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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 トゥオネラと呼ばれるこの世界には、トゥルク王国という国が存在する。

 トゥルク王国には六つの貴族位が存在し、一番上の位を辺境伯爵と呼んだ。

 この辺境伯爵家はトゥルク王国に四家存在し、通称四壁(しへき)と呼ばれている。

 彼らは、国を守護するという重要な役割を担っており、王家と同等の政治力を持つ特別な貴族であった。

 何故四壁と呼ばれるのかを説明するには、トゥオネラの成り立ちについて触れねばならない。

 トゥオネラという人間の住むこの世界は、かつて魔物たちの跋扈する混沌とした世界であった。

 人間は日々研鑽をつみ、魔法という魔物への対抗手段を開発したのが、しかし悲しいかな人間は、いかに努力しようとも魔物よりも非力で、そのため常に絶滅の危機にさらされていた。

 そんな時、ある一人の男が立ち上がった。それは、勇敢にして偉大なる召喚士ペルクナスである。

 召喚士というのは魔術師の上位職で、到達できる人間はほんの一握りと言われている優れた魔術師の別名でもある。

 通常魔術師というのは、魔法陣を使ってトゥオネラに存在する精霊を呼び出して契約を行い、その魔法を行使することのできる者のことを指すが、しかし召喚士は、異界の神獣と契約を結び、その能力を行使できる者の事を言うのだ。

 神獣は、精霊とは全く別の生き物で、自我が発達しておりかなり契約が難しい。

 例えば精霊は、魔法陣で呼び出すことさえできれば契約はさほど難しくない。対価として魔力を与えれば、難なく契約を交わすことができる。ただし、上位に行けばいくほど必要な魔力量が増えるので、必ずしも契約できるというわけではないのだが、仮に失敗したとしても死ぬことはない。

 だが、神獣の場合は違う。

 たとえ運よく召喚できたとしても、神獣に認められなければその時点で殺されてしまうのだ。

 それゆえ、召喚士の名を冠することのできる魔術師はそうそういない。

 召喚士ペルクナスは、神獣の中でも上位の力ある神獣と契約を結ぶことに成功し、その力を使って魔物の侵入を防ぐ広大な結界を張ったのだ。

 この結界を、現代では『壁』と呼んでいる。

 壁は、広大なトゥオネラを囲むようにぐるりと張り廻らされており、今でもしっかりと機能している。

 ただし、この結界はその効力を長い年月持続させるために、一定の期間弱まる時期があった。生き物が眠って疲労を回復させるように、結界も一時的に弱まり、力を貯める期間があるのだ。

 その時期を『壁蝕(へきしょく)』と呼んでいる。

 壁蝕の時期は、結界が薄くなった部分を下位の魔物が通過し、トゥオネラに侵入してくる。

 この侵入してきた魔物たちを討伐し治安を守っているのが、トゥルク王国を中央に据え、東西南北に配置されている辺境伯爵四家なのだ。

 この四家は、王国を守る壁の役を担っていた。

 それゆえ人々は、尊敬をこめて彼ら四家を『四壁』と呼んでいる。

 東は東壁ベイルマン辺境伯爵家、西は西壁カルヴァイネン辺境伯爵家、北は北壁ノルドグレン辺境伯爵家、南は南壁ラムステッド辺境伯爵家。

 この四家は、エルヴァスティ王家に比肩する力を持つ、由緒正しき辺境伯爵家なのだ。

 そんな王国を守る立場にあるはずの辺境伯爵家が、今では王家と対立する立場にあった。

 そこに至ったいきさつを説明するにはかなりの時間を要する。

 端的に説明するならば『社会変動』の一言に尽きた。

 長い年月をかけ、社会構造が変わってしまったがために生まれた軋轢――――。

 それゆえ対立の構図は根深く、簡単には解きほぐせない複雑な事情が、いくつも絡み合っている。

 トゥオネラは今、人類の結束を試されている状況と言っても過言ではない。一つ間違えば、王国が瓦解してしまうような瀬戸際にあった。

 そんな現状を憂慮し、ラウリのように落としどころを模索する者もいるのだが、しかし、北壁一つをとってみても権謀術数を駆使した足の引っ張り合いをしているというのが実情で、今は解決の糸口すらつかめてはいない。

 ラウリたちの健闘は焼け石に水といった体であるのだ。

 その苦労を知ってか知らずか、ウィルヘルミナは腑抜けた表情で暖炉の火にあたっていた。

 そう、由緒ある北の辺境伯爵家の令嬢ともあろう者が、地べたに胡坐をかいたまま座り込み、まるで疲れ切った中年男のように背中を丸め、暖炉の火にあたってほんわかしていたのだ。

