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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ラウリ・ノルドグレンは、東壁ベイルマン辺境伯爵家の邸宅があるユバスキュラを訪れていた。

 ユバスキュラは、自由都市ラハティから馬で二日ほど東にある建設都市である。

 建設都市は、領主が自領に作る都市であるがゆえ、通常自由都市に比べてかなり規模が劣る。

 しかし、ここユバスキュラの人口は二十万人。

 自由都市にも劣らぬ規模を誇っていた。

 ラウリは、共も連れず一人気ままに活気に満ち溢れるユバスキュラの街中を歩いていた。

 ウィルヘルミナは、ラウリに対して堅物のイメージを抱いているので、こんなラウリの姿を見ればさぞ驚くことだろう。

 しかし、これがラウリの本来の姿だった。

 もともとのラウリは、格式ばったことにはこだわらない質で、北壁当主の座についていた頃にも、こうして自由気ままに一人で街中に出ていた。

 むろん周囲は、ラウリが一人で姿を消すたびに気を揉んでいたものだが、しかし、ラウリ本人はどこ吹く風。

 周囲の心配をよそに、しれっとした顔で帰宅しては、その度に妻のアネルマに注意されていた。

 それが六年前まで繰り広げられていたラウリの日常だったのだ。

(こうして街中を歩いていると、あの頃を思い出すな)

 妻や息子たちが生きていた頃の事を思い出して、ラウリは一人微笑を浮かべる。

 胸中には、懐かしさと共に痛みが去来していた。

 妻や息子夫婦を思い出すたびに感じる、寂しさと途方もない痛み――――。

 蘇る苦い記憶を噛みしめては、ラウリはやるせなさを覚えていた。

 変えることの出来ぬ過去と向き合うたび、己の力不足を呪う。

 何故――――。

 どうしてあの時もっと――――。

 そんな後悔は、今でも尽きる事はない。

 衝動的に膨れ上がる怒りを逃がす術を身に着けてはいたが、しかし、今も胸の奥底でくすぶり続ける怒りの炎を消し去る術を見つけることはできないでいた。

 失ってしまった過去の記憶が美しければ美しいほど、それを奪われた憎しみの炎はより激しく燃え盛る。

 妻のアネルマや、息子夫婦の顔を思い出すたびに、焼けつくような怒りの炎が、ラウリの身を焦がし苛んだ。

 ラウリは持て余すような怒りを覚え、こらえるように唇を強く噛みしめながら自分の指にはまる指輪を見おろす。

 それは、ウィルヘルミナが作った魔法具だった。

 ラウリは、心の中に必死にウィルヘルミナの顔を思い浮かべる。

 ラウリの内に燻る憎しみの炎を鎮めてくれるのは、いつだってウィルヘルミナだった。

 ウィルヘルミナという存在だけが、ラウリの怒りを鎮めることができるのだ。

 そうして身の内で荒れ狂う怒りの炎を抑え込み、ラウリは激情をなんとかやり過ごす。

 ホッと息を吐きだすと、再び前に視線を戻した。

 その目に、どこか寂しげな色を宿したまま、ラウリは再び徒歩でベイルマン邸を目指した。



 ベイルマン辺境伯爵家の屋敷は、トゥルク王宮と比べても遜色のないほど立派な建物だ。

 どっしりと横に広い白亜の建物に、天を衝くような塔がいくつも聳え建っている。

 手入れの行き届いた広大な庭園が、その白亜の屋敷の前に広がり、訪れる者を圧倒した。

 ラウリは、単身でベイルマン邸を訪問し、今は応接間に通されている。

 深々と沈むベロア調の椅子に腰かけ、東壁当主エルヴィーラ・ベイルマンの訪れを待っていた。

 程なくして、エルヴィーラが現れる。

 エルヴィーラの年齢は三十七歳。

『妖艶』という言葉がしっくりくる婀娜っぽい美女だ。

 今は男性用の衣服を身にまとっているが、豊満なその女性らしい肉体を隠しきれてはいない。

 豊かな胸に、くびれた細い腰、張りのある腰から下のライン。

 まるで、芸術家が作った彫刻のように完璧で悩ましい。

 やや赤みがかった豊かな茶色の巻き毛が、その両肩を覆うようにたらされ、中央にのぞく顔の白さを際立たせている。

 そして、何より印象的なのはその目だった。

 左右で色の違う黒い目と青い目は、きりりとつり上がり、竹を割ったようなまっすぐな気性をそのまま表している。

(どことなくウィルヘルミナに似ているな)

