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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 トーヴェは、ベルの素性については口にせず、あえて世間話と意味深な前置きをしてから、現在の王家の内情について説明しはじめた。

 そして、一通り話し終えると、すぐにロズベルグ邸に戻っていった。

 ウィルヘルミナは、トーヴェが帰ってしまうと口数が減り、ラハティへと旅立つ準備を進めながらも、時折手を止めては考え込んでいた。



 エルヴァスティ王家には二人の王子がいる。

 一人はトビアス第一王子、もう一人はベルンハート第二王子である。

 トーヴェの話によると、この二人の王子を巡り、今、都市貴族と自由都市商工業組合は二つに割れ内部分裂しているとの事だった。

 トビアスはアードルフ国王の長子で、王位継承権第一位、順当にいけば次期国王になることは間違いない。だが、人間性にも政治能力にもかなりの問題があり、そのため、第二王子であるベルンハートを次期国王にと推す一派があるのだ。

 トビアスは現在二十一歳で、トゥルク王国の招集によって開かれる等族議会にも何度か出席しており、すでに国政の一端を担っている。かたやベルンハートはまだ十歳。本来なら政治に参加するような年齢ではないのだが、しかし、すでにその能力の高さは周知の事実となっていた。

 等族会議というのは、国王の要請によって各身分――――四壁、教会、貴族、市民――――の代表者らが集まり、主に課税の承認を行うための会議だ。議題はもっぱら課税の承認であるが、時には道路や橋、水路など社会生活の基盤に関連した共同施設の整備や、領主間など当事者同士での解決が難しい問題の折衝なども議題に扱う国の最高意思決定機関である。

 そもそも、王家の財政は基本的に王領地収入によってまかなわれている。だが、王領の貢租でまかないきれない部分は、封臣に援助金を提供させていた。つまり、封臣への課税によって不足金を賄っていたのだ。

 課税額は、その年の作物の出来栄えなど状況によって都度変わるのだが、王家としては、毎年個別折衝で課税の承認を得るより、議会を招集して一度に諮る方が都合よかったため、等族会議で課税額を決めて承認する事が慣例となり、今では年に数回必要に応じて開催されるようになっていた。

 しかし、最近はその会議が中断されていた。

 理由は、一昨年に行われた等族会議にある。

 一昨年前の等族会議の時、アードルフは体調不良のため欠席しており、代わりに、トビアスが王家の代表として参加していた。その会議で、トビアスは四壁、教会に対し、一方的に大規模な貨幣改鋳を再び行うと宣言したのだ。

 この宣言のおかげで議会は紛糾することになり、この時の等族会議は事実上の物別れに終わった。

 以来等族会議が開催されていないのが現状だった。

 何故この時の貨幣改鋳宣言が問題視されているのかというと、直近の国の方針に問題があることはもちろんだが、そもそもトゥオネラの通貨事情にも原因がある。

 本来トゥオネラでは、統一貨幣が存在しておらず、地方の領主や教会は、領地でのみ通用する貨幣を通用していた。それらの通貨鋳造は、各領主が担っていた。

 しかし、近年になって、王家は国家として貨幣を管理しようと強引な手法を使いはじめた。

 地方に王家管轄の鋳造所を作り、金、銀、銅の含有量を下げた質の悪い王室貨幣を地方に大量に流通させはじめたのだ。

 この悪貨のばらまきに対して、四壁や教会、地方領主たちの対策は後手に回り、しかたなく平価の切り下げで対抗するしか術がなく、伸吟させられた。

 だが、その対抗措置すらもが焼け石に水といった状況で、四壁、教会、地方領主たちが発行している貨幣はどんどん退蔵され、次第に市場には王家の作った貨幣が大量に流通するようになっていた。

 まさしく『悪貨は良貨を駆逐する』という現象が起き、四壁や教会、地方領主たちは徐々に追い込まれていったのだ。

 この現状を問題視した四壁、教会側の希望で、一昨年に問題の等族会議が招集されるに至っていた。

 その会議で、王国が発行している王室ペンニ貨幣の、金、銀、銅の含有量を戻すように主張した四壁と教会に対し、トビアスは真っ向から対立し、含有量を戻すどころかさらなる貨幣改鋳を行い、含有率をもっと下げると一方的に宣言したのだ。