 そんなウィルヘルミナの背後で、椅子に腰かけていたイヴァールが突然音もなく立ち上がった。静かに洗練された所作で壁際に移動し、背筋を伸ばしてから慇懃に首を垂れ、屋敷の主を迎え入れる。

 ラウリが帰宅したのだ。

 ラウリは、雪でぬれて額に張り付いたプラチナブロンドの髪を、鬱陶しそうにかき上げながら、音もなく部屋に足を踏み入れる。

 厳格な気性を如実に表す鋭い眼光で部屋の中をぐるりと見渡し、暖炉の前で床に座り込むウィルヘルミナの姿を見つけるなり片眉を跳ね上げた。

 ラウリは、普段から額に刻まれている眉間の皺をさらに深くし、これまた普段から真一文字に引き結ばれているその口元を、さらに強く引き結んだ。

 不意に足を止めたラウリの背後で、一緒に部屋に入ってきていたトーヴェは、戸惑うようにして足を止め、ラウリの肩越しにその視線の先をたどる。

 そして、ウィルヘルミナの腑抜けきった姿を見つけるなり、一瞬ギョッとした顔に変わった。すぐに目元を手のひらで覆うと『やっちまったな』という感じで天を仰ぐ。

 トーヴェだけは、憐れむような表情をしていたのだが、イヴァールは無表情の鉄仮面。ラウリにいたっては夜叉のような顔で額に青筋を立てていた。

「ふぁー、ぬくい」

 いまだラウリの帰宅に気づいていないウィルヘルミナが、暖炉に手をかざして気の抜けきった表情でつぶやくと、その声に応じた者がいた。ラウリである。

「ほう、それはよかったな」

 声を拾ったウィルヘルミナは、驚いた猫のようにぎょっとした表情で飛び上がって立ち上がり、すばやく声のした方向を振り返った。

 そして、視界にラウリの姿を捉えてひきつった表情に変わる。

「げっ!! オ…オジイサマ…」

 思わず出てしまった「げ」という失言に、自分でも大いに慌てながら、ウィルヘルミナは冷や汗を浮かべつつ取り繕うようにして上品に口元を手で覆う。

 しかし、時はすでに遅かった。

 すでに色々な過ちを犯してしまっているウィルヘルミナには、もはや挽回できるような余地は全く残っていない。

 ラウリは冷然とした表情で、重々しく口を開いた。

「今『げ』などという淑女にあるまじき発言が聞こえたが、私の聞き間違いではないな?」

 ラウリはいかめしく両腕を組み、冷たい表情でウィルヘルミナを見下ろしている。

 しかし、問いかけたのはウィルヘルミナに対してではなく、イヴァール、トーヴェ両人に対してであった。

 イヴァールは、無表情のまますぐさま頭を下げ、慇懃な態度で答える。

「はい、私の耳にもそう聞こえました」

 ウィルヘルミナは、はじかれたようにイヴァールを見た。

(ごるぁっ!! 陰険クソ眼鏡!! この童貞!! てめーはいつもそうだよな!!)

 ウィルヘルミナは、穏やかではない内心の思いを視線に乗せてイヴァールを睨みつける。

 しかしイヴァールは完全無視を決め込んでいた。まるで自業自得だといわんばかりの冷たい態度だ。

 対してトーヴェの方は、少しだけ返事を躊躇っている様子だった。短く刈りあげられたうなじの辺りを、居心地悪そうに撫でている。大柄な体格に似合わぬ愛嬌のある青い目を、迷うようにして左右に彷徨わせていた。

 ウィルヘルミナは、そこに一縷の希望を抱く。

(おっさん! あんたはオレの味方だよな!? な!?)

 縋りつくように見てくるウィルヘルミナをちらりと見返してから、トーヴェは空いている方の手で顎のあたりを気まずそうに掻いた。

「あー、まあ聞こえましたね…」

 その返事に、ウィルヘルミナの中で怒りがはじける。

(裏切者!! 結局お前も陰険眼鏡と爺さん側だよな!! ああ、知ってたさ!! 知ってたともさ!!)

 ウィルヘルミナの中で何かが振り切れ、その瞬間居直ったようなふてぶてしい表情に変わった。

 不貞腐れたような表情でラウリを見返す。

(煮るなり焼くなりしやがれ、このクソじじい!!)

