23
時はさらに二週間が過ぎ、ウィルヘルミナは火界第三位魔法の契約を完了した。
その日、遅めの朝食をとり終えると、ウィルヘルミナとザクリスはロズベルグ侯爵邸へと向かう。
ロズベルグ邸に着くと、屋敷の入口には、すでにフレーデリクが待ち構えていた。
「待っていましたよザクリスさん。どうですか、予定通り鑑定はできそうですか?」
「ええ、できます。とはいっても、正式な鑑定ではなく、他属性の付与の有無について調べてみるだけですが」
「そうですか…。それでもよかった、助かります」
フレーデリクは、安堵の息を吐きだす。
三人は移動しながら話を続けた。
「そうそう、こちらもお待ちしている間に、今回の件についてできる限りの事は調べておきましたよ。あんなにも大きな魔法具を、堂々とベル様の寝室に仕掛けたわけですから、見過ごすことはできません」
(そうだよな、ベッドみたいな大きな魔法具ともなれば、こっそり仕掛けるなんて絶対に無理だし、設置の経緯を探ればすぐに犯人にたどり着けるはずだよな)
ザクリスは、ふむとうなずく。
「それで、どういう経緯であの魔法具が設置されることになったのですか? 実行犯は特定できたのですか?」
フレーデリクは、硬い表情でザクリスを見返した。
「結論から言うと、設置した人物の特定はできていません」
「なんで!? 誰があのベッドを運び入れたのか、そんな簡単なことも突き止められなかったのかよ? いったいここの警備はどうなってんだよ?」
ウィルヘルミナが、納得がいかないと横から声を上げる。
フレーデリクは、ウィルヘルミナに視線を移すと表情を曇らせた。
「あのベッドは、最近運び入れられたわけではないのです。正直言って、誰が運び入れたものなのか、今となっては特定するのは困難です」
フレーデリクは、硬い表情のまま続ける。
「実は、今ベル様がお使いになっている部屋は、先代公爵様がお使いになっていたお部屋で、二十年前に公爵様がお亡くなりになった後は、最近まで全く使われなくなっていたお部屋なのです」
フレーデリクの話によると、二十年前に亡くなった先代公爵の名はヴェルネリ・ロズベルグ。
ヴェルネリは、現アードルフ国王の父親の弟――――つまり、アードルフにとって叔父にあたる人物で、アードルフの妻であるシルヴィ王妃の父親でもある。
アードルフと妻のシルヴィは従弟同士で、ここロズベルグ邸はシルヴィの実家であるのだ。
その話を聞き、ウィルヘルミナはぎょっとして息をのむ。
(おいおい、いきなりすげービッグネーム出てきたぞ。てか、もしかしたらベルは、そんなすげー人間の縁戚の可能性もあるってことだよな…。うーん、そう考えるとやっぱり王家がらみか…)
そこまで考え込んでから、ウィルヘルミナは慌てて首を横に振った。
(あー、やめやめ! かなり気にはなるけど、これ以上この件を掘り下げるのはやめだ。オレの事を詮索するなって言ったら、ベルはきちんとそれを守ってくれたんだ。だから、オレもベルの事を詮索するわけにはいかねえ。オレたち個人の関係に、家とか血統は関係ねえからな。少なくともオレはそう思ってる。だから王家とか公爵とか、そういうのはこの際全部無視だ)
そんなウィルヘルミナの決意をよそに、フレーデリクの話は続く。
「あのベッドは、亡きロズベルグ公爵が、生前長年ご愛用なさっていたベッドでした。購入されたのはかなり昔の事になるようで、古参の使用人にも確認しましたが、購入時期は記憶にないそうなんです。購入先を知る者も一人もいませんでした」