 芯の強さをうかがわせるその雰囲気が、ウィルヘルミナに似ているとラウリは感じていた。

「お待たせして申し訳ない。ようこそおいで下さいましたノルドグレン卿。東壁を代表して御礼申し上げます」

 見ようによっては傲慢に見えなくもない鷹揚な態度で、エルヴィーラが口を開く。

 ラウリは椅子から立ち上がり礼をとった。

「こちらこそお招きいただき感謝いたしますベイルマン卿」

 エルヴィーラはラウリの礼を受けてから椅子を促す。

「どうぞお座りください。これ以上の堅苦しい挨拶は抜きにいたしましょう」

 二人が椅子に腰かけると、絶妙なタイミングで侍女が飲み物を用意した。

 そして、ラウリに最上級の礼をとってから静かに退出していく。

 部屋には、ラウリとエルヴィーラの二人だけが残された。

 エルヴィーラは長い足を組み、用意された茶を口に運ぶ。

 しばしの間、沈黙が流れた。

 お互いに出方を探っているのだ。

 ラウリとエルヴィーラは、四壁会や祭事の折に数度顔を合わせていた。

 だが、当時のエルヴィーラは、前東壁当主の随伴として出席していたにすぎなかったため、ラウリと個人的な会話をしたことがない。

 ラウリが北壁当主の座を退いたのは六年前。

 そしてエルヴィーラが当主の座に就いたのが三年前という事情もあり、今までほとんど接点がなかったというのが現状だった。

 ただし、書状でのやり取りは何度もある。

 先だって、冬を越すためにラウリが教会と他の三壁に援助を乞うた時に、エルヴィーラが助力を惜しむことはなかった。

 三壁のなかで最初に援助の物資を送ってくれたのは、実はこのエルヴィーラなのだ。

 しかし、援助と一緒に送られてきた書状では、エイナルの処断をせっついてもいたのだが、それは曲がったことが嫌いな直情的な性格によるところも大きい。

 ラウリは、久方ぶりに目にする神獣眼に、ウィルヘルミナの面影を重ね、知らず知らずのうちに目を優しげに細めていた。

 先に沈黙を破ったのはラウリだった。

「ベイルマン卿、先日は我が領民に格別のご厚情を賜りまして誠にありがとうございます。北壁領民を代表して御礼申し上げます」

 エルヴィーラは、手に持っていたカップから口を離し、思わずといった様子でふっと笑う。

 それを見たラウリは、怪訝な表情でわずかに首をひねった。

「何か失礼をいたしましたか。武骨者ゆえどうかご容赦いただきたい」

 しかし、エルヴィーラはすぐに首を横に振る。組んでいた足を解き、居住まいを正した。

「いいや、こちらこそ失礼をいたしました。先ほどから卿が、どうやら私にどなたかの面影を重ねていることがお見受けできましたゆえ思わず…。こちらこそ不敬をお詫び申し上げます」

 そう言って笑ったエルヴィーラの顔からは、先程までは確かに滲んでいた硬さが取り除かれている。

 きつい印象も、今ばかりはなりを潜め、生来の女性らしい暖かさが垣間見えていた。

 エルヴィーラは、神獣眼を持っているがゆえ東壁当主の座に就いた経歴の持ち主である。

 いまだに女性蔑視が根強く残る風土で、女が東壁の当主を務めるには、それ相応の態度で臨まねばならない。

 もともとの気性も確かにきついのだが、侮られないために、他人の前ではわざわざそのきつさを誇張して振舞っているのだ。

 だが、今はその取り繕った仮面を脱ぎ去っていた。

「私に重ねて見ていたのは、ウィルヘルミナ嬢でございますね。随分とお優しい目で見ておられた。彼の方も私と同じ神獣眼をお持ちであるとか」

 そう言って微笑んだエルヴィーラは、掛け値なしにただ美しい。

 普通の男ならば、勝手に甘い期待を抱くに違いない魅惑的な笑みであったが、朴念仁の部類に入るラウリには届かなかった。

(ついウィルヘルミナの事を思い出してしまっていたが、そうか、顔に出ていたか…。やはりいくつになっても腹芸は不得手だな)

 気まずい思いを感じ、思わず顎のあたりを撫でる。

 するとエルヴィーラがまたしても声を上げて笑った。

「いやはや、誠にお噂通りの御方だ。我が父が、いつも卿のことを清廉潔白で――――失礼を承知で聞いたままを申し上げさせていただくと、『馬鹿正直』な方だと言っておりました。本当にその通りの御方のようだ。南壁、西壁のお歴々とは御気性が全く違っておられる」

 そこでラウリは、何とも言えない表情に変わる。

(カルヴァイネン卿やラムステッド卿を引き合いに出されてもな…。彼の御仁たちは百戦錬磨の古だぬき。私のような若輩者、手のひらで転がされて終わりだ)

