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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ラウリは、東壁当主エルヴィーラ・ベイルマンからの書簡を受け取っていた。手紙の内容は面会の申し入れだ。ラウリに、可能な限り迅速に東壁を訪問してもらい、極秘に会談したいとの旨が手紙にはしたためられていた。

 ラウリは、その手紙に目を通し終えてからしばし考え込む。

 やがて机の上に乱雑に置かれていた書面の山に手を伸ばし、目当てのものを探しあてて引き抜くと、その手紙に視線を落とした。それは、三週間前にトーヴェから送られてきた定期報告書だ。

「もしやこの件絡みか? いや…それとも緋の竜絡みだろうか…?」

 トーヴェからの報告書には、ウィルヘルミナがカヤーニでどのように過ごしているかが詳細に書かれている。過日、東壁に絡むことで、ウィルヘルミナが秘密裏に魔法具を作って援助をしたとの報告があった。そのため、もしかしたらその件に関係することで、今回東壁から接触を求められたのではないかと考えたのだ。魔法具の製作者がウィルヘルミナであることは伏せて渡したようだが、しかし、東壁の情報収集能力は侮れない。すでに情報が洩れている可能性は否定できなかった。

 そしてもう一点、東壁に絡む事象で現在の最大の懸念点である緋の竜の事がラウリの脳裏をかすめる。 

 手紙ではなく、わざわざ対面での接触を希望するとなると、きっと深刻な問題であるに違いない。そう考えると、会談の理由は、東壁で暗躍する得体のしれない彼の集団についての件である線も捨てきれなかった。

 ラウリは、疲れたように眉間を指でもみながら読んでいた手紙を机の上に置いたが、ふと目についた右手の中指にはまる指輪を眺め、表情を穏やかなものに変える。

 それは、トーヴェからの報告書と一緒に同封されていた魔法具だ。その指輪は、ウィルヘルミナがラウリのために作った特別な魔法具だった。発動条件や付与魔法はラウリにも知らされておらず――――実は、トーヴェやザクリスにすらも秘密で――――ウィルヘルミナ曰く『最高傑作!』であるのだそうだ。

 どんなものであれ、ウィルヘルミナが己の身を案じて作ってくれたものであると思うと、ラウリは嬉しくてならない。

 イサクが惨殺された件があってから、ラウリは塞ぎがちであったが、思いがけず届いた贈り物に心を弾ませていた。指輪を大切そうに撫でつつ、ウィルヘルミナの成長を一人かみしめていた。

 このところのウィルヘルミナの成長ぶりは目覚ましく、ラウリは、そろそろノルドグレン家の前当主として一家相伝の秘術を渡すべき時ではないかと考えている。

 その秘術とは神獣召喚であった。

 四壁各家には、それぞれ一子相伝の、秘伝の神獣召喚魔法陣が伝わっている。その契約が済んでから、はじめて当主として認められるのだ。

 むろんラウリも、当主を先代から引き継ぐにあたり、その契約を済ませてあった。

 しかし、エイナルはその秘伝の存在を知らない。

 ラウリは、エイナルを当主として認めてはおらず、その秘伝を引き継がせる気がないからだ。

 しかし、エイナルは薄々感づいていた。自分が、当主として何か重大な資格を欠いていることを。

 理由は、他の三壁のエイナルへの対応だった。

 エイナルが北壁当主としてはじめて四壁会に参加したときに、他の当主たちは、表面的にはエイナルを当主として扱っていたのだが、会話の節々でわざと明言を避け、符丁を使っていた。度々ほのめかされるその符丁は、エイナルが知らない未知の存在のようで、だが、それこそが当主として認められるために必要な何かであることだけはエイナルにも察することができた。そのため、エイナルがその存在を知らないことを、あの場で悟られるわけにはいかなかった。

 だから沈黙でやりすごしたのだが、エイナルを通り越して意味深に交わされる、三家の暗黙の了解に、内心でエイナルはひどい恥辱を覚えていた。

 北壁当主として意気揚々と赴いたはずの四壁会で、手ひどい屈辱感を与えられ、この時、エイナルの中に三家とラウリへの復讐心がとめどなく沸き上がったのだ。

 とにかく、この時の経験から、エイナルは、己が当主としての資格を何か欠いていることに気付いていた。

 それ以来、エイナルはラウリから情報を引き出そうと執拗に試みていたが、いまだ成功していない。

 ラウリの方でも、のらりくらりとエイナルの詮索をかわし、しらを切り続けていた。

 エイナルは、六年前に勝手に自分が当主であると宣言し、ラウリを追い出した手前、今更ラウリに教えを乞うこともできず、そのため、エイナルは対外的にも、対内に向けてさえも、道化のように張りぼての当主を演じ続けているのだった。

 そんな北壁の現状を把握しつつも、三壁は静観しているが、いつまでもこんな体たらくでいるわけにはいかない。ウィルヘルミナが目覚ましい成長を遂げている今、継承の儀を早々に済ませるべきだとラウリは感じていた。

