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ウィルヘルミナが、ユピターに渡すために作った魔法具を、トーヴェ経由でフレーデリクに渡してから三週間が過ぎていた。
渡した魔法具で問題が解決できたのか、ユピターとフレーデリクからは、それ以上捜索の問い合わせはなかった。
また、ウィルヘルミナの周辺にも心配していたような問題が起こることもなく、穏やかな日常を過ごせている。
ウィルヘルミナは、残す最後の精霊契約――――風界一位の契約完了を目指して魔法陣の作成に勤しんでいた。
この契約が終わった後には、ラウリから召喚魔法の指導を受ける予定になっている。ただし、ラウリが多忙なため詳しい日時の約束までは未定であったが。
それでも、久しぶりにラウリと連絡が取れたことには内心で安堵していた。
最近トゥオネラ中のいたる所で、干ばつ、疫病、飢饉、一部地域での武力衝突など良くない噂ばかりが話題に上っている。そんな不穏な状況の中、ラウリとしばらく連絡がとれていなかったため、もしやラウリの身に何かあったのではないかとかなり心配していたのだ。
実際に顔を合わせたわけではないので、本当に元気なのかどうかまではわからないが、それでも、ラウリが無事でいてくれたことがわかって純粋に嬉しかった。
季節は廻り、いよいよ夏本番を迎えようとしている。
北壁育ちのウィルヘルミナにとって、ここカヤーニの暑さはかなり厳しいものだった。
すでに初夏のころからバテ気味で、その結果、必要に迫られてある『魔法具?』を作り出していた。
なぜ疑問符がつくのかといえば、一部屋まるごとに対して金界魔法を使ってしまったためだ。それは、もはや道具の域を超えている。
どんなものを作ったのかというと、ウィルヘルミナの知識で表現するのなら、部屋にエアコンをつけてしまったのだ。
ウィルヘルミナが魔法陣を作成するために籠っているこの部屋の室温は、夏も冬も関係なく、常に適温に保たれるよう氷界魔法と火界魔法が付与されている。
部屋という建物の一部に対して金界魔法を使用し、魔法を付与する行為は前例がなく、はじめて『エアコン』を見せられたザクリスとトーヴェはかなりの衝撃を受けていた。
通常魔法具は、金界魔法の中和によって一度すべての影響を取り除いてから、そこに新たな魔法を付与することで完成するのだが、物質の一部分だけを中和する手法は存在しない。
にもかかわらず、今回ウィルヘルミナは、部屋という屋敷の一部分のみを中和してみせ、さらには魔法を付与して『エアコン』機能をつけてしまった。これはかなり規格外の手法なのである。
いくら暑さ対策とはいえ、そんな魔法具――――と呼んでいいものか悩むようなもの――――を考案し、完成させてしまったウィルヘルミナのとんでもない能力に、ザクリスとトーヴェの二人ともが頭を抱え込んでいた。むろんこの事は他言しておらず、知っているのはウィルヘルミナ、ザクリス、トーヴェの三人だけ。幸か不幸か、ザクリスの指導のおかげで、ウィルヘルミナの金界魔法技術は、かなり向上しているのだ。
ザクリスが、今日も『エアコン』の効いた部屋に入っては、感心した様子で部屋を見渡す。
「何度見ても不思議だね。私も物体の一部だけに金界魔術をかけてみようと試みているけど、いまだに成功しないんだ。いったいどうしたらそんなことができるの? 理屈を教えてほしいな」
ウィルヘルミナは魔法陣を書く手を止めて顔を上げる。
「理屈? そう言うのは説明できねえな。とにかく気合だよ、気合。この部屋を涼しくできなきゃ死んじまうと思ったらできるようになる」
まるで答えにならない答えを、自信満々に堂々と言い切ってくるウィルヘルミナに、ザクリスは困ったように眉根を寄せた。
