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四壁の王  作者: 真籠俐百
47/112

46

 午前中にベルンハートが受ける座学は、歴史と算術である。

 今は算術の授業の最中で、過去の生において、トゥオネラよりももっと進んだ文化の中で育っていたウィルヘルミナにとっては、小学校高学年程度の算数の授業は退屈極まりなかった。

 そんな退屈な授業を後ろから見守りつつも、同時に、油断することなくベルンハートの周囲の人間に気を配り観察する。

 この授業に怪しい人間が紛れ込んでいる印象は受けなかった。

(やっぱり、さっきの視線は気のせいだったのかな。なんか引っかかりを覚えたんだけど…。あれは、向けられたおおよその位置からして、たぶん従僕じゃなくて生徒からの視線だったよな…。けど、オレは教会学校に知り合いなんていねーし、いったい何だったんだろうな)

 ウィルヘルミナは首をひねる。

 この講義を受けている生徒は、ほとんどが平民のはずだが、中にはベルンハート以外にも身分の高い貴族が紛れているようで、ウィルヘルミナ以外にも、八人ほどの従僕が教室の後ろに控えていた。

 従僕たちは皆年若く、だいたい十五歳前後くらいの、生徒と同年代の少年たちばかりだ。

 そのほとんどが東壁出身の者のようだが、中には、西壁出身と中央出身と思われる者と思われる従僕が一名ずつ混じっている。ウィルヘルミナとベルンハートのように、主従で出身地が異なる可能性がないともいえないが、おそらく西壁出身貴族と、中央出身貴族の随行者であると思われた。

 今授業を受けている生徒たちも、国中から集められているようで、ベルンハート以外の中央出身者や、その他にも北壁人、南壁人、西壁人などの姿も、ちらほらと混じっている。

 そして人数こそ男子生徒に比べてかなり少ないのだが、女生徒の姿もあった。

(彼女たちはたぶん市民か平民だよな…)

 教会学校に通う子供は、だいたい家が熱心な教徒で、信仰心から教会学校を選択することが多い。しかし、平民の場合、立身出世を夢見て進学する子供も少なくない。実際には、世俗の身分がそのまま教会内部でも反映されているのだが、建前としては平等を謳っている。そのため、都市学校ではなく教会学校を選ぶのだ。

 貴族の入学は書類審査だけで入学を許されるが、平民の入学には試験がある。一定の得点を取らなければ入学できないのだ。しかも、女子生徒は男子生徒よりもかなり厳しい基準が設けられており、高得点でなければ合格できない。つまり、女性でありながら学校に通っているということは、それだけで能力が高い証拠でもあるのだ。

 その基準は都市学校においても同じ状況で、女性は秀でた能力がなければ学校に通うことを許されなかった。

 さらに貴族の女性の場合は、たとえ能力があっても学校に通わせてもらえる確率はかなり低い。それは、政略結婚の道具として家の中に囲い込むためだ。それゆえ、王立学校は事実上の男子校となっている。

 貴族社会で権勢を広げるのに手っ取り早いのは、娘を高位貴族に嫁がせること。

 そのため、貴族の令嬢は幼いころから淑女としての立ち振る舞いを叩き込まれる。教え込まれるのは、楽器の演奏や刺繍、詩歌の創作ばかり。算術や歴史なども多少は勉強するが、家庭教師が教えるだけで学校に通うことはなかった。

 女性を学校に通わせることは、即ち余計な知識をつけるだけであると貴族階級では忌避されている。外の世界を知り、淑女としての生き方に、疑問を抱かせるわけにはいかないのだ。

 貴族の女性に求められるのは、常に夫や両親に従順であることだけ。そして美しければなおよく、中身など伴わなくてもかまわないのだ。

 だが、市民や平民の場合は少し勝手が違う。たとえ女性であっても、能力さえあれば働くことが許された。

 市民は、そのほとんどが商家であるため、事業拡大の一助になるならば、たとえ女性であっても重用する風土が根付いている。だから市民の優秀な女児は、都市学校に通って教養を高めるのだ。とはいえ、あくまでも能力の高い者だけに許されることである。都市学校では、女生徒の場合、身分に関係なく、学校で相応の成績を収めることができなければ、途中で強制的に退学させられることすらあるのだ。

