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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 時は少しだけ遡る。

 エルヴィーラにトーヴェの説得を頼まれ、ラウリが返事を保留したその翌日の事――――。

 ユバスキュラの宿屋に宿泊していたラウリのもとに、放っていた密偵が火急の要件で訪れていた。

 密偵によってもたらされた報告で、ラウリは信じがたい事実を突きつけられることになる。

 北壁の壁の畔にあるラウリの屋敷が、エイナルの手によって焼き討ちにあって焼失し、のみならず、ウィルヘルミナとラウリが逆賊としてトゥオネラ全土に手配されたというのだ。

 信じがたいエイナルの暴挙に、ラウリは愕然とした。

 クラエスを殺したエイナルを憎みつつも、ラウリは、心のどこかでまだエイナルが正気に戻ることを信じていたからだ。

 それが甘い考えであることは重々承知していたが、それでもいつかエイナルが悪い夢から覚め、かつての姿を取り戻してくれるのではないかと、ラウリはそんな淡い期待を抱いていた。

 だが、その願いは無残に打ち砕かれた。

(私はまた間違ったのだな…。いや、こうなることはわかっていたはずだ。にもかかわらず、私は無駄な期待をして、いたずらに決断を先送りしていた。周囲があんなにも決断を迫っていたというのに…)

 苦い思いを噛みしめ、自嘲する。

 近いうちに、こうなる可能性の予見はできていた。

 だからこそラウリは、ウィルヘルミナを南へ逃がしたのだ。

 そうやって事態を冷静に判断する自分もいたが、一方で、エイナルを信じたいという願いを抱いていたのも事実だった。

 許されざる罪を犯したはずのエイナルを、ラウリはどうしても憎みきることができなかった。

 いざ決断をしようとするその時、幼いころのエイナルの姿がちらつき、どうしても見捨てることができなかったのだ。

 親としての情が、最後の一線を越えさせることを阻んでいた。

 その甘さが、この結果を招いたのだ。

(人間というのは、いくつになっても成長できないものだな…。非情にならねばならないとわかっていながら、どうしてもそれができなかった…)

 いくつになっても失敗し、その度に、こうして己の不甲斐なさばかりを思い知らされる。

 増えるのは後悔ばかりだ。

 ラウリはやるせない気持ちになった。

(だが、もうこれ以上逃げるわけにはいかない。次にエイナルに会ったその時には、必ずこの手で決着をつける)

 それが、親としての役目なのだとラウリは自分に言い聞かせた。

 そうして考え込んでいるときに、今度はベイルマン家からの使者がラウリのもとを訪れた。

 それは、エルヴィーラからの使いだった。

 ラウリのもとに届いたばかりだった焼き討ちの知らせは、エルヴィーラの耳にも届いていたのだ。

 エルヴィーラに招かれ、再度ベイルマン邸を訪れたラウリに、エルヴィーラは『何かできることがあったら遠慮なくいっていただきたい』と言って、援助を申し出た。

 東壁の現在の事情を鑑みれば、エルヴィーラがいかに北壁のことを考えてくれているのかが知れる。

 ラウリは、ありがたくその気持ちだけを受けとった。

 東壁の現状を考慮すれば、その厚意に甘えるわけには行かない。

 それに、エルヴィーラが望むような武力解決をするわけにもいかないのだ。

 武力で当主の座を奪い返せば、それは簒奪でしかない。ましてや、他家の武力を頼みにして奪い取ったところで、そんな地位が長続きするはずもないのだ。

 万人が納得する形で、エイナルを当主の座から降ろさなければならない。

 そのためには、正当な理由が必要だった。

 つまり、エイナルこそが兄クラエスを殺害し、当主の座を奪った簒奪者であることを世に知らしめなければならない。何としても六年前のクラエス殺害の真相を暴く必要があるのだ。



