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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 ウィルヘルミナとザクリスは、事情をトーヴェに説明し、納得させたことでようやく解放され、帰宅の途につくことができていた。

 ベルたちへの説明は、トーヴェに任せてある。

 家に帰ると、ザクリスは疲れきった表情でウィルヘルミナを見た。

「私は今日一日で、もう一生分驚かされたよ。持っていた常識も、根底から覆された。レイフ……君、君には脱帽するよ」

『君』とつけることにためらいを見せたザクリスの心情には気付かず、ウィルヘルミナは神妙な顔でザクリスを見返す。

「なんかごめんなザクリスさん。たぶんこれからも心配とか迷惑とかをいっぱいかけることになると思うから、先に謝っとくわ」

 その言葉にザクリスは苦笑した。

「そういうことについては問題ないから大丈夫だよ。それにしても、私が君を守るなんて言ったけど、随分な思い上がりだったようだね。私程度の魔術師では、君の足元にも及ばない」

「そんなことねーよ! ザクリスさんはすげーよ! オレなんかよりすげー頭いいし!」

 語彙力の足りないウィルヘルミナの称賛に、ザクリスはありがとうと言ってほほ笑んだ。

「さて、話はこれくらいにして、さっそく魔法陣の作成に取り掛かろうか」

「わかった」

 ザクリスに案内され、奥の部屋に通される。

「ここを使ってくれていいよ」

 壁際に本棚が設置されているだけで、他には物の置かれていない、がらんとした殺風景なその部屋は、ザクリスが精霊と契約するために使っていた部屋のようだ。床は研磨された大理石のようだが、しばらく使われていないのか、埃をかぶっていた。

 ザクリスは部屋の本棚を物色し、何かを探しはじめる。

「あった、これだ。この本を参考にして魔法陣を書いて。最初は風界第三位からとりかかってみようか」

 そう言って、一冊の本を差し出した。それは、精霊魔法の魔法陣が記載された専門書だ。

 通常出回っている魔法陣の本には、下位の魔法しか載っていないのだが、その本は、高位の魔法陣が全て網羅されている。

 ウィルヘルミナは本を受け取り、ざっと目を通して、目的の魔法陣を探し出すとため息を吐いた。

「うへえ、わかっちゃいたけど、結構複雑だね。うーん、この分だと頑張って書いてもやっぱ三週間くらいはかかるかな…」

「それだけの時間で書ききれるなら、十分優秀だよ」

 早速はじめようと、二人が準備に取り掛かっていると、外が騒がしくなった。

 ザクリスが部屋の外に出ると、フレーデリクが訪れていた。フレーデリクはカスパルを伴ってはおらず、一人での来訪である。

「フレーデリクさん、どうしたんですか?」

「どうしたんですかじゃないですよ、ザクリスさん。説明もなしに帰ってしまうんですから酷いですよ。それに、トーヴェ様から例の魔法具の鑑定ができないと聞いたんですが、本当なんですか?」

 ザクリスは、曖昧にうなずいた。

「ええ…現状での鑑定は難しいです」

 実際は、ほぼ鑑定できているのだが、ウィルヘルミナの能力を隠すためにはっきりとは答えず、ぼかした返事をする。

 だが、フレーデリクはその違和感に気づかなかったようだ。

「そんな! ザクリスさんほどの金界魔術師でも無理だなんて…いったいどうしたら…」

 フレーデリクは明らかにうろたえる。

 ザクリスは神妙な顔になった。

「完全な鑑定は無理ですが、もう少し詳しい鑑定ができるように努力してみますので少し時間をください」

「もう少し詳しい鑑定? 時間があればなんとかなるんですか? 時間はどれくらい必要なんですか?」

 矢継ぎ早に問いかけるフレーデリクから視線を外し、ザクリスはちらりとウィルヘルミナを振り返る。

「そうですね…四週間ほど時間をください」

 そう言って微笑みを浮かべたザクリスを見て、ウィルヘルミナは、こてりと首を傾げた。

(へ? 四週間? その数字、いったい何処から出てきたんだ? 風界第三位の魔法陣書くのには三週間かかる予定だし…。まさか残りの一週間で火界第三位を契約させるつもりとかそんなわけねえよな…。ザクリスさん、なんかいい笑顔してるけど…ははは…まさかんなわけ…)