 そんな頭の痛い問題をしばしの間片隅に追いやりつつ、ラウリはウィルヘルミナへと思いを馳せた。

「ウィルヘルミナは時々予測のつかないことをするからな。この指輪にはいったいどんな仕掛けがあるのか、それを知る時が今から楽しみだ」

 ラウリは穏やかな微笑みとともにそう呟いてから、再びエルヴィーラからの書状にちらりと視線を落として再び考え込む。

(どうせノルドグレンの方は手詰まりの状態だ。この際、東壁に足を延ばすのもいい機会かもしれない)

 イサクは、命を落とす直前に、定期報告で排水路の存在をラウリに伝えていた。

 ゲルダが、エイナルに隠れて定期的にその水路を使ってどこかに通っているが、行先も目的もまだつかめていない。調査は継続するとの報告だった。

 しかし、ラウリに伝えられていたのはそこまで。残念なことに、イサクが命を落とす直前に掴んでいた、ゲルダの腕にある刺青の存在までは、ラウリに届いていなかった。そのため、この時のラウリは、ゲルダと緋の竜の関連をまだ知らずにいた。

 ラウリは、イサクの遺志を引き継ぎ、密偵を使って排水路の調査を続けていたが、しかし、成果はいまだ得られていない。なぜなら調査の妨害が入っているためだ。

 先日も水路の調査をしようと人を向かわせたのだが、途中で北壁の衛兵に止められ、水路に近寄ることすら許されなかった。

 その後、今度は夜の闇に紛れて水路を調べさせようとしたのだが、水路付近は厳重に警戒されており、秘密裏に捜索することが難しく、断念せざるを得なかった。

 イサクが、命がけで知らせてくれた手掛かりに、近づくことすらできず、ラウリは手をこまねいていたのだ。

 そのうちにゲルダが入れ知恵でもしたのか、エイナルはラウリの監視を強めだした。

 ラウリは行動の一つ一つを監視されるようになり、密偵との連絡も控えねばならず、おかげで今は全く身動きが取れなくなっていた。

 イサクの件があって以来、ラウリはノルドグレンの屋敷に配下を紛れ込ませることも中断している。

 今は行商や旅人などを装って配下にノルドグレンを訪問させ、世間話などから間接的な情報を集める程度の諜報活動しか行えなくなっていた。

 ラウリは、宙を睨んでじっと考え込む。

(緋の竜の件も気になる。せっかく探る機会を経たのだから、東壁に赴いて、直接自分の目で確かめてくるか…)

 エイナルの監視の目をかいくぐって東壁に向かうのはかなり厳しいが、北壁での進展が望めない今、別方向から道を模索しようと心に決める。

 ラウリは、ペンをとって返事をしたためはじめた。



 とうとうすべての精霊魔法契約を終わらせたウィルヘルミナは、ザクリスを伴って、久しぶりにロズベルグ邸を訪れていた。

 屋敷の敷地内に入るなり、いち早く目に留まったのはトーヴェとベルの訓練の様子だ。

「おー、やってんなー」

 ウィルヘルミナは立ち止まり、日差しを遮るように額の上に手をかざして遠巻きに訓練の様子を眺める。

 ここ数か月で、ベルの剣術の腕は目を見張るほどの腕前になっていた。ウィルヘルミナの視線の先でトーヴェに挑みかかるベルの姿は、かなり様になっている。

(マジで腕あげたよな、ベルの奴。オレもうかうかしてらんねーな。後で、久しぶりにトーヴェ先生に手合わせお願いしてみっかな)

 そんなことを考えながら、再び歩きはじめた。

 やがて、ウィルヘルミナの来訪に気付いたトーヴェが、不意に訓練の手を止める。

 ベルも気づいて剣を鞘におさめ、ウィルヘルミナに向き直った。

「よ、久しぶり。元気そうだな」

 ウィルヘルミナがニカッと笑って手を上げると、ベルはかすかに笑う。

 そんなベルの表情を見たトーヴェは、内心でかなり驚いていたが表には出さなかった。

 普段ベルは無表情でいることが多い。変化があったとしても、嘲るような表情や、軽蔑するような表情、そういった辛辣な類の表情ばかりが多いので、笑顔というのはとても貴重なのだ。

