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案内のために二人の前を歩くハンナは、時折後ろを振り返っては、申し訳なさそうな顔をする。
その理由は、案内された『特別な部屋』に着くなりすぐに分かった。
案内された場所は、教会学校の敷地内の隅にある物置といって差し支えないような、古びた小さな一軒家だった。
そこは周囲を木々や雑草で覆われており、日中であっても日が差し込むことの少ない陰気な場所で、外壁の一面に緑色の苔がへばりつき、ところどころ腐食までしていた。とても王族を滞在させられるような場所ではない。だからハンナはすまなそうな顔をしていたのだ。
(このボロさ…もしここが北壁だったら、凍死ルート一直線の物件だな)
薄い板を張りつけただけの粗末な家に、ウィルヘルミナは呆れたような表情になった。
(仮にもエルヴァスティ王家の第二王子を、よくもこんな家とも言えないような掘立小屋に住まわせようとしやがったな。呆れてものも言えねえよ)
ウィルヘルミナは、呆れたような半眼になって建物を見やる。
一方、ベルンハートはというと、絶句した様子で立ち尽くしていた。自分が住むことになるこの小屋のありさまを、受け入れられないでいるようだ。
(ベルのあんな顔初めて見たな。まあ、お坊ちゃんにはこの環境厳しいよな。けど、考えようによっちゃよかったかもしれねえな。この立地は、襲撃を迎え撃つにはうってつけだ。俺たち以外には誰も近寄らねえ場所だから、敵の判別も簡単だし、ここならそこそこ威力のある魔法使っても問題ねえもんな)
ウィルヘルミナはそんなことを考えていたが、ベルンハートは、相変わらず固まったまま粗末な家を見ている。
衝撃から立ち直れず、家の前で呆然と立ち尽くすベルンハートを尻目に、ウィルヘルミナは玄関のドアを乱暴に押し開けた。とりあえず換気をする。
そしてハンナを振り返った。
「一つ確認をしてよろしいでしょうか?」
ウィルヘルミナの口調は、従僕仕様のままだ。
学園内では、どこに敵の伏兵がいるかもわからない。
たとえ好意的に接してくれる人間であっても、態度を崩すつもりはなかった。
ウィルヘルミナの言葉に、ハンナはかすかに首を傾げつつ返す。
「はい、私にお答えできる範囲の事でしたら」
「聞くまでもないこととは存じますが念のため。この場所に魔法具の制限はございませんよね」
ウィルヘルミナが調べた限り、この周囲に魔法具の制限がある気配はない。だが、感知できないような失われた叡智があってはまずいと思ったため、念のため確認したのだ。
「もちろんです。ここにはなんの制限もございません。その…申し訳ございません。このような場所しかご用意できず…本当に申し訳ございません」
恐縮しきりといったハンナの様子に、ウィルヘルミナはかすかに吐息を吐く。
(こんなボロ屋に住めっていうんだから、本当なら文句を言ってやりたいところだけど、でも、この人に当たってもしょうがねーんだよな)
「いいえ、貴方に謝っていただく必要はございません。しかし、もし申し訳ないと思っていらっしゃるのでしたら、少しお手伝いいただけませんか?」
「はい! もちろんです。私にできる事でしたら何なりとお申し付けください」
パッと表情を明るくしたハンナに、ウィルヘルミナは掃除の手伝いと、寝具と食材の調達を頼んだ。
本来食事は、学校に申し込めば三食用意されるのだが、ベルンハートの立場を考えると毒の混入を警戒しなければならない。そのため、ウィルヘルミナが調理することにしたのだ。
幸いこの一軒家には台所や風呂などもあり、生活のために必要な最低限の設備はすべて整っている。古くて汚いことに目を瞑れば、そう悪いものでもない。
ウィルヘルミナの推測では、この建物は住み込みで働く下男のために用意された住居ではないかと思われた。
(ちゃっちゃと掃除すませとかねーとなー)
不平を抱きつつも、状況を受け入れつつあるウィルヘルミナに比べ、ベルンハートの方はまだ現状を受け入れることができないようだ。
ベルンハートは、相も変わらず呆然とした表情のまま、じっとボロ屋を見つめるばかりだった。
(あーあ、ベルの奴放心しちゃって。やっぱこういうところはお坊ちゃまだよな)
ハンナはそんなベルンハートの様子に気づき、申し訳なさそうな表情のままウィルヘルミナに断りを入れ、ひとまず事務所に戻っていく。
寝具と食材の準備がてら、他にも必要であろう備品を用意しに行ってくれたのだ。
(三人でやれば、今日中には何とかなるかな)
家の主が不在となってからかなり時間が経っているのか、埃や傷みが酷い。
だが、掃除をすれば住めないこともなかった。
「おーい、ベル。放心してる場合じゃねーぞ。さっさと掃除にとりかからねーと、今晩きたねー寝床で寝ることになんぞ」
