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四壁の王  作者: 真籠俐百
26/112

25

 半月後――――。


「おいレイフ、来たぞ」

 ベルは扉の前でそう声をかけ、じっと返事を待つ。

 そこはザクリスの家にある、魔法陣作成用の部屋の前だ。

 ロズベルグ侯爵邸の庭でしたウィルヘルミナとの勝負以来、ベルはザクリス邸を日参するようになっていた。

 ウィルヘルミナは、連日魔法陣の作成に勤しんでいるのだが、ベルが来たときはその手を止め、ベルの気が済むまで手合わせに付き合うことが日課となっている。

「ちょっと待ってろ、きりがいいところでそっちに行くから」

 ベルが待つ扉の内側から、ウィルヘルミナが声を返した。

「わかった、先に中庭に行っているぞ」

 ベルは、こうしてほぼ毎日ザクリスの家を訪れている。まるで慣れ親しんだ我が家であるかのように、堂々とザクリスの家に入ってはくるのだが、しかし、魔法陣を書いている部屋のドアだけは決して開けることはなかった。来訪した旨だけ伝えると、そのまま一人で中庭に移動してしまう。ウィルヘルミナへの態度もかなり軟化し、いろいろと配慮するようにもなっていた。

 訪問時間は、あらかじめ先触れをしてからザクリス邸を訪れていたし、ウィルヘルミナとの手合わせも、作業の邪魔にならないようにしている。なによりベルは、ウィルヘルミナが取り組んでいる精霊魔法の契約について詮索することは一切なかった。

 ただ純粋に鍛錬だけを目的に、ウィルヘルミナのもとを訪れているのだ。

 最近のベルは、ロズベルグ邸でトーヴェの指導を受けているらしく、めきめきと腕を上げている。ただしトーヴェの指導は、周囲の目があるため、ウィルヘルミナに対して行っていたような過激な指導ではない。そのため、ベルの剣はまだお上品さが抜けていないというのがウィルヘルミナの感想だ。

 だからだろうか、ベルはトーヴェの指導だけではなく、ウィルヘルミナとの手合わせも望んでいるのだった。

 魔法陣を書くウィルヘルミナの傍らにいたザクリスは、口元に微笑みを浮かべる。毎日扉越しに行われる二人のやり取りに、思わず笑みがこぼれたのだ。

「最近のベル君はいい顔つきになりましたね」

「うん、確かに。前みたいな投げやりな感じはなくなったと思う」

「レイフ君のおかげですね」

 そう言ってザクリスが笑みを深くすると、ウィルヘルミナは、若干気まずそうな照れたような顔をして口をとがらせる。

「別に、オレのおかげってわけじゃねーよ。ま、ほんのちょっとは、オレも手を貸したけどさ…。でもベル自身や、トーヴェ先生たちのおかげなんじゃねーの?」

 そう返しながらも魔法陣を書く作業を続けていた。

 やがて――――。

「よし! ここまでにしとくか」

 きりのいいところで、汚れを落とすようにパンパンと手をはたき、ウィルヘルミナは立ち上がる。

「じゃあちょっと行ってくる」

「ええ、いってらっしゃい」

 ザクリスは、ウィルヘルミナの背中を見送った。



 ウィルヘルミナとベルが喧嘩まがいの勝負をしたあの後、日が暮れてからザクリスたちと合流し、調査結果の報告を受けた。しかし、結局ロズベルグ公爵の暗殺を裏付けるような証拠を得ることはできなかった。

 調査の結果、ロズベルグ公爵の死因が心臓麻痺らしいという事は突き止められたが、二十年前の状況を知る使用人が少ない上、公爵が亡くなった当時のロズベルグ家のお抱え医師もすでに鬼籍に入っており、詳細を知ることはできなかった。

 公爵は突然死であったようで、一応死因は心臓麻痺とされていたが、これは症状や死亡の経緯から推測されただけの形式的な診断であったようだ。

 そのため、魔法具を使用しての謀殺の線も排除できないため、継続して調査を行っている。

 また、ベルの母親が送った魔法具の行方も並行して捜査されていたが、やはりめぼしい結果は得られていない。

 分かったことといえば、ベルの母親が贈った本当の魔法具は、聖界魔法五位と地界魔法五位の二属性付与がされた首飾りであったということだけだった。その首飾りは、一人の金界魔術師の手からなる魔法具で、名品であったらしい。しかし、すり替えられた後の行方は全く掴めていない。

