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四壁の王  作者: 真籠俐百
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「お前は肝が据わっているのか、それともただ単に神経が太いだけの馬鹿なのか判断が難しいところだな」

 ベルンハートがポツリとつぶやく。その言葉は、今朝のイルマリネンとの出来事を思い出したことで出てきた感想だった。

 そこは教会学校の校舎の中――――。

 人のまばらな廊下を二人そろって歩いている最中、ため息交じりに吐き出されたベルンハートのその言葉を耳にしたウィルヘルミナは、ピクリと反応し、瞬時にして怒りに顔を赤く染める。

「はぁっ!? 何だよ、なんで急にケンカ売ってくんだよ!」

 何の脈絡もない突然の罵倒だったのでかなりの怒りを覚えたが、しかし周囲に人の目があるため、小声でひそひそと文句をつける。

 場所が廊下ということもあり、ウィルヘルミナはベルンハートの後ろに付き従う形になっていた。

 一応ウィルヘルミナ自身も、自分の容姿が特徴的で目をひく自覚はあるため、なるべく目立たないように心がけており、他の生徒とすれ違う時には目を伏せて足早に通り過ぎ、極力顔を合わせないようにしている。

 ウィルヘルミナはきょろきょろと視線をめぐらし、側に人が居ないことを確認すると、再びベルンハートに向けて小声で文句を言いはじめた。

「なんで急にそんなこと言われなきゃなんねーんだよ。ふざけんな。馬鹿はお前の方だ」

 ウィルヘルミナの子供じみた抗議に、ベルンハートは盛大なため息を吐き出した。頭痛を覚えた様子で、額を抑える。

「もういい。それ以上は何も言うな、黙っていろ」

「あのな、お前の方からケンカ売ってきたんだろうが。何が黙れだ。だったら最初からお前の方が黙ってろよな」

 ウィルヘルミナは不満そうにぶつぶつと続けたが、ベルンハートは呆れ顔のまま黙り込み、静かに教室へと向かった。

 ベルンハートは、今日から学校の授業を受けることになっている。

 通常、入学は春に行われるので、夏のこの時期に編入することは異例のことだ。

 そして、ベルンハートの十歳という年齢での入学も異例だった。

 教会学校は、おおむね十三歳の子供が入学し、三年間を過ごす場所である。ベルンハートは今年の晩秋には十一歳になるが、入学するにはあまりにも幼すぎた。

 ちなみに、ウィルヘルミナも同じ晩秋の時期に誕生日を迎えて十歳となる。こちらも、従僕としては幼すぎる年齢であったが、しかし、二人とも年の割に背が高く、顔つきも大人びて見えるため、生徒たちの中に混じっても、それほど違和感はなかった。

『普通よりちょっと小柄』程度の印象を与えるだけの体格だ。

 通り過ぎる生徒たちの好奇の視線にさらされながら、二人は目的の教室に向かっていた。

 教室に向かう前に、一度ハンナのところに立ち寄って説明を受けており、校内の見取り図はおおよそ頭に入っている。

 おかげで、はじめての学校であっても道に迷うことはなかった。

 今日の午前中は、大講義室で座学。昼食をはさんで、午後からは校庭で魔法の実践訓練の予定となっている。

 無言で前を歩くベルンハートの背中を、ウィルヘルミナはちらりと見た。

(ったく、ベルのやつ。何だっつーんだよ急に。っとに可愛げねーよな。寝てると天使なのに、口開くとこうなんだよな。こんな調子で友達なんかできんのか?)