 平民の女性の場合は、さらに厳しい環境だった。学校でどんなに優秀な成績を収めようとも、被支配階級を脱することは決してできない。男性の場合なら、騎士や官僚として取り立てられれば、一代貴族の男爵を叙爵できる可能性が稀にあるが、女性にはそういった機会が全くなかった。平民の女性の場合は、都市学校を優秀な成績で卒業できれば、ましな仕事に就き、家から出て働くことが許されるというだけの事である。

 このように、女性にとってはかなり不利な世の中ではあるが、しかし、四壁に限っては、普通の貴族とは少し状況が違っていた。

 神獣眼を持っていれば、たとえ女児であっても男児より優先的に当主になる資格があるのだ。

 ここ東壁ベイルマン家の現当主エルヴィーラ・ベイルマンも、その特殊な事例の一人で、彼女はウィルヘルミナと同じく片目が神獣眼であった。そのため、女性でも東壁当主の地位に就くことができている。

 エルヴィーラ・ベイルマンは、魔術師としての実力もさることながら、火のように苛烈な性格が有名な女傑だ。すでに八歳のころには魔獣を討伐し、十歳のころには騎士を率いて壁蝕の討伐に参加して、他の隊を圧倒するような戦果を挙げていたとされている。

 そんな女性当主が統治する影響が、学校にも多少なりともあるのだろうか。ラハティ教会学校は、女生徒の数も女性職員の数も、他の地域に比べて多い傾向があった。

 ウィルヘルミナは、熱心に授業を受ける女生徒たちをちらりとみやる。皆、真剣に勉強に取り組んでいた。

(せっかく学校に通えたんだ。そりゃあ一生懸命にもなるよな。教会学校の場合、成績悪くても退学にはならねえだろうけど、でも、卒業と同時にその後の道が全部決まっちまうし、必至になるよな…)

 教会学校の場合、男子生徒は、卒業時に準司祭となり強制的に教会魔術師にされるが、女生徒には選択の余地が与えられる。

 教会魔術師は、壁蝕の討伐への参加が必須条件であるため、女生徒に限っては、卒業時に準司祭となって教会魔術師団に所属するか、無官の奉職者となって教会に仕えるかを選ぶことができるのだ。

(壁蝕の討伐に参加するのはガチでしんどいんだよな。正直言って勉強だけじゃどうにもならねえ。男だろうが女だろうが、魔物は関係なく襲ってくる。あの場所では力だけが全てだ)

 ウィルヘルミナが、とりとめのない考えを巡らせつつ周囲を警戒しているうちに、あっという間に午前の授業が終わる。

 生徒たちは、一斉に食堂に向かいはじめた。

 その中で、ウィルヘルミナとベルンハートだけは生徒の流れに逆らうように移動する。

 それは、昨日から滞在する『特別な寮』へと向かっているためだ。二人は、食堂ではなく自分たちに用意された寮で昼食を摂るつもりなのだ。

 途中好奇の視線に晒されたが、無言のまま二人は人の流れに逆らう。

 すると、前から歩いてきた東壁の人間と思しき生徒が、わざとベルンハートの前に立ちふさがり、その進路を遮った。

 ベルンハートは足を止め、その人物を見上げて睨みつける。

 立ちふさがった少年の容姿は、生粋の東壁人といった風貌だった。健康的に焼けた肌に、茶色の巻き毛、青い目をしている。頬のそばかすと、興味津々といった様子でくるくると動く青い目が印象的な少年だった。

 少年は、ベルンハートの鋭い視線を微塵も気にする様子はなく、正面からただ不思議そうにベルンハートを見返す。

「貴公がベルンハート王子か。王家の人間が教会学校に入学するとは、随分とおかしなこともあるものだな。何故王立学校に通わないのだ? それにその髪、何故女のように長く伸ばしているのだ? 中央での流行りなのか?」

 そう言ってきたそばかすの少年は、どうやら高位貴族のようだ。先ほど講義室で後ろに控えていた従僕の一人が、少年の後ろに付き従っている。

 少年の発言を耳にして、周囲を通り過ぎようとしていた生徒たちの足が止まった。

 視線がベルンハートと少年に集まり、緊張感や興味と共に成り行きを見守っている。

 学校に来てから接した生徒たちは皆、ベルンハートに対してそこはかとなく否定的な気配をはらんでおり、まるで厄介な腫れ物に触るような態度ばかりだったが、しかし、この少年には全くそんな気配はない。ただ純粋に不思議だと思って素直な気持ちを言葉にしただけのようだ。

