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四壁の王  作者: 真籠俐百
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28

 ある晴れた日の早朝、火界一位の契約を終えたウィルヘルミナは、闇界一位契約のために、次の魔法陣を書きはじめているところだった。

 暦の上ではまだ春とはいえ、南部にあるカヤーニの気候は、すでに北壁の夏に等しい暑さになっている。

 湿気が少ないので多少はましなのだが、それでも北部生まれのウィルヘルミナにとっては、初めて経験する南部の暑さ。おかげで、早くもバテ気味になっていた。

「あっちーな」

 ウィルヘルミナは、窓の外に広がる空を、目を眇めて見上げる。

(イヴァール先生は、オレをザクリスさんとこに預けてから一度も顔みせに来ねーし、最近は爺さんからの手紙もこねえ。なんかあったのかな…)

 ぼんやりとした不安を覚えて、ウィルヘルミナはかすかに眉根を寄せる。

 トーヴェとは定期的に顔を合わせているが、イヴァールやラウリとは最近全く連絡がつかなかった。

 ウィルヘルミナから手紙を送ることは許されていなかったため、ラウリたちから便りが来ないとなると、彼らの様子を全く知ることができない。

(ザクリスさんにイヴァール先生の事聞いてみても、はっきりと教えてくれねえし。なんか教会で問題があるっぽいけど、なーんも教えてくれねーんだもんな)

 言い知れぬ胸騒ぎを覚えつつ、ぼんやりと考え事をしていると、不意に外の方が騒がしくなった。

(来客かな?)

 窓からこっそりと外をのぞくと、フレーデリクの姿が見える。

 フレーデリクは、見知らぬ男を伴っていた。

(誰だあの人?)

 男は、見るからに南部人ではない。

 南部の人間は、おおむね肌が浅黒く、黒髪に茶色の目をしている。だがフレーデリクの連れている男は違った。

(あれはたぶん東部の人間だよな)

 連れの男の目は青く、髪は茶色で、肌もモンゴロイドのように黄色がかっている。そういう容姿は、東壁に多い特徴だった。

 ザクリスが出て、二人の応対をしている。

 話を聞くなり、めずらしく顔を曇らせた様子のザクリスを見て、ウィルヘルミナはピンときた。

(フレーデリクさん、また面倒事をザクリスさんに押し付けようとしてんな)

 フレーデリクは、頻繁にザクリス邸を訪れては、その度に頼みごとという名の面倒事を押し付けていく。

 ザクリスはあの通りの性格なので、断ることなくなんでも快く引き受けているが、その都度ウィルヘルミナはザクリスに代わって抗議をし、正当な対価を要求していた。

 フレーデリクはザクリスのパトロンで、日ごろザクリスの研究への援助をしてくれているのだが、それを笠に着て、ザクリスを都合よくこき使う節がある。

 援助の額と、面倒事の難易度が明らかに釣り合ってはおらず、そのため、ウィルヘルミナがザクリスに代わって交渉しているのだ。

(フレーデリクさんは商魂たくましいからな。ザクリスさんじゃすぐ丸め込まれちまう。それに、あんな顔するザクリスさんなんて初めて見るし、きっと無理難題を押し付けられてるんだよな。だったら、やっぱここはオレがいかねーと、どんな不利な約束させられるかわかったもんじゃねー)

 ウィルヘルミナは魔法陣を書く手を止め、玄関へと向かった。



「フレーデリクさんこんにちはー」

 ウィルヘルミナが笑顔で出ていくと、ザクリスがぎょっとした顔になる。対してフレーデリクはというと、意味ありげな綺麗な笑みをその顔に張り付けた。

「やあレイフ君、待っていたよ」

 まるで、手ぐすねを引いて待っていたといわんばかりの表情である。

 ウィルヘルミナはきょとんと首を傾げた。

「へ? 何? オレの事待ってたの?」

 するとザクリスがため息をつき、頭痛を覚えたかのように目元を片手で覆った。

「レイフ君、君は家の中に入っていなさい。フレーデリクさんも困ります。私は先ほどはっきりとお断りしたはずです」

「そんな、冷たいことを言わないで。お願いしますよ」

「駄目です。協力は無理です」

 言い合っている二人の横で、フレーデリクが連れてきた男は、怪訝な表情を浮かべてウィルヘルミナを見下ろす。

「この子は?」

 男の問いかけにフレーデリクが口を開きかけたが、それを遮るようにしてザクリスが先に口を開いた。

「彼は私の弟子です」

 それ以上口を開くなといった表情で、ザクリスがフレーデリクをけん制する。

 フレーデリクは口を閉じ、やれやれとため息を吐き出した。

「参りましたね…」

「とにかく、今回ばかりはそのお話を引き受けるわけにはいきません。どうぞお引き取り下さい」

 いつもは温和なザクリスが、とりつく島もない様子で言い放つ。

 ウィルヘルミナもフレーデリクも、ザクリスのあまりの剣幕に不思議そうに顔を見合わせた。ザクリスの態度がしっくりこず、互いに原因を探るが、どちらも心当たりがない。

 ウィルヘルミナは肩をすくめて見せたが、フレーデリクは、何か言いたそうにウィルヘルミナをちらちらと見ていた。

(えーと、この状況は何なんだ? もしかして今回のフレーデリクさんの頼みごとはオレがらみの事で、それをザクリスさんが断ってるって感じなのかな?)

