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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 日々はあっという間に過ぎ去り、今日はいよいよラハティに出立する日となっていた。

 ロズベルグ侯爵邸の前には、旅支度を整え終えた一団と、見送りの者の姿が見える。エルヴァスティ王家の第二王子の出立だというのに、地方貴族の壮行並みに簡素なものだった。

 随行人数は必要最低限であるし、見送りの人数も少ない。

 ベルことベルンハートの、大仰にしたくないという意向を反映したものであるとはいえ、あまりにも寂しい光景だった。

 フレーデリクが、涙を堪えた表情で、旅装姿のベルンハートの前に跪いている。

「殿下、ご健勝を心よりお祈り申し上げます」

「フレーデリク、お前には色々と世話になった。感謝する」

「勿体ないお言葉です。このフレーデリク、お声かけくだされば、地の果てまでも馳せ参じます。有用の際には必ずお呼び下さい」

「ああ、わかった」

 そしてベルンハートは、ロズベルグ邸の使用人たちを見回した。

「お前たちも世話になった。母上の事、頼んだぞ」

 使用人たちは、涙を浮かべてベルンハートの出発を見送る。

 ベルンハートは、かすかな微笑みだけを残して踵を返した。

 そしてウィルヘルミナたちの元に歩み寄る。

 向かった先に待ち構える一行には、ザクリス、トーヴェ、ラガス、カスパルの姿があった。

 ザクリスとカスパルは、ラハティでベルンハートの後方支援をする予定だが、トーヴェとラガスは違う。二人はイーサルミに召集されているのだ。

 しかし、今回二人は、叱責と処分を覚悟でラハティまでベルンハートを送り届ける事に決めていた。

「お別れはもういいのか?」

 ウィルヘルミナが声をかけるとベルンハートはうなずく。

「ああ」

「そうか、じゃあ行くか」

 ベルンハートは馬に乗り、ロズベルグ邸を出立した。



 ベルンハートの一行は、馬車ではなく馬で移動していた。

 快晴の空の元、一団はゆっくりと馬を走らせている。そこに悲壮感はなく、まるで貴族の遠乗りといった気軽な風情だ。その明るい空気の一端は、間違いなくウィルヘルミナにあった。

 ウィルヘルミナは、不意に馬の腹を蹴ると、ベルンハートの隣に寄って並走させる。

「なあベル、オレもベルンハート様って呼んだ方がいいのか?」

 ベルンハートは、肩をすくめてみせた。

「お前にそんなふうに呼ばれると気持ちが悪いな。しかし、教会学校では私の従僕役を務めるのだから、他人の目がある場所ではそう呼んでもらわねばならない。だが、誰もいない場所では、今まで通りベルのままでいい」

「そっかぁ、助かった。オレ、今更お前の事『様』付けで呼ぶの抵抗あったんだ」

 ウィルヘルミナは、胸をなでおろしながらカラカラと笑う。

 そんなウィルヘルミナを、ベルンハートがっむっつりと横目で見やった。何か思うところがあるようだが、口には出さない。

「それにしても、日頃のベルの態度からして、さぞや身分が高いお坊ちゃんなんだろうとは想像してたけど、まさか王子様だったとはなー。でも『王子様』かー。オレはじめてみたわー」

 何故だかぷっと噴き出しながらウィルヘルミナがそう言うと、ベルンハートはすっと目を細め、ウィルヘルミナを睨みつけた。

「なぜ笑う。いったい何がおかしい。お前は失礼極まりない男だな」

 ベルンハートが、ウィルヘルミナのことを『男』と称した時に、ザクリスとトーヴェの二人だけは微妙な顔に変わる。

 しかし、当のウィルヘルミナはというと違和感なく受け入れていた。

「あ、わりーわりー、ついな。なんかベルに似合ってるような気もするし、似合わねーような気もするし。『王子様』呼びされてるところを想像してみたら、なんか笑えてきてさ」

 すると、ベルンハートが額に青筋を浮かべる。

「王子『様』などという呼び方をされたことは一度もない」

「なんだそうなのか? ベルがそう呼ばれてるところ聞いてみたかったのにな。残念」

「お前は、いったい私の事を何だと思っているんだ」

「へ? だからベルンハート王子様?」

 おちょくったわけではなく、素で答えてきょとんと首を傾げると、ベルンハートの表情がさらに苛立ったものに変わった。

 しかし、その怒りを口にすることはない。バルンハートは、何かを言いかけて一度口を開くも、しかしすぐに口を閉じてむっつりと黙り込み、プイと顔を背ける。すると、今度はウィルヘルミナの方が面白くなさそうな顔に変わった。