ザクリスは、顎をつまんで考え込んだ。
「なるほど、今となっては購入先も購入時期も突き止めることは不可能というわけですか。しかし長年使用されていたという事は、発動条件が特殊なベッドであったため、公爵様は魔法具とは知らずにご愛用なさっていたという事になるのでしょうか? それとも、後発的な理由――――つまり、誰かが今回の暗殺のために、金界魔術師を屋敷に侵入させて、ベッドに魔法を付与して魔法具にしたのでしょうか?」
「敵の屋敷への侵入を許すなどという失態はないと思いたいのですが、実際は警備に穴があるのでしょうね。今回の他にも、魔法具を仕掛けられていたわけですから…。面目ないことです。しかし、こんな状況では説得力に欠けるかもしれませんが、ベル様の部屋の管理だけは徹底的に行っておりました。賊が寝室に侵入して金界魔術を付与するような隙はなかったはずです」
その言葉にザクリスとウィルヘルミナは一度黙り込む。
フレーデリクは続けた。
「公爵様が魔法具と知らずにご愛用なさっていたという線については、今のところ否定できません。ですので私は、公爵様が魔法具とは知らずに偶然手に入れ使っていた魔法具を、今回たまたま暗殺に利用されてしまったのではないかと考えています」
ザクリスは首をひねる。
「うーん、しかし暗殺に利用するためには魔法具の鑑定が必要ですから、結局は部屋に侵入しなければなりません。侵入の隙が無かったにもかかわらず、魔法具を暗殺に利用したというのは矛盾が生じます」
「なるほど、確かにそうですね…」
フレーデリクもうなるように考え込んだ。
「もし仮に賊の部屋への侵入を許さなかったとするならば、今回の暗殺未遂事件は、実は暗殺ではなく、偶然起きてしまった事故という可能性も出てくるのではないですか?」
「いえ、それだけはありえません」
フレーデリクがザクリスの言葉をきっぱりと否定する。
「その根拠は?」
「聖界三位魔法が付与された首飾り型の魔法具ですが、あの魔法具はベル様のお母上の贈り物などではなく、故意にすり替えられたものだったのです。つまりベル様は、明らかに狙われていたということです」
(え!? あの魔法具はすり替えられたものだったんだ。そっかぁ、けどよかったー、ちょっと安心したわ。やっぱりベルの母親は冤罪だったんだな)
ウィルヘルミナは、一人内心で安堵する。
「ベル様のお母上が、ベル様に魔法具の贈り物をなさったことは事実でした。しかし、いざベル様のお手元に届いた物は、お母上がお選びになった物とは全く別の物だったのです」
「ふーん、じゃあさ、今度は贈り物を運んだ経路を調べればいいだけじゃねえの?」
するとフレーデリクは、難しい顔をした。
「贈り物を運んだ者は身元のしっかりした者です。ただ、第三者がすり替える機会がいくらでもあったため、その線から犯人をたどることは難しいでしょう。ベル様のお母上は、王都イーサルミにお住まいです。イーサルミからここカヤーニまでの道のりは、陸路で十日程度かかります。運搬中のその間、例の魔法具がいつ誰によってすり替えられたのか特定することは、現状では困難なのです」
(イーサルミかぁ…けっこう遠いな。そう言えば、ベルの実家はイーサルミにあるって言ってたもんな。たぶん母親はベルの事が心配で魔法具を贈ったんだろうけど、じゃあ父親はどうしてんだ?)