 しかし、その言葉は遠慮とは程遠いもので、むしろ不躾で、ベルンハートの気持ちをいい感じに逆撫でした。

 少年は悪意を持っているわけではなく、本心からの疑問をただ率直に口にしているだけなのだが、言い方があまりにもあけすけすぎて、ベルンハートにとっては喧嘩を売っているようにしか聞こえない。

 案の定、少年の問いかけを聞くなり、ベルンハートの纏う空気が一気に冷たく尖った。

 臨戦態勢に入ったことが、ベルンハートの顔の見えない背後に居たウィルヘルミナにも伝わってくる。

(ベル…まさかさっそく喧嘩するつもりじゃねーよな? こいつが何者なのかまだわかんねーんだから、簡単に挑発に乗ってくれるなよな?)

 ウィルヘルミナは軽い頭痛を覚えつつ、ベルンハートの後ろでわざとらしく咳をして見せた。

 すると、ベルンハートに向けられていたはずの少年の眼差しがウィルヘルミナに移る。

 そして、面白そうに輝いた。

「お前はベルンハート王子の従僕だな? 王家の人間の従僕が北壁人とは…これまた面白い組み合わせだな。お前の家は副伯か? 何故王子の従僕などしている? 名はなんと申すのだ?」

(こいつ…今まで周りにいなかったタイプだな。強引というかずうずうしいというか…。イノシシみたいな奴だな)

 少年は、ベルンハートのきつい視線を気にする様子もなく、矢継ぎ早にウィルヘルミナに問いただす。

 ウィルヘルミナは、うやうやしく膝を折った。

「私はレイフ・ギルデンと申します。以後お見知りおきを」

 とりあえず、こたえられる部分だけを答えて見せる。

 他の質問は一切無視したのだが、少年は特に気にしてはいない様子だった。

 少年は一歩踏み出しウィルヘルミナの方へ近寄ると、ふむとつぶやきながらウィルヘルミナの眼帯に覆われた左目をまじまじと見る。

「なるほど、レイフと申すのか。ところでその目はどうした。生まれつき見えないのか? それとも怪我でもしたのか?」

(こいつ、普通なら聞きにくいことをずけずけと聞いてくんな。そこ、ベルでさえ触れてこねー話題だぞ? 鋼鉄の心臓でも持ってんのか?)

 内心ではそんな事を思っていたが、ウィルヘルミナはおくびにも出さない。

 無表情の仮面を張り付けたまま、視線は控えめに伏せていた。

「剣の鍛錬をしていました折に負傷いたしました。不徳の致すところでございます」

 適当な言い訳を口にする。

「ほう! お前は剣術を嗜んでいるのか。北壁には名だたる剣豪がたくさんいると聞いている。お前の師は誰だ? そういえば、北壁の百雷の剣聖がベルンハート王子の推挙で宮廷魔術師になったという噂を聞いたことがあるが…」

 少年は一度ベルンハートを見てから、再びウィルヘルミナに視線を戻す。

「お前も北壁人だな。まさか百雷の剣聖の紹介で王子の従僕になったのか?」

 実のところ、『百雷の剣聖』というのはトーヴェの二つ名である。その実力ゆえ大陸でも一目置かれる存在であった。

 ちなみに、イヴァールにも『紅蓮の聖者』という二つ名がある。

 トーヴェは雷界魔法の、イヴァールは火界魔法の達人であるため、そう呼ばれているのだ。

 しかし、ウィルヘルミナはその二つ名を知らなかった。

 もとより知っていたところで関係を否定したのは間違いないが、今回は知らないことが功を奏し、否定する言葉がより真実味を帯びることになる。

(百雷の剣聖? 何その厨二前中にベルンハートが受ける座学は、算術であった。

 過去の生で、トゥオネラよりももっと進んだ文化の中で育っていたウィルヘルミナにとっては、小学校高学年程度の算数の授業は退屈極まりない。

 そんな退屈な授業を後ろから見守りつつも、同時に、油断することなくベルンハートの周囲の人間に気を配り観察する。

 だが、この授業に怪しい人間が紛れ込んでいる印象は受けなかった。

(やっぱり、さっきの視線は気のせいだったのかな。なんか引っかかりを覚えたんだけど…。あれは、向けられた位置からして、たぶん従僕じゃなくて生徒からの視線だったよな…。けど、オレは教会学校に知り合いなんていねーし、いったい何だったんだろうな)