 ウィルヘルミナのそんな態度を見たトーヴェが、諦め顔でため息を吐いた。

 その表情には、『どうしていつもそうなんだ』と書かれていた。

 対してラウリは、居直ったウィルヘルミナを見てすっと目を細める。

「たとえ強者が相手でも、決して迎合しないその負けん気だけは認めよう。それがお前の美徳でもあるからな。だが、お前には過ちを認める謙虚さも必要だ。言っていることの意味は分かるな」

 ウィルヘルミナは、真っ向からラウリを見返した。

「御爺様の仰りたいことはわかります。でも私にはわかりません。自分に正直に生きることは、そんなにも間違ったことですか」

 トーヴェが息をのむ。

 イヴァールもまた軽く目を見張ってウィルヘルミナを見た。

 静かな怒りを纏ったラウリを目の前にして、その怒りの恐ろしさを身をもって知っているはずのウィルヘルミナが、反省するどころか、まさか自分の不備を棚に上げ、言い返すなどとは考えても見なかったのだ。

 驚く二人を尻目に、ラウリだけは変わらず怒りをにじませた冷たい表情でウィルヘルミナを見下ろしていた。

 不愉快そうに眉を顰めるラウリの様子は、怒りを向けられているわけではない家庭教師二人の肝さえも冷やすほどには恐ろしいものだった。

 だがウィルヘルミナは、怯むどころか挑戦的にラウリをにらみ返している。

 ラウリは、ウィルヘルミナのその態度に、細めていた目をさらに細めつつ冷静に語りはじめた。

「自分に正直に生きるだと? 大層な言い方ではぐらかそうとするな。お前のやっていることはただの怠慢だ。お前はノルドグレン辺境伯爵家に連なる者、生まれた時から生き方には制限がある。役目を果たすこともせずにくだらぬ妄言をほざくな!」

 だが、つとめて平静に切り出されたはずのその言葉は、次第に熱を帯び、話し終える頃には怒鳴り声に変わっていた。

 鼓膜を震わせるほどの怒声を吐かれながら、しかしウィルヘルミナに怯んだ様子はない。

 むしろ、見ようによってはラウリをバカにするかのように、静かな口調で言い返した。

「私がウィルヘルミナ・ノルドグレンであることは、自分から望んだことではありません。ただ偶然ノルドグレンに生まれついてしまったというだけのことです」

 その刹那、その場の空気が凍り付く。

 一瞬だけ周囲に走った静寂は、空恐ろしいほどの空気だった。

 この期に及んでまだ言い返すのかと、トーヴェの顔は青く変わり、イヴァールの表情は何やらあきらめ顔になる。

 どちらも筋金入りの頑固者だとイヴァールの顔には書かれていた。

 さらに険しさを増したラウリは、怒りを抑えた低い声で言い聞かせるように告げはじめる。

「いいや偶然などではない。必然だ」

 が、しかしそれは成功しなかった。抑えきれぬ激情が、言葉の端々ににじみ出てしまう。

「この世に起こることの全ては、避けることのできない必要な要素だ。もっともらしいうわべだけの言葉で己の立場から逃げようとするな!」

 その言葉には重みがあった。

 おそらく、ラウリが常に心のどこかで意識している思いなのだろう。

 だが、自由を権利として認められている世界で二十六年間生きていたウィルヘルミナには、全く納得のいかない言葉だった。

「百歩譲って、私がノルドグレンに生まれついたことが必然であったとしましょう。けれども己の生き方を決めるのは己自身です。誰かに決められ、押し付けられるものではありません。何故御爺様の思い通りに生きなければいけないのですか」

 トーヴェとイヴァールは、『ああ』と内心でため息を漏らし目を閉じる。

 ラウリは凄みのある顔で笑った。

 その威圧するような気配に、ウィルヘルミナはそこでようやく怯む。

「お前は、己という者を知ることができていないようだ。減らず口を叩くのは一人前になってからにしろ!」

 そう言うなり、まるでボールでも掴むかのようにガシリとウィルヘルミナの頭を鷲掴みにした。

「いだだ!!」

 またしても伯爵令嬢にふさわしくない言葉が、自然と口をついて出る。

 痛がるウィルヘルミナのことなど全くお構いなしに、ラウリは頭を掴んだまま引きずって歩いた。

(げ、嘘だろ!? また玄関向かってるよ! もしかしてオレ、また壁の畔に捨てられんのか!?)

 慌てふためくウィルヘルミナと、怒り心頭のラウリとを追いかける者があった。

 トーヴェである。

「お待ちくださいラウリ様!!」

(おっさん!! やっぱりおっさんはおっさんだよな!! あんただけは、隠れた性癖がたとえロリコンだったとしても軽蔑しないでやるぞ!! 俺の事助けてくれるよな!?)