 クラエス殺害の当日、本来ならラウリもまたクラエスたちに同行して、司教座都市バルケアコスキに赴くはずだった。

 しかし、急な用事が入り、ラウリ一人だけが遅れて合流することになった。

 そもそも、バルケアコスキに一家で訪問することになった経緯は、ヘンリッキ大司教主催で執り行われる祭礼に出席するためだった。

 ラウリとヘンリッキは以前から親交が深く、また、アネルマやクラエス、カトリンも熱心なヴァン教徒であったため、祭礼に招かれたことを機に、ヘンリッキにウィルヘルミナの浸礼を願ったのだ。

 この予定は、祭礼の日より二か月も前から決まっていた予定で、一家の周囲にいた人物なら、誰もが知りえた情報だ。

 しかし、ラウリ一人が遅れて合流することになったことは、直前の変更だったため、ごく身近な人間しか知らなかった。

 おそらく、敵の計画ではラウリもまたクラエスたちと一緒に殺害するつもりだったに違いない。

 だが、実際にはその運びに至らなかった。

 ラウリを足止めした用事というのは、西壁当主サウロ・カルヴァイネンからの使者との面会である。

 カルヴァイネンからの使者の用向きは、表向きはサウロの代理として、カトリンの第二子妊娠の祝賀を携えての訪問ということだった。そう、この時カトリンは第二子を妊娠していたのである。

 しかし、内々にラウリ個人に伝えられていた先触れでは、使者の真の目的が伝えられていた。

 使者は、サウロからラウリへ宛てた個人的な手紙を一緒に運んでいたのだ。

 その手紙には、ある人物の捜索協力についてしたためられていた。余談ではあるが、六年経った今でもその人物を探し出すことはできないでいる。

 サウロには、かつてゲルダの身元を調べるにあたってかなりの恩義があった。

 そのため、このような先触れをよこすような使者をないがしろにするわけにもいかず、ラウリは急遽やむなく予定を変更したのだ。

 一方クラエスたちは予定通りの日程でシーリンヤルビを出立し、セイナヨキを経由してバルケアコスキを目指していた。

 そして、経由地であるセイナヨキの宿屋に宿泊していたクラエスたちは、その夜、金品の強奪を目的で押し入った強盗に襲われ命を落とすことになる。

 ただ一人重傷を負ったウィルヘルミナだけを残して――――。

 強盗に襲われた宿屋は凄惨な状況だった。

 かろうじて生き残ったウィルヘルミナを除いて、当日宿屋にいたものは客も従業員も区別なく全てが皆殺し。

 おかげで、どういった状況で宿が襲撃されたのか、目撃したものは一人も残ってはいなかった。

 数日後、通報によって強盗に押し入った犯人一味は見つかるのだが、どういうわけか一味全員が、発見したアジトで原因不明の死を遂げており、結局事件の詳細は不明のままあっけなく幕を閉じた。

 しかし、そんな幕切れにラウリが納得するはずもなかった。

 犯人死亡で終わらせるには、納得のできない疑問点があまりにも多すぎたのだ。

 だからラウリやイヴァール、トーヴェたちは、事件の背後に潜む真実にたどり着くべく、必死に情報を集め続けた。

 むろん捜査はかなり難航した。

 唯一事件の目撃者であるウィルヘルミナは、事件後しばらくの間生死の狭間を彷徨っており、奇跡的に意識が回復した時には意識の混濁が見られた。そのため、証言をとることは断念せざるを得なかった。

 かといってその日宿にいたものは皆殺し。他に生き残った目撃者は一人もいないのだ。

 おかげで、捜査は早々に暗礁に乗り上げていた。

 だが、ラウリたちは諦めることなく地道に調べ続けた。

 そうしていくうちに、とうとうある一人の男にたどり着くことになる。

 それは、ハリーという名の野菜売りの男だ。

 ハリーは、事件のあった宿屋に出入りしていた業者で、宿屋に頼まれた商品を市場から宿に運ぶ役を担っていた。

 そのハリーが、強盗の襲撃が起こる直前に、ある人物たちを目撃していたのだ。

 ハリーは、その時に見聞きした内容を酒の席で知り合いに話している。

 話を聞かされたという知り合いの話では、事件が起こる数日前、ハリーは酒場で飲んでおり、その時に、ならず者のような男たちと身なりの良い男女が意味ありげな話をしていた所を目撃していたということだった。