 ベルンハートは、はじめての授業に、特に緊張しているような様子はない。

 だが、よく見れば興味がないようにも見えた。

 これから友達を作ろうなどという前向きな気持ちは、一切感じられない。

(来たくて来た場所じゃねーし、状況も状況だし、友達作るとか考えられねーんだろうけど、俺以外の人間にもこの調子だったら、無駄に敵を作ることになりそうだよな)

 心配とあきらめの入りまじったような表情に変わり、そっと視線を伏せた。

(でも、ベルには友達作ってほしいんだよな…。そういう仲間の存在は、きっとベルのこれからの人生にプラスに作用する。あんなふうに簡単に、死んでもいいなんて絶対に思わなくなるはずだ)

 ウィルヘルミナはきゅっと眉根を寄せる。

 ベルンハートは、口では必死にあがいてみるとは言っていたが、やはりまだ危なっかしい面が残っていた。

 たぶん、ウィルヘルミナや他の人間に危険が及ぶとなれば、ベルンハートはきっとまた元の考えに戻ってしまうに違いない。

(オレじゃベルの根底にある考えを変えられねー。もっとベルの心に踏み込める存在が必要なんだ)

 自分がそうなれたらいいと思わないわけでもないが、しかし、ウィルヘルミナは自分の素性を隠してベルンハートの側に居るのだ。全てを打ち明けることのできない現状で、そんな存在になれるはずもない。

 今の虚構の上に成り立っているような関係で、本物の友情が成立するはずもないのだ。

 ウィルヘルミナは、内心でため息を吐く。

(もしいつかベルにオレの性別がばれたとしても、今みたいな関係を続けられたら嬉しいけど…でも、たぶん女じゃ無理だよな…)

 この世界は、女という存在を、男より一段下に見ている。性別がものをいうような、そんな常識がはびこる世の中で、男と女の間に友情が成立するはずもなかった。

 それに、この先成長すれば、否が応にも女であることを自覚させられる日がくるに違いない。周囲の事も、自分自身の事も、いつまで騙し通せるのか自信がなかった。

 悶々とそんな事を考えているうちに、いつの間にか講義室に着いていた。

(今は余計なことに気をとられてる場合じゃねーか。ベルの安全を優先させねえと)

 ウィルヘルミナは表情を引き締める。

 素早くベルンハートの前に回り込み、ドアを押し開いた。

 ベルンハートは、ウィルヘルミナの開けたドアをくぐって中に入った。



 話声でざわめいていたはずの講義室の中が、徐々に静まり返っていった。

 生徒たちがベルンハートの存在に気付いたせいだ。

 エルヴァスティ王家の第二王子の入学。

 その話は、すでに学園中に広まっていた。

 話題の人物の登場に気付き、生徒たちは声を潜めて意味深にささやきはじめる。

 好奇と悪意の入りまじった無数の視線に晒されていたが、ベルンハートの表情は全く変わらなかった。

 整いすぎた美しいその顔は、能面のように凍り付いており、全ての視線を無言で跳ねかえす。

 ベルンハートが着席すると、ウィルヘルミナは紙と筆記用具をベルンハートの前に用意した。

「レイフ、後ろに控えていろ」

「承知いたしました」

 慇懃に頭を下げて、講義室の一番後ろに控える。

 生徒たちの好奇の視線は、ベルンハートだけではなくウィルヘルミナにも向けられていた。

 後ろに向かうウィルヘルミナを無数の目がじっと追う。

 ウィルヘルミナは、ふと顔をあげた。

 なんとなく、気になる視線を感じたためだ。

 しかしその視線はすぐに消え、視線を向けた人物を特定することはできない。

(気のせいか? 誰かに見られてるような気がしたけど…)

 釈然としない思いを抱えながら、ウィルヘルミナもまた周囲のぶしつけな視線を毅然とした態度で跳ね返す。

 無表情のまま移動して、部屋の一番後ろに控えた。

 すると、周囲のささやきが漏れ聞こえてくる。

「おい見ろよ。片目だぞ」

「第二王子の従僕は不具なのか」

「しかも北壁人の上、まだチビな子供だ」

 ウィルヘルミナは、自分の事を言われていることに気づいたが、特段思うこともなかったので、全て無視をしていた。だが、続いた言葉にひっかかりを覚え、耳を澄ませる。

「滅びの子にはふさわしいんじゃないか?」

「そうとも、呪い子の従僕だ。半端ものこそが相応しい」

 忍び笑いとともにささやかれたその言葉に、ウィルヘルミナは表面上は無反応だったが、しかし、内心では首をかしげていた。

(滅びの子? 呪い子? なんだそれ。どういう事だ? まさかベルの事なのか?)