 これには、国王派であるはずの自由都市商工業組合や都市貴族の代表たちからも反発が起こった。

 何故なら、これまでに行われた貨幣改鋳のせいで、極端な物価上昇が起こっており、市場の相場が不安定な状況に陥っていたからだ。

 市場が不安定なことは、商人にとっては死活問題であるし、貴族たちにしてみても懐事情が切迫していた。貴族たちはみな領地の貨幣で蓄財していたが、平価の切り下げだけでは急激な物価の高騰に対応しきれず、どんどん困窮させられていたのだ。

 この上、さらなる貨幣改鋳を行えば、経済はさらに混乱する。

 王家支持のはずの自由都市商工業組合や都市貴族の中にも、大きな動揺が走る結果となった。

 むろんこの会議で対立の溝が埋まるはずもなく、協議は物別れのまま終わり、以来王家の招集に対して、四壁や教会が応じなくなるという最悪の事態を生んでいた。

 そのため、現在は交渉の場すら設けることのできない外交停止状態に陥ってしまっている。

 解決の糸口が掴めないまま、事態は膠着状態に陥っていた。

 あの会議でのトビアスの宣言を、アードルフが早々に撤回していれば、事態は変わっていたかもしれない。

 だが、アードルフは、結果的にトビアスの貨幣改鋳宣言を支持してしまった。

 理由は、王位をトビアスに譲りたいがためだ。

 トビアス主導で行われてきた貨幣改鋳は、問題の等族会議の前に、短期間に五度も行われていた――――この頃アードルフは体調をくずしており、トビアスが代理として勝手に王権を行使していたのだ。

 トビアスが代理を任されている間に、様々な場面で権力を乱用し、何度も悪貨を乱発していたため、急激な物価高騰が起こり、トゥオネラ経済に甚大な打撃を与えていた。

 王家や鋳造所に関わる貴族と商人だけは、この貨幣改悪鋳造によって多額の利益を得ていたが、その他の貴族や商人、一般庶民の生活は、困窮してゆくばかりだった。

 そのため、問題の会議の終了後、その話を聞いた当時まだ八歳だった幼いベルンハートが、これ以上の貨幣改鋳は絶対に行うべきではないとアードルフに進言したのだ。

 むろんベルンハートのこの進言は、多くの貴族や自由都市商工業組合の支持を得ることになった。

 ベルンハートは、年齢こそまだ幼いが、利発で先見の明があった。だからこそ多くの支持者が現れたのだ。

 だが、ベルンハートのその発言こそが、それまで沈黙を貫いていたアードルフに行動を起こさせた。

 アードルフは、ベルンハートの進言をはねつけ叱責した挙句、トビアスの行おうとしている貨幣改鋳を支持すると宣言したのだ。

 何故なら、もしベルンハートの進言を支持すれば、トビアスが失脚しかねなない状況に陥っていたからだ。

 トビアスは素行にも問題があり、短気で賭け事や女にだらしなくて有名だ。問題の貨幣改悪も、トビアスが考えた案ではなく、その後ろにいる者にそそのかされて行った事であるのは、だれの目から見ても疑いようがない。

 トビアスは、ただ単に出目(貨幣改悪鋳造によって生じた益金)を増やして遊興費にあてたいだけなのだが、トビアスを利用した人間たちの思惑は違った。これも中央集権国家への布石の一つなのである。

 王家の発行する貨幣を国中に浸透させ、貨幣の管理を王家主導で行う。それが目的の貨幣改鋳であったのだ。

 そのもくろみ通り、今や王家の発行するペンニ貨幣は、トゥルク王国中に広まっている。四壁や教会、地方領主たちが発行していた貨幣は、今まさに市場から駆逐されようとしていた。

 こういう思惑があったからこそ、アードルフは度重なるトビアスの勝手な行動の可否には言及せず、静観していたのだが、しかし、もはや当初のもくろみは達成できており、アードルフもこれ以上の貨幣改悪には慎重になっていた。急激な物価高騰によって経済が悪化している状況も把握していたため、折を見て中止させようとすら考えていた。

