が遅れて合流した。

 フェリクスとイッカだ。

「遅くなりました。申し訳ありません」

 フェリクスが素直に謝ると、この隊の責任者であるペテルがうなずく。

 内心では遅れたことを注意したいのだろうが、フェリクスの立場に配慮したのか、教師陣の誰一人として苦言を呈する者はいなかった。

 そして、一行は出発する。

 ウィルヘルミナは、ベルンハートの側について移動しているのだが、相変わらず気になる視線を感じていた。

 しかし、今度は先ほど感じていた嫌な感じのする視線ではない。じろじろと見られているようなぶしつけな視線だ。

(これは、絶対さっきの人間とは違うな。隠すの下手過ぎだし、敵意も感じられねーもん。今度はいったい誰だ?)

 機を見てさりげなく視線を配ると、その視線はすぐに消える。

 だが、その視線の人物を特定するのは簡単だった。

(なんだ、イッカか…)

 視線が消える瞬間、イッカが不自然な動きをしていたのを目ざとく見つけたのだ。

(そういえば、イッカには朝抜け出すところを見られてたんだったけ。そのせいかな)

 視線を外して考え込みはじめると、再びぶしつけな視線を感じはじめる。

 やはり、この視線の主はイッカで間違いないようだ。

 今度はその視線の主を捜すような真似はせず、気づかないふりをしてやり過ごした。

 そのうちに、やがてヨルマが小川を見つけ、一同に馬の休憩を促す。

 ウィルヘルミナは馬を降りてベルンハートの側に近寄った。

 ベルの馬も預かると、水を飲ませてから近くの木に手綱を結ぶ。

 そうしている間にも、相変わらずイッカのぶしつけな視線が止むことはなかった。

(イッカの奴…。隠す気あんのかな? これけっこうわかりやすすぎんぞ)

 内心で呆れ交じりのため息をついたその時のことだ――――。

 遠くで叫び声に似た声が聞こえてきた。

 ウィルヘルミナとベルンハートは、はじかれた様に声の方向を振り返る。

 ペテルは、すぐに動揺する生徒たちに向かって安心するようにと声をかけた。

 そして、生徒たちにはこの場に待機するようにと指示を出し、イヴァールに生徒たちを任せ、自分はヨルマを伴って声のした場所を確かめに向かう。

 イヴァールは、動揺する生徒たちをなだめ、一か所に固まって待機するように指示を出した。

 ほどなくして、ペテルとヨルマは一人の男を連れて戻ってくる。

 それは、コルホネンという商人の男だった。

 コルホネンは、パルタモに向かう商隊の一員であったが途中で盗賊に襲われ、一人だけ命からがら逃げだしたらしい。

 森を逃げさすらううちに方向感覚を失い、遭難してしまったようだ。

 そのまま数日間森を彷徨い、先ほどは野犬に襲われて声を上げていたようで、そのおかげでヨルマたちに保護されるに至ったという話だった。

 ウィルヘルミナは、憔悴した様子のコルホネンを見やる。

 コルホネンの洋服は、あちこちが破れて汚れ、怪我もしており、ヨルマが聖界魔法で治療した。

 生徒たちは、ざわつきながらヨルマの治療を見守る。

(この辺り、盗賊が出るのか? 物騒だな)

 ウィルヘルミナの心情を悟ったのか、ベルンハートがウィルヘルミナにだけ聞こえるようにぽそりとつぶやいた。

「今は壁蝕を控えている。東壁の魔術師は壁に駆り出されているはずだ。もしかしたらその弊害なのかもしれんな」

(そうだな。もう数日後には壁蝕がはじまるからな。魔術師は皆、壁に召集される時期だ)

 ウィルヘルミナは、ベルンハートの意見に同調するように頷き返す。

 東壁の魔術師団の人員が足りていないために、治安が悪化しているのかもしれないと、そう結論付けたのだ。

 だが――――。

 フェリクスとイッカは、違う思いを抱いたようだ。

 治療を受けるコルホネンを、何故か怪訝な表情で見ていた。

 二人は互いの視線を合わせ、何か釈然としない様子だ。

 しかし、フェリクスたちはその疑問を口にすることはなく、ただ無言で治療を観察していた。


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