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移動におよそ二週間を費やし、一行は無事ラハティへと到着する。
カスパルとザクリスは、ウィルヘルミナたちと共にラハティの町に残る事になるが、トーヴェとラガスは違った。早速イーサルミの王宮へと向かわなければならない。ベルンハートの護衛を奪う目的のこの決定に、トーヴェとラガスが逆らうことはできないのだ。
「ベルンハート殿下、我々が同行できるのはここまで、無念ですがここでお暇させていただきます。殿下に置かれましては、どうかご壮健であられますよう」
そう言ってラガスが膝を折る。トーヴェもそれに倣った。
「ああ、お前たちもな」
ベルンハートは、穏やかな微笑を湛えながら応える。
ラガスが、ぐっと奥歯を噛みしめて、さらにこうべを垂れると、その肩にベルンハートが手を置いた。
「お前たちはよくやってくれた。感謝してもしきれぬ。本当にありがとう」
ベルンハートの、まるで最後の別れの挨拶のような言葉に、ラガスが弾かれたように顔を上げる。すると、ベルンハートの静かな微笑みとかち合った。
ラガスは、胸にせり上がる何かをこらえるように、ギュッと眉根を寄せる。
「もったいないお言葉です。私がふがいないばかりに……申し訳ございません。殿下、どうか…どうか…」
『ご無事で』と続けようとするラガスの言葉を遮るようにして、ベルンハートが首を横に振った。その表情には『自分を責めるな』とそう書いてある。
「さあ、もう立て。お前たちも急がねばならないだろう」
二人のイーサルミへの召集の刻限はとうに過ぎていた。これ以上の猶予は最早ない。
ラガスが悔しそうに奥歯を噛みしめた。
「もう行け。私なら大丈夫だ。こいつもいることだしな」
ベルンハートは、そう言ってウィルヘルミナをちらりと一瞥する。その視線を受けて、ウィルヘルミナがニカッと笑った。
「おう、任せとけって」
ウィルヘルミナがそう請け負うと、ラガスは未練を振り切るようにして立ち上がる。
「ベルンハート殿下の事を、くれぐれもお頼み申します」
「わかってるって、そんなに心配すんなよ」
ウィルヘルミナは安心させるように言ってからラガスの背後に回り込み、後ろからその大きな背中を押して急き立てた。
「これ以上遅れたら、またいらねー難癖つけられることになるかもしれねーだろ? もう早く行ったほうがいいって。ベルの事なら俺がちゃんと守るから」
ラガスはもう一度『お頼み申します』と念押ししてから馬上に戻る。
「殿下、どうかご無事で」
そう言い残し、別れを惜しみながらも、その足で二人は王都イーサルミへと出発した。
「さて、オレたちも行くとするか」
ベルンハートは、小さくなるラガスとトーヴェの背中を、いつまでも見送りながら無言でうなずいた。
トーヴェとラガスと別れてから、ウィルヘルミナたちは数日間ラハティの町の宿屋に滞在していた。それは、今後の打ち合わせをするためだ。連絡方法や、緊急時の対応などについて色々と対策をしつつ、その一方で、張りつめていた緊張を解き、しばしの間羽を休めていた。
つかの間の休息の後、ウィルヘルミナとベルンハートは、教会学校へと向かう。
雲一つない晴天の下、二人は教会学校の前でザクリスとカスパルと別れると、古めかしい教会学校の門をくぐった。
ベルンハートが前を歩き、その後ろを荷物を持ったウィルヘルミナがついて歩く。
ラハティは、もともと司教座都市として発展していた都市であるが、今は自由都市として自治権を獲得していた。その歴史ゆえ、教会の影響力の強い場所だ。
ラハティは東壁でも有数の大都市で、規模は二十万人とカヤーニには劣るものの、交易が盛んな都市であるため、大陸中のあらゆる人種が集まっていた。
おかげで、金髪碧眼という北壁人の特徴が顕著なウィルヘルミナの姿でも、悪目立ちすることはない。
それは教会学校内でも同じで、門をくぐるなり生徒と思しき子供たちが大勢行き交っていたが、誰もウィルヘルミナとベルンハートの存在を気に止めることはなかった。
「レイフ、くどいようだが、ここでの振る舞いは、私の従僕としてきちんとわきまえたものにしろ。いいな? お前の場合、そこがかなり心配だからな。口をきくのは必要最低限でいい。でなければすぐにぼろがでるだろうからな」
(このやろー、オレの事なめてんな。オレはやればできる人間なんだぞ)
内心では不満たらたらだったが、ウィルヘルミナは取り澄ました顔に変わり、見事に表情を消す。
そして――――。
「かしこまりました、ベルンハート殿下」
慇懃な所作で首を垂れると、ベルンハートが信じられないものを見るような目つきでまじまじとウィルヘルミナを見た。
ウィルヘルミナは内心で舌を出しながらも、表面にはおくびも出さない。
(どうだ、まいったか。オレだってこれくらいできんだよ。お爺様たちの前では、さんざん猫をかぶってきたし、これでも貴族としての振る舞いをずっと叩き込まれ続けてきてるんだからな。なめんな)
ベルンハートは、驚いた表情のまましばらくの間固まっていたが、やがて笑い出した。
(何笑ってんだこのやろー。オレには似合わねえとでもいいてーのか!!)