「おい、お前のそういうところよくないぞ。なんか言いたいことがあるならはっきり言えよ」

「別に言いたいことなどない」

「うそつけ、ぜってーなんか言いたいことがあんだろ」

「どうせお前に言ったところで時間の無駄だ」

「またそれかよ。無駄かどうかは言ってみなきゃわかんねーだろ」

 そう言うとベルンハートは、一際冷たい目でウィルヘルミナを睨みつけた。

「では言わせてもらおう。お前は馬鹿か」

「はあっ!?」

 ウィルヘルミナの顔が一瞬にして怒りに染まる。

「てめーケンカ売ってんのか?」

「喧嘩を売った覚えはない。ただ聞いてみただけだ。お前の言動が、あまりにも馬鹿馬鹿しいものだったのでな」

「ざけんなこのやろー。お前の方が失礼じゃねーか。だいたい馬鹿って言う方が馬鹿なんだからな」

 ベルンハートは、疲れた表情で長いため息を吐きだした。

「こういう不毛な言い合いになることがわかっていたから黙っていた。それをお前の方が無理やり聞き出してきたのだろう?」

「はあ!? オレのせいかよ!? お前がケンカ売ってきてんじゃん!! お前マジで性格わりーよな。だから友達の一人もできねーんだよ」

「では聞くが、お前のその性格で、友達とやらは大勢いるのか?」

 ウィルヘルミナはぐっと言葉を詰まらせる。

 周囲に同年代の人間がいなかったせいもあって、この世界での友人は今のところベルンハートしかいない。

 それを察したベルンハートが、にやりと笑った。

「なるほど、お前、友人がいないのか」

「うっせー、お前もだろーが! 人のこと言えねーだろ!」

「そうだな。だが、お前も人の事は言えないはずだがな」

「このやろー、ベル、お前全然可愛くねーぞ!」

「お前に可愛いなどと思われたくはないな」

「はあ!?」

 そうやってぎゃいぎゃいと元気よく言いあう二人を、大人たちは少し離れた位置から微笑みを浮かべて見守っていた。

 ラガスなどは、とても嬉しそうに目を細めている。

「殿下はラハティ行きが決まって以来、ずっと塞ぎこんでおられましたが、レイフ君のおかげで元気が出たようですね」

 側に居たカスパルに向けて、ラガスがそう言った。

 カスパルが、その言葉を受けてうなずく。

「あのように楽しげな殿下の姿を、私は初めて拝見しました」

 カスパルの言葉に、今度はザクリスが穏やかな表情でうなずいた。

「レイフ君はとてもいい子なので、ベルンハート殿下も一緒に居るだけで楽しくなれるのでしょうね。私も、二人を見ているだけで心が温かくなごみます」

 トーヴェは、そんな会話を受けて無言のまま微笑みを浮かべ、眩しいものを見るかのように目を細めながら言い合う子供たちを眺めている。

「この幸せがずっと続けばよいのですが」

 カスパルがそっとつぶやき、視線を地面に落とした。

 ラガスがまじめな顔に戻ってザクリスに向き直る。

「教会学校では、我々の目がなかなか行き届きません。学校に潜入できる人員を手配していますが、すぐには難しい状況です。また、レイフ君の都合もあるでしょうから、彼に代わる人材も探していますが、そちらもかなり難航しています。我々も可能な限り全力で援護致しますので、どうかベルンハート殿下の事をお助けください。何卒、よろしくお願い申し上げます」

 頭を下げられたザクリスは、困った顔になった。

「もちろん私も協力は惜しみませんが、どうぞ顔を上げてください。私にそのように頭を下げられては困ります。今回の件は、全てレイフ君の肩にかかっています。ですから、そういうことは、どうぞレイフ君に」

「もちろんレイフ君にも、後ほど改めてお願いいたします。しかし、今回の件はあなたの機転があったからこそ突破口が開け、事態が好転したのです。感謝してもしきれません」

 そう言って、ラガスは再びベルンハートに視線を戻す。

「もしあなたとレイフ君がいなければ、殿下は全てを諦めておられたでしょう。いや、今でも我々に命の危険が及ぶとなれば、簡単に諦めてしまわれるはずです。あの方はそういう方なのです」