 ウィルヘルミナは、後にベルンハート自身の口から知らされることになるのだが、アードルフ国王お抱えの占星術師が、数か月前にトゥルク王国の未来を占った際に、ベルンハートに対してある託宣を下していた。

 その占星術師は、ベルンハートこそが国を滅ぼす呪われた子供だと断じたのだ。

 その噂はあっという間に広がり、今ではこうして庶民の間にまで浸透している。

 その占星術師の名はニルス=アクラスといい、二年前に北壁で起こった大噴火をはじめとした、数多の予知を当ててみせたと噂されている男でもあった。

 とはいえ、占いを信じているのは一部の人間だけである。国王がニルス=アクラスを重用しているおかげで、その託宣が広く周知されることにはなったが、託宣の信頼性については、あまり期待されていない。ベルンハートが国を亡ぼすという託宣も、その過激な内容のおかげで広まってしまっただけの事で、誰もが信用している内容というわけではなかった。

 ヴァン教が深く根付いているトゥオネラでは、教皇による神託こそが唯一の託宣として絶対視されているのだ。占い師の託宣など、所詮紛い物でしかない。

 ただ、ベルンハートを攻撃するには格好の材料であったため、皆がベルンハートを遠巻きにちらちらと見ながら、ひそひそ話を繰り返す。

 ベルンハートは雑音の一切を無視して、ただじっと正面だけを見据え、静かに着席していた。

 今の時点で、そういった予備知識の何もないウィルヘルミナだけが、心配そうにベルンハートを見つめていた。



 トゥルク王国の王都イーサルミ――――。

 王宮の一室では、アードルフ国王が書面に目を通していた。

 政務机の前に座り、じっと書面を見つめるアードルフの横顔は、普段以上に陰気だ。

 初老を迎え、白髪交じりになったざんばら髪が、うつむいた拍子に頬にかかり、ただでさえ落ちくぼんだ目と、こけ気味の頬とに暗い影を刻んでいる。ただ一か所、目だけがぎらぎらと輝いていた。

 読み終わるなり、アードルフはその書面をくしゃりと握りつぶす。

 怒りの気配が、その老いた体から滲み出していた。

 アードルフに報告書を手渡した当人ミルカ・オルトラは、アードルフの前に立ったまま脂汗を浮かべている。ふくよかなその体を縮こませ、今にも倒れそうな顔色だ。

 アードルフが読んでいた書面には、ベルンハートが無事ラハティ教会学校に到着したという報告が記されていた。それはつまり、送った刺客が、ことごとく返り討ちにあったという事に他ならない。

 アードルフの叱責を覚悟して、ミルカは冷や汗を浮かべたままただ立ち尽くしていた。

 実は、ウィルヘルミナたちがカヤーニを出てからラハティに到着するまでの間、数回にわたって刺客による襲撃があった。大規模なものでは二十人程度の刺客によって襲われている。

 しかし、それらの襲撃を撃退し、ウィルヘルミナとベルンハートは無事教会学校に到着していた。

 つまり、アードルフの指示で画策した暗殺の全てが失敗に終わったのだ。

 その事実を突きつけられ、アードルフは強い憤りを覚えていた。

 このままベルンハートが生き残ったところで、冷遇される教会の管理下に追いやったことで、次期国王になる可能性はすでに摘み取ってある。ベルンハートを担ぎ上げる一派には、もはや打つ手もないはずなのだが、しかしアードルフとしては心情的に穏やかではなかった。