内心ではかなり腹を立てていたものの、ウィルヘルミナは表情を消したまま慇懃な態度を崩さない。
ベルンハートは声を上げて笑っていたが、やがて腹を抑えながら笑い涙を拭い、ウィルヘルミナに向き直った。
「お前は本当に見ていて飽きないな。それに意外だった。なるほど、安心した。これからもその調子で頼むぞ」
そう言うと、ベルンハートは表情を引き締めて再び歩き出す。
「承知しました」
ウィルヘルミナは短く答え、取り澄ました表情のままベルンハートの後につき従った。
歴史を感じさせる古びた建物に入ると、ベルンハートは偶然通りかかった使用人風の男を呼び止めた。男に入学の手続きのために来校した旨を伝えると、二人は奥へと案内される。
事務所といった体の部屋の前に連れて行かれたが、扉を指さされただけで何の説明もないまま使用人風の男は立ち去ってしまった。
ベルンハートは、気後れすることなく事務所の扉を開けて中に入る。
中には、法服によく似た黒い服をまとった数人の大人たちが、書類を相手に仕事をしていた。
ベルンハートが現れると、一人の女性が椅子から立ちあがり、二人に近寄ってくる。
「どうかいたしましたか? 何かご用事ですか?」
優しげな面差しの若い女性が、控えめな微笑みを浮かべながら声をかけてきた。
ベルンハートが自らの名前を告げ、入学の手続きをしたい旨を伝えると、女性は驚いた様子だったが、すぐに手続きのための書類を用意し始める。
すると、その後ろから、突然年老いた陰気な男が現れた。女性を邪魔だとばかりに横に押しやり、ベルンハートの前に立つ。
女性を突き飛ばすというありえないその態度に、ウィルヘルミナは瞬時にして怒りを覚えたが、しかし、従僕という今の自分の立場をわきまえて、老人相手に態度に出すのは思いとどまった。
だが、ベルンハートの場合はそんな気遣いをする必要もないので、こちらは不快感をあらわにして両腕を組み、大仰に眉をひそめて見せる。
陰気な老人は、そんなベルンハートの態度を無視して上から下までじろじろと見まわし、馬鹿にするように鼻を鳴らした。
「貴方がベルンハート・エルヴァスティ殿下ですか。お話は伺っております。入学と入寮を希望されているとか。しかし、生憎一般寮は満室でして、本来ならば入寮はお断りいたしますところですが」
もったいぶったように、そこで一度言葉を切ってニヤニヤ笑いを浮かべる。
「しかし、我々も鬼ではございません。遠方よりおいでですのに、急遽お住まいを用意するのも難しいでしょうから、我々が殿下のために特別なお部屋を用意してございます。ハンナ、ご案内なさい」
陰気な老人はそう言って、先程自らが突き飛ばした女性――――ハンナを一瞥する。
「…え…?」
ハンナはすぐには理解できない様子で、怪訝な表情で陰気な老人を見上げた。
「満室…? それに…特別なお部屋とは…いったいどちらの事でしょうか」
「西の外れにある、あの建物の事だ!!」
「西の…? …え? まさかあそこのことですか!?」
ハンナが驚きに目を見開く。
「つべこべ言わずに、さっさと連れていけ!」
「ですがあそこは――――」
納得がいかない様子でハンナが抗弁しかけたが、陰気な老人がギロリとハンナを睨んだ。
皆まで言わせず、声を張り上げてハンナを恫喝する。
「この私に口答えをするのか!? 女は黙って従え!」
陰気な老人は鼻息も荒くハンナをしかりつけた。
ハンナは小さく息をのむ。
(なーんか、このやり取りでわかっちゃった感じだな。きっとこのじじい、ベルに嫌がらせしようとしてんだろうな。事前にフレーデリクさんから聞いてた話では、この学校は通学の生徒が多いから、入寮する生徒は少ないって聞いてるもんな。満室ってのはウソ。おまけに、この女の人の態度から察するに、その用意されてる特別な部屋にかなり問題があんだろーな)
ウィルヘルミナは、冷めた表情で陰気な老人を見ていた。
すると、老人のあまりな態度に見かねたベルンハートが、横から口を挟む。
「私はどんな部屋でも構わない。場所が分からないので、案内していただけると助かる」
(おー、さすが王子様だな。対応がスマートだ。さりげなくハンナさんを助けられてポイント高いな。それに比べてこの下品なパワハラじじい…。後でこっそり殴ってやろうか)
「行くぞレイフ」
ベルンハートは、ハンナの返事を待たず踵を返した。
ウィルヘルミナは、慇懃な態度で荷物と共にベルンハートの後ろに従う。
ハンナはというと、まだ何か言いたげな様子だったが、諦めたように部屋を出て、案内のためベルンハートの前を歩きはじめた。




