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ザクリスは、戸惑うウィルヘルミナの顔をじっと見返しながら続けた。
「もちろん契約済み魔法を無理矢理聞き出すことが礼儀を欠く行為であることは重々承知している。けれども今回の場合ちょっと特殊な事案だから、できる限り鑑定の精度を上げておきたいんだ」
ザクリスは、そこまで言って魔法具であるベッドを一瞥する。
「本音を言うと、レイフ君がこの魔法具の発動条件まで特定できたことにはかなり驚いている。たとえば昨日私がこの場に居合わせたとしても、そこまでの鑑定はできなかったと言い切れるからね」
ザクリスは一度外していた視線を戻し、改めてウィルヘルミナを見下ろす。
「君が色々と伏せておきたいと考えていることもよくわかっている。けれども、この魔法具の特殊性を勘案すると、どうしても現状出来る限りの全ての鑑定をしておきたいんだ。手伝ってはもらえないかな? せめて君が契約出来ている闇界魔法の階位だけでも教えてほしい。私も興味本位で聞いているわけじゃないんだ。そこを理解してほしい」
(ザクリスさんは、オレの規格外の能力を知っても、今まで通りに接してくれるんだな。それにザクリスさんが今一番心配しているのは、ベルを狙ったこの魔法具の事だ。オレの常識外れの力よりも魔法具の方が気になるなんて、なんかザクリスさんらしいな)
ウィルヘルミナは警戒を解いてうなずいた。
「うん、ザクリスさんが興味本位で聞いてるわけじゃないってことはわかるよ」
自分の気持ちが伝わったことを確認できたザクリスは、ホッと安堵の息を吐く。表情を真面目なものに変えて口を開いた。
「今までの経過を振り返ると、レイフ君は金界第三位、聖界第二位、闇界第五位の契約が済んでいることは確定している」
ザクリスの言葉に、ウィルヘルミナは再び嫌な汗をかきはじめる。
(改めて言葉にされると、けっこうやばいな…。それによく考えたら、これってフレーデリクさんたちにもばれてる情報なんだよな…。やっぱりまずいよな…。もしこの事が眼鏡にばれたりしたら、とんでもねー長い説教されるの確定じゃん。あ、なんか胃が痛くなってきた)
「もっと言うと、闇界魔法はたぶん第三位を契約済みなんじゃないかなと私は推測してるんだ。それはレイフ君がした、このベッドの鑑定から推測することができる事なんだけど…」
ウィルヘルミナは、いきなり言い当てられてぎょっと目をむいた。
(え!? なんで!? まだ契約済みの魔法の事言ってないのに、どうしてそんなことがわかんだよ!? まさかフレーデリクさんたちにもバレてんの!? 嘘だよね!? 違うよね!?)
ザクリスは、そんなウィルヘルミナに構うことなく淡々と続ける。
「この魔法具は金界第二位魔法で中和がされている。そして発動条件として付与されているのは聖界第三位魔法。多少の例外はあるものの、金界魔法というのは、付与する魔法と同じ階位の魔法で中和を施すのが一般的なんだ。だからこの魔法具には、おそらく闇界第二位が付与されているんじゃないかと推測できるんだ」
ザクリスはそこで一度言葉を切り、ちらりとウィルヘルミナを一瞥した。
「レイフ君が闇界魔法の付与に気づけたのは、ベル君の症状から推測したという線もなくはないけど、レイフ君の性格から察するに、たぶんベッドに付与されている闇界魔法の気配に気付けているんじゃない? だから闇界魔法の付与を断言したんじゃないかと思ったんだけど、どう? 違ってる?」
ウィルヘルミナは、冷や汗をかいたままザクリスを見返した。
(その通りなんだけど…。ザクリスさんが優秀過ぎて怖い。てか、まじでやべーやつじゃん、これ絶対にトーヴェ先生に口止めしとかなきゃ…。今回の件はイヴァール先生には、絶対に言わないでくださいってお願いしとかなきゃ! 目立つようなことはしないで、静かに暮らせって口をっ酸っぱくして言われてたし、精霊契約の件も人にはばれないようにしろって何度も念を押されてたのに、しょっぱなからこれじゃ絶対に怒られるじゃん! いや…まてよ…。トーヴェ先生にこの状況がバレても説教されるよなこれ! まずい、どうしたらいいんだ)
窮地に陥っていたウィルヘルミナは、冷汗をダラダラと流しながら挙動不審な様子で視線を彷徨わせる。
だが、しばらく考えて、どうやっても逃げ切れないことを悟り、がっくりとうなだれた。
