34
ロズベルグ邸に着いたころには、空は夕闇に包まれていた。
ベルに面会を取り次いでもらおうとしたが、門番には翌日出直してくるように言われ、けんもほろろに追い返される。
だが、ウィルヘルミナは挫けなかった。
ベルに会わせてくれるまで帰らないと言い張り、門の前で大声を張り上げベルを呼びはじめた。
これにはザクリスも苦笑いを浮かべた。
しかし、おかげで門番の方が折れ、取り次いでみるから静かに待っているようにと言われ、待つこと三十分――――。
念願かなって面会が許されることになった。
屋敷の者の案内で通された部屋には、すでにベル、フレーデリク、カスパル、トーヴェ、ラガスの五人がそろっていた。
椅子に座っていたベルは、静かに立ち上がり、ウィルヘルミナとザクリスを迎える。
「こんな遅くにいったいどうした?」
ウィルヘルミナはむっつりとベルを見返した。
「どうしたじゃねえよ。昼間のアレ、ちゃんと説明してもらいに来た」
ベルは苦笑する。
「そうか、まあ座れ」
ウィルヘルミナは荒々しい足取りで移動し、ドカリと椅子に座った。ザクリスもその横に腰かける。
ベルは向かい側に座った。
「説明と言われてもな。今日話したことが全てだ。私は三日後にここを立ち、ラハティの教会学校に通うことになる。短い間だったが、お前には随分と世話になった。感謝している」
ウィルヘルミナは、目の前にある机をドンとたたく。
「オレが聞きたいのは、そんな言葉じゃねえ。お前の気持ちを聞きに来た。ベル、お前は教会魔術師になりたいのか?」
ベルは小さく息を吐きだした。
「教会魔術師になりたいわけではない。ただ…ならねばならぬのだ」
「親父が言うから言う通りにすんのか? お前、それで後悔しないのか?」
「後悔も何も…私にはそれ以外の選択肢は残されていない」
考え込むように視線を伏せていたザクリスが、顔をあげて口を開く。
「もし、教会学校に通う事を断った場合はどうなるんです?」
ベルは、皮肉そうに片方だけ口の端を持ち上げた。
「そうだな…おそらく死期が早まることになるだろう」
ウィルヘルミナは目を見開く。
「なんだよ…それ…。死期が早まるってどういうことだよ!?」
ベルは静かにウィルヘルミナを見返した。
「私は前に言ったはずだ。ある人に疎まれているのだと。それは父上だ。イーサルミを離れ、カヤーニに籠ったのは父上への叛意がないことを態度で表したつもりであったのだが、それでも見逃してはもらえなかったようだ。教会学校に通えというのは、事実上の廃嫡だ。もし従わなければ叛意ありとみなされ処罰されることになるだろうな」
「ベル…お前は父親に何かしたのか?」
ベルは肩をすくめる。
「何もしてはいない。だが、強いて言うなら生まれてしまったことそのものが罪なのだろう」
「生まれたことが罪って…なんだよそれ。そんなのお前には何の責任もねーじゃん!」
ベルはグッと眉根を寄せながら、悲しげにほほ笑んだ。
「そうだな、私にはどうしようもない事だ。けれども、私という存在が父上にとってゆるせない存在であることは確かだ。私が教会学校に通うことで、父上のお心が休まるならそれでいい。もう疲れたんだ。私はもう何も期待しない。何も望まない。もういいんだ」
全てを諦めきったベルを見て、ウィルヘルミナはたまらなくなる。
「…んでだよ…。全然よくねーじゃん。そんなの何もよくねえよ!」
しかし、ベルはウィルヘルミナを見つめたまま何も口を開かなかった。
全てを受け入れた表情で、静かに座るばかりだ。
やがてザクリスがおもむろに口を開いた。
「先程ベル君は、教会学校に行かなければ死期が早まると言ったね。だったら教会学校に行ったらベル君のお父上は納得して、それ以上のことは諦めてくれるのかい?」
その言葉の意味することに気づき、ウィルヘルミナはまさかといった様子で目を見開き、一度ザクリスを振り返ってから、急いでベルに視線を戻す。
しかし、ベルは無言だった。
「ベル、ちゃんと答えろよ。どうなんだよ」
(まさか、父親の望み通り、教会学校に行っても殺されるってことじゃねえよな!?)