「気合…。そういう物ではなくて、もっと具体的な説明をしてもらえないと、私にはわからないんだ。どうやって建物の一部だけを魔法で分離認識するの? 私の場合、金界魔術を施した時点で物質の全体に均等に魔法が及んでしまうんだ。それを一部分だけに限定して付与できるのはどうして?」
「だから気合だよ。オレは北壁の生まれだから、暑いのがマジで苦手なわけ。だから、この部屋がないと真剣にここで暮らせないわけ。だから、絶対にこの部屋を涼しくしてやる!! て思いながらやってみたらできたんだよ。それ以上のことはオレにもわかんねーよ。だってほしい機能を適当につけてたらできちまったんだもん」
そもそも部屋を魔法具にすることを、どうしてザクリスができないのかがウィルヘルミナには理解できず、余計に説明することが難しかった。
「うーん困ったね。是非方法を知りたいのだけど…。昨日も試しに部屋に対して中和をしてみたけど、やはり一部屋に限定することはできなくて、家全体に対して中和が広がってしまったんだよね…。まあ全体に行き渡る前に、魔力のほうが全然足りなくて、あっという間に魔力切れになってしまったけどね」
そう言ってザクリスは苦笑する。
ウィルヘルミナの『エアコン』を再現するためには、まず家の中和を行わなければならない。
しかし、対象が巨大であるため、消費する魔力の量が桁外れになってしまう。それゆえ、家を魔法具にすることは、理論上は可能でも、現実的には不可能だ。
それゆえ屋敷などに対して行われている防犯機能は、家に対して魔法を付与するのではなく、複数の魔法具を計算して設置するのだ。
だが、たとえ家の一部を中和する方法が確立できたとしても、おそらく、限られた人間にしかできないはずだ。一部屋まるごと中和するために必要な魔力を持っている人間は、そうそういないはずである。
異例づくしの『エアコン』であるが、その謎はもう一つ存在する。
この『エアコン』は、何故か魔法陣の発動に影響が出ていないのだ。
通常、魔法具の存在は、魔法陣に何かしらの影響を与えてしまう。
そのため、魔法陣作成専用の部屋には、魔法具を設置しないのが普通だが、何故かウィルヘルミナの作ったこの『エアコン』は、部屋全体に魔法付与されているにもかかわらず、作成した魔法陣を発動する時に全く影響が出ないのだ。
前代未聞のこの『エアコン』の謎を解明するべく、ザクリスはウィルヘルミナを質問攻めにしているのだが、当のウィルヘルミナの返事は、全く答えにはなっていなかった。
「とにかく、もっと具体的な説明が欲しいんだ。気合なんて精神論では、この謎を解明できない。きちんとした説明がほしい」
ザクリスが、ずいとウィルヘルミナに顔を近づける。
ウィルヘルミナは困りきった様子で首の後ろを掻いた。
「そーいわれてもなぁ、偶然できたことだし…。てか、どうしてザクリスさんにできねーのかわからねえから説明もできねーんだよな…」
ウィルヘルミナは、魔法陣を書くのを中断して考え込む。
やがてぐしゃりと髪をかき回して立ち上がった。
「うーん、じゃあ一回やり直してみるか。実際の工程を見れば、少しは何かわかるかも」
ザクリスは、ぱちりと目をまたたく。
「やり直す? 今?」
「そ、一回この魔法中和して、最初からやり直してみるよ」
ザクリスが、期待にきらりと目を輝かせた。
「今から魔法を付与している場面を見せてくれるってことだね」
「うん、そう。この前は加減がわかんなかったから金界第三位魔法で中和、火界第三位、氷界第三位付与してみたけど、ただの温度調節だし、構造的にはたぶん十位魔法でもいけると思うんだよな。だから、一度金界魔法で中和してから、火界第十位、氷界第十位付与してみるよ。そうしたら、氷界付与の方はザクリスさんにも鑑定できるだろ?」
前回『エアコン』機能を付けた時には、ウィルヘルミナが一人勝手に行ってしまっていた。
