30
トーヴェが調べた結果、フレーデリクに依頼を持ってきたあの男は、東壁の副伯であることがわかった。名前をユピター・ルメスという。
ユピターは、フレーデリクと取引のある貴族で、東壁魔術師団に所属する魔術師でもあった。
探しているのは聖界第三位魔法の契約者、もしくはそれに相当する効果のある魔法具。
しかしこれらの捜索はかなり難航しており、今回は領地を超えて南壁の商人であるフレーデリクを頼り、藁にも縋る思いでわざわざこの自由都市カヤーニまで足を延ばしたらしい。
これまでも、いくつもの魔法具や魔術師の紹介を受けてきたようだが、条件の合う魔法具も人材も、いまだに見つけることができないでいるようだ。
聖界三位を契約できている魔術師の中でも、練度の高い魔術師であるとか、聖界三位が付与された魔法具であっても、相乗効果を期待しているなど、かなり厳しい条件で探しているらしい。
ザクリスの読み通り、闇界二位の使い手の存在が見え隠れする、一筋縄ではいかない案件であるようだった。
トーヴェの報告を受けて、ザクリスは顎をつまんで考え込む。
「レイフ君を魔術師として紹介するわけにはいきませんから、魔法具を作成する以外の方法はありませんね。出所を伏せるように言い含めて、フレーデリクさん経由でユピターさんに渡すのが一番無難でしょう」
トーヴェもうなずく。
「魔法具は、私からフレーデリクさんに渡しておきます。私の知人から譲り受けたとフレーデリクさんに言っておけば、当面は出所を隠せるでしょう」
トーヴェがそう申し出た。
「本音を言えば、それでも不安は残りますが仕方がありません。ではトーヴェさんにお願いしましょう。私が渡しては、もっと出所があからさまになってしまいますからね」
話がまとまったことで、ウィルヘルミナはほっとする。
「二人とも、オレの我が儘聞いてくれてありがとう」
ザクリスは、首を横に振った。
「私の方こそ、頭ごなしに関わるななどといって悪かったね。レイフ君の気持ちを無視して、自分の意見を押し付けるばかりだった」
「そんなことねえよ、ザクリスさんがオレの安全を優先させてくれてたことはちゃんとわかってる。オレの方こそ生意気なこと言ってごめん」
真摯に謝るウィルヘルミナをみて、ザクリスは微笑み返してその頭をくしゃりと撫でる。
その様子を見たトーヴェが、一瞬だけピクリと反応したが、口には何も出さなかった。
「喧嘩両成敗ということで、この話はもう終わりにしよう。時間もないことだし、さっそく魔法具の作成に取り掛かかろうか。ユピターさんは、数日後に東壁に戻る予定のようなので急いで作ろう」
「わかった。で、魔法具についてなんだけどさ、あんまりいいもの作り過ぎたらまずいと思うんだ。だから、オレが考えてるのは金界第四位、聖界第四位、地界第四位を付与して、相乗効果を期待しようかと思うんだけどどうかな?」
「そうだね、性能は申し分ないだろうね。むしろ良すぎるくらいだけど…まあ、敵が闇界二位以上の使い手かもしれないからね。それが妥当かもしれないね。その魔法具なら闇界二位の呪いであっても無効化できるはずだし…。ただし、出所が知られるのはかなりまずい代物になってしまうけどね」
するとトーヴェが真面目な表情に変わった。
「私は、たとえ捕まって拷問を受けたとしても、絶対に口を割りません。その点はご安心を」
(うわー、なんか物騒なこと言ってる。けど、その可能性があるから言ってんだよな。オレ、トーヴェ先生をかなり危険な目にあわせてるんだな…)
そんなことを考えてると、ウィルヘルミナの様子に気が付いたトーヴェが、気にするなという風に首を横に振った。
「今言ったことは、あくまで最悪の事態を想定してみただけです。私は、捕まるようなヘマはしませんから大丈夫ですよ」
ウィルヘルミナはそっと視線を伏せる。
「でもごめん。オレ、今回の件に限らず、いつも先生に滅茶苦茶迷惑かけてる」
「だから大丈夫だと言っているでしょう。そんなふうに気に病むのはおやめなさい」
「でもさ、オレ、マジで情けねー。やっぱりオレには人の上に立つとか無理だわ。だって先生に背中押してもらわなきゃ、一人じゃ怖くて決断すらできねえんだもん。しかも、我がまま押し通した挙句に、結局こうして先生に守ってもらってさ…」
トーヴェは膝をついてウィルヘルミナに視線の高さを合わせた。
「言ったでしょう。気に病むことはないのだと。これは、私が勝手にしていることです。責任は私にあるのです」
