50
「レイフ様! お待ちください!」
(げ!! フローラちゃん!! またかよ…)
ベルンハートの後ろに付き従っていたウィルヘルミナは、内心ではそんな思いを抱きつつも律義に足を止める。
辟易している気持ちを押し隠し、無表情をその顔に張り付けて静かに背後を振り返った。
先日の模擬戦以来、ウィルヘルミナはラハティ教会学校で一躍時の人となり、何かと生徒たちから声をかけられるようになった。
その最たる人物がこの人――――フローラだった。
フローラは、目鼻立ちの整った理知的な顔をしている。
すっと切れ長な目は、ややきつめな印象を与えるのだが、その美しさから、密かに男子生徒から人気のある美少女であった。
息を弾ませながら走り寄るフローラに、ウィルヘルミナは無表情のまま慇懃に頭を垂れる。
「おはようございます、フローラ様。前にも申し上げましたが、私に敬称は不要でございます。どうぞ、レイフとお呼びください。それで、私に何か御用でございますか?」
うやうやしい動作で返すと、フローラは恐縮した様子で必死に首を横に振った。
「いいえ、私のようなものが、レイフ様ほどの魔術師を呼び捨てにするなど、できるはずもございません。どうか、私に敬称を付けることこそおやめください」
ウィルヘルミナは内心でため息をつく。しかし、その感情を表には全く出さなかった。
「先日も申しあげました通り、私はただの従僕です。生徒の皆様に、敬称をいただくような立場ではございません。どうぞ敬語もおやめください」
「いいえそのような非礼をできるはずがございません。私は、レイフ様に相応しい対応をさせていただいているだけです。私はレイフ様のご指導を賜りたいのです。何卒この若輩者にレイフ様の御指南を」
そう言ってフローラは、かなり高位の貴族に対してするように、膝を深く折って腰を下げ、最上級の礼をとる。
(頼む、やめてくれー)
ウィルヘルミナは内心でそんなことを思うが、おくびにも出さなかった。
「そのお話は、先日お断り申し上げたはずでございます。私はベルンハート様の従僕。主に、誠心誠意お仕えすることこそがこの身に賜った役目にございます。ましてや教会学校の先生方を差し置いて、生徒の方々に、私のようなものがいったい何をお教えするというのでしょう。どうぞそのお役目は諸先生方に」
丁重に断るがフローラは諦めない。
「私はレイフ様にご教示願いたいのです。どうかお願いいたします。私にご指導を」
(まだあきらめてくれないのか…。もうやめてくれないかな。このやりとり、いい加減疲れんだけど)
ウィルヘルミナは、助けてくれとベルンハートに視線を向けた。
ベルンハートはというと、明らかに面白そうに笑っていた。
(にゃろう、笑ってやがんな。助けねーつもりか!?)
視線を不満そうに尖らせると、ベルンハートがため息を吐く。
億劫そうに口を開いた。
「フローラ殿、彼は私の従僕だ。そして、私は彼の意思を尊重したいと思っている。指導の話は無理だ。お引き取り願おう」
(助かった、これでもう解放される)
ウィルヘルミナは、安堵の息を吐く。
しかし、フローラは納得のいかない表情でベルンハートを見返した。
「確かにレイフ様は殿下の従僕でございます。しかし、彼ほどの才能を持つ方を、従僕などという立場に縛り付けるのはもったいのうございます」
ウィルヘルミナはぎょっと目を剥いた。
(げ! 言い返したよ!! ベルは仮にも王子様だぞ!? 市民が言い返すか普通)
ベルンハートも、まさか言い返されるとは思ってもおらず、軽く目を見張る。
しかし、フローラはベルンハートの前で膝を折ると、怯むことなくその目を見返した。
「僭越ながら申し上げさせていただきます。才ある人物は相応しい舞台にこそ立たせるべきではございませんでしょうか。殿下の従僕は、他の人間でも務まるはずです。しかし、レイフ様ほどの魔術師はそうそうおりません。殿下、どうぞレイフ様にふさわしいお立場をご用意していただきたくお願い――――」
「フローラ様」
ウィルヘルミナは、かぶせ気味にフローラの言葉を遮る。それは、思っていたよりも冷たい声だった。おかげで、ウィルヘルミナ自身も驚いていた。
フローラは、ハッとした表情でウィルヘルミナを振り返る。
ウィルヘルミナは内心の動揺を押し隠し、無表情のまま続けた。
「失礼を承知で申しあげさせていただきますが、それはフローラ様の価値観でございましょう」
そう、今フローラが披露した意見は、フローラの価値観が言わせたに過ぎない言葉だった。
ウィルヘルミナの価値観は違う。フローラが言うような『ふさわしい立場』など望んではいない。必要としてもいないのだ。
「私は、自らの意思でベルンハート様にお仕えしております。強要されたわけではございません。そこを、どうぞご理解ください」
(そうだ、オレは誰に強制されたわけでもねえ、自分からベルの従僕になるって決めたんだ。それに、この役目はオレにしか務まらねえ)
ウィルヘルミナのそんな気持ちが伝わったのだろう。フローラは息を詰めた。
ベルンハートも驚いた表情でウィルヘルミナを見る。
やがて、ベルンハートはふっとほほ笑んだ。
そして、表情を引き締めるとフローラに向き直る。
「フローラ殿、私にとってもレイフの代わりなどいない。私にはレイフが必要なのだ。すまないが、この件に関して譲ることはできない。許してくれ」
(ベル…)
ベルンハートの真摯な言葉が、フローラに伝わったのか、フローラは黙り込んだ。
「行こう、レイフ」
ベルンハートは声をかけて歩き出す。
