55
ラハティ教会学校では、思わぬ事態が進行していた。
教師陣が学長室に集まり、深刻な顔で話し合いをしている。
そこには、イヴァールやヤリ・ブレメルの姿もあった。
一人の教師が、学長のヨーセフ宛に届いていた教会からの手紙に目を通し終えると、ため息とともに首を横に振る。
「教会本部は、いったい何を考えているのですか。この時期にキッティラに生徒を送るとは…。あきれてものも言えませんな」
キッティラとは、東壁の東端にある砦の一つで、壁蝕の時期には後方支援要員が詰める前線基地の一つである。
今はまさにその壁蝕の直前。
そんな時期に、魔術師としていまだ未熟な生徒たちをキッティラに送りこむとは普通ならば考えられないことだった。
だが、その考えられない事態が実際に起こってしまっていた。
「確かにキッティラは、後方支援専門要員の詰め所。物資の補給、運搬が主な仕事で、戦闘に参加することはまずありません。ですが、討伐で討ちもらされた魔物が出没する危険区域です。生徒たちを支援員として参加させるのは無茶です」
教師が言いつのったが、ヨーセフは硬い表情のまま首を横に振る。
「そんなことはわかっています。だからこうして皆さんの意見を伺おうと集まっていただいたのです」
「ですが、学長はすでに生徒たちを送る前提で話を進めていらっしゃいますよね。おかしくはありませんか?」
教師の一人が、怒りをあらわにして詰め寄った。
ヨーセフは、苦い顔で首を横に振る。
「生徒たちの派遣を断ることはできません。それは手紙を読んでいただければわかることでしょう。これはもはや教会上層部の決定事項。我々が今更どうあがいたところで、覆るはずもない命令なのです。ですから、いかに生徒たちの安全を確保するか。送る人員を誰にするか。そこについて、皆さんの知恵を拝借するために集まっていただいたのです」
ヤリが、遣る方無いといった様子でため息を吐き出した。
なぜヤリがこの場にいるのかというと、ヨーセフに請われて参加しているのだ。
ヤリは、教会からウィルヘルミナの獲得の任を与えられていたが、先日見事に失敗していた。
とはいえ、一度の失敗で引き下がるわけにはいかず、そのままラハティ教会学校に滞在していたのだ。
何とかウィルヘルミナの引き抜きを成功させようと、機会をうかがっていたのだが、その最中に今回の件に遭遇し、ヨーセフに頼まれて話し合いに参加していたのだった。
ヤリは、苦り切った顔で口を開く。
「手紙には、パルタモからキッティラまで物資を運ぶ任に当たらせると書かれていましたが、問題はキッティラばかりではありません。皆さんがご存じかどうかはわかりませんが、実は今、パルタモでも深刻な問題が起きているのです」
パルタモは、キッティラから馬で二日ほど西にある自由都市である。
規模は十万人と自由都市にしては小さめだが、大陸を北東から南西に向かって流れる大河サーミ川に隣接する、東壁の交易の要衝であった。
「深刻な問題? それはどういったものですか?」
教師の一人が問いかけると、ヤリは硬い表情で答えた。
「緋の竜という者たちの話を耳にしたことはおありですか?」
ヤリは一同を見回し返事を待ったが、皆戸惑った表情をするばかりで、誰も答えないことを確認すると続ける。
「緋の竜というのは、現在ベイルマン辺境伯爵家が捕縛にあたっている賊の呼び名です。その緋の竜が、最近パルタモ付近で活発な動きを見せているようなのです」
イヴァールを除いた教師陣は、全員が息をのむ。
「その緋の竜という賊は、いったいどんな集団なのですか?」
教師の一人が、うろたえた様子でヤリに問いただした。
ヤリは、顎を撫でながら再びため息を吐き出す。
「私も詳しくは存じません。これはあくまでもとある筋から聞いた話なのですが…」
そう前置きしてからヤリは続けた。
ヤリの話では、数年前から東壁で失踪が多発していた。
最初こそ、それらの失踪は自主的なものと見過ごされていたのだが、ある時不審点が見つかり、調べていくうちに事件性があると判断された。
その犯人を追っているうちに、ベイルマン家はとある集団にたどり着く。
「失踪事件をたどっていくうちに、ベイルマンは緋の竜という怪しい集団を突き止めたそうです。しかし、敵は巧妙に追捕の手を逃れているようで、なかなか尻尾を掴ませません。いまだ捕縛には至っていないのが現状です」
「つまり緋の竜という集団が誘拐犯ということですか。しかも、そんな輩が、今も野放しになっていてパルタモで誘拐を働いていると?」
真実を問いただすような教師たちの眼差しに、ヤリが硬い表情でうなずいた。
「そうです。その通りです」
教師たちの間に動揺が走る。
教師の一人が怒りに顔を赤く染めた。
「冗談ではありませんよ、そんな無責任な! そのように危険な場所へ生徒たちを派遣するなんて正気ですか!?」
この詰問には、ヨーセフが返す。
「先にも言いました通り、我々に拒否権はありません。教会本部の決定事項ですから」
教師たちは、信じられないというような表情にかわった。