「お前のほうは相変わらずのようだな」

 ベルは皮肉っぽく返すが、ウィルヘルミナの来訪を喜んでいるのは確かだ。

 だが、そんな貴重なベルの笑顔を向けられているはずの当のウィルヘルミナは、そんなことには全く無関心だった。

「おう、オレはいつも通り元気だぜ。それに今は、家庭教師に貰ってた課題を全部完了できて、むちゃくちゃ気分爽快なわけ。もう、いつでも来やがれ陰険眼鏡! って感じ」

 その言葉に、トーヴェは面食らった様子で一度目をまたたく。

「陰険眼鏡…」

 呆然と繰り返してから、誰を指す言葉なのか気づき、何とも言えない表情に変わった。

 トーヴェと同様に、『陰険眼鏡』がイヴァールを指す言葉であることに気付いたザクリスは苦笑する。

 その意味が分からないベルだけは、不思議そうに首を傾げていた。

「そんなことよりもベル、お前かなり腕をあげたな。オレも、うかうかしてられねーよ」

 ウィルヘルミナは嬉しそうに笑う。ベルの成長が、まるで自分の事のように嬉しく思えたのだ。

 そのままトーヴェの側に走り寄って、ウィルヘルミナは屈んでとばかりに手招きをする。

 不思議そうに身をかがめたトーヴェに向かって、ウィルヘルミナは背伸びをして、こっそりと耳打ちをした。

「なあ先生、オレ、ベルには絶対に負けたくねーから、暇な時に訓練付き合って」

 トーヴェはフッと微笑みを浮かべる。

「いいですよ」

 そんな二人のやり取りを見守っていたベルは、真面目な表情になるとウィルヘルミナに剣を差し出す。

「久しぶりに手合わせをしよう」

 ウィルヘルミナはベルの申し出を受けてにやりと笑った。

「いいぜ、やろう」



 魔法抜きの剣術のみの対戦で、ウィルヘルミナはかろうじて勝利を収める。

 勝負がつくと、ベルは何かを吹っ切ったような、しかし、それでいてどこか悔しさをにじませた表情になった。

「せめて最後くらいは勝ちたかったんだがな…」

 その言葉に、ウィルヘルミナが怪訝な顔に変わる。

「最後?」

 おかしな言い回しが引っ掛かり、首を傾げつつ聞き返すウィルヘルミナに、ベルはうなずき返しながら剣を鞘に納めた。

「実は、来週早々からラハティに行く事になったのだ」

「ラハティ? それって…東壁にある自由都市ラハティのことか?」

「そうだ」

「ラハティに何しに行くんだ? 来週早々って…もう三日後の事じゃねえか。急だな。旅行にでも行くのか?」

 不思議そうに首を傾げるウィルヘルミナに、ベルは首を横に振ってみせる。

「旅行ではない。ラハティの教会学校に通うことになったのだ」

 思いもよらなかったその答えに、ウィルヘルミナは目を丸くした。

「学校!? ベルは学校に行くのか!? かなり突然だな。でも、なんで教会学校なんだ? 確かラハティには王立学校も都市学校もあったよな。わざわざ教会学校に行くなんて…お前、教会魔術師にでもなりたいのか?」

 その質問に、なぜかベルは嘲るように鼻を鳴らした。

「さあな」

 皮肉そうに顔を歪めるベルを見て、ウィルヘルミナは不思議そうに目をまたたく。

「オレ、なんか変なこと言ったか?」

 そんなウィルヘルミナに毒気を抜かれたのか、ベルは苦笑しながら首を横に振った。

「いや…なんでもない。こちらの事情だ。教会学校に通う事は、父上からの命令なのだ。十歳になったので学校に行くべきだと言われてな…。学校を選んだのは父上だから私は関知していない」

「へー、そうなのか…」

(なんか変だな。普通、貴族の子供は王立学校に通うんだけどな。なんでベルは教会学校なんだ? それに、学校は大体十三歳くらいで入るもんなんだけど…。まだ早くねーか? ベルの父親は、なんでこのタイミングで教会学校なんかに通わせるんだよ? しかも本人の意思に関係なく教会学校に通わせるってことは、父親がベルを教会魔術師にしたいってことだよな…。なんか意味わかんねーな)

 腑に落ちないウィルヘルミナは、内心で首をひねった。

 教会学校は、その名の通り教会が運営する学校だ。生徒は卒業と同時に教会魔術師の資格を経て、全員が教会に所属することになる。

 通常、貴族の子供たちは、王国が運営する王立学校に通って魔術を勉強する。侯爵家ともなれば、たとえ継承権の低い下の子であっても、王立学校に行くのがあたりまえなのだ。

 ちなみに、学校は教会学校や王立学校の他に都市学校が存在する。

 都市学校はギルドが運営する学校で、優秀であれば下層民でも通うことができる完全なる実力主義の学校だ。

 教会学校も、たとえ下層民であっても通える実力主義の学校ではあるが、入学の時に宣誓を行い、進路は例外なく教会魔術師になる。決して貴族の子息が通うような学校ではないのだ。

「今後は、もう二度とお前に会うこともないだろう。だから最後くらいは勝ちたかったんだが…」

 そう言って小さく笑ったベルの顔は、悔しさを滲ませてはいたが、どこか晴れやかだった。

「なんだよ最後って…。そんなことねーだろ、また会えるだろ?」

 だが、ベルはかすかな笑みを浮かべたまま答えない。

 その後ろに立つ、トーヴェの表情は厳しいものだった。

 気が付けば、側にいたザクリスも厳しい表情に変わっている。

(なんだよみんなして…。まさか本当にもう会えないってことなのか?)

 ウィルヘルミナは、意味が分からずその場に立ち尽くした。

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