ウィルヘルミナは、フローラを振り返ることなくその後に従った。
フローラに声をかけられて足を止めていたが、実のところ二人は学長室に向かう途中だった。
周囲に人がいないことを確認してから、ウィルヘルミナは足を速めてベルンハートの隣に並ぶ。
「ベル、ありがとな」
「何のことだ」
「今さっき、オレが必要だって言ってくれただろ?」
「ああ、あれか…。事実だからな」
ベルンハートは、一度言葉を詰まらせてからそっけなく返す。
(ベルはツンデレ気質だよな。可愛い奴)
「オレは、ああ言ってもらって嬉しかったよ」
素直にほほ笑み返すと、ベルンハートは気まずそうに視線を逸らした。
「だから…別にあれは事実を言っただけだと言っているだろう。私は、お前に守られているのだからな」
ぽそりとつぶやく。
ウィルヘルミナは笑みを深くした。
「じゃあ、その調子でこの後も頼むよ。オレを学長室に呼びつけるなんて、きっとフローラちゃんと似たような用件に決まってるんだからよ」
ウィルヘルミナは、これから起こるであろう出来事を想像してげんなりとした表情になる。
金界魔術師の存在は貴重だ。
人前で使った魔法は金界五位と地界五位だが、二職の金界魔術師となると、周囲は目の色を変えて当たり前。
今回の話も、おそらく引き抜きの話を持ちかけようとしているに違いなかった。
ベルンハートは、あからさまなため息を吐く。
「あれは、お前の不手際でもあるんだぞ。来てそうそう、あんな大技を人前で使うとは呆れてものも言えん。無茶苦茶だ」
「しょーがねーだろ。あの時はああでもしないと死人が出たんだからな」
ウィルヘルミナは唇を尖らせる。
ベルンハートの言い分も正しいのだが、ウィルヘルミナの言い分もまた正しいのだった。
ウィルヘルミナが魔法を使わなければ、発動した闇界魔法によって死人が出ていたのは想像に難くない。
しかし、いくらそういう事態を未然に防ぐためだったとはいえ、あの行動が周囲に与えた影響が大きいこともまた事実で、入学早々かなり目立つ行動をとってしまった代償は大きかった。
何故なら、あの時ウィルヘルミナが使った魔法は全てが異例尽くし、前代未聞の出来事だった。
まず、地界魔法の効果範囲をあれほど広く指定し、しかも、空まで覆い尽くすような土壁を作るなどという方法は前例はなく、それ一つとっても大問題だった。
同じ状態の地界魔法を、別の魔術師が再現するのはほぼ不可能だ。
あれを再現するには、それだけ莫大な魔力量が必要となるのだ。
おかげで、ウィルヘルミナが、尋常ではない魔力量を持っていることが周知の事実となってしまっていた。
そして、あの土壁の中で使った金界魔法も問題だった。
あの時ウィルヘルミナが使った金界魔法のせいで、土壁内に存在していた五位以下の魔法具の全てが、きれいさっぱり中和されてしまっていたのだ。
生徒たちが身に着けていた学校支給の首飾りはおろか、教師が持っていた魔法具や、見学者たちが各々私的に持っていた魔法具に至るまで、全てが中和されてしまっていた。
金界魔法は、負荷をかけすぎると道具自体が壊れてしまうため、力加減に繊細な魔力調整が必要な魔法。
にもかかわらず、魔法具自体は壊れることなくすべてが無傷。付与魔法だけが見事に消されてしまったのだ。
その事実だけをとっても、金界魔術師として恐ろしく高い能力を持っている証明になってしまっていた。
あのように効果範囲の広い、空までも覆い尽くすような地界魔法を使うことも異例なら、その中で金界魔法を使い、範囲内の魔法や魔法具の全てを、無傷で中和するなどということも規格外。
学校の歴史どころか、国の歴史を紐解いてみても存在しない、前代未聞の大事件だったのである。
人々がウィルヘルミナに注目するのも仕方のないことだった。
そこにきて今回の呼び出し。
本来、今回学長室への呼び出しを受けたのは、ウィルヘルミナ一人だった。
しかし、学校側の引き抜き、勧誘を前もって予測したウィルヘルミナたちは、ベルンハートの従僕であるという事実をたてに、無理やり二人そろって呼び出しに応じたのだ。
そのため、今は二人で学長室に向かっているところだった。
ベルンハートは、仕方がないという表情で苦笑する。
「まあ、死人を出すのを防いだ点は評価している。お前がいなければ、私は他人を巻き込んでしまったという後悔を一生抱いて過ごさなければならないところだった。だから皆を救ってくれた事は感謝している」
素直に言われて、ウィルヘルミナは、気まずそうに鼻の頭を掻いた。
率直に感謝の言葉を向けられると、照れくさい気持ちの方が強かったのだ。
「まー、うん、なんだ。オレも一緒に来てくれたことは感謝してるよ。オレ一人じゃ、たぶん立場をたてにとられて断りきれねー状況に追い込まれるだろうからさ」
照れ隠しにニシシと笑うと、ベルンハートも笑った。
「今のお前は私の従僕だからな。そういう輩からは私が守る。約束する」
いつものような皮肉をはらんだ微笑みではなく、心からの笑顔を向けられ、ウィルヘルミナはくすぐったい思いを抱く。
「おう、頼んだぞ」
照れ隠しにそう答え、ベルンハートの背中をばしばしと叩いて見せた。
そうしているうちに、学長室の前にたどり着いた。
二人は表情を引き締めて一瞬だけ視線を合わせる。
そして頷き合うと、ベルンハートが扉に向かって声をかけた。
中から返事が返ってくると、ウィルヘルミナが恭しい動作でドアを押し開き、ベルンハートが開け放たれた扉を堂々とした態度でくぐった。




