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ウィルヘルミナがはじめて作った魔法具をベルに渡してから、今日でちょうど二週間が過ぎようとしていた――――。
あの日以降、ひたすら魔法陣を書き続けてきたウィルヘルミナの気力と体力は、今まさに限界に達しようとしていた。
(鬼だ…。ザクリスさんは、兎とかリスみたいなカワイイ系動物の皮を被った、紛れもない鬼だ!!)
内心でそう叫びながら、ウィルヘルミナは血走った目で床を見つめ、一心不乱に魔法陣の作成に取り組んでいる。
その傍らでは、ザクリスが腕を組んで立ち、ウィルヘルミナの作業を監督していた。
「レイフ君、そろそろ集中力が切れてきたみたいだね。この辺りで一度――――」
ウィルヘルミナは弾かれたように顔をあげてザクリスを見る。
ザクリスが言いかけたその続きに、とある期待を切望し、両手を合わせて指を組み、祈るようなポーズをとった。
(頼む、どうか休憩であってくれ。オレに休憩をくれ!! いや、ください!!)
そんな切実な願いもむなしく――――。
見事に期待を裏切ってみせたザクリスの声が冷酷に続いた。
「聖界魔法使っておこうか」
(鬼ー!!)
ザクリスはにっこりとほほ笑みながら、おもむろに丸く小さな石型の魔法具を手に取る。
そして地界第八位魔法を唱えた。
「デーヌカ」
すると、手に持っている石型の魔法具が発光する。光とともに聖界第八位魔法の効果が現れ、ウィルヘルミナの疲れを癒した。
ザクリスは聖界魔法の契約ができていない。
そのため、回復系の魔法を使うには聖界魔法の付与された魔法具を使わなければならないのだが、今ザクリスが持っている石型の魔法具は、発動条件が地界魔法だった。
だから、地界魔法を唱えたことによって聖界魔法の効果が現れたのだ。
(心は全く癒されてないのに、体の疲労だけは抜けるなんて…。何度経験しても変な感じ。そろそろ休憩くれないかな…。オレ、もう心が折れそう)
ウィルヘルミナは、心の中で音を上げていたが、ザクリスにはまるで伝わっていなかった。
前に休憩が欲しいと言ったら、邪気のない笑顔のまま先程の魔法具を使われた。
肉体の疲労は回復したけど、休憩が欲しいのだと訴えても、『どうして?』と不思議そうに首を傾げるばかりで、全く取り合ってはもらえなかった。
(ザクリスさんだって疲れてるはずなのに、この人の体力マジで底なしなんだよな…。さすが、飲まず食わずの完徹五日が平気なだけあるよ。でも、オレはそんなに頑丈にできてねーんだよ!! ザクリスさんみたいな人外仕様の体力オバケと一緒にしないでくれ!!)
つい今朝の事だが、試しにご飯が食べたいと攻め方を変えてみたら、期限ぎりぎりの進捗具合だし、魔法陣の完成が間近だから、もうひと踏ん張りしてからにしようねと笑顔で切り捨てられた。
これはもう諦めるしかないだろう。
そう、これはあきらめの境地なのだ。
もはや、とっとと魔法陣を完成させた方が、自分のためだという境地にたどり着き、ウィルヘルミナは無心になって、ひたすら魔法陣の作成に心血を注ぐことにしたのだ。
そうはいっても、機会が巡ってくれば一縷の希望を抱いてしまうのはしかたのないことで、どうせ期待はすぐに打ち砕かれてしまうとわかってはいるのだが、そういう淡い期待がなければ、こんな退屈な作業を続けるモチベーションを持続することが出来ないのだ。
重苦しい静寂の中、作業は続く。
先ほどザクリスが使った魔法具は、契約できていない属性魔法を行使できるようにするための、安価な量産型魔法具だ。
よく軍用目的で使用されている。
使い捨てが前提であるため、身に着けて使う高価な装飾品の類ではなく、ただの石で作られていた。付与されている魔法も下位のものである。
この魔法具を作り出すには、金界第八位、地界第八位、聖界第八位魔法が必要となるのだが、三職の金界魔術師はかなり稀な存在である。そのため、複数人の手によって、流れ作業で作成されるのが一般的で、それゆえ一人で作ったものに比べてかなり性能が落ちてしまう。
本来魔法具は、魔力を充填すれば使用期間を延長する事が可能だが、このての魔法具は使い捨てが前提に作られているため、充填できるような作りになっていない。宿してある魔力量も少ない上、付与も雑で、数回使うとすぐに使えなくなってしまうような粗悪品ばかりだった。
ちなみに、ウィルヘルミナがベルのために作った魔法具の効果は、これらのがらくたとは違い、相乗効果が期待できる逸品となっている。
たとえ闇界第一位魔法であっても、防ぐことが可能な魔法具の仕上がりになっているはずなのだが、その効果は検証が困難であるため、『理論上は』と付け加えなければならない。
何しろ精霊魔法第一位の契約は、人の手が届くような境地ではなく、実証のしようがないのだからしかたがない。
余談ではあるが、地界第一位と聖界第一位は本来攻撃魔法である。防御と回復の最上位は第二位魔法であるのだ。
つまり、ウィルヘルミナがベルのために作った魔法具は、人類史上最高傑作の魔法具と呼べるような、とてつもない代物なのであった。