ウィルヘルミナは腑に落ちない様子で首を傾げた。
(そもそもこんなちびっこを一人で遠くに滞在させたりして、かなり薄情な家族だよな。ベルは事情があるって言ってたけど、いったいどんな事情だよ)
フレーデリクは疲労の濃いため息をつく。
「ですから、正直なところ、犯人捜しは手詰まりの状態なんです」
フレーデリクは、硬い表情でザクリスを見た。
「ザクリスさんの方はどうですか? これだけ手の込んだ罠を仕掛けられるような金界魔術師なんですから、かなり高名な金界魔術師の仕業だと思うのです。そちらの線から犯人につながる手がかりを見つけることはできませんか?」
一縷の希望を込めたフレーデリクの視線を受け、ザクリスは首を横に振る。
「無理ですね。これだけの能力のある金界魔術師が、もし自らの力を公表しているというのなら、我々が知らないはずがありません」
そう言って、ザクリスは難しい顔で考え込んだ。
今回使用された魔法具に付与されている魔法ついて、フレーデリクにはまだ詳細を伝えていない。そのため、フレーデリクが知っている事実は、ウィルヘルミナが最初に伝えた鑑定のみ。ただ闇界魔法が付与されているという事実と、発動条件は聖界三位魔法であるということだけなのである。
つまりフレーデリクは、闇界二位魔法の付与がされている事実を知らない。そのため、ザクリスに金界魔術師の件を訊ねたのだが、もしそんな高位魔法を使えるような魔術師の存在が公にされているのなら、世間で話題にならないはずがない。誰もが知っていて当たり前の、英雄的な存在となっているはずなのだ。
ザクリスも、目の前にこの魔法具が存在していなければ、二位魔法の契約ができるような魔術師の存在には半信半疑であったはずだ。
だが、実際問題それは存在している。
ザクリスの返事に、フレーデリクは肩を落とした。
「そうですか、やはり無理ですか」
ザクリスは考え込んでいた顔を上げる。
「いずれにせよ、魔法具の鑑定が出来なければ今回の罠は仕掛けられないのですから、敵に屋敷への侵入を許してしまった事だけは紛れもない事実でしょう。警備体制をもう一度見直す必要がありますね」
フレーデリクはその言葉にうなずいた。
「ええ、今回の事件が発覚して以来、ラガス様が先頭に立って見直しを行っています。二度と失敗が起こらないように全力を尽くします」
「そうですか、では我々は、今我々にできる得る最善を尽くさせていただきますね。先程も少し触れましたが、今日の鑑定で正式な鑑定結果を出すことはできません。できるのは、他の属性付与がないかどうかの鑑定だけ。物が物ですからね。中和もできないのです」
魔法具を中和するには、同等以上の階位で中和をする必要になる。つまりベッド型の魔法具を中和して無力化するには、金界第二位以上の中和を施す必要があるのだ。
ザクリスとウィルヘルミナは、二人とも金界第三位までの契約しかできていないので、魔法具を中和することはできない。
「ザクリスさんでも中和ができないという事ですか!? つまり、それだけ上位の魔法を付与されている魔法具という事ですか!?」
その事実を改めて突き付けられ、フレーデリクは絶句した。
フレーデリクは、ザクリスの金界魔法の契約階位を知っている。
ザクリスが中和できないという事は、金界二位以上の付与がされているという事に他ならないのだ。
ザクリスは、深刻な表情で口を開く。
「はい、それに今回の罠を仕掛けるための魔法具の鑑定は、相克する魔法が付与されているので、おそらく複数の金界魔術師によってされたものであるとは思うのですが…現状でははっきりしません」
本来なら、相克し合う属性を一人の魔術師が契約できるなどありえないことである。
よって複数の金界魔術師によって鑑定されたものと考えるのが一般的なのだが…。
ザクリスはちらりとウィルヘルミナを見やる。
聖界と闇界の両方を契約できる規格外の存在が身近にいるため、複数犯と断定できなくなってしまっていたのだ。
フレーデリクも、ウィルヘルミナが相克する魔法の契約が出来ている事実を認識しているし、聖界二位魔法が契約済みであることも知っている。
これまでの常識を覆す存在が、実際に目の前に存在している今、認めたくはなくとも、ザクリスの言葉を事実として受け止めるほかはなかった。
ザクリスは続ける。
「とにかく、複数であるにしろ単独であるにしろ、敵の金界魔術師は我々の力をしのぐ実力者であるという事実だけは、はっきりしています。これまで以上に気を引き締めてゆかねばなりません」
「そんな…」
フレーデリクは、あまりの事態にただ立ち尽くした。
「すみませんがフレーデリクさん、我々はこのまま鑑定に移りますね」
「ああ…そうですね…。お願いします」
呆然と答えるフレーデリクの横をすり抜け、ザクリスはウィルヘルミナを連れて魔法具の置かれている部屋に入っていった。
ウィルヘルミナは、硬い表情のまま部屋に入る。
(なんか、とんでもねーことになってきたな。ベルのやつ、大丈夫なのか?)