「あのさ、ザクリスさん…これ、いったい何の話してるのかな? もしかしてオレに関係してたりする?」

 遠慮がちに問いかけた途端、ザクリスの目が鋭く細まり、有無を言わせぬ口調で言った。

「レイフ君、同じことを何度も言わせないでほしいな。君には関係ないから中に入っていなさい」

(こっわっ!)

 ザクリスの形相に、ウィルヘルミナは青くなって首をすくめる。

 穏和な人が怒ると怖いって本当だな、などと感じながら、慌てて家の中に戻った。

 そして、家の中からそっと三人の様子をうかがう。

 ウィルヘルミナがいなくなっても、まだ押し問答は続き、相変わらずフレーデリクは何度も頭を下げてお願いしているようだったが、しかし、ザクリスがきっぱりと断っている姿がうかがえた。

(いったい何なんだ、フレーデリクさんのお願いって? それにしても、あんな怖い顔のザクリスさんはじめて見た。いつもどんなに安い報酬でも、何でも快く引き受けてたくせに、あの男の人の事が嫌いなのかな? うーん、でもそんな感じでもないよな…マジでなんなんだ?)

 ウィルヘルミナは、フレーデリクの同伴者を改めて見やる。

 フレーデリクが連れてきたその男は、無言のまま二人の側に佇み、ただ静かにフレーデリクとザクリスのやり取りを見守っていた。

(あんまり感情を外に出さないから、一見すると何考えてるかわかんねー感じに見える人だけど…でも、オレの直感ではそんなに悪い人には思えねーんだよな)

 男は表情に乏しいだけでなく、無口でもあるようだが、それは生真面目さゆえに思える。

 男は、しばらくの間フレーデリクとザクリスのやり取りを見ていたが、やがて諦めたようにフレーデリクの肩をたたき、丁寧にザクリスに頭を下げて戻っていった。

(うん、やっぱ悪い人じゃねーよな。けど、オレに頼みごとって、いったいどんな頼みごとなんだ?)

 全く見当がつかず、ウィルヘルミナは不思議そうに首を傾げる。

 すると、戻ってくるザクリスと窓越しに目が合った。

 ザクリスは、こっそりとのぞいていたウィルヘルミナを見つけるなり、疲れたようなため息をつく。

 そのまま玄関の扉を開けて中に戻った。

「レイフ君、もしフレーデリクさんから何かを個人的にお願いされるようなことがあっても、今回ばかりは絶対に引き受けてはいけないからね」

「えーとさ、それはなんでか聞いてもいい?」

 ザクリスはウィルヘルミナを見返してから、困ったように言葉を探す。

「私はイヴァールから君の事を頼まれている。今、厄介ごとに関わらせるわけにはいかないんだ」

「フレーデリクさんの頼み事って厄介な事なの?」

 ザクリスは、しばし考え込んだ。

「正確に言えば、まだわからない。でも十中八九厄介な状況に発展しそうな頼まれごとなのは確かだね」

 ザクリスは、ウィルヘルミナを奥へ戻るように促し、歩きながら話しはじめる。

「レイフ君は、変に隠し事をすると余計に興味を持ちそうだから、正直に話すけど、先程のフレーデリクさんが連れてきた男性は、東壁ベイルマン家に仕える家臣の方なんだ」

(え!? ベイルマンの関係者!?)

 ウィルヘルミナは驚きに目を見開いた。

 ザクリスは続ける。

「なんでも高位の闇界魔法を防げるような魔法具や魔術師を探しているらしいよ」

「え!? 高位の闇界魔法? それって放っておいたらまずいじゃん! 助けてやらねえと」

 しかし、ザクリスが首を横に振った。

「ダメだよ。彼が探しているのは聖界第三位を契約済みの魔術師か、もしくはそれに相当する魔法具。つまり彼が必要としているのは、最高位の魔術師、もしくは魔法具なんだ。それだけ厄介な問題に直面しているという証拠だと思う」

「そんなにも困ってるんだったら助けてやらねえと。オレなら助けられるんだから」

 ザクリスがまたしても首を横に振る。 

「確かにレイフ君なら助けられる。でも、君は絶対に目立つような行動をとってはダメなんだよ」

 ザクリスは、北壁に不穏な動きがあることを知っていた。イヴァールから何か指示を受けたわけではないが、イヴァールがザクリスにウィルヘルミナを託したのは、北壁の不穏な動きから守り、遠ざける意図があっての事だとザクリスは理解していた。