だからザクリスは、制作過程を見てはおらず、完成した状態しか知らない。
しかし、付与の行程を実際に見ることが出来れば、ザクリスの疑問を解決できるかもしれない。
ザクリスは氷界五位の契約が済んでいるので、付与魔法の階位を下げれば、氷界についての条件は鑑定することができるようになるはずなのだ。
ザクリスは、喜んだ表情に変わる。
「ぜひお願いするよ」
「了解」
ウィルヘルミナは立ったまま手を正面にかざし目を閉じた。
「ティオシポネ」
金界第三位魔法を唱えると、ウィルヘルミナの周囲が光り輝く。
ザクリスは、興味深げにその様子を見ていた。
「なるほど、物体で認識するのではなく、空間で認識しているんだね…。そんなこと試した事がなかったな…。そうか、だから物質全体ではなく、決められた範囲だけを認識できているのか。でも、この条件で中和するには空間の内側全部に金界魔法を満たさなければいけなくなる。消費魔力を考えると、上位魔法の付与は無理だな。いや…下位でもかなり厳しいか…。やはり一部屋分の中和や付与は普通の人間には無理だ。相当魔力量が多くないと…」
ぶつぶつと独り言を呟き、顎をつまんだ格好で、ウィルヘルミナの魔法付与をつぶさに観察する。
ウィルヘルミナはさらに続けた。
「トゥ」
金界第十位魔法を唱えて再中和してから、続けざまに火界第十位、氷界第十位を付与していく。
「カイア」
「アヒファトゥモアナ」
付与が終わると、ウィルヘルミナとザクリスが鑑定した。
「お! やっぱ十位魔法でもいけた感じ」
ウィルヘルミナは純粋に喜んでいたが、鑑定が終わったザクリスは驚きを持ってウィルヘルミナを振り返る。
「レイフ君、私には氷界魔法の方しか鑑定できないけど、この魔法具はかなり面白いね。発動条件が、温度に設定されている。それに、魔法陣に影響しない理由もわかったよ。発動を停止させる機能がついているんだね。驚きだよ…」
(だってエアコンだし。必要ねーときは消せねえとな。省エネだよ省エネ)
「外側に火界魔法、内側に氷界魔法を付与してあるのか。かなり薄い構造だから、並の金界魔術師では鑑定が難しいかもしれないな。それに、この階層構造による魔法付与は、他の魔法具にも応用できるな…。しかも金界魔法を応用して魔法具の停止機能にしているのか。これは素晴らしい発想だ」
ザクリスは、そのまま思考に没頭しはじめる。
顎をつまんで考え込んだまま、動かなくなった。
「あれ? まさかザクリスさん、もしかしてまた…?」
ウィルヘルミナは、ザクリスの顔の前で手を振ってみる。
だが、ザクリスは無反応だった。
「おーい、ザクリスさん。ザクリスさんてば!」
背中をたたいても、お腹を叩いてみても全く反応がない。
「かー、マジかよ。またなのかよザクリスさん!」
ウィルヘルミナは、とりあえず邪魔なので部屋から移動させようと背中を全力で押してみるがびくともしなかった。
(くそ、ザクリスさんて細身に見えるけど、意外とマッチョなんだよな)
「まいったな、魔法陣書くのに邪魔なんだけど」
さて、どうやって移動させようかと、ウィルヘルミナは腕を組んでザクリスを見やる。
すると、ザクリスが一人動き出した。
「あれ? ザクリスさん気が付いた?」
声をかけるがしかし無反応だ。
ザクリスは相変わらず思考に没頭したまま部屋を出て、研究を行う部屋に入っていく。
その背中を見送り、ウィルヘルミナはため息を吐いた。
「あの人のスイッチ入る瞬間初めて見たけど、そっか、ああやって興味があることに没頭しちゃうわけだ。ま、しばらく放っておいてもいいよな。適当なところで正気に戻せばいいか」
しばらくはあのまま好きにさせておこうと決め、ウィルヘルミナは再び魔法陣の作成をはじめる。
ウィルヘルミナもまた、寝食を忘れるほどに魔法陣の作成に没頭した。