ベルは、無言のまま視線を伏せる。
そこで、今まで黙っていたフレーデリクが、たまらずに口を開いた。
「見逃すはずがありません。教会学校に入るのを拒否すればそれを口実にベル様を処罰なさる。もし教会学校に入学すれば、今度はそこに刺客を送りこむだけのこと。このロズベルグ邸でベル様を謀殺することができないと判断したから、無理やり外に出す口実を作っただけの事です!」
カスパルも怒りに震えながら拳を握りしめている。
「惨いことをなさる。ベル様に、いったいどんな罪があると言うのか…」
ウィルヘルミナは強張った表情でベルを見つめた。
ベルは静かに吐息を吐き出す。
「もういいんだ」
なにも良いことはない。皆そう思っていたが、その言葉を口に出すことができなかった。
ウィルヘルミナは、トーヴェやラガスを見る。
「教会学校での護衛を増やして、ベルを守ることはできないのか?」
確かに教会学校では、ロズベルグ邸ほど厳重な警備はできないかもしれない。
だが、ラガスやトーヴェ以外にも護衛を増やせば、ベルを守りきることができるのではないかとそう思ったのだ。
ラガスは怒りに満ちた表情で口を開く。
「我々には辞令がでており、この後イーサルミに戻らねばなりません。教会学校についていくことはできないのです」
(つまり、トーヴェ先生やラガスさんたちのことまでベルから引き離そうとしてるのか?)
ウィルヘルミナは、怒りで体を震わせた。
(何だよそれ…。なんでそこまでしてベルを殺さなきゃいけないんだよ)
フレーデリクは、ウィルヘルミナの前に移動して膝を折る。
「レイフ君、君も一緒に教会学校に入学してもらうことはできませんか」
ウィルヘルミナは、考えてもいなかった提案をされ、驚きに目を見開いた。
(ああ、そうか。オレが生徒としてベルと一緒に学校に通えば、ベルの事を守れるかもしれない)
ウィルヘルミナがちらりとトーヴェを見ると、トーヴェが無言のまま首を横に振り、厳しい表情でウィルヘルミナを睨みつける。
(ダメってことか…。でも、なんでダメなんだよ。オレがベルと一緒に行けば、オレならベルの事守れる)
ウィルヘルミナはトーヴェを睨み返し、椅子から立ち上がろうと腰を浮かしかけた。
しかし、ザクリスがそれを止めるようにウィルヘルミナの肩に手を置く。
そのままフレーデリクに向かって口を開いた。
「フレーデリクさん、それは無理です。教会学校に入学する時には宣誓書を書かなければなりません。レイフ君にも立場というものがあります。神の御前で嘘をつくことはできません」
ウィルヘルミナは、そこでようやく気が付き、小さく息をのんだ。
(ああ、そうだ。宣誓書には本名を書かなきゃならねえ。それに、オレは教会魔術師になるわけにはいかないんだ。本音を言えば、北壁の当主になりたくなんてねえけど、でも、こんなふうに現実から逃げるわけにはいかねえ。きちんと爺さんと話し合ってからでないと、当主になるもならないも、結論は出せねえ)
そう思い当って、ウィルヘルミナはきつくなるほど唇を噛みしめる。
ベルは、かすかに笑みを浮かべた。
「わかっている。お前にはお前の事情がある。私なら大丈夫だ。なにも気に病むことはない」
「けど…オレには納得できねえよ…。何か…何か方法はねえのか? なあ先生、ザクリスさん」
ウィルヘルミナは、ザクリスとトーヴェを縋りつくように見つめる。
トーヴェは硬い表情のまま口を閉ざしていたが、ザクリスは顎に触れながらしばし考え込んだ。やがて顔をあげてフレーデリクを見る。
「フレーデリクさん、ベル君の身分というのはどれほどのものでしょうか? 今までベル君の事情を慮って、あえて触れてきませんでしたが、私はかなり高貴な方であると推測しています。もし相応の身分であるのなら、教会学校に少数の従僕を連れて行くことが可能です。レイフ君に宣誓書を書かせるわけにはいきませんし、またレイフ君の事情もありますので、長期間は無理かもしれませんが、一時的であるならレイフ君を従僕として一緒に学校に連れて行くことが可能かもしれません。その間に、どうにかしてベル君の警護の手配をするというのはどうでしょう。もちろん、私の一存で今この場でそれを決めるのは無理なので、あくまでも可能性としての提案ですが…」
