24
ウィルヘルミナは、ロズベルグ侯爵邸の庭に寝転がり、ぼんやりと空を見上げていた。
ザクリスは、フレーデリクと一緒になってロズベルグ公爵の死因を調査している。
その間、ウィルヘルミナは待つように言われているのだが、暇を持て余し、気分転換に外に出て寝転がっていたのだ。
(今回の件は、色々とやばいな。もし二十年前の公爵の死因が暗殺で、今回のベルの暗殺と何か関係があるとしたら…なんか途方もない事件に発展しそうだよな。それに金界二位に闇界二位か…。オレ、もっとまじめに精霊契約しておかねえとまずいかもしれねえ)
こんなことなら、ラウリやイヴァールから手を抜いていることを指摘され、注意を受けるよりももっと前から、真面目に取り組んでおけばよかったと、今更ながらに後悔していた。
(そういえば爺さん、今頃どうしてっかな。元気にやってりゃいいけど…)
ラウリとは、しばらく会っていない。
顔を合わせれば叱られるばかりだったのだが、あの怒鳴り声が聞けないのは少し寂しかった。
(なんだかんだ言って、爺さんはいつもオレの事を思って叱ってくれてたからな。それに、オレが気付かないところで、オレに優しくしてくれてもいた。疲れて寝落ちしたら、ベッドに運んでくれるのはいつも爺さんだったし、それに、オレの事を厳しく鍛えていたのは、オレ自身が強くならなきゃ自分の身を守ることができないからだろうし…)
ラウリやイヴァール、トーヴェが厳しかったのは、全てウィルヘルミナのためを思っての事なのだ。
そして、今こうしてウィルヘルミナ一人を南壁に赴かせ、金界魔法を勉強させているのは、おそらく北で不穏な動きがあるからに違いない。
ラウリは、ウィルヘルミナを危険から遠ざけようとして南に逃がしたのだ。
(イヴァール先生は、爺さんは強いから大丈夫だって言ってたけど、でもやっぱり心配だ。今はトーヴェ先生もイヴァール先生もそばにいない。爺さんは一人だ。本当に大丈夫なのかな…。まあこんなこと言ったら、人の心配なんかしてる場合じゃねえって、爺さんには怒られそうだけど。オレ自身がもっと強くならなきゃな…。そうじゃねえと話になんねえ)
ウィルヘルミナが、明らかに力不足であるからこそ、今回一人で南に逃がされたのだ。そう思い至り、ウィルヘルミナは草の上で起き上がる。
(決めた。オレは精霊契約全部完了させる。次に会った時に、爺さんや先生たちをぜってー驚かせてやる)
「おし、気合入った。やんぞ」
小さく呟いて立ち上がると、不意に背後に気配がした。
振り返るとそこには、久しぶりに会うベルの姿があった。
「ベル!? どうしたんだよ。一人なのか? 護衛は?」
ベルは腰に手を当て、疲れたようにため息をつく。
「まいてきた」
「なんで? お前一人歩きは危険だぞ」
「屋敷の敷地内だ。別にいいだろう。私だって少しくらいは息抜きがしたい」
むっつりとつぶやき、地面に尻をついいて、両足をそのまま無造作に投げ出す。いつもの貴族らしく取り澄ました大人ぶった姿とは全く違い、年相応の子供らしさが垣間見えていた。
ベルのそんなめずらしい姿に、ウィルヘルミナは思わず笑みを漏らす。
「ま、わからなくもねーけどなその気持ち。オレだったら、こんなところにずっと閉じ込められてたら発狂するからな」
ベルは眩しそうに目を細め、ウィルヘルミナを見上げた。
「お前はいいな、自由で」
ウィルヘルミナは軽く目を見開き、やがてばつが悪そうに鼻の頭を指で掻く。
「まあな、確かにオレは自由で気楽だよ。でもな――――」
そこで一度言葉を切って真顔でベルを見た。
「そんなふうに悲観するもんじゃねーぞ。お前には仲間がいて、その仲間が今お前のために動いてくれてる。今が多少不自由だからってそんなに腐るなよ。一生このままってわけじゃねえ。お前が自由に外を歩けるように、オレも手伝ってやるからよ」
するとベルがかすかに笑う。
「お前は、心底変わったやつだな。お前も色々と事情がありそうなのに、どうしてそんなふうに前向きで居られる。お前からは、誰かに命を狙われているような悲壮感が全く感じられない」
ベルは、フレーデリクを通してウィルヘルミナの置かれている現状の説明を受けていた。
それゆえ、ウィルヘルミナも命を狙われていることを知っていたが、当の本人は怯えるどころかこの通り。それが不思議でならなかったのだ。
「んー」
ウィルヘルミナは、言葉を探しながら後頭部の辺りを困ったように掻いた。