 めだった成果を上げることもできず、閉塞感の中、二つの調査は今も続けられていた。

 幸いなのは、ベルが頻繁に外出するようになっても、敵の襲撃が止んだことくらいだ。

 前回の罠が巧妙だったことから推測するに、敵は安易に動く相手ではないようだ。

 とはいえ、警戒を怠ってはいない。

 以前、ウィルヘルミナがザクリスの指導の下、ベルのために作った指輪の魔法具は、相乗効果のある傑作。その守りがあれば、魔法による襲撃に対しての防御は万全であった。

 物理的な襲撃に対しても、周囲を一流の軍属魔術師トーヴェ、ラガス、カスパルが固めていることもあり、雇われ暗殺者程度では、その守りを突破することは、ほぼ不可能だ。

 カスパルは、今でこそフレーデリクの護衛をしているが、もとはエルヴァスティ王家直属の近衛騎士団に籍を置いていた精鋭であった。

 カスパル曰く『下手を打って(近衛騎士団を)クビになった』のだそうだ。

 だが、その実力は紛れもない本物で、カスパルとラガスは四職、トーヴェは五職の最強護衛軍団だった。

「ベル、待たせたな。いいぜ」

 ウィルヘルミナが玄関の扉を開けつつ声をかけると、木剣を抱えながら待っていたベルが立ち上がる。

 そうして二人は、いつものように稽古をはじめた。

 一通り稽古を終えると、ウィルヘルミナは考え込むようにして腕を組む。

(うーん…まあ、ベルの筋は悪くねえんだよな。実際、目に見えて上達してるし。でもなんかが足りねえんだよな。真剣さっつーかなんつーか…。安全が担保された環境でしか訓練できねえから、いつまでたっても必死さみたいなもんが足りねえんだよな)

 ウィルヘルミナは、ちらりと護衛たちのいる方向を一瞥する。

 今日はトーヴェ、ラガス、カスパルの三人がそろっており、フレーデリクは調査に出かけているためいない。代わりといってはおかしいが、いつの間にかザクリスが見学に来ていた。

(せっかくおっさんに教わってんのに、勿体ねーんだよな。けどラガスさんもカスパルさんも過保護だし、新参者のおっさんがでしゃばることもできねえんだろうし)

 まいったなと内心でため息を吐く。

(それに、ベルはあんまり精霊契約に重点をおいてねえんだよな。金持ちだから、魔法は一流の魔法具で補おうって考えてる節があるんだよな)

 実際、ベルは剣に三つの魔法――――火界四位、風界五位、雷界四位が付与をされた名品を持っている。

 そのため、今はその剣を使いこなすことに重きを置いているのだ。

(散々精霊契約から逃げまくってたオレが言うのもなんだけど…魔法契約をすることも結構重要なんだよな。ベルはいい剣の魔法具を持ってるから、今更下位の魔法から契約していくのを手間だと思ってんのかもしれねえけど)

 ウィルヘルミナはがしがしと頭を掻く。

(しょーがねーな、いっちょ一肌脱いでやるか)

「ベル、お前さ、筋は悪くねえんだけど、いつまでたってもお上品さが抜けねえんだよな。必死さが足りねーつーかなんつーか…。今のままじゃ、間違いなく実践じゃ通用しねえ」

 そう言って、ウィルヘルミナはちらりとトーヴェを見た。

「今から、ちょっとした実践訓練見せてやるよ」

 その言葉と視線で、トーヴェはウィルヘルミナの意図を瞬時に悟り、不敵に笑う。

 トーヴェは、無言のまま側に置いてあった剣を二本手に取って歩きだし、ウィルヘルミナの前に移動した。

 ウィルヘルミナは、目の前に立つトーヴェを見返したままベルに声をかける。

「ベルはザクリスさんたちのところに行ってろ」

 ベルは一度面食らった様子だったが、すぐに素直にうなずき、ザクリスたちの元へと移動した。

 ザクリス邸の中庭は、ロズベルグ公爵家の庭と違って、魔法具での制限はない。そのため魔法の訓練をするのは全く問題がない。

 だが、トーヴェとウィルヘルミナが存分に戦えるような環境ではなかった。

 ウィルヘルミナは、わずかに考えるそぶりをしてからトーヴェにある提案をする。

「一応縛りをつけとこうぜ。使用していい魔法階位は九位と十位だけってのはどう?」

 ウィルヘルミナもトーヴェも、魔法の練度が高いため、下位の魔法であってもかなり威力が強い。だから制限をかけたのだ。

「なるほど、了解しました」

「あとザクリスさん、ベルとか周囲の建物への防御は頼むな」

「え?」

 急に話しを振られ、ザクリスは面食らった表情になる。

 ウィルヘルミナは、そこでようやくトーヴェから視線を外し、ザクリスを振り返った。

「一応オレたちも考えて魔法使うつもりだけど、この人が相手だとどうなるかわからねーからさ。被害が周りに及びそうになったら、防御を頼むってこと。一応縛りをつけたから、下位魔法しか使わねーけど。この人の魔法の威力かなりえぐいんだよ」