 アードルフは、ヘルゲが死んだ今でさえも、事あるごとに比べられているのだ。できのよい弟が生きているとなれば、トビアスはもっと比較されることになる。

 それは、歪んだ親心だった。

 その心の機微を、いち早く察知した者がいる。

 アードルフとミルカが対面するその同じ部屋で、静かに傍らに控えていた老人――――ニルス=アクラスである。

「陛下、私めに一つ考えがございます。どうかお任せくださいませんでしょうか」

 ニルス=アクラスが、しゃがれた声でささやいた。

 アードルフは、ミルカから視線を離してニルス=アクラスを見やる。

 アードルフの前で縮こまっていたミルカは、主君の怒りのまなざしから逃れることができた事に、ホッと胸をなでおろしていた。

 ミルカは、得体のしれないこの老人ニルス=アクラスを、以前から苦手としていたのだが、この時ばかりは感謝の念を抱く。

「考えだと? お前は、すでに一度失敗しているではないか。もう一度機会を与えろとは厚かましいにもほどがある。それとも、今度こそ必ず仕留めることができるという確信があるとでも申すのか?」

 アードルフは、怒りをはらんだ言葉を吐き出しながらニルス=アクラスを睨みつけたが、その視線を向けられているニルス=アクラスが動揺するそぶりはない。

 二人のそばで息をひそめ、そのやり取りを見守っていたミルカはというと、驚いたように片眉を跳ね上げていた。アードルフがニルス=アクラスに、ベルンハートの暗殺を指示していたことが想定外だったからだ。

 いかにアードルフが重用しようとも、所詮ニルス=アクラスは占星術師にすぎない。ただの占い師ごときに暗殺の仕事が務まるとは到底思えなかった。そのため、アードルフの意外な采配に、ミルカは内心で驚きを隠せない。そして同時に、ミルカは暗殺に失敗したのが己だけではなかったことを知り、再び胸をなでおろしていた。

 そんなミルカをよそに、ニルス=アクラスは、アードルフに向けて仰々しく首を垂れる。

「はい。今一度機会をお与えください」

 王が信じ切っているこの占星術師ニルス=アクラスは、先王の時代から国に仕えている得体のしれない老人である。

 めったに口を開くこともなく、王の御前以外に姿をあらわす事もない。

 いつでもフードを目深に被っており、王以外に誰もその素顔を知らなかった。

 出自も年齢も不明。正真正銘の謎の占星術師である。

 一説に、このニルス=アクラスは、先王が二十二歳で即位したころから、すでに陰で王に仕えていたという噂がある。

 先王が崩御したのは七十五歳。そして、アードルフに仕えて早二十年になる。つまり噂通りであるなら、計七十三年もの長い間、王家に仕えている占星術師ということになる。

 それらの話が、どこまで信ぴょう性のあるものなのか甚だ疑問ではあるが、かなりの高齢であることだけは間違いない。フードの下に見え隠れする、深いしわの刻まれた細い首や、長袖の先に見える枯れ枝のような手を見ても、それは一目瞭然だった。

 だが、この生きていることすら不思議なほどやせ細っているただの老人が、ミルカは何故か恐ろしくてならない。

 ニルス=アクラスの側にいると、腹をすかせた獰猛な獣の前で追い詰められたウサギのような気分になるのだ。

 わけもなく恐怖心に襲われ、ただその場から逃げ出したくなる。

 生存本能が警報を鳴らし続け、危険だと訴えかけてならないのだ。

 今もその恐怖心を必死で抑え込み、ミルカは二人のそばで息を殺す。

 アードルフは、暗く濁った輝きを放つ目でニルス=アクラスをじっと見つめた。

「では、今一度お前に機会を与えよう。今度こそしかと頼むぞ。忌々しいあの存在を、この世から必ず消し去るのだ」

 ニルス=アクラスは、うやうやしく膝を折り首を垂れる。

「かしこまりました」

 静かなその部屋に、しゃがれた陰気な声が響き渡った。


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