「ま、腐っちまうお前の気持ちもわからなくはねえんだよ。けどな、生きてるとどうにもならねえことっていくつもあんだよ。泣こうが喚こうが、どうにもできねえ問題に直面することは、生きてりゃ何回でもある。結局はじたばたしたところで現状は変えられねえわけだし、そんな時に悲観してたってしょーがねえだろ? オレはくよくよしながら暮らすより、楽しく暮らしてー。ただそんだけだ」
「なるほど、お前は根が楽観的にできているのだな」
ベルが呆れ混じりに小さく笑った。
「はあ!? んだよ、文句あんのかよ。そういうお前は苦労性の心配性みてーだな。そんな人生つまんねーし、将来禿んぞ」
しかしベルは、笑うことも怒ることもなく、ただ真面目な表情になって空を見上げた。
「お前のような考え方になれたらいいが、私には無理そうだ。今の私の暮らしには、お前のように楽しめる要素が全くない。むしろ常に人を疑い、足元をすくわれないように疑心暗鬼になるばかりだ」
『レイフ君、お願いがあるんですけど…。ベル様のお友達になってはくれませんか?』
『じゃあ話し相手でもいいんです。たまにベル様のところへ顔を出してはもらえませんか?』
ウィルヘルミナの脳裏に、ふと、フレーデリクの言葉が思い浮かんだ。
(そうか…そうだな…。少なくとも、オレは見た目通りの年齢じゃねえ。生まれ変わる前の過去で色々なことを経験し、絶望を知り、諦めを知り、もがき苦しんでようやく今の境地にたどりついた。でも、ベルは違う。きっとベルは、物心ついた時から今みたいに命を狙われ続けて育ってきたんだ。だから、この鳥かごの中で怯えて暮らすような生き方以外知らないんだ)
ウィルヘルミナはぐっと拳を握りしめる。
「おいベル、お前剣術はできるか?」
「どうした急に?」
「あのな、人間考える時間が多すぎると、余計な事を考えちまうんだ。だから体動かすぞ」
ベルはきょとんとした。
ウィルヘルミナは近くに落ちていた棒を拾い、ベルに放り投げる。
ベルは、反射的にそれを受け取った。
「体動かしてれば、変なこと考えねえし、いざって時にお前のためにもなる。お前はお姫様じゃねえんだから、少しくらいは自分で自分の身を守れるようになっておいた方がいいだろ?」
ベルは、無表情に握った木の棒をじっと見下ろす。
「別に、そこまでして生きたいと思わない。私はある人物に死を望まれている。疎まれているのだ。時折、そんなにも私を殺したいのなら、死んでやってもいいかなとすら思うことがある。私は、必要とされていないのだ」
達観し、諦めきったようなベルの言葉に、ウィルヘルミナはカッとなった。
「馬鹿かてめー! 何かっこつけてんだよ。世の中にはな、死ぬほど生きたいと願っていても、生きることができねー人間が存在すんだよ! 死んでやってもいいだ!? 何様のつもりだ! ふざけんじゃねえ!」
(そうだ。かつてのオレは、死ぬのが怖かった。移植できない場合の命の長さをあらかじめ宣告されて、そして移植の困難さも知らされていて、もう長く生きることができないのだとわかっていても、とうとう受け入れることなんてできなかった。最後まで、死ぬのが怖くてしかたなかった。なのに、死んでもいいだ? ふざけんな!)
「おまえはな、今お前のために頑張っている人たちの気持ちまでも踏みにじろうとしている。お前はいいよな。死んじまえば楽になれる。けど、じゃあお前の事を救おうと、今まさに必死になって頑張っている人たちの気持ちはどうなるんだよ。お前が死んじまったら、みんなこの先ずっとお前を救えなかったという後悔を抱えて生きていかなきゃならねえ。お前は、自分の事しか考えてねえ。甘ったれんな!!」
ウィルヘルミナは、ベルの胸ぐらを掴んで持ち上げた。
「立て。オレがてめーのその腐った根性叩き直してやる」
ベルは、ウィルヘルミナに引き上げられるまま立ち上がり、うつろな表情のまま立ち尽くす。
「歯ぁ食いしばれ」
言うなり、ベルが構える隙も与えずに殴りかかった。
ベルは横っ面を殴られ、吹き飛ばされる。
するとベルは、血が出た口元を拭いながら起き上がった。その目には怒りの色が宿っている。
「何故お前に殴られなければならん!?」
「お前は、どうせ死んだっていいんだろ? だったら死ぬ前にオレに殴られとけよ」
「だからといって、大人しくお前に殴られてやるいわれはない!」
ベルは、怒りに任せて踏込み、ウィルヘルミナに木の棒を振り下ろした。
だが、ウィルヘルミナは軽々とかわし、その腹部に蹴りを叩きこんだ。
ベルの体はまたしても簡単に蹴り飛ばされる。
「おい、確認だけどこの場所でも聖界魔法使っても大丈夫だよな?」
ベルの部屋で聖界魔法を使えたのだから大丈夫だとは思ったが、念のため確認したのだ。