「でも、言いだしっぺはオレだ。オレはさ、先生がそんな危険にさらされることまで考えが及んでなかった。ただの感情論で、やりたいって意地張っただけだ」
「それでいいのです。貴女は、貴女が望む通りのことをすればいい。我々は、その手助けをするだけです。それに、どんなことでもやってみなきゃ結果はわからない。やる前からあれこれ心配しすぎるのは無駄ですよ」
「先生は、ほんとオレに甘いよな。オレには人の上に立つとか無理。絶対に向いてねーよ」
それは、まごう事なき本心だった。
自分の事すらままならないというのに、他人の命を預かるような責任ある立場は、自分には荷が重すぎるとウィルヘルミナは思っていた。
だが、トーヴェは首を横に振る。
「いいえ、貴女はよい上司になれますよ。他人の命に無頓着な人間こそが、人の上に立ってはいけないのです。他者を思いやる気持ちを持っている貴女は、それだけで人の上に立つ資格がありますよ。難しく考えることはありません。あとは優秀な我々が、貴女の手足となって動きますからどうぞご心配なく」
最後は、ウィルヘルミナを安心させるようにおどけつつ、微笑みを浮かべながら言った。
気負うことはないのだとトーヴェの視線や口調が言っている。
(あーやっぱ、先生は先生だな。なんか安心できる)
ウィルヘルミナは、つられてほほ笑んだが、途中ではたとあることに気付いた。
(あれ? ちょっと待てよ。何か知らねーうちに当主を継ぐ話になってねえ? オレそんな気全くねーんだけど)
我に返って考え込む。
(人の上に立つのも無理だけど、それ以上に結婚が無理だからな。当主継いだりしたら、爺さんに『子をなすのは当主の務めだ!』ってぜってー言われるもん)
ウィルヘルミナは、腕を組んだまま一人うなずいた。
(うん、どう考えたって無理。ぜってー無理だわ。けど、オレ逃げられんのか? もし、このままなんとなーく当主にされて、そんで爺さんに結婚をゴリゴリに押されて逃げ切れなくなったらどうする? 最悪トーヴェ先生に泣きつくか?)
トーヴェだったら許容できるかと、そんなことをウィルヘルミナは考えはじめたが、考えていくうちに、やはり最終的には鳥肌がたった。
ウィルヘルミナはカッと目を見開く。
(ダメだ!! やっぱ無理だ!! 先生でも無理!! つか、先生でダメだったら、他の奴らなんか絶対無理じゃん!! ってことは、やっぱり当主回避しにいくしかねーじゃん!!)
一人百面相をはじめたウィルヘルミナを、トーヴェとザクリスが怪訝な顔で見ていた。
「どうしたんですか? レイフ君?」
ザクリスが声をかけるとウィルヘルミナは現実世界に戻ってくる。
「いや、やっぱり無理だってことに気が付いた」
「何がですか?」
トーヴェとザクリスは意味が分からず首を傾げた。
「お爺様の跡を継ぐこと」
その返事を聞き、瞬時にしてトーヴェは固まる。
やがて額に青筋を浮かべながら、にっこりと笑った。
「どうしてそういう答えになるのですか。今私が言ったこと、ちゃんと聞いていましたか?」
「聞いてたよ。でも無理だから。ちゃんと考えたけど、その結果、無理なことが判明した」
トーヴェは立ち上がり、両腕を組んで仁王立ちする。
「貴女の思考は、時々とんでもなく的外れな場所を彷徨いはじめますからね。今更驚きませんよ。でも、何故そんな結果が判明してしまったのか、私にきちんと説明してもらえますか?」
トーヴェは、青筋を浮かべたままひきつった笑顔を張り付けた。
ウィルヘルミナは組んでいた腕を解き、びしりとトーヴェをびしりと指さす。
「じゃあさ、聞くけど、先生はオレと結婚できんのかよ!?」
トーヴェは、とんでもないところから防御なしのパンチを食らったような顔になった。
「は!?」
間のぬけた顔で、全力で聞き返す。
「だ、か、ら、先生はオレと結婚できんのかって聞いてんの! できねーだろ? だから無理」
呆然とするトーヴェを尻目に、ウィルヘルミナが少女であることを知っているザクリスはふむと考え込んだ。
「つまり、レイフ君はトーヴェさんと結婚したいのかな?」
トーヴェが、ぎょっと目を剥く。
しかし、ウィルヘルミナは冷静に首を横に振った。
「別に結婚したくなんかねーよ」
その返事に、トーヴェが今度は全力で安堵の息を吐きだす。
どうやら、かなりの精神的なダメージを受けてしまったらしい。そのまま疲れたようにしゃがみ込んだ。