「はい、その通りです」
「想像していた事ではあるんだけどね…。いざはっきりと教えられると、やはり驚愕しか覚えないものだね…。つまり君は、少なくとも聖界二位、闇界三位、金界三位を契約済みという事になる。その年齢で三職三位以上なんて…」
そこまで言って、しばし絶句する。
やがて信じられないとばかりに首を横に振った。
「人が二位に到達できるという事も信じられないが、何より信じられないのは相克する相性――――聖界と闇界を契約できていることだよね。しかも、両方が高位の契約をできているなんて…」
ザクリスは、呆然とした表情でウィルヘルミナを見る。
「うん、オレもそう思う。不思議なんだけど、でもなぜかできちゃったんだよな…。理由はオレにもわからねえ。このことは他人に公表するつもりもねえし、ザクリスさんの胸だけにとどめておいてほしい。ザクリスさんの事信じて教えたんだから、これだけは絶対に守ってくれよ。ほんとーに頼むからな」
何度も念を押しながらも、イヴァールの怒った顔を脳裏に描き、ウィルヘルミナは体をブルリと震わせた。そしてぶつぶつと独り言を続ける。
「トーヴェ先生にもダメもとで口止めをお願いしとかなきゃな…。あとフレーデリクさんたちにもちゃんと口止めしねえと」
「そうか…そうだね…。私自身も他人に利用されるのが嫌で、四職であることは伏せている。レイフ君も伏せておいた方が身のためだと思う」
ザクリスは、表情を引き締め直して続けた。
「さて、話を戻すけど、つまりレイフ君は闇界第三位契約済みで、ベッドに付与されている闇界魔法の気配には気付けているということで間違いないということだね?」
「うんそう。だからあのベッドに付与されてる闇界魔法は二位で間違いないと思う」
「なるほど、じゃあこのベッド型の魔法具には、少なくとも金界二位での中和と闇界二位、聖界三位の魔法付与がされているという事になるね。想像してはいたけど、やはりかなり危険だな」
「うんオレも危険だと思う。発動条件が特殊だからベル以外の人間には作用していなかったけど、こんなもの放っておくのはすごく危険だと思うよ」
ザクリスは厳しい顔でうなずく。
「確かに、そういう点でも危険ではある。だけど、今回の件にはもっと危険な要素が含まれているんだ」
ウィルヘルミナは怪訝な表情で首を傾げた。
「もっと危険な要素?」
ザクリスは、真剣な表情でウィルヘルミナを見返す。
「そう。つまり今回の事件の裏には、金界、闇界、聖界の高位契約者が関わっているってことだよ」
「え!?」
「何故なら、その条件がそろっている人間でなくては、魔法具の鑑定ができない。つまり今回の罠を仕掛けることができないんだ。危険なのはそれだけじゃない。下手をしたらこの魔法具を作成したのも同じ人物かもしれない。もちろん常識的に考えて一人でできるとは思えないから、複数人によるものではあるとは思うんだけど…とにかく、敵がこの魔法具を作成した可能性まであるんだ」
ザクリスは一部言葉を濁しつつそう言った。ウィルヘルミナに出会う前ならば、複数人による犯行と言い切っていたところだが、今は目の前にその考えを否定する存在――――ウィルヘルミナがいる。
それに、人が到達できないとされている金界二位と闇界二位が付与された魔法具までもが、実際に目の前に存在しているのだ。今まで信じきっていたザクリスの概念は、根底から覆されていた。
深刻な表情で考え込むザクリスを、ウィルヘルミナは目を見開いて見つめる。
ウィルヘルミナは、まるで冷や水を浴びせかけられたかのように立ち尽くしていた。
「そっか…この魔法具の鑑定ができてなきゃ、こんな罠を仕掛けることはできないんだ」
ザクリスは厳しい表情でうなずき返す。
「そうなんだ。だから、この魔法具のことをしっかりと鑑定しておきたい。今の我々に正確な鑑定をすることはできないけど、敵を知るためにも、もっとこの鑑定の精度を上げておきたいんだ」
(そっか、だからザクリスさんは、他の魔法付与の有無を心配しているのか)
ウィルヘルミナは、決心したような表情に変わってうなずいた。
「わかった」
ウィルヘルミナは、絶対に他言無用にしてほしいと念を押してから、自分の契約している魔法について全てを教えた。
「オレのわかる範囲では、他の属性が付与されている感じはしないよ」
その答えを聞きながら、ザクリスはあんぐりと口を開けていた。