 ザクリスは、戸惑うように目をまたたいている。

 トーヴェは、持っている練習用の剣のうち、一方をウィルヘルミナに差しだした。

 木剣ではなく、本物の剣だ。

 それを見たザクリスは息をのむ。

「まさか真剣勝負…?」

 呆然とつぶやくザクリスを尻目に、ウィルヘルミナは当然のようにその剣を受け取った。

「じゃあそういうことで、はじめようぜ」

「いいですよ。いつでもどうぞ」

 トーヴェが答えたのを合図に、二人は剣を鞘から引きぬいて構える。

 ザクリスは、慌てた様子で何か声をかけようと口を開きかけたが、それよりも前にトーヴェとウィルヘルミナは鋭く踏み込み剣を合わせた。

 甲高い金属音と共に青白い火花が散る。

 ウィルヘルミナの剣も、トーヴェの剣も、躊躇うことなくお互いの急所を狙って繰り出されていた。

 ラガス、カスパル、ザクリス、ベルたちは、驚愕に目を見開きながら、とても鍛錬とは思えない二人の真剣な戦いぶりに見入る。

 トーヴェが、微塵のためらいもなくウィルヘルミナの首を切り落とすかのように剣を薙ぐと、ウィルヘルミナは身を低くしながら前に転がる。かわしざまトーヴェの足元に剣を滑らせた。

 トーヴェは軽く飛んでその切っ先をかわしつつ、同時に火界九位魔法を唱えた。

「バイザク」

 炎が生まれ、ウィルヘルミナに襲い掛かる。

 ウィルヘルミナは、とっさに地界九位魔法を唱えた。

「アフ・プチ」

 ギリギリのところで土壁が生まれ、炎からウィルヘルミナを守る。

 その土壁が消える瞬間を狙って、今度はウィルヘルミナが風界十位魔法を唱えた。

「エラテムー」

 風魔法と一緒に剣を振るい、鎌鼬と同時に剣を使ってトーヴェの腹部に切り込む。

 トーヴェは、鎌鼬をかわすことなく体で受け止め、ウィルヘルミナの切っ先だけを剣で受け止めた。

(くそ、先生の奴、これくらいの魔法の威力なら防御する必要もねえってことかよ!)

 トーヴェの体のあちこちが、鎌鼬によって切り裂かれ、鮮血が飛び散る。

 だがトーヴェは、そのまま蹴りを放って、ウィルヘルミナの頭部を足で狙った。

 ウィルヘルミナは腕を上げて蹴りを受け止める。トーヴェの蹴りの軌道に合わせて威力を殺すように飛んで受け流す。

 ウィルヘルミナはそのまま地面に両手を突けて器用にくるりとまわって着地した。

 その着地を狙って、トーヴェが雷界十位魔法を唱える。

「ウハイタリ」

 ウィルヘルミナはもう一度器用に宙を飛んで回り、雷の攻撃をかわした。

 その動きの中で、風界九位魔法を唱えて剣に宿らせる。

「タウィスカラ」

 金界魔術師が、金界魔法で中和を行わず武器に魔法付与をすると、数回程度は魔法具と同じ効果が発揮できる。いちいち魔法を唱えずに済む分、素早い連続攻撃が見込めた。

 だが、魔法効果が通常より弱いのが難点だった。

 着地するなり風界魔法を宿した剣を鋭く二回振り抜くと、風が鋭く空を切り裂きトーヴェに襲い掛かった。

 トーヴェは地界魔法を唱える。

「アフ・プチ」

 土壁が風を受け止めたが、ウィルヘルミナはもう再度剣を振り抜き、風を放った。

「アフ・プチ」

 またしても土壁がその風を受け止めるが、その隙にウィルヘルミナが一気に距離をつめてトーヴェに切りかかる。

 トーヴェの腹部に鋭く剣を突き出すと、トーヴェの重い剣がその攻撃をはじいた。

 トーヴェは剣を返し、ウィルヘルミナめがけて続け様に剣を振り下ろす。

 ウィルヘルミナは、その攻撃を剣で凌いだ。素早く繰り出されるトーヴェの重い剣を、何度も受け止める。

 だが、重いトーヴェの剣に徐々に押されはじめた。

(くそっ! 先生の奴、眼帯の死角ばっかり狙いやがって!)