 場末の酒場には不似合いな美しい男女とならず者といった奇妙な組み合わせだったので、ハリーの記憶に印象的に残っていたようだ。

 その数日後――――奇しくもそれは事件の当日――――ハリーはその男女を再び目撃することになる。

 その日用事があったハリーは、いつもよりもかなり早い時間帯――――夜が明けきらない頃に、一人宿屋に野菜を届けていた。

 その時、宿屋の近くで、酒場で見かけた身なりのよい男女と例のならず者風の男たちがこそこそと話をしている場面に偶然遭遇したのだ。

 ただならぬ気配を察知したハリーは、そのまま見つからないように引き返し、慌てて家に戻っていた。

 おそらくハリーは、この時事件の核心に触れる何かを目撃していたのだ。

 何故なら、ハリーは宿屋の事件が起こった直後から『俺も殺される』と周囲に漏らし、おびえた様子で家にこもっていたからだ。

 しかし、ハリーはある日を境に突然姿をくらました。誰にも行き先を告げることなく忽然と消え去ったのだ。

 その話を聞いたラウリは、ずっとハリーの行方を捜し続けていた。

 最近掴んだ情報では、ハリーが南壁の自由都市フォルッカに立ち寄っていた痕跡をみつけることができていた。

 がしかし、その後の足取りはいまだつかめていない。

 唯一の目撃者であるこのハリーを、何としても生きたまま保護したいとラウリは考えていた。

 だからラウリは、自らこの男の捜索のために南へ向かうつもりでいたのだ。


 ラウリが、エルヴィーラに南へ向かう旨を伝えると、その理由を尋ねられる。

 ラウリが、エイナルを当主の座から引きずり下ろすための切り札探しだと伝えれば、エルヴィーラは再びその助力を申し出てきた。

 本音を言えば、ラウリも東壁の情報網を使うことができるのはありがたい。

 ラウリは、すでに北壁当主の座を退いた身。自由になる配下は少ないのだ。

 ましてや、今は追われる身。

 エルヴィーラの申し出はかなりありがたいものだった。

 しかし、エルヴィーラが探している金界魔術師の件で、ラウリが手を貸すことはできない。

 ラウリにとってウィルヘルミナは生きる意味そのもの。

 たとえ身勝手と罵られようとも、ウィルヘルミナだけは守り抜かなければならないのだ。

 その負い目から返事を即決できずにいると、エルヴィーラはその心情を察したようだ。

 取引材料にするつもりはないので、遠慮なく使ってほしいと申し出る。

 東壁にとっても、北壁の現当主エイナルは懸念材料でしかない。

 エイナルの退位は東壁の望むところでもあるのだ。

 考えた末、ラウリはその申し出を受け入れることにした。

 するとエルヴィーラは、もう一つの提案をする。

 北壁から追われる身となったラウリを、しばらくの間ベイルマン邸の客人として迎え入れたいと申し出たのだ。

 これには、いくばくかの打算も働いていた。

 エルヴィーラは、トーヴェとラウリの態度から、探し求める金界魔術師が二人に所縁のある人間であることを見抜いていた。

 そのため、ラウリを引き留め、口説き落とすための時間を手に入れたいと思ったのだ。

 ラウリの方でも、大陸中に手配されたばかりのこの時期に、南へ向かって目立つ行動をとるのは、決してよい判断ではない。

 下手をすればエイナルに見つかり、捕らえられる危険性もあるのだ。

 そのため、ラウリは熟考の末エルヴィーラの申し出を受け入れる。


 そんな折、東壁は壁蝕の時期を迎えていた――――。

 エルヴィーラの客人となったラウリは、東壁の討伐隊に参加することを決める。


 そうしてラウリは、今、壁蝕討伐の先発隊に身を置いていた――――。


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