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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ベルンハートは、慣れない掃除による疲労のため、泥のような眠りについていた。

 かたやウィルヘルミナはというと、ベルンハートが眠るベッドの側に椅子を置いて腰かけている。

 足を組みつつ片手にはヴァン教の聖書を持ち、本に視線を落としていた。

 そのすぐ側では火界魔法を付与されたランプの魔法具が光を灯し、ウィルヘルミナの手元を明るく照らし出している。

 眠るバルンハートのそばでウィルヘルミナが起きているのは、敵襲を警戒しての対策だった。

 学校の敷地内とはいえ、ベルンハートの状況を考えれば気を抜くことはできない。そのため寝ずの番をしているのだ。

 ただ起きているのも手持無沙汰だったため、ウィルヘルミナは聖書を読んでいる。

 この本は、ベルンハートが学校から支給された教科書のうちの一冊だった。

 ラウリが元教会魔術師であったこともあり、ウィルヘルミナは小さいころから聖書の内容を勉強させられている。そのため、内容はあらかた頭に入っているのだが、することもなくて暇だったので読み返しているのだ。

 とりあえず、襲撃を想定しての対策は、明るいうちにできるかぎりのことはしてあった。

 カヤーニから持参していたザクリスお手製の魔法具を家の周囲に設置し、また家自体にもウィルヘルミナが金界魔法を使って防御を施してある。魔法対策は万全な状態だった。

 しかし、物理的な侵入に対しては魔法でも防ぎきれない。

 侵入者に対して発動する失われた叡智でもあれば別だが、そこに関しては自身の危機察知能力に頼るしかないのだ。

 そのため、二人は交代で眠ることにしていた。

 最初にウィルヘルミナが休み、深夜になってからベルンハートと交代する。

 今はウィルヘルミナが見張りの番なのだ。

 ウィルヘルミナは、目の疲れをとるように眉間を指で揉み、本から目を離して顔を上げる。そして、カーテンの隙間から窓の外を見やると、空は白みはじめていた。

(とりあえず襲撃はなかったな。まだ初日だからな。敵もそんなに勤勉じゃねーか)

 苦笑を浮かべながら、凝りをほぐすように肩を回す。

(オレはあまり寝なくても大丈夫だけど、たぶんベルはきついよな。もう一人いると、見張りも楽なんだけどな)

 しかし、教会学校にこれ以上の譲歩は期待できなかった。

 ウィルヘルミナを連れてくることですら横やりが入ったのだ。これ以上従僕の人数を増やすことは難しい。今はこの状況に慣れるしかなかった。

(ま、助かるのは、学校の授業にもオレが付き添うことができることだよな)

 ラハティ教会学校では、従僕が教室に入室することが許されている。授業中も部屋の隅に控えることが許可されているのだ。

 それに、校外に出ることも自由だった。

 おかげで、外に居るザクリスとカスパルと連絡を取るのも難しくはない。

 必要なものは、ザクリスたちに頼んでおけば、用意して学校に届けてくれるので問題もなかった。

(ベルは今日から授業に参加すんだよな。あの性格で同年代の子供とうまくやれんのかね)

 ベルンハートの寝顔をちらりと見て、ウィルヘルミナは苦笑する。すやすやと寝息を立てるベルンハートの姿は、年相応のものだった。

(寝顔はまだまだ子供でかわいいけど、これで口を開くと毒しか出てこねーんだから参るよな。辛辣な口調がもとで、学校で不必要に敵を増やさなきゃいいけど、あの性格じゃどうかな…)

 とりとめなくそんなことを考えながら、ウィルヘルミナは椅子から立ち上がって伸びをする。

(さて、朝食の支度でもすっか)



 ウィルヘルミナが朝食の準備をしていると、ベルンハートが起き出してきた。

「なんだ、もう起きたのかよ。まだ授業がはじまるまで時間あるからもう少し寝てろよ」

「大丈夫だ、お前の方こそ少し休め。お前の方が眠る時間が少ない」

「オレは別に大丈夫だ。眠くねーよ。もともと睡眠時間少なくても平気な体質だからさ。メシできたら起こしてやるからそれまで寝てろって」

 しかしベルンハートは動かない。じっとウィルヘルミナの作業を見下ろしていた。

「なんだ? そんなに見て」

「お前は、何でもできるんだな」

 ぼそりとベルンハートがつぶやく。

「ん? 何が?」

「お前は貴族なのだろう? この教会学校についてからのお前の立ち居振る舞いは、貴族として文句のつけようのない完璧なものだった。あれらの所作は付け焼刃でどうにかなるようなものではない。なのに何故お前は掃除や洗濯、調理ができるのだ?」

 ウィルヘルミナは一度目を瞬かせてから、しばし考え込んだ。

(確かにオレは貴族だけど、でもオレの周りの人間は、こういう点では全く甘やかしてくれねー人たちばっかりだったからな。前なんか冬の北壁で、魔法の使用を禁止されたうえで洗濯や掃除をさせられたことあったもんな。まあ、あれは反抗してたオレへの罰みたいなもんだったけど、でもあれはマジできつかった。手や足がガチの凍傷になるところだったもんな)