この時のウィルヘルミナは、トーヴェとの結婚について考えが囚われるあまり、自分がザクリスに性別を偽っていることをすっかり忘れ去っていた。
トーヴェは、ザクリスがウィルヘルミナの性別に気づいていることを承知していたし、ザクリスも当然のように女性と認識して話を進めていたので、三者の話はすれ違うことなく続く。
ザクリスは、不思議そうに首を傾げた。
「じゃあどうしてトーヴェさんとの結婚なんて話を持ち出したのかな?」
「オレ、男と結婚なんかしたくねーし。でもお爺様は、子供を残すのは義務だ! とか言って目ぇ吊り上げて怒るしさ、百歩譲って、先生なら大丈夫かなって考えてみたけど、やっぱ無理だったってわけ」
トーヴェは、しゃがんだままの姿勢で、手のひらで目元を覆った。
「そんな想像のために、私を利用しないでください。肝が冷えましたよ」
「なんだよ先生、それかなり失礼だぞ。オレ、将来は絶対すっげえ美人になるからな。あとでお願いしてきても遅いかんな」
トーヴェは目元を覆っていた手を外し、半眼になってウィルヘルミナを見る。
「自分で言い切りますか、そんなこと。第一、私が貴女に結婚を申し込むなんて、天地がひっくり返っても絶対にありえませんので、どうぞご心配なく」
「へー、そういうこと言っちゃうわけだ。じゃあオレ、お爺様に結婚相手はトーヴェ先生がいい♡って言ってみようかな。それでもいいんだな?」
トーヴェは慌てて立ち上がった。
「絶対にやめてください!! あの方に冗談は通じませんからね!? 年齢も立場もすべて無視して、本当に結婚させられますからね!! 間違ってもそんなこと言わないでください!!」
真っ青な顔で必死に言い募るトーヴェの姿を見て、ウィルヘルミナは意地悪く笑った。
しばらく慌てるトーヴェをニヤニヤと楽しそうに見ていたが、やがてラウリの堅物ぶりを思い出して、ふと冷静になる。
「うん、間違っても言わねー。先生の言う通りになる結果が見えすぎる」
(あの人に冗談なんて通じるわけねーもん)
そんなやり取りを見ていたザクリスが楽しそうに笑った。
「二人は仲が良いですね。とてもお似合いですよ?」
二人は、そろってザクリスを振り返る。
「いやいや絶対無理だから!!」
「冗談でも止めてください!!」
血相を変えて必死に否定する二人を見て、ザクリスは声を上げて笑った。
「ですが、トーヴェさんくらいの人でないとレイフ君の相手は務まらないのではないですか?」
トーヴェが絶望に近い表情を浮かべる。
「人ごとだと思って、無責任なこと言わないでください!! 私にこの人の夫なんて務まるわけないでしょう!? でしたらザクリスさんがなってみたらどうなんです? 貴方の方が私よりも年が近いですしお似合いですよ!?」
トーヴェが引きつった表情でザクリスに押しつけようとしはじめた。
すると、今度はザクリスが慌てた様子で首を横に振る。
「いえいえ、そういうつもりで言ったのではないのです。ただ純粋に、本当にお似合いだなと思っただけなんです」
するとトーヴェは、一度無言になってかたく口を引き結んだ。
悪気なく素でお似合いだと言ってくるザクリスに、トーヴェは怒りのあまりプルプルと肩を震わせる。
「ザクリスさん、余計に悪いですからねその発言は。いったいどこがどうお似合いだと言うんです!? 失礼ですよ、質の悪い冗談はやめてください!!」
「はあ!? 先生の発言も、オレに対してかなり失礼だかんな。なんだよ人の事迷惑そうに言いやがって!!」
ウィルヘルミナもぷんぷんと怒りはじめたが、その時点になって、はたとあることに気づく。
「――――って、あれ? そういえば…」
ウィルヘルミナは、勢い良くザクリスを振り返ってまじまじと見た。
「ザクリスさん…今更なんだけどさ、もしかしてオレが女だってこと気が付いてた?」
ザクリスとトーヴェがウィルヘルミナを振り返る。
トーヴェは『何を今更』という表情を浮かべていたが、ザクリスは苦笑しながらうなずいた。
「ええ、気づいてましたよ」
「そうだったのか!?」
トーヴェが呆れた様子でウィルヘルミナを見た。
「本当にあなたは迂闊な人ですね。今のところ気づいているのはザクリスさんだけでしょうから、ここからは、これまで以上に気を引き締めてくださいね」
ウィルヘルミナは、この言葉にはぐうの音も出ずうなだれた。
「はい、気を付けます」