拭えぬ不安が、心の中に湧き上がってきた。
「さてレイフ君、鑑定に移ろうか。この魔法具に触れてみて」
ウィルヘルミナは我に返り、ザクリスにうながされてベッドに触れる。
すると、前回に触れた時と違い、魔法具に絡みつく闇界魔法の気配がはっきりと感じとれた。階位まではわからないが、闇界が付与それているのは間違いない。これも、ザクリスから中和や付与を習った賜物かもしれなかった。
「どう? 他にも付与された属性はありそう?」
「ないよ。付与を感じられるのは、やっぱり闇界魔法と聖界魔法だけだ」
「そうか、じゃあこの後は私の出番かな」
そう言って、ザクリスは胸元にさげていた首飾りを外しながら魔法具に近寄る。
「もしかしてザクリスさんも鑑定するの?」
「うん、でもレイフ君がした鑑定とは別のもだよ。この魔法具が失われた叡智かどうかを判別するんだ」
(失われた叡智! そっかその可能性もあるんだな。けどどうやんのかな)
興味津々とばかりにウィルヘルミナが見つめる先で、ザクリスはさきほど首から外した首飾りを魔法具に触れさせた。
その首飾りは動物の牙のようなものを革ひもでくくってある民芸品のようなものだ。牙の部分には赤いインクで、細かな魔法陣のようなものが刻まれている。インクはところどころが剥げ落ち、かすれていて、かなりの年代物のようだ。
ザクリスは、なんの反応もないことを確認すると魔法具から首飾りを離し、ほっと息を吐いた。
「どうやらこの魔法具は失われた叡智ではないようだね」
「ふーん、今ので鑑定できたんだ。でも他に付与されてる魔法がねえならよかった、これで一安心だね」
安堵するウィルヘルミナの横で、ザクリスは不意に顎をつまんで考え込む。
「? ザクリスさん、どうしたの?」
「いや、少し気になる事に思い当たってね」
「気になる事?」
「うん、私はフレーデリクさんにちょっと確認したいことができたので、少し外すね」
「どうしたんだよザクリスさん」
ザクリスは、ドアに手をかけながら立ち止まり、ウィルヘルミナを振り返った。
「20年前にお亡くなりになったロズベルグ公爵の死因が気になったんです」
ウィルヘルミナはきょとんと眼を瞬く。
「え? 死因? 何で今更?」
「この魔法具が、ここに設置された経緯がまだ把握できていないでしょう? もしかしたら公爵様の死因も、この魔法具である可能性があるんじゃないかとふと思って」
「それって…公爵も暗殺された可能性があるってこと?」
「まあ、私の考えすぎかもしれないけど…。でも、実際に高位の闇界魔法を付与された魔法具がこの部屋に設置されているわけで、しかもその設置の経緯はいまだ不明。そうなると、公爵様の死因が暗殺だった可能性もでてくるんじゃないかと思ったんだ。例えば公爵様の死因が、今回の手口と一緒で魔法具による謀殺だったと仮定する。そして、今回ベル君を狙った犯人が、その時と同一犯、もしくはその仲間であったとしたら、今更危険を冒してこの部屋に侵入する必要はないよね。同じ手を使えば簡単に殺せるのだから」
ウィルヘルミナは目を見張る。
「確かにそうだけど…でも公爵が死んだのは二十年も前の話だろ? 例えば暗殺だったと仮定して、そんな昔の犯人が、今更ベルを狙うなんてことあるのか?」
「わからない。だから調べてみようと思う。二十年ならば、犯人はまだ生きている可能性もあるし、今回の件と何か共通点を見つけ出せれば、犯人を捜す糸口になるかもしれない。だから、フレーデリクさんに確認をしてこようと思って。すぐに戻るからレイフ君は待っていて」
ザクリスはそう言い残して部屋を後にした。