 トーヴェは、ウィルヘルミナの眼帯によってできた死角を意図的に狙い、わずかに反応が遅れた隙を狙って逆側から蹴りを放つ。トーヴェの放った蹴りはウィルヘルミナの腹部にきまった。

「ぐっ!」

 体を吹き飛ばされ、呻き声を上げながらも体を捻って着地するが、今度はそこを狙ってトーヴェの雷界魔法が襲い掛かる。

「ウハイタリ」

 ウィルヘルミナは、反射的に氷界十位魔法を唱えて雷にぶつけた。

「アヒファトゥモアナ」

 雷と氷がぶつかり、爆発が起こる。

 雷を帯びた氷の欠片が、周囲に飛び散った。

 呆然と戦いを見守っていたザクリスが、慌てた様子で地界七位魔法を唱える。

「カイタバ」

 飛び散った氷の欠片は、ザクリスが作り出した土壁に刺さって消えた。

 その間にも、ウィルヘルミナは火界魔法と風界魔法を続け様に唱えてトーヴェにぶつける。

「バイザク」

「タウィスカラ」

 二つの魔法がトーヴェの側でぶつかり爆発を起こす。

 またしても周囲に炎が飛び散り、ザクリスが地界魔法を唱えた。

「カイタバ」

 ザクリスの作り出した土壁が、今度は炎を防ぐ。

 トーヴェは地界魔法で爆発を凌いでから、火界魔法と雷界魔法を唱えてウィルヘルミナに向かって放った。

「バイザク」

「ウハイタリ」

 一点を狙って同時に放たれた火と雷とがぶつかって爆発を起こす。その爆発を狙って、駄目押しとばかりにトーヴェは風界魔法を唱えた。

「タウィスカラ」

 三つの魔法がぶつかりあい、激しく爆ぜる。

 爆発が大地を抉り、無軌道な炎と雷と風がウィルヘルミナに襲い掛かった。

 ウィルヘルミナは、自分の足元に地界魔法を放つ。土壁が盛り上がり、そのままウィルヘルミナを高く持ちあげた。

 ラガス、カスパルが、ぎょっと驚く。

「な!? 地界魔法を足場にした!?」

 ウィルヘルミナは、土壁に高く持ちあげられている隙に、剣に雷界九位魔法を付与して雷をまとわせる。

「スタ・アウ」

 そのまま土壁から飛び降り、トーヴェめがけて剣を振り下ろし、雷を放った。

 だが、トーヴェもその攻撃を予測していた。

 宙に身を投げだしたウィルヘルミナに向かって、一定間隔で次々と魔法を放っていく。

「バイザク」

「タウィスカラ」

「ウハイタリ」

 ウィルヘルミナは、その魔法攻撃を剣で切り裂き、いなしていったが、最後の雷界魔法をいなすのに失敗し、自分の剣に付与していた雷界魔法とぶつかって爆発が起きた。

 その爆発の衝撃で、ウィルヘルミナの体は吹き飛ばされる。

 ウィルヘルミナは空中で体を捻って見事着地したが、トーヴェはその間に一気に距離を詰めていた。

 トーヴェの剣が、ウィルヘルミナの首を跳ね落とさんばかりの角度で、鋭く切り込んでくる。

「まいった!!」

 とっさにウィルヘルミナが叫ぶと、トーヴェの剣がピタリと止まった。

 ウィルヘルミナは、本気で首を狙っていたトーヴェの切っ先を、恐怖に引きつった顔で見つめる。

(あっぶねー、間に合わねーかと思った)

 トーヴェが剣を収めると、ウィルヘルミナは安堵の息を吐きだした。

 そのやりとりを見つめていたラガス、カスパル、ザクリス、ベルは呆然と立ち尽くしている。

 トーヴェは手を差し出し、ウィルヘルミナの手を取って立ち上がらせた。

「身軽さを生かしたい気持ちはわかりますが、空中戦は守りがおろそかになります。むやみやたらと上に飛ぶのはやめなさい。それから、敵の動きから目を離すのも良くない。死角への対処も今一つ。あと、着地のときに脇が甘すぎますよ」

「わかってるよ!」

 ダメ出しのオンパレードに、ウィルヘルミナはかなりへこむ。

 やはり、まだまだトーヴェには敵いそうもない。

 ウィルヘルミナは、唇を不満そうに突き出しつつも、しっかりとトーヴェの話に耳を傾けていた。

 注意点を聞き終えると、ウィルヘルミナはベルを振り返る。

「型通りのお上品な訓練するよりも、今みたいな実戦経験積んだ方が、腕は格段に上達する。それは断言できる。ま、お前の周りの人に止められるかもしんねえけどな。でもやる気があるなら説得してみれば?」

(せっかくトーヴェ先生みたいないい師匠が側に居るんだし)

 言外にほのめかすと、ベルはすぐさまラガスとカスパルを振り返った。

 しばしの逡巡の後に、ベルの目に宿る熱意に負け、二人は諦めたようにうなずいてかえした。


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