 ザクリスの邪気のない微笑みを見返しながら、不吉な予感が脳裏をかすめる。

(いや、待て待て、そんなはずはない。二で割ったら、二週間ずつで書けちゃう計算になるけど…。そうだ、絶対にそんなはずはない。まさか両方の契約を四週間で済ませようとか…そんな鬼畜な腹づもりなわけねえ…よな、ザクリスさん)

 ウィルヘルミナの引きつった表情に気づいたザクリスは、笑みをさらに深くする。

「レイフ君、人は不可能も可能に変えることが出来る、たくさんの潜在能力を秘めた生き物なんだよ。だから頑張ろうね」

 応援するように両手の拳を胸の前で握って見せるザクリスに、ウィルヘルミナは一度呆気に取られてから、すぐに表情を変え怒り出す。

(ねえよ! ねえから! フザケンナ!! 何言ってんだよザクリスさん!! 人間には、出来ることと出来ないことがあるんだよ!! 笑顔でとんでもねーこと言い出すんじゃねえよ!!)

 本当は声に出して怒りたいところだが、フレーデリクがいるため、ぐっとこらえた。

 魔法具の鑑定をするのはウィルヘルミナであり、そのために今から魔法陣を書くのだなどと説明することが出来ないのだから仕方がない。

 そうして怒りながらも、一方で、ザクリスに対して若干の恐怖を覚え始めていた。

(人の話を全く聞かないこの強引さ。激しくデジャヴを感じるんだが…。爺さんや先生たちが、オレに色々と教えてくる時とそっくりなんだけど…。まさかザクリスさんもスパルタ方式の先生なのか!?)

 内心で、恐怖と怒りと絶望とがないまぜになり、酷く動揺するウィルヘルミナをよそに、ザクリスはマイペースに、何故か部屋の棚を物色しはじめた。

 フレーデリクはというと、その側で微妙な顔でため息を吐いている。

「四週間ですか…随分と長いですね…」

(全然長くねーから、むしろみじけーから!!)

 ウィルヘルミナの声にならない突っ込みに気づくこともなく、フレーデリクは深刻な顔で考え込んだ。

「それまでの間、ベル様の守りをどのように対策するべきでしょうね…。他の魔法具を仕掛けられている可能性も捨てきれませんし、ザクリスさんが四週間も何かにかかりきりになるとしたら…うーん、警備体制を考え直さないといけませんね」

 フレーデリクは頭を抱え込む。

 そんな二人の横で、相変わらずザクリスは何かを探していた。

「これでいいかな…」

 そう呟き、ザクリスは棚から小さな箱を取り出す。

「なんですかそれは?」

 フレーデリクがたずねると、ザクリスは蓋を開けて中身を見せた。

 中に入っていたのは古びた指輪だ。

「もしかして魔法具ですか?」

 フレーデリクの問いかけに、ザクリスはうなずく。

「フレーデリクさん、我々は少し用があるので外で待っていてくれませんか?」

 フレーデリクは、再度深いため息を吐き出した。

「また人払いですか? どうしたんですかザクリスさんらしくもない。このところちょっと変ですよ。まさか私の事、信用していただけなくなったのですか?」

 するとザクリスは苦笑する。

「すみませんフレーデリクさん、そういうわけではないのですが、少々込み入った事情ができてしまいまして」

 言葉を濁すザクリスを見てから、フレーデリクはウィルヘルミナを一瞥する。フレーデリクも、その『込み入った事情』とやらが、ウィルヘルミナに関連しているであろうことを薄々察しているのだ。

「まあ、事情があるのでしたら仕方ありませんね。私は席を外しますが、逃げたりしないでくださいよ」

 念押しをしてから、フレーデリクはしぶしぶ別室に移動した。

 それを見届けてから、ザクリスはウィルヘルミナに向き直る。

「レイフ君、これは金界第五位魔法で中和し、地界第五位魔法を付与した魔法具で、昔私が作ったものなんだけど…今からこれを君に中和してもらって、その後に魔法付与をしてもらおうと思う」