ヨーセフは視線を伏せて黙り込み、代わりにヤリが沈んだ表情で続ける。
「賊の殲滅に向けて、今はベイルマンの当主自らが陣頭指揮を執っているようですが、捕縛にはかなり難航しているようです。その集団逮捕のために、東壁魔術師団の人間が、すでに何人も死亡しているらしいと聞いております。つまり、敵は一筋縄ではいかないかなりの強敵ということです。そんな時期に壁蝕を迎えてしまった」
ヤリは、そこで一度苦悩するように視線を伏せたが、すぐに顔を上げ重苦しい口調で続けた。
「現在東壁では、その件にかなりの人員を割かれているため、壁蝕討伐に振り分ける人員が不足しているのです。だから、東壁から教会へ援軍の要請が届いているのです。この三年の間、教会はかなりの数の魔術師を派遣しているのですが、状況はいまだに好転しません。今回生徒たちに下った後方支援の命も、その援助の一環なのです」
「しかし、だからといって生徒を使うというのはおかしくはありませんか? それに、東壁にある教会学校十五校のうち、命令があったのは我がラハティ教会学校だけという話ではないですか。それはなぜなのです? 正直なところを申し上げて、我が校の実力はかなり下位に位置しています。上位の実力校を無視して、どうして我が校にそんな命令が下るのですか?」
ヨーセフが深いため息を吐き出す。
「私にわかるはずもありません。もちろん私も、今皆さんがおっしゃったことと同じ内容の異議の申し立てをしました。しかし、本部からの回答は一貫して変わらず、決定が覆ることはなかったのです」
一同は黙り込んだ。
ヨーセフは、厳しい顔で続ける。
「もしかしたら、教会本部でも我々が関知していない何かが起きているのかもしません。それゆえ、今回こんな馬鹿げた命令が下されたのでしょう。とにかく我々は、生徒たちの安全を確保することに尽力するしかありません。ですから皆さんに協力していただきたいのです」
教師たちは戸惑いの表情を浮かべ、互いに顔を見合わせた。
結局妙案は生まれず、一同は再び黙り込んだが、やがて一人が諦めた様子で口を開く。
「決定が覆らないのなら、我々にはどうすることもできませんな。学長のおっしゃる通りにするしかないのかもしれません…」
教師の一人がそう言い出した。
それまでは反対意見がその場の空気を占めていたのだが、この言葉が呼び水となり空気が一変する。
あきらめにも似た空気が辺りに漂いはじめた。
皆が互いの顔色をうかがいながら、渋々同調しはじめる。
結局は、教師たちも自分の身が一番大事なのだ。
『反対できない上からの指示』ということなら、周りへの言い訳にもなる。
自分たちは反対した。だが、力が及ばなかったのだという、その事実さえ残すことができればそれでいいのだ。
「そうだな…はじめから我々に選択権などないのだな…」
教師たちはそう言って自己弁護をしはじめた。
しかし、良心の残っているものは、後ろめたさから無言で視線を伏せる。
だが、その態度こそが消極的な賛成の態度を示すことにもなっていた。
渋々とはいえ、了解が得られたことにヨーセフは安堵の息を吐き出した。
「教会本部からの通達では、付き添いの教師は三名程度、生徒については一年から三年まで全学年の中で、優秀な者を三十名程度選抜して派遣せよとの命令です。まずは生徒の人選を行いたいと思いますので、皆さんには当該生徒の選出をお願いいたします。もちろん、参加にあたっては本人の意思を尊重したいと考えていますので、今回選んだ生徒がすぐに決定というわけではありません。危険な任務ですので、本人の意思には十分考慮したいと思っています」
そこでヤリが再び口を開いた。
「人選にあたって、一つ提案があるのですが」
一同の視線がヤリに集まる。
「今回の派遣で、生徒たちの安全を確保するためにも、ベルンハート・エルヴァスティ殿下の参加をお願いしてはいかがでしょうか」
一同は、一瞬静まり返った。
だが、やがてその真の意味を理解し、一同がざわつきはじめる。
最初に口火を切ったのはヨーセフだった。
「なるほど、レイフ・ギルデンですね」
この時、ヤリの腹の内には、レイフ・ギルデンの実力を知るという計算も働いていた。
今回の派遣で、大した実績が残せねば、教会本部には獲得する必要なしという報告を上げることができる。
そして、もし想像以上の成果を上げたのなら、レイフ・ギルデンの引き抜きに本腰を入れるつもりであった。
「はい、彼の能力があれば、生徒の安全はかなり向上することでしょう」
ヤリが返事を返すと、教師たちも無責任にうなずき合い賛同しはじめる。
「そうですな、彼の力があれば生徒たちを守ることができる」
「確かに、彼の力は我々教師たちをも上回っている」
「彼ほどの魔術師が同行してくれれば、我々も心強い」
皆、身勝手な他力本願を、恥じることなく当たり前のように口にした。
イヴァールは、無表情でその光景を見つめる。
徹頭徹尾、イヴァールは終始無言で、読めない表情のまま一同の会話にただじっと耳を傾けるばかりだった。