 ウィルヘルミナは、過去に思いを馳せるようにして遠くを見ながら引きつった笑いを浮かべる。

 ラウリ、トーヴェ、イヴァールの三人は、全員が身分の高い貴族なのだが、壁の畔の特殊性のため、屋敷に常に家人を置いておくことは困難だった。

 それゆえ、三人ともが下男や侍女がするような仕事までこなせた。

 それに倣い、ウィルヘルミナも生活する為の術を一から叩き込まれているのだ。

 一年のうちに二度訪れる壁蝕の時期―――下男や侍女がいない時期には、魔法を禁じられたうえで水汲みや洗濯、湯沸かしや火起こしまでさせられて、まるで軍隊のような教育を受けてきていたのだ。この程度の事は朝飯前だ。

「一応貴族なんだけどさ、オレの場合ちょっと特殊なんだよ。逆にお前はさ、こういう面ではかなり甘やかされて育ってんのな。昨日お前が掃除する姿見てて思ったわ。お前マジで深窓の御令息なのな」

 からかうようにシシシと笑うと、ベルンハートがムッとした表情になった。

「これから覚えるから問題ない」

 かすかに唇を尖らせた表情を見て、ウィルヘルミナは思わず笑う。

(つか、こいつ基本的に真面目なんだよな。王子様が家事を覚えようとするか普通。それに、こんな質問してくるってことは、前にオレの事を詮索しないでくれっていったあの約束、ちゃんと守ってくれてる証拠だよな。律儀な奴)

「そっか、お前も覚えてくれるならオレも助かるわ。けど無理はしなくていいぞ。オレは別にこういうの苦じゃねーし。お前はお前のやるべきことを優先してやれ」

「私のやるべき事…?」

 ベルンハートは、小さく首をひねった。

「あのな、お前は命狙われてんの。殺されねえようにちゃんと腕を磨いとけってこと。お前簡単に殺されてやる気か? いつ敵が来ても返り討ちにできるようにきっちり鍛錬しとけよな」

 ベルンハートはかすかに目を見開く。

「ああ…そうか…」

 ベルンハートはそっと目を伏せた。

「そうだな…」

 そんなベルンハートを見て、ウィルヘルミナは呆れた様子で目を細める。

(やっぱりか、こいつまだ心のどこかで諦めてやがるな。何のためにオレがここまでついてきたのか、こいつまだわかってねーみてーだな)

 ウィルヘルミナは、今のベルンハートの言動から、諦めの気配を敏感に感じ取った。

 無論ベルンハートとて、素直に殺されてやるつもりはないのだろう。

 しかし、だからといって死に物狂いで生き残ろうとするような気概は全く感じられなかった。

 ウィルヘルミナは立ちあがり、ベルンハートの頭をスパンと叩く。

「急に何をする!」

 ベルンハートは不満をありありと浮かべて顔をあげたが、ウィルヘルミナは両腕を組んだままその目を見返した。

「おまえさ、まだ心のどこかで死んでやってもいいって思ってるだろ」

 ベルンハートは、驚きに目を見張る。

 そして、気まずそうに視線を逸らした。

(ほらな)

 図星を指された気まずさが、ベルンハートの態度からありありと感じられる。

 そして、ウィルヘルミナに対して、どこか負い目を持っているようにも感じられた。

 ウィルヘルミナは、呆れたようなため息を吐き出す。

 ベルンハートは、この期に及んでまだ生き抜くことを諦めているのだ。

 他人に迷惑や負担をかけてまで生き残ろうとする意思を持っていない。

 たぶん、まだ『死んでやってもいい』と思っているのだ。

 しかし、そんなベルンハートの諦めを、ウィルヘルミナは許すつもりはない。

「おまえさ、オレが何のためにここについてきたのかちゃんと理解してるのか? オレは、お前を死なせたくねーからここに来たんだよ。フレーデリクさんだってラガスさんだってカスパルさんだってそうだよ。トーヴェ先生やザクリスさんだってそう思ってる。だからこそ、みんな必死に活路を探してるんだ。なのに、当のお前がそんなんでどうするんだよ」

 ベルンハートは、唇を噛んだ。

「だが…私は皆に負担をかけたくない。どうせ私は生きることを望まれていないのだ。この先だって望まれることはない。だから私は、もういつ死んでも惜しくは――――」

 そこまで言いかけた時、パアンと乾いた音が響き渡った。

 ウィルヘルミナが、ベルンハートの頬を思いっきり引っ叩いたのだ。

(そんな言葉、お前の口からききたくなんかねえ!!)

 ウィルヘルミナは、みなまで言わせなかった。

(なんでだ? どうして伝わらないんだ?)

 ベルンハートは驚愕に目を見開き、叩かれた頬を押さえる。

「ふざけんな! 簡単に死んでもいいなんて言うんじゃねえ! 世の中には、生きたくても生きられねー奴がたくさんいるんだよ! どんなに死にたくねーって思っても、生きられねー奴がな! お前はまだ生きられんのに、簡単に命を手放そうとしてんじゃねーよ!」

 烈火のごとく怒るウィルヘルミナを、ベルンハートが呆然と見返す。

 ウィルヘルミナの怒りの理由を、いまだに理解できていないベルンハートを見て、腹の奥が熱くなる。

(どうやったらこいつに伝わるんだよ。なんでこいつは、こんなにも簡単に死のうとすんだよ!)

 ウィルヘルミナは、自分の無力さを痛感させられた。

 悔しさで、涙が滲んでくる。

(どうして…なんでだよ…)

 ウィルヘルミナは眉根を寄せ、こぶしを握り締めた。

 その時の事だ――――。

 突然ウィルヘルミナとベルンハートの間に人影が現れる。

 見慣れたその人影を見て、ウィルヘルミナはぎょっと目を見開いた。

「おまえ…!? イル!?」

 現れたのはイルマリネンだった。

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