「え!? 今度はいきなり中和と付与!?」

 ウィルヘルミナは驚愕に見開いた。

「そうだよ、たぶん君の場合は、説明するよりも実地で訓練したほうが性分にあっていそうだからね」

「まあそれはそうかもしれないけど…でもそれにしたって、突然すぎなんだよザクリスさん。しかもかなりの無茶ぶり! だいたい、さっきフレーデリクさんに四週間って言ったのどういう意味なんだよ? もし火界と風界両方の契約を終わらせる期間のつもりなら、無理だかんな」

 しかし、ザクリスはウィルヘルミナの怒りなどどこ吹く風だ。お構いなしに、どんどんと自分のペースで話を進めていく。

「うん、とりあえずその話は後にしようか。さあ、この指輪を金界第三位魔法で中和してみて。その後に地界第三位魔法と聖界第三位魔法を付与してみよう」

「話逸らすなよ! オレの話ちゃんと聞いてよ! つか、いきなり二属性付与? 突然そんなこと言われてもオレにはできねーよ。オレは初心者なの!」

「大丈夫だよ。誰だって最初は初心者なんだよ。そんなことより、ほら指輪をよく見て。君にはこの魔法具に付与されている魔法の形状が見えるはずだから。まずは手に持って」

 まるで、話を聞かないザクリスに、ウィルヘルミナは口を閉じ半眼になる。

(オレの意見を無視して強引に話を進めるこの感じ…やっぱり眼鏡たちと同類じゃん! みんなこうやって自分の意見をごり押ししてくんだよな。やってらんねーよ)

 ふくれっ面になってザクリスを睨みつけるが、やがてザクリスに全く折れる気がない事を悟るとウィルヘルミナはため息をつき、しぶしぶ魔法具を手に取ってみた。

(ザクリスさん、後で覚えてろよ。話は終わってねーかんな。だいたい魔力の形状ってなんだよ。そんな話、イヴァール先生からは聞いてねえからな)

 半ばやけくそな気持ちでじっと指輪を見おろし、魔力の流れを探してみる。

 すると、指輪に絡みつく魔法の気配を感じ取ることができた。

(…なんだよ…できちゃったじゃねえか。オレ天才すぎる。つか、オレは他の魔法具にも触る機会があったからわかるけど…これ凄いな…)

 指輪という小さな物質に、均等にまんべんなく地界魔法が絡んでいる。こんな魔法具は見たことがなかった。

(こんなにしっかりと編み込まれているのに、これを中和って…そんなのできるのか…?)

 もともと精霊魔法は、たとえ同じ階位の行使であっても、術者の能力によってその効果は大きく変わるのだが、金界魔法についてはその差がより顕著に表れる。

 ただの物に過ぎないものに魔力を付与する行為はかなり難しく、魔力の負荷をかけすぎてしまえば魔力に耐えきれず壊れてしまうし、あまりに弱くても魔力が全体に行き渡らず、付与がまばらになり、完成度の低い魔法具になってしまう。

 技術のない金界魔術師が付与した魔法というのは、魔法自体が荒いため、中和するのは比較的容易なのだが、ザクリスの付与は精密で完成度が高い。それゆえウィルヘルミナには、中和できる気がしなかった。中和するのを躊躇していると、ザクリスが安心させるように口を開く。

「難しいことは考えなくていいよ。例え壊してしまっても問題ないから。頭の中で、地界魔法の付与を解くようなつもりで金界第三位魔法を使ってみて。力業で一気に中和してしまうこともできないことはないけど、失敗して破損する確率が高まるんだ。だから、今回は慎重に中和してみようね」

 ウィルヘルミナは、フムと考え込んだ。

(確かに強引に中和したら壊れそうだな。まあ、ザクリスさんは壊してもいいっていってるわけだし、いっちょ試しにやってみるか)

 ウィルヘルミナは目を閉じ、指輪に神経を集中させる。一度深呼吸をしてから目を開いた。

「ティシポネ」

 金界魔法第三位の魔法を唱えると、指輪が熱を持ちはじめる。

(地界魔法を解く感じね…。かなり細かい作業だな。調節難しいな)