ベルンハートは小さく息をのみ、ゆっくりとウィルヘルミナを振り返る。
「こんな場所に…本当に住まねばならぬのか…?」
めずらしく弱気のベルンハートを見て、ウィルヘルミナはぷっと噴き出した。
「ベル、そんな情けねー顔すんなよ。大丈夫だって、掃除すりゃ少しはましになるさ。だからほら、ちゃっちゃと手を動かせよ。こんな埃まみれの部屋で寝たくねーだろ?」
掃除用具をベルに押し付けると、ベルの顔が引きつり歪んだ。
「私も掃除をするのか?」
「あったりめーだろ。働かざるもの食うべからず。何にもしねーやつが飯が食える程、世の中甘くねーんだよ。お前、この学校では一般生徒と変わらない扱いなんだからな。オレを連れてこられただけマシだと思え」
実は、ベルンハートの入学をめぐり、フレーデリクと学校との間で一悶着あった。
フレーデリクが、ウィルヘルミナをベルンハートの従僕として連れて行く手続きをすすめようとした時に、教会上層部から横やりが入ったのだ。
学校側は、王家の一員が教会学校に入学した前例がないことと、国側から一般生徒と同じに扱ってよいと言質を取ってあることを理由に、たとえエルヴァスティ家の第二王子といえども、一般生徒と同等の扱いとする。そのため、従僕の付添は認められないと言ってきたのだ。
本来ならベルンハートは、複数人の侍従や護衛を連れていても文句を言われない立場の人間だ。
これにはフレーデリクも大いに憤慨していた。
しかし、あまり事を荒立てて、ベルンハートの学校での立場が悪くなることを危惧し、同行するのは従僕一人なので、特例として認めてほしいと嘆願し、ようやくウィルヘルミナの同行を許可してもらうに至ったのだ。
教会側としてもただの嫌がらせ程度の話であり、そもそもベルンハート単身での入学を想定してはいなかった。
学校側とて、ベルンハートの世話係を用意するつもりはなかったのだ。
そのため、ウィルヘルミナの同行が決まってからは、それほど難癖をつけられることもなかった。
だが、最後に来てこの状況だ。
きっと教会側は、今まさに溜飲を下げているに違いない。
(ベルが教会に何か悪さしたわけじゃねーんだけどな。坊主憎けりゃ袈裟まで憎いってところかな。子供相手に大人げねーことするよな教会も)
ウィルヘルミナは内心で呆れつつも、ベルンハートの背中を押した。
「ほら、ボーっとしてんなよベル。とっとと仕事しろ」
ベルンハートは、げんなりした表情で不承不承掃除を開始した。
掃除をしたことがないベルンハートはあまり役には立たなかったが、ハンナの助力の甲斐あって、夕方までには一通りの掃除が終わった。
ベルンハートなどは、もはや言葉もなく、ぐったりと疲れた様子で椅子に座っている。
そんなベルンハートを見て、ウィルヘルミナは苦笑を浮かべていた。
「ハンナ様、お手伝いいただきありがとうございました」
ウィルヘルミナが、慇懃な態度でハンナに礼を言うと、ハンナは慌てた様子で首を横に振る。
「滅相もございません。それに私に敬称は不要でございます、レイフ様。お役にたてたのでしたら光栄でございます」
ハンナは市民――――商家の出であるらしい。
片やウィルヘルミナは、従僕とはいえ第二王子に仕えていることから、貴族であると判断された上でのハンナの対応だった。
「よろしければ夕食の御仕度もお手伝いいたしましょうか?」
本当ならありがたい申し出だが、そろそろウィルヘルミナも堅苦しい言葉づかいに疲れていた。
そのため断りを入れる。
「大変ありがたい申し出ではございますが、お気持ちだけ頂戴いたします。本日はご助力いいただき誠にありがとうございました」
失礼のない程度に頭を下げた。
「いえいえ、こちらこそこのような場所しかご用意できず申し訳ございません。もし今後も何か御用がございましたら遠慮なくお申しつけください。では失礼いたします」
そう言い残し、ハンナは帰っていった。
ハンナがいなくなるなり、ウィルヘルミナは盛大なため息を吐き出す。
「あー疲れた。しんど」
そう言って、どかりと椅子に座った。
「疲れたのならどうしてさっきの申し出を断ったりした。せっかくだから夕食も頼んでしまえばよかっただろう」
「この疲れは気疲れなんだよ。これ以上あらたまった口きいてられっかよ。マジでしんどいわ。猫かぶんのも一苦労だぜ」
するとベルンハートが苦笑する。
「ああそうだな。確かに見事な化けっぷりだった。これからもその調子で頼むぞ」
「わかってる、任せとけ。お前以外の人間には正体ばれねーように気をつけとくから」
その後二人は休憩をはさんだ後に夕食の支度に取り掛かった。
料理など一度もしたことのないベルンハートは、ただ感心した様子でウィルヘルミナの手際を見ているばかりだった。