 ウィルヘルミナは首をひねる。

 この講義を受けている生徒の中には、ベルンハート以外にも身分の高い貴族が紛れているようで、ウィルヘルミナ以外にも、八人ほどの従僕が教室の後ろに控えていた。

 従僕たちは皆年若く、だいたい十五歳前後くらいの、生徒と同年代の少年たちばかりだ。

 そのほとんどが東壁出身の者のようだが、中には、西壁出身と中央出身と思われる者と思われる従僕が一名ずつ混じっている。ウィルヘルミナとベルンハートのように、主従で出身地が異なる可能性がないともいえないが、おそらく西壁出身貴族と、中央出身貴族の随行者であると思われた。

 今授業を受けている生徒たちも、国中から集められているようで、ベルンハート以外の中央出身者や、その他にも北壁人、南壁人、西壁人などの姿も、ちらほらと混じっている。

 そして人数こそ男子生徒に比べてかなり少ないのだが、女生徒の姿もあった。

(彼女たちはたぶん市民だよな…)

 そもそも女性でありながら学校に通うということは、能力が高い証拠でもある。女性は、秀でた能力がなければ、学校に通うことを許されないからだ。

 さらに貴族の女性の場合は、たとえ能力があっても学校に通わせてもらえる確率はかなり低い。それは、政略結婚の道具として家の中に囲い込むためだ。

 貴族社会で権勢を広げるのに手っ取り早いのは、娘を高位貴族に嫁がせること。

 そのため、貴族の令嬢は幼いころから淑女としての立ち振る舞いを叩き込まれる。教え込まれるのは、楽器の演奏や刺繍、詩歌の創作ばかり。算術や歴史なども多少は勉強するが、家庭教師が教えるだけで学校に通うことはなかった。

 女性を学校に通わせることは、即ち余計な知識をつけるだけであると貴族階級では忌避されている。外の世界を知り、淑女としての生き方に、疑問を抱かせるわけにはいかないのだ。

 令嬢に求められるのは、常に夫や両親に従順であることだけ。そして美しければなおよく、中身など伴わなくてもかまわないのだ。

 だが、市民の場合は少し勝手が違う。たとえ女性であっても、能力さえあれば働くことが許された。

 市民は、そのほとんどが商家であるため、事業拡大の一助になるならば、たとえ女性であっても重用する風土が根付いている。だから市民の優秀な女児は、都市学校に通って教養を高めるのだ。とはいえ、あくまでも能力の高い者だけに許されることである。学校で相応の成績を収めることができなければ、途中で強制的に退学させられることすらあった。

 女性にとっては、かなり不利な世の中ではあるが、しかし、四壁に限っては、普通の貴族とは少し状況が違っていた。

 神獣眼を持っていれば、たとえ女児であっても男児より優先的に当主になる資格があるのだ。

 ここ東壁ベイルマン家の現当主エルヴィーラ・ベイルマンも、その特殊な事例の一人で、彼女はウィルヘルミナと同じく片目が神獣眼であった。そのため、女性でも東壁当主の地位に就くことができている。

 エルヴィーラ・ベイルマンは、魔術師としての実力もさることながら、火のように苛烈な性格が有名な女傑だ。すでに八歳のころには魔獣を討伐し、十歳のころには騎士を率いて壁蝕の討伐に参加して、他の隊を圧倒するような戦果を挙げていたとされている。

 そんな女性当主が統治する影響が、学校にも多少なりともあるのだろうか。ラハティ教会学校は、女生徒の数も女性職員の数も、他の地域に比べて多い傾向があった。

 ウィルヘルミナは、熱心に授業を受ける女生徒たちをちらりとみやる。皆、真剣に勉強に取り組んでいた。

(せっかく学校に通えたんだ。そりゃあ一生懸命にもなるよな。教会学校の場合、成績悪くても退学にはならねえだろうけど、でも、卒業と同時にその後の道が全部決まっちまうし、必至だよな…)

 教会学校の場合、男子生徒は、卒業時に準司祭となり強制的に教会魔術師にされるが、女生徒には選択の余地が与えられる。

 教会魔術師は、壁蝕の討伐への参加が必須のため、女生徒に限っては、卒業時に準司祭となって教会魔術師団に所属するか、無官の奉職者となって教会に仕えるかを選ぶことができるのだ。