 だがその矢先、ベルンハートが中止を進言したことで、ベルンハートを担ぎ出す一派が現れたため、アードルフはトビアス支持に回ったのだ。

 アードルフとベルンハートの確執の原因。

 それは、アードルフの幼少期にまでさかのぼらなければならない。

 アードルフは長子で、三つ違いの弟がいた。弟の名前をヘルゲと言う。

 ヘルゲは武芸や魔術に長け、聡明で人柄も良く、何よりその風貌が素晴らしかった。眉目秀麗で、女性たちは一目で心を奪われるような、そんなすばらしい容姿をしていた。

 ヘルゲ自身は慎み深く、兄であるアードルフを心から慕っており、王位を簒奪しようなどという気持ちはいっさい持っていなかった。

 だが、周囲の考えは違っていた。

 アードルフは、見た目も凡庸で、頭も武芸も魔術も、どれをとっても特筆すべきものが何もないというのに、ヘルゲはすべてが抜きんでて優秀で、見た目や才能だけでなく心根まで素晴らしいのだ。

 人々は、事あるごとにその二人を比べては、何故アードルフが長子なのか、と内心で嘆息していた。

 ヘルゲにその気がなくとも、必然的にヘルゲを支持しようとする輩が出現することは、しかたのないことだった。

 むろんヘルゲは、担ぎ上げようとする輩が現れても、その誘いにのることは絶対になかった。いつでも兄であるアードルフを尊重し、敬い、その態度を崩すことはなかったのだ。

 しかし、アードルフの中には、歪んだ劣等感が確実に蓄積されていった。

 しだいにヘルゲを疎んじ、冷遇するようになっていった。

 それでもヘルゲは、アードルフを恨むことはなく、家臣として忠実に仕えた。

 それは、二十年前にヘルゲが壁蝕時の魔物討伐に参加し、命を落とすまで続いていた。

 ヘルゲの死は多くの人々に惜しまれ、王国中が悲嘆にくれた。

 だが、アードルフだけはその死を密かに喜んでいた。長年にわたり苛まれ続けていた劣等感から、ようやく解放されたのだから。


 しかし、その幸せもつかの間の事だった。


 トビアスに続いて二人の娘が生まれ、幸せの絶頂期にあったアードルフ。

 その幸せに、突如陰りが生じた――――。

 ヘルゲの死から十年後に授かった二番目の息子ベルンハートの容姿は、ヘルゲに瓜二つだったのだ。

 息子の成長を見るにつけ、アードルフの中に、昇華されたはずのどす黒い感情が再び燻りはじめた。

 これは息子のベルンハートであってヘルゲではない。

 アードルフは、何度も自分にそう言い聞かせた。

 だが、成長するにつれ、どんどんヘルゲに似ていくベルンハートを見ていると、常に比べられ、凡庸な人間に過ぎなかった過去の自分の姿を、嫌でも思い出させられた。

 家臣らからも見下されていた、かつての自分――――。


 運良く長子として生まれたがゆえ、凡人の癖に王位につくことができた。

 誰からも愛されていた優秀な弟――――ヘルゲを、死地へと追いやった俗物。


 表だって言われなくとも、ヘルゲを慕っていた臣下たちが、心の奥底でそう思っていることをアードルフは知っていた。

 それでも、忌々しいヘルゲはすでに死んでおり、もはやこの世にはいない。

 アードルフは、いつも背負わされていた劣等感から解放されたのだ。

 いや――――。

 解放されたはずだった。

 だが、悪夢は再びよみがえってしまったのだ。


 臣下たちは、何かにつけトビアスとベルンハートを比べていた。

 片や、乱暴で浅慮で、金にも女にも酒にもだらしない無能で愚鈍なトビアス。

 対して、容姿にも頭脳にも才能にも恵まれた、聡明なベルンハート。

 第一王子とはいえ、このままトビアスを王位に付けては、トゥルク王国が危機的状況を迎えるに違いない。

 臣下たちがささやくその声を、アードルフは知っていた。

 トビアスへのその悪評が、かつての自分に向けられていた酷評を思い起こさせ、アードルフはしだいにベルンハートを疎み、遠ざけるようになっていった。

 その一方で、自分の境遇によく似たトビアスを、必要以上に憐れむようになった。

 その結果、アードルフは徐々に心を蝕んでいくことになった。

 人としての道を踏み外すほどには、狂いはじめていたのだ。


 そう――――。

 アードルフは、トビアスのために…いや、自分のために息子であるベルンハートを殺すことを決めたのである。


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