 まるでレースのように繊細に編まれた魔法の糸を、丁寧に一本一本解していくような感覚で中和していった。

 やがて――――。

「できた!!」

 ザクリスは、感心した様子でうなずく。

「うん、はじめての中和でこれほどまでのことができるとは本当に凄いよ。イヴァールが言っていた通り、教え甲斐のある生徒だね。ちなみに今の中和方法は、分解に応用できるからね。覚えておくといいよ」

 一度微笑んでから、ザクリスはまた表情を引き締めた。

「じゃあ次に地界魔法三位の付与をしてみよう。付与はね、手早く一瞬で行うのがコツなんだ。もたもたしてると荒い付与になってしまうから。神経を集中させて、一瞬で全体に均等に魔力が行き渡るようにするんだ。上位魔法は、少しでも負荷をかけすぎるとすぐに魔法具が壊れてしまうから、魔力の調節には細心の注意を払って、壊れない限界ギリギリのところを探りながら付与してね」

「限界ギリギリって言われてもな…。オレにはまだそう言う感覚わかんねえよ」

「大丈夫、さっきの中和で、なんとなく指輪の強度を理解できていると思うんだ。あの時の力加減を忘れないでやってみて」

 ウィルヘルミナは、もう一度深呼吸を繰り返す。

「メガイラ」

 地界魔法第三位の魔法を唱えると、ウィルヘルミナの手の上に光が現れた。

 光は一瞬だけ指輪を包み込み、すぐに消える。

 ザクリスが、一度指輪を受け取り、しげしげと見つめた。

「うん、だいたいできているよ。今はこれで十分だ。精度はこれから徐々に上げていこう。じゃあ次、聖界第三位魔法を付与してみようか」

 そう言ってザクリスは指輪をウィルヘルミナの手に戻す。

「ねえザクリスさん、初心者のオレがいきなり二属性付与は厳しくない? これで次の付与に失敗したら、せっかく作ったこれ、壊れちゃうんだろ? もう一つ別の魔法具作って試すわけにはいかねえの?」

「そうだね、普通ならそれでもいいけど、今はベル君の守護を優先させたいからね。レイフ君は魔法具の相乗効果について知ってる?」

「あーなんか聞いたことがあるな。確か、一つの魔法具に複数の属性を重ねると、一定の効果が増すってやつだよね」

「そうだね。もう少し補足すると、一人の金界魔術師による複数属性の付与の場合に相乗効果があるんだ。一つの魔法具に、二人以上の金界魔術師で複数属性付与しても効果は変わらないんだけど、一人でやると効果が上昇するんだ。今回ベル君を狙っている人間は、かなりの手練れであることは間違いないから、こちらも対策として相乗効果のある複数属性付与の魔法具を用意したいんだ。そうすれば、たとえ今回のベッド型の魔法具と同等の魔法が発動したとしても、効果を打ち消せるから。私が作れればいいんだけど、私は聖界の契約ができていないからね。だからレイフ君に作ってもらおうと思って」

(え!? つか、練習用じゃねーのこれ!?)

「ザクリスさん、さっき壊れてもいいって言ってたよね?」

 ザクリスはきょとんと眼をまたたいた。

「え? 壊してもいいよ? まだまだ他にも魔法具の土台になりそうなものはあるからね」

(あれってそういう意味だったのかよ!? 初心者に、何て無茶な要求するんだよこの人!?)

 ウィルヘルミナはどっと疲れを覚える。

(いや、さっきフレーデリクさん相手に四週間て言い切った時点で気付くべきだったよな。やっぱりザクリスさんも眼鏡の友達だけあるわ…)

 げんなりとしながら、ウィルヘルミナはザクリスを見た。

「じゃあ、オレはこの魔法具にもう一つ属性付与しなきゃいけねーわけね」

「そうだね、地界と聖界の付与ができれば、魔法の防御は完璧だからね」

 ザクリスは、ふわりとほほ笑む。その笑顔の裏に何も潜んでいないことはわかっていたが、今はその無邪気さが逆に怖かった。

(鬼だな)

 ウィルヘルミナは、この後ザクリスにうながされるまま聖界第三位魔法の付与を行い、見事成功させたのだった。


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