(壁蝕の討伐に参加するのはガチでしんどいんだよな。正直言って勉強だけじゃどうにもならねえ。男だろうが女だろうが、魔物は関係なく襲ってくる。あの場所では力だけが全てだ)

 ウィルヘルミナが、とりとめのない考えを巡らせつつ周囲を警戒しているうちに、あっという間に午前の授業が終わる。

 生徒たちは、一斉に食堂に向かいはじめた。

 その中で、ウィルヘルミナとベルンハートだけは生徒の流れに逆らうように移動する。

 それは、昨日から滞在する『特別な寮』へと向かっているためだ。二人は、食堂ではなく自分たちに用意された寮で昼食を摂るつもりなのだ。

 途中好奇の視線に晒されたが、無言のまま二人は人の流れに逆らう。

 すると、前から歩いてきた東壁の人間と思しき生徒が、わざとベルンハートの前に立ちふさがり、その進路を遮った。

 ベルンハートは足を止め、その人物を見上げて睨みつける。

 立ちふさがった少年の容姿は、生粋の東壁人といった風貌だった。健康的に焼けた肌に、茶色の巻き毛、青い目をしている。頬のそばかすと、興味津々といった様子でくるくると動く青い目が印象的な少年だった。

 少年は、ベルンハートの鋭い視線を微塵も気にする様子はなく、正面からただ不思議そうにベルンハートを見返す。

「貴公がベルンハート王子か。王家の人間が教会学校に入学するとは、随分とおかしなこともあるものだな。何故王立学校に通わないのだ? それにその髪、何故女のように長く伸ばしているのだ? 中央での流行りなのか?」

 そう言ってきたそばかすの少年は、どうやら高位貴族のようだ。先ほど講義室で後ろに控えていた従僕の一人が、少年の後ろに付き従っている。

 少年の発言を耳にして、周囲を通り過ぎようとしていた生徒たちの足が止まった。

 視線がベルンハートと少年に集まり、緊張感や興味と共に成り行きを見守っている。

 学校に来てから接した生徒たちは皆、ベルンハートに対してそこはかとなく否定的な気配をはらんでおり、まるで厄介な腫れ物に触るような態度ばかりだったが、しかし、この少年には全くそんな気配はない。ただ純粋に不思議だと思って素直な気持ちを言葉にしただけのようだ。

 しかし、その言葉は遠慮とは程遠いもので、むしろ不躾で、ベルンハートの気持ちをいい感じに逆撫でした。

 少年は悪意を持っているわけではなく、本心からの疑問をただ率直に口にしているだけなのだが、言い方があまりにもあけすけすぎて、ベルンハートにとっては喧嘩を売っているようにしか聞こえない。

 案の定、少年の問いかけを聞くなり、ベルンハートの纏う空気が一気に冷たく尖った。

 臨戦態勢に入ったことが、ベルンハートの顔の見えない背後に居たウィルヘルミナにも伝わってくる。

(ベル…まさかさっそく喧嘩するつもりじゃねーよな? こいつが何者なのかまだわかんねーんだから、簡単に挑発に乗ってくれるなよな?)

 ウィルヘルミナは軽い頭痛を覚えつつ、ベルンハートの後ろでわざとらしく咳をして見せた。

 すると、ベルンハートに向けられていたはずの少年の眼差しがウィルヘルミナに移る。

 そして、面白そうに輝いた。

「お前はベルンハート王子の従僕だな? 王家の人間の従僕が北壁人とは…これまた面白い組み合わせだな。お前の家は副伯か? 何故王子の従僕などしている? 名はなんと申すのだ?」

(こいつ…今まで周りにいなかったタイプだな。強引というかずうずうしいというか…。イノシシみたいな奴だな)

 少年は、ベルンハートのきつい視線を気にする様子もなく、矢継ぎ早にウィルヘルミナに問いただす。

 ウィルヘルミナは、うやうやしく膝を折った。

「私はレイフ・ギルデンと申します。以後お見知りおきを」

 とりあえず、こたえられる部分だけを答えて見せる。

 他の質問は一切無視したのだが、少年は特に気にしてはいない様子だった。

 少年は一歩踏み出しウィルヘルミナの方へ近寄ると、ふむとつぶやきながらウィルヘルミナの眼帯に覆われた左目をまじまじと見る。

「なるほど、レイフと申すのか。ところでその目はどうした。生まれつき見えないのか? それとも怪我でもしたのか?」

(こいつ、普通なら聞きにくいことをずけずけと聞いてくんな。そこ、ベルでさえ触れてこねー話題だぞ? 鋼鉄の心臓でも持ってんのか?)