 ラガスは眉根を寄せて視線を伏せた。

 それを見たザクリスは、首を横に振る。

「大丈夫ですよ、そういうご心配には及びません。きっとレイフ君が、ベルンハート殿下に最後まで諦めさせたりしませんから。あの子はそういう子なんです」

「そうですね。とても気持ちのよい子ですね」

 ラガスもカスパルも、微笑みを浮かべてウィルヘルミナを見る。

 トーヴェだけはずっと無言だが、どこか誇らしげな笑みを一人浮かべていた。

 そこに、ウィルヘルミナが馬の速度を落とし、大人たち四人の側に近寄ってくる。

「なーザクリスさん、オレとベルってどっちが女顔だと思う?」

 突然、脈絡もなく話を振られたザクリスは、驚いた顔で一度口を閉じた。

 じっと見つめてくるウィルヘルミナに、ザクリスはしかたなく問い返す。

「えーと、どうしてそんな話になったのかな?」

「ベルの可愛げがないって話をしてて、そしたらベルがオレの方が可愛げがないって言いやがって、オレは男だから可愛いじゃなくてかっこいいんだって言い返したら、ベルがオレの顔を女みたいだなんて言い出しやがったんだよ。でもさ、ベルの方が女顔だと思わねえ?」

 だいぶ端折ってありそうな中身のない話に、強引に同意を求められたザクリスは、困った顔のまま言葉を探す。

 だいたいウィルヘルミナが少女であることを知っているはずのザクリスに、どうしてこういう話を振ってくるのだろうと、ザクリスは内心で酷く困惑していた。

「なんだよザクリスさん、まさかオレの方が女顔だっていう気か? ベルの方が女顔だろ!?」

「えーと、うーん、それはどうかなぁ…」

「ザクリスさん、はっきりしねーな。もういいよ。じゃあさ、ラガスさんとカスパルさんはどう思う? どっちが女顔?」

 答えにくい質問を正面からぶつけてくるウィルヘルミナに、二人は思わず苦笑した。しかし、ベルンハートの突き刺さるような視線を感じて、二人とも答えることができない。

「そうですね…トーヴェ殿はどう思われますか?」

 ラガスが、苦心してそう言葉を絞りだす。

 聞かれたトーヴェは、無表情のまま半眼になってウィルヘルミナを見た。

「至極どうでもいい話ではありますが、そうですね、私はレイフ君の方が女顔だと思いますよ」

(先生!! それ、オレが女だから言ってんだろ! その意見は認められねえ!)

 しかし、ベルンハートは『ふふん』とでも言いたげな得意げな顔になる。

 ウィルヘルミナは、ギリギリと悔しげに歯を噛みながらベルンハートを睨みつけた。

「オレ、トーヴェ先生には聞いてねえ。だから今のは無効な」

「なぜトーヴェの意見だけ無効になるんだ。彼の意見も客観的な判断の内の一つだろう」

「トーヴェ先生の意見は、全然公平じゃねーの!!」

 トーヴェは、あからさまなため息を吐き出す。

「公平な判断のつもりですが、いったい何がご不満なのですか?」

「不満しかねえよ!」

「まったくいい加減にしなさい。私以外のお三方に意見を求めたところで、答えてはいただけないと思いますよ。これ以上くだらない争いはもうおやめなさい。巻き込まれる人間の方が迷惑です」

 ウィルヘルミナはぐっと喉を詰まらせ、トーヴェを不服そうに睨みつけた。

「だって全然公平じゃねーんだもん! ベルはどっからどう見ても女の子じゃん!! 美少女じゃん!!」

「いいえ、全く女性には見えません」

 きっぱりと言い切る。

(くっそー、トーヴェ先生!!)

 悔しそうに歯噛みするウィルヘルミナを見て、ベルンハートが声をあげて笑った。

 ラガスとカスパルは、呆気にとられた様子で、声をあげて笑うベルンハートを見つめる。二人は、屈託なく笑うベルンハートの姿を初めて見たのだ。

「全く、お前は見ていて飽きないな。そんなくだらないことに、どうしてそこまでこだわることができるんだ?」

「てめー、くだらねーと思うなら、オレに勝ちを譲れ」

「勝ち負けではないと思うが…そうだな、それをお前に譲るのは癪に障るな。だから譲れんな」

 にやりと笑うベルンハートをウィルヘルミナは睨みつける。

「んだよ、じゃあくだらなくねーじゃん!! お前だってこだわってんじゃんか!!」

 再びぎゃいぎゃいと言い合いをはじめる二人を見て、ラガスとカスパルは嬉しそうに笑った。

「声を上げて笑う殿下を見たのは初めてですね。これもレイフ君のおかげか。彼には感謝してもしきれないな」

 ラガスが言うと、カスパルもうなずく。

「殿下の元気が出たご様子でよかった。レイフ君に出会えて本当によかった」

 ザクリスとトーヴェも、呆れ半分に笑いながらも、じゃれあう二人を優しい目で見つめていた。


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