そう言って、ザクリスはちらりとトーヴェを見た。
トーヴェは、硬い表情のまま考え込んでいる。
(先生、すぐに否定はしてない。だったら案として考える余地があるってことか。それならオレの腹は決まったも同然だ――――)
「いいぜ、オレが従僕として教会学校についていってやる。オレがベルを守ってやるよ」
フレーデリクの表情に、希望の光がさす。
「本当ですか!? ありがとうレイフ君!」
フレーデリクは、ウィルヘルミナの手を取って泣き笑いを浮かべた。
ベルはというと、信じられないと言った表情でウィルヘルミナを見返している。
「お前、なんでそこまでする。お前には何の関係もないことだろう」
「ああ゛!?」
ウィルヘルミナは、腕を組んでベルを睨みつけた。
「関係ないだと? てめー本気でそんな寝ぼけたこと言ってんのか? ぶっとばすぞ」
ベルは、驚いた様子で目をまたたく。
「関係があるというのか?」
素で驚いた様子のベルに、ウィルヘルミナは盛大なため息を吐いた。
やがて怒りに震えはじめる。
「お前さ、オレの事なんだと思ってんの? 友達じゃねーの? そう思ってんのはオレだけか!?」
ベルは驚愕の表情で固まったまま息をのんだ。
「ダチが困ってたら助ける。そんなの当たり前のことだろ? 関係ねーとか言うんじゃねーよこのバカヤローが」
そう言って、ウィルヘルミナはベルの頭をスパンとはたいた。
その瞬間、ラガス、カスパル、フレーデリクが驚きの表情で固まる。
叩かれた当のベルも衝撃を受け固まっていた。
トーヴェだけは、頭痛を覚えた様子で半眼になってウィルヘルミナを見ている。
ザクリスは、苦笑しながらウィルヘルミナとベルを見た。
「そうだね、友人が困っていたら助ける。それは当たり前のことだよね。だからベル君、これ以上関係ないなんて言ったら、本気でレイフ君に殴られてしまうよ?」
ベルは、頭をはたかれた衝撃から戻ると、ウィルヘルミナを見返す。
「そうか…友人なのか…」
遠慮がちにかみしめるように繰り返すベルに、またしてもウィルヘルミナが顔をしかめた。
「お前…それマジのやつか…。くっそ、オレは友達だと思ってたのによ。オレだけが勝手に思い込んでたのかよ、マジでへこむわ」
ベルは慌てた様子で顔をあげる。
「違う、そういう意味ではない。私は友人を持ったことがないからわからないんだ」
「はあ!? 友達いねーとかなにそれ。とんでもなく寂しい奴だな。ま、お前性格悪いからな。友達居なくてもしかたねーか」
ウィルヘルミナがケラケラと笑いながら言うと、ベルが不服そうにむっつりと口を閉じた。
不意に、その姿が甘ったれだった年の離れた弟の姿に重なり、ウィルヘルミナは小さな痛みと共に懐かしさを覚える。
「なんだよ拗ねたのか? 可愛い奴」
(拗ねた時の態度が、弟にそっくりなんだよな)
甘ったれだった弟は、拗ねるとすぐに口を閉じてそっぽを向いてしまうような子供だった。
本当は文句を口にして叫びたいのだろうが、ぐっとこらえて全て内に飲み込んでしまう。他人を傷つけることを怖がり、小さいくせに全部自分が我慢して済ませるようなそんな子供だった。
(あれは、オレや母さんたちに気を使ってたんだろうな)
弟が言う我が儘は、ささいな可愛い我が儘ばかりだった。
だからウィルヘルミナは、そのささやかな願いをかなえるために、いつも手をつくしていた。
可愛くて可愛くて仕方なかった弟。
目の前のベルが、その弟に重なり、ウィルヘルミナは思わず手を伸ばして頭を撫でた。
するとベルはその手を振り払う。
「子ども扱いをするな。私の方が年上だ」
(あー、まー表面的にはそーなんだけどな)
「なんだよ、たった一つ違いじゃねーか」
「お前の方が年下だ。それを忘れるな」
キッと睨みつけてくるベルに、ウィルヘルミナは肩をすくめながら苦笑した。
「はいはい、わかりましたよ。つか、オレも三日後に出発するとなると、色々と支度しなきゃなんねーな」
そう言ってザクリスを見る。
「ザクリスさん、準備があるからもう帰ろうぜ」
「それはまた性急だね」
「だって、もう時間もねーし。だから今日はもう帰るわ。また後でな」
ウィルヘルミナはそう言い残し、ザクリスと共に慌ただしく帰途についた。