 だから、ウィルヘルミナの能力を他者に示して、目立つような事態は絶対に避けたかった。

「はっきり言って、私が知っている魔術師で、聖界三位を契約済みの魔術師は、レイフ君以外にいない。君を紹介できない以上、断るしかないんだ。君は奇跡といって過言ではない能力を持っている。だから、人がなしえない精霊契約をいくつも実現できたけど、本来人間がたどり着ける限界は第三位までなんだ。その奇跡の能力を、これ以上他の人間に知られるわけにはいかない。下手に関わって、悪目立ちするような事態は絶対に避けたいんだ」

「けど…オレならできるのに…。もし直接助けるのが無理だったら、魔法具を作って渡せばいいじゃん?」

 ザクリスは、厳しい表情になる。

「魔法具でもダメだよ。魔法具を作って他人に渡せば、今度はその魔法具の製作者を知りたがる人間が必ず出てくる。とにかく、今、君の存在を知られるわけにはいかないんだ。実際、ベル君の件に関わったがために、フレーデリクさんからこの話を持ち込まれることになったでしょう? だから私も反省したんだ。人助けだからといって、安易に君の能力を使うべきじゃないって」

 そこまで言って、ザクリスはウィルヘルミナの肩に手を置いた。

「私を恨んでもかまわない。こんなことを強いる私を軽蔑してもいい。他者に誇ることのできない選択をしている自覚があるから。でも私は、君を守るとイヴァールに誓ったんだ。この誓いは、どんなものを犠牲にしてでも守り通すつもりだ。今、私の中の優先順位は君が一番なんだ。だから見知らぬ誰かを救うために、君を危険にさらすわけにはいかない。わかってほしい」

 温厚で優しいザクリスに、そう言わせてしまっていることに愕然とする。

(もし助けられるのなら、オレはどんな人のことだって助けたいって思っている。でも、オレのこの考えは、思い上がりなのか…?)

 ウィルヘルミナは拳を握り締めた。

(ザクリスさんはオレを守るためだって言ってる。先生たちもそうだ。ザクリスさんも先生たちも御爺様も…どうしてみんな、そこまでしてオレの事を守ろうとするんだよ…)

 ウィルヘルミナは、いつもこうして周囲の人間に守られている。

 だが、誰かを犠牲にしてまで守られる程、自分に価値があるとは思えなかった。

(こんなふうに守られるような価値、オレにあるとは思えねえ。オレにはみんなの気持ちが重いよ。オレ、どうしたらいいんだ…。このまま、ザクリスさんの言う通りに何も見なかったふりをするべきなのかな…?)

 迷うように視線を伏せたウィルヘルミナを見て、ザクリスもまた沈痛な面持ちで視線を伏せる。

「私は、後でフレーデリクさんのところに顔を出してくるね。レイフ君の事は、くれぐれも他言無用ということで念押ししてくるから」

「でもさ、ザクリスさん――――」

 ザクリスは首を横に振りながら、その言葉を遮るように強引に押しかぶせた。

「レイフ君の性分はわかっているつもりだよ。でも、君はそろそろ自分の立場に自覚を持つべきだと思う。君の存在が敵に知られては困る。だからイヴァールたちは、君をこんなにも遠くに匿っているんだよ。そのことを忘れないでほしい」

 ウィルヘルミナは唇を噛んで黙り込んだ。

 ザクリスは、かすかに眉根を寄せてウィルヘルミナを見下ろす。

「人の上に立つと、いやでも非情な決断を迫られる時がくる。君にはその二本の腕しかない。救えるものには限界があるんだ。全てを救うことなんてできないんだよ。優先順位を間違えてはいけない」

 ザクリスの言い分もわかった。

 でも、納得できない気持ちの方が強かった。

(非情な決断を迫られる時がくる? 今がその時だってことなのか? 助けられるのに見捨てるって事が、その非情な決断ってやつなのか? 本当にこの選択は最善なのか? オレはそんな風に割り切れねえよ)

 心の中では、凶暴な思いが渦巻いている。だが、その言葉を口にして、ザクリスを非難することもできずにいた。

 奇麗ごとを振りかざしてただ責めるのは、あまりにも浅はかで卑怯だと理解できていたからだ。

 ウィルヘルミナが北壁を離れ南壁にいるのは、ザクリスが言う通り、ラウリやイヴァールが安全な場所を用意して避難させてくれているからに他ならない。

 ウィルヘルミナが、独善的な正義をふりかざして行動すれば、彼らの苦労が、全て水の泡になるかもしれないのだ。

 それがわかっているからこそ、何も言えなかった。

 ウィルヘルミナは、拳を白くなるほど握りしめたまま、その場に立ち尽くしていた。


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