とはいえ、作成した当の本人には、その自覚は微塵もないのだが。
(ああ、やっと終わりが見えてきた。ここからは今まで以上に慎重にやろう)
魔法陣の完成が間近に迫り、ウィルヘルミナは、さらに集中力を高める。
最終局面で書き損じたりしたら、後悔してもしきれなかった。
ザクリスも、息をつめて作業を見守る。
ようやく完成し、二人は大きく息を吐いて張りつめていた体の力を抜いた。
「これで魔法陣は完成したね。ご苦労さま。一度休憩しよう」
ザクリスはほほ笑んで手を差し伸べてきたが、ウィルヘルミナは首を横に振る。
「いいや大丈夫、せっかくだからこのまま契約まで完了させることにする。念のため聖界魔法かけてくれる?」
ザクリスは驚いたように目をまたたいてからうなずき、魔法具を取り出した。
「デーヌカ」
聖界魔法が発動し、ウィルヘルミナの疲労は取り除かれる。
「それでザクリスさん、悪いんだけど席を外してもらえるかな」
契約には、本当の名を使わなければならない。
レイフ・ギルデンが偽名であることは、すでにザクリスにばれているとは思うのだが、本名を知られるわけにはいかないのだ。
「そうだね…可能なら契約場面を是非とも見せてもらいたかったところだけど仕方ないね。私は食事の用意でもしているね」
微笑みを残し、ザクリスは退出する。
後に残ったウィルヘルミナは、一度深呼吸をした。
「ハーヴ」
風界第三位魔法を唱えると、石床に描かれた魔法陣が輝き出す。
やがて、目の前に男性体の精霊が現れた。
精霊の姿はほぼ人間と変わりないのだが、目が蛇のような縦長の瞳孔をしており、肌もところどころが鱗状になっていて、人外の者であることを物語っている。
ウィルヘルミナはその精霊を見上げて口を開いた。
「我が名はウィルヘルミナ・ノルドグレン。我は理に従い汝に約定を献言す。我は、我が名にかけて高潔さと誠実さと寛大さを以って汝に接し、汝を潤し、汝の誇りを守ることをここに誓う。汝の勇気と力と献身を我に与えたまえ、ハーヴ!」
言葉が終わるなり、ウィルヘルミナの体が光り、力を吸い取られるような感覚に陥る。軽いめまいを感じたが、前回契約した聖界二位魔法の時程の疲労は感じなかった。
ハーヴは、ウィルヘルミナの魔力を得て、満足そうに目を細める。
「我ガ名ハハーヴ。我ハ理ニ従イ契約ヲ承諾ス。我ガ名ニカケテ汝ノ召喚ニ応ジ、汝ニ力ヲ供与ス、ウィルヘルミナ・ノルドグレン」
その誓約が終わるなり眼裏を焼くようなまばゆい光が部屋中を満たし、一呼吸おいてすぐに消え失せた。ハーヴの姿も光が消えたのと同時に消え失せる。
残されたウィルヘルミナは、片手で肩を押さえつつ凝りを解すように腕を回した。
「なんとか成功したな、あーよかった。それにしても腹減ったー」
一人そうつぶやき、ホッと安堵の息を漏らすと部屋を後にする。
ぐうと鳴るお腹を撫でさすり、頭の中は、すでに食事の事でいっぱいになっていた。
台所で料理をはじめていたザクリスの背中に、ウィルヘルミナは声をかける。
「ザクリスさん、成功したよ」
ザクリスは驚いた表情でウィルヘルミナを振り返った。
「そろそろ様子を見に行こうと思っていたんだけど…。本当に契約は済んだの…?」
信じられない様子でウィルヘルミナを凝視する。
「へ? できたよちゃんと。なんでそこ疑うかな?」
「だって歩けているじゃないか。契約の時に、たくさんの魔力を吸い取られるでしょ? 私の場合、四位以上の契約の時には魔力切れで意識を失ったから。なのに、どうしてそんなに平気そうに立っていられるんだい?」
ザクリスは、心底驚いた様子でウィルヘルミナを見下ろした。
「うーん、よくわかんないけど、相性がよかったとか? 別にあんまり疲れた感じはしねーよ。でも、ほんとに契約は済んでるからな、ほら」
そう言って、ウィルヘルミナは机に置かれた石型魔法具を手に取る。
「メガイラ」
一度金界第三位魔法で中和し、続けて契約したばかりの魔法を唱える。
「ハーヴ」
すると魔法具に、いとも簡単に風界第三位魔法が付与された。
「な? できてるだろ?」
ザクリスは、絶句したまま立ち尽くす。
ウィルヘルミナは固まったまま動かなくなったザクリスの目の前で手を振ってみた。
「おーい、ザクリスさん。聞こえてるか? おーい」
しばらくして我に返ったザクリスは、ウィルヘルミナの両肩をガシリと掴んだ。
「すぐに次の契約に取り掛かろう」
「いやいやいや、そんなことよりご飯が先だ! もうこれ以上は、絶対にゆずれねえから! オレ、腹減って死にそーだから」
情けない声を出して、ウィルヘルミナはザクリスが調理途中だった料理を見た。
「ちゃっちゃと作っちゃおーぜ」
鼻歌を歌いながら料理をはじめる。
「猪肉か、うまそー。野菜ばっかりだと腹にたまんねーもんな」
そんなウィルヘルミナを見て、ザクリスは呆れ混じりに苦笑した。
「レイフ君は欲がないね。でも、だから精霊に好かれるのかもしれないね」
諦めたようなため息をつき、ウィルヘルミナの隣に並ぶ。
「じゃあ、とびきり美味しい料理を作ろうか」
「賛成!!」
二人は微笑みあい、仲よく料理を再開した。