 内心ではそんな事を思っていたが、ウィルヘルミナはおくびにも出さない。

 無表情の仮面を張り付けたまま、視線は控えめに伏せていた。

「剣の鍛錬をしていました折に負傷いたしました。不徳の致すところでございます」

 適当な言い訳を口にする。

「ほう! お前は剣術を嗜んでいるのか。北壁には名だたる剣豪がたくさんいると聞いている。お前の師は誰だ? そういえば、北壁の百雷の剣聖がベルンハート王子の推挙で宮廷魔術師になったという噂を聞いたことがあるが…」

 少年は一度ベルンハートを見てから、再びウィルヘルミナに視線を戻す。

「お前も北壁人だな。まさか百雷の剣聖の紹介で王子の従僕になったのか?」

 実のところ、『百雷の剣聖』というのはトーヴェの二つ名である。その実力ゆえ大陸でも一目置かれる存在であった。

 ちなみに、イヴァールにも『紅蓮の聖者』という二つ名がある。

 トーヴェは雷界魔法の、イヴァールは火界魔法の達人であるため、そう呼ばれているのだ。

 しかし、ウィルヘルミナはその二つ名を知らなかった。

 もとより知っていたところで関係を否定したのは間違いないが、今回は知らないことが功を奏し、否定する言葉がより真実味を帯びることになる。

(百雷の剣聖? 何その厨二全開の呼ばれ方…。聞いてるこっちが恥ずかしくなる奴じゃん。てか誰の事だよ? 壁の畔の爺さんの家でずっと育てられたのに、オレがそんな奴知るわけねーじゃん)

 ウィルヘルミナは首を横に振って返した。

「そのような雲の上のお方、私のような者が存じ上げるはずもございません。ベルンハート様にお仕えすることになったのは、知り合いの商人の紹介が縁でございます」

 すると少年は、残念そうな表情に変わる。

「なんだそうなのか。もし百雷の剣聖に縁ある者なら、ぜひ手合わせを願いたいところだったのだがな」

 息つく間もなく、次々と質問攻めをする少年に、ウィルヘルミナがうんざりはじめたころ、少年の従僕が、控えめに主である少年に声をかけた。

「フェリクス様、そろそろお食事のお時間です。早く召し上がらねば、午後の授業に障りがでます」

「ああそうだったな。すまないなイッカ。ベルンハート王子も足止めをして申し訳なかった。午後の授業でまた会おう」

 そう言い残し、フェリクスと呼ばれた少年と従僕――――イッカは去っていった。

 そのやり取りを見守っていた周囲の生徒たちも、同様に動きはじめる。

 ウィルヘルミナは、疲れた表情で二人を見送った。

 周囲に誰もいなくなるとぽそりとつぶやく。

「なんだったんだあいつ。言いたいことだけ言って行っちまいやがって」

 そのつぶやきを耳に拾ったベルンハートがため息を吐いた。

「フェリクスという名には聞き覚えがある。おそらくベイルマン家の者だ。現東壁当主エルヴィーラ・ベイルマンの四男が、確かそんな名だった。フレーデリクの話では、この学校に入学しているらしいからたぶんそうだろう」

「ふーん、そうなのか」

(あれが東壁当主の子供ねえ。なんか落ち着きのねえ騒々しい奴だったな。ま、悪い奴じゃなさそうだけど)

 そこまで考えてから、ちらりとベルンハートを見やる。

(けど、ベルと気が合うかどうかは微妙なとこだな)

 案の定、ベルンハートはかすかに苛立ちを滲ませていた。

「騒々しい者だ。言いたいことだけ言って去っていくとは身勝手極まりない」

(やっぱな。ベルは基本まじめだからな。ああいうタイプとはあんまりあわねーだろうな)

「私たちも行くぞ、レイフ」

 ウィルヘルミナは肩をすくめてベルンハートの後について歩きはじめた。


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