 トーヴェの名誉のために補足すれば、この『ロリコン』疑惑は、全くの事実無根のでっちあげであるが、幸か不幸か、ウィルヘルミナの勝手なその妄想をトーヴェは知らない。

 ただ縋りつくように見つめてくるウィルヘルミナに気づくと、トーヴェは何故だか少しだけ疲れた表情に変わった。

 状況的には、絶体絶命と言っても過言ではないはずのウィルヘルミナに、どういう訳か、緊張感や悲壮感などと言った気配が全く感じられなかったせいだ。それどころか、むしろ何かトーヴェを馬鹿にしているような気配すら感じ取れる。

 しかし、トーヴェはそんな考えをすぐに振り払い、ラウリを見ると気を取り直して続けた。

「今は壁蝕の最中です。奇跡的に一度は帰って来ることができましたが、これ以上はさすがにお嬢様でも――――」

 そこでトーヴェの言葉を遮り、ラウリは押しかぶせるようにして冷ややかに言い放つ。

「できる。できなければならぬ。四壁の当主とは、そういうものだ」

(だ、か、ら、そもそも当主なんてなりたくねーんだよ!! この脳筋!! オレの将来勝手に決めるんじゃねえ!! ふざけんな!!)

 ウィルヘルミナが反抗的に睨みつけると、ラウリは面白そうに笑った。

「トーヴェ、こいつはお前が考えているほど軟弱な人間ではない。何度魔物の群れに放りこんでも、必ず帰って来ることができるぞ。私が保証しよう」

「しかし――――」

 なおも渋るトーヴェを、今度はイヴァールが窘めた。

「トーヴェ、私もいらぬ心配であると思います。ウィルヘルミナお嬢様は、ご自分の才能を把握しておりながら、わざと手心を加えているような御仁です。今回は少し苦労をしていただいて、魔法の重要性をもっと認識していただくことこそが重要であると思います」

 ウィルヘルミナは、イヴァールの言葉に思い当たるふしがあったのか、ぎくりと体をこわばらせる。

 それを見たラウリは、面白そうに笑った。

「ウィルヘルミナよ、お前の浅知恵ではイヴァールの目を欺くことはできぬぞ。お前が、わざと魔法陣を書き間違えて、自らすすんで精霊召喚に失敗していることは把握している。そんな馬鹿な考えを捨てさせるために、今回お前を一人で壁蝕の壁の畔に放り出すという荒療治をしているのだ。お前のその性根を叩き直すまで、私は何度でも続けるぞ」

 ウィルヘルミナにとっては恐怖の宣告である。

 再びラウリにずるずると体を引き摺られはじめて、ウィルヘルミナは慌てた。

「ま、待ってください!!」

 冷たいラウリの目が、ウィルヘルミナを射抜く。

「なんだ、ようやく己の立場を悟り、真面目に魔法の勉強に取り組む気になったのか?」

 ウィルヘルミナは、慎重に言葉を選びつつ口を開いた。

「一つ確認したいことがあるのです。もし仮に、あくまでも『仮に』ですよ? 私が北壁の当主になったとして、私の結婚はどうなりますか?」

 ラウリ、イヴァール、トーヴェの三人は、思いがけない発言に虚を突かれた様子で一瞬素に戻った。

 三人は一瞬互いの顔を見合わせる。

「なんだ、つまりお前は好きな男と結婚したいということか? 私は、結婚相手にまで口を挟むつもりはないぞ。お前が望む相手ならば誰であっても許そう」

 幾分穏やかな口調になってラウリがそう告げる。

「いえ、そうではなくて、結婚したくないのです」

 そう、この問題こそが、ウィルヘルミナにとって一番重要な問題なのだ。

 だって彼女の心は『男性』なのだから。

 ラウリは、再び口を真一文字に引き結び、ウィルヘルミナを冷たく睨みつけた。

「それは無理な相談だ。当主が子を残すのは義務だ」

「では当主にはなりません」

(男にヤられるとか、絶対に無理!!)

 当主になど絶対になるものかといった表情で、ウィルヘルミナはラウリを睨み返す。

 ラウリの額に、再び太い青筋が浮かんだ。

 時間の無駄だったとばかりにラウリは無言になって、ずんずんとウィルヘルミナを引きずって歩く。

 ウィルヘルミナの方でも腹をくくった。

(ぜってーに思い通りになんてなってやんねー。覚悟しろこのクソジジイ!!)

 そうしてウィルヘルミナは、ラウリによって再び壁の畔に連れて行かれたのだった。


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