「だったらなんだ!?」
ベルが噛みつくように言い返す。
しかしウィルヘルミナは、小さく肩をすくめただけだった。
「一応確認しただけ」
痛みに呻き声をあげるベルに、ウィルヘルミナは聖界第九位魔法を使う。
「ミクトランテクウトリ」
すると、ベルの体から痛みが取り除かれた。
ベルは、かすかに目を見開き、ウィルヘルミナをじっと見返す。怪我を治した意図が掴めなかったのだ。
「ボーっとしてんなよ。まだまだこれからだかんな」
今度はウィルヘルミナが鋭く踏み込み、ベルの頭めがけて蹴りを放った。
ベルは腕を上げて防ごうとしたが、防ぎきれず、まともにくらって体が吹き飛ばされる。
「お前弱すぎ。体術も剣術もまともに教わってねえのかよ」
ベルは、顔を怒りに染めて立ち上がった。木の棒を構え、上段からウィルヘルミナの頭めがけて振り下ろす。
だがウィルヘルミナはすれすれの位置でかわしながら、ベルの腹部に掌底を叩き込んだ。
ベルの体は、またしても後ろに吹き飛ばされる。
「ミクトランテクウトリ」
ウィルヘルミナは、再び聖界魔法でベルの怪我を治した。そしてベルの側に歩み寄り、ベルを見下ろす。
「オレの師匠たちは無茶苦茶厳しくてな。手が折れようが、足が折れようが、肋が折れようが絶対に赦しちゃくれねえ。お構いなしにがら空きの場所狙って打ち込んでくる。その度にこうやって魔法で回復してはまた打ち込むのを繰り返すんだ。オレはお上品な剣術なんて教わっていねえ。だからお前のそのお行儀のいい剣術は通用しねえぞ。殺す気でかかってこいよ」
ウィルヘルミナは、ベルの側で挑発するように構える。
ベルは木の棒を持っているが、ウィルヘルミナは無手だった。
ベルはスッと目を細め、木の棒を構えたまま低く腰を落とす。
間合いを探り、一気に距離をつめて、ウィルヘルミナの首元めがけて棒を突き出した。
だが、ウィルヘルミナは流れるような動作でその攻撃をかわし、そのままベルの腕を掴んで体を捻り、軽々とベルの体を投げ飛ばす。
ベルは背中から地面にたたきつけられ、呼吸困難に陥りゴホゴホと咳をした。
「ミクトランテクウトリ」
ウィルヘルミナは、再びベルの怪我を治してから両手を腰に当てる。
「お前、攻撃が見え見えなんだよ。あんなんじゃ、オレには一発もあてられねえぞ」
ベルはギリギリと歯を噛みならしながら起き上がった。そしてまた棒を構える。
二人のそんなやり取りに、遠くで気付いた者がいた。フレーデリクだ。
フレーデリクは、ベルの所在が分からなくなったという報告を受け、すぐに屋敷の者の手を借り、手分けをしてベルを探し回っていた。
庭先でようやくベルの姿を見つけだし、慌てた様子で二人に駆け寄ろうとする。
しかし、それを止める者がいた。トーヴェだった。
トーヴェは、フレーデリクよりも一足先にベルを見つけており、陰から二人の様子を見守っていたのだ。
トーヴェは、近づこうとするフレーデリクを遮るように手を伸ばし、無言のまま止める。
「トーヴェさん!? 何をなさいます。早くお二人を止めないと!」
「およしなさい。あれでいいのです」
「あれでいいですと!? 正気ですか貴方は!? 貴方はベル様の護衛でしょう!? ベル様にお怪我をさせるような護衛など、職務怠慢も甚だしい!」
するとトーヴェは首をめぐらし、怒るフレーデリクを静かな眼差しでみた。
「あなた方のように、大切にしすぎるあまり、転ぶ前に目の前にある小石を取り除いてやるようなやり方では、彼は真に強くなることはできませんよ。もっと彼の力を信じて、見守ってやりなさい。もっと学ぶ機会を与えてさしあげるのです。転べば痛いのだと。転んだあとは、自らの力で立ち上がらなければならないのだと。彼自身の力で進むべき道を切り開き、まっすぐ歩んでいけるように見届けてやることこそが大人の役目です。ただやみくもに危険から守ってやることは、甘やかすことと同義。全く彼のためにはなりませんよ」
フレーデリクは痛いところを突かれ、続けようとした言葉を思わずぐっと飲み込んだ。
トーヴェは視線を子供たちに戻し、嬉しそうに目を細める。
「子供の成長というのはあっと言う間ですね。なんと頼もしいことか」
トーヴェの視線の先では、ウィルヘルミナとベルの勝負が続いていた。
ベルの目から、いつの間にか鬱屈した陰りは消えうせており、今はウィルヘルミナに対する純粋な怒りだけに染まっている。
「彼らが作り上げる未来が、待ち遠しいものですね」
トーヴェは腕を組んだまま微笑みを浮かべ、ウィルヘルミナとベルの姿をじっと見つめていた。