 西壁と南壁の当主たちは、ラウリよりも一回り以上年が上だが、今もまだ現役の強者たちだ。四壁会では、いつもやりこめられていた苦い思い出ばかりがよみがえる。

 内心でげんなりしたラウリを見て、エルヴィーラはくすくすと笑った。

 ラウリは、増々居心地の悪い思いを抱く。

(まいったな。ついウィルヘルミナを重ねてしまって、うまく取り繕うことができない。どうもやりにくい相手だな…)

 ラウリは必死に表情を消そうとするが、うまくいかずにいると、エルヴィーラがカップを置いた。

「やはりあなたのような方には正攻法でお願いしようと思う」

 エルヴィーラは、まっすぐラウリを見かえす。

「ノルドグレン卿、どうか貴公のお力添えをいただきたい。この若輩者に、何卒ご助力を」

 エルヴィーラは、ラウリに向かって頭を下げた。

 ラウリはさらに困惑した表情に変わる。

「お待ちください。助力と仰いますが、私はすでに隠居した身。北壁を動かすような力を持ち合わせてはおりません。そんな私にできる力添えなどたかが知れております。東壁当主ともあろう御方が、そのように軽々しく頭を下げてはなりません。どうか頭を上げてください」

「いいえ、北壁当主としてのお力添えをお願いしているわけではございません。お願いの儀は、ヴァルスタ卿にございます」

 ラウリは、内心で『やはり』という思いを抱きつつエルヴィーラを見返す。

(用があるのはトーヴェか…)

 問い返すような目にエルヴィーラはうなずいた。

「はい、ヴァルスタ卿が自由都市カヤーニにおられた時に、我が臣ユピター・ルメスにお譲りくださった魔法具――――あれの製作者を、なんとしてもご紹介いただきたいのです」

(やはりその件か…)

「ヴァルスタ卿には、何度となく入手の経緯を問い合わせさせていただいているのですが、『製作者は知らぬ。入手経路は忘れた』の一点張りで、お答えいただけないのです」

 ラウリは黙り込む。

「ヴァルスタ卿は、今王宮に召集されておられますね。王宮となると、接触がかなり難しくなります。それに、我々としてもこれ以上の猶予がありません。とても切迫した状況にあるのです。ノルドグレン卿、何卒ヴァルスタ卿にお口利きをお願いしたい。この通りです」

(あれを作ったのはウィルヘルミナだ。いかにベイルマン卿の頼みと言えど、教えるわけにはいかない)

 しかも、トーヴェからの報告では、東壁の事案は、ベルンハート暗殺に関わった金界魔法二位、闇界魔法二位を使う手練れが絡んでいる可能性があるという見立てもあった。迂闊に関わることはできない案件だった。

(私の力で何とかなるものなら何とかしてやりたいが、ウィルヘルミナの身を危険にさらすわけにはいかない)

 ラウリは硬い表情で黙り込んだ。

 そんなラウリを、エルヴィーラは真っ直ぐな眼差しで見つめる。

 はじめに一言断った通り、つまらない駆け引きをするつもりなど毛頭ないようだ。

 真摯な目に射ぬかれ、ラウリは小さく息を吐いた。

「何故魔法具の製作者を探しておられるのかお伺いしてもよろしいですか」

 エルヴィーラはうなずく。

「おそらくノルドグレン卿のお耳にも届いておられるとは思うのですが、昨今我が領地にて不貞を働いている輩――――『緋の竜』を殲滅する為でございます」

 凛とした声で、エルヴィーラはそう言った。



 一方その頃、北の壁際に伸びる広大な森――――壁の畔にあるラウリ邸では――――。


 エイナルが、馬上から赤々と燃える炎を見つめていた。その顔には、ゆがんだ愉悦の色が浮かんでいる。

 燃え盛っているのは、ラウリ・ノルドグレンの屋敷。

 ウィルヘルミナとラウリが、五年の月日を過ごした隠居屋である。

 バチバチと燃えはぜる音と、ごうごうと巻き上がる炎の轟音が鳴り響く中、エイナルは赤々と燃え盛る炎をその目に映しこみながら、狂ったように笑いはじめた。

 背中を丸めたかと思うと、すぐにのけぞるように上体をそらし、高笑いをする。

 狂人のように笑い狂ったかと思うと、その笑いをふいに収め、ギラギラと血走った眼を周囲に向けた。

「逆賊ラウリ・ノルドグレンを捕らえよ! その孫ウィルヘルミナ・ノルドグレンも一緒に捕らえるのだ! 生死は問わぬ。必ず奴らを我が前に引きずり出すのだ。この私が、天に代わって奴らを誅殺してくれる! 北壁当主の座を狙って、この私とカレヴィを暗殺しようとしたその罪、命をもって贖わせるのだ!!」

 雄叫びのようなエイナルの絶叫が響き渡る。


 この日をもって、ラウリとウィルヘルミナは、逆賊の汚名を着せられることとなったのだ。


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