「君は…本当に規格外だね…。まさか八職が存在するとは…」
呆然自失といった表情のまま、ザクリスは口元を手で覆い首をかすかに横に振る。
「君はもうペルクナスに比肩する――――いやそれを越すほどの大魔術師と言っても過言ではないね。まさかとは思うけど、もう神獣と契約をしているの?」
「いや、召喚魔法はまだ先生たちに止められているんだ。とりあえず精霊魔法を限界まで習得するように言われてる。でもさ、魔法陣書くのが大変だから、なかなか思うように進まないんだよね」
ぼやくと、ザクリスはまたしても目を見開いた。
「それって…まさかまだ契約の限界にたどり着いていないって事? 今よりも上位の契約が、できる可能性があるって事?」
「うん、そうだよ。今のところ呼び出した精霊とは全部契約できてるんだ。けど、魔法陣書くのが大変過ぎて進みが遅いんだ」
暢気に答えたが、ザクリスは真顔になってウィルヘルミナの両肩を掴む。
「レイフ君、今すぐ家に帰ろう」
「へ?」
突然ザクリスに帰宅を促され、その意図を理解できず、ウィルヘルミナは首を傾げた。
だが、ザクリスはずいと顔を近づけ、真顔で言い切る。
「今すぐ家に帰って、魔法の契約準備を始めよう。君がまだ三位未契約の属性――――火界と風界も三位の契約に成功することができれば、鑑定の精度がもっと上がるはずだ」
(ああ、なるほど。金界二位で中和されている魔法具だから、他属性の付与の確認は、三位で仮の確認ができるって事か)
ウィルヘルミナはようやくその意図を理解した。
(けど、また魔法陣書くのか…。本音を言ったら、あれ、もう勘弁してほしいんだよな。高位魔法はすっげー複雑で、書くのにむちゃくちゃ時間かかるんだもん)
内心で、一人げんなりする。
そんなウィルヘルミナをよそに、ザクリスはつぶやいた。
「あと、可能なら金界も二位の契約をできたらいいんだけど…今はまだ後回しだな」
ウィルヘルミナは、ザクリスのそんなつぶやきを拾うことなく、今後の事を考えて疲労を覚えて唸っている。
だが、ザクリスはそんなことはお構いなしにウィルヘルミナの腕を掴んで引いた。
「というわけで帰るよ」
「え!? 今すぐに!?」
「そう、今すぐにね」
ザクリスは、ウィルヘルミナの腕をぐいぐい引いて部屋を出ていく。
荒々しくドアを開けると、外に控えていたトーヴェが、驚いた顔で二人を見た。
「どうしたんです? 何事ですか?」
「すみません、所要ができましたので、我々は家に戻ります」
「どういうことですか?」
トーヴェが食い下がるが、ザクリスは首を横に振るばかりだ。
「事情は複雑なので、今はご説明いたしかねます。とても急いでいるんです。あ、そうだ。この魔法具はお返ししておきますね」
そう言って、借りていたベルの魔法具をトーヴェに押し付ける。
ザクリスは、そのままウィルヘルミナの腕を引いて帰ろうとしたが、トーヴェがそれを止めた。
「待ってください、私にも説明してください。でなければここをお通しするわけにはいきません」
トーヴェはザクリスの前に回り込み、進路を遮る。
ザクリスは、面食らったように足を止めた。
(トーヴェ先生、険しい顔してんな。これってたぶんオレの事心配してんだよな…。普通に大丈夫なんだけど、でも他人のふりしてる現状で、オレがそれを言うわけにもいかねえし、まいったな…)
本当は、トーヴェとウィルヘルミナが知己であることは周知の事実であるのだが、ウィルヘルミナだけはまだその事実に気付けていない。
険悪な雰囲気で対峙する二人を見て、ウィルヘルミナが一人内心で困り果てていると、トーヴェはじろりとザクリスの手を見た。
「乱暴はよしなさい。その手を離してください」
トーヴェが睨んでいるザクリスの手は、今まさにウィルヘルミナの腕を掴んでいるところだった。トーヴェの言う『乱暴』とは、そのことを指しているに違いなかった。
(乱暴? 別に痛くなんてねえんだけど…)
ウィルヘルミナがきょとんと首を傾げる。
ザクリスはというと、きっぱりと首を横に振った。
「お断りいたします。そこを通してください。今は時間が惜しいのです」
「私もお断りいたします。どうかその手をお離しください。彼の事は私が責任もって自宅までお送りいたしますゆえ、どうぞご心配なく。そんなにもお急ぎであるのなら、貴公がお先にお一人でお帰り下さい」
(な、なんか先生が、めずらしくケンカ売ってる!! この人めったに怒んねーのに。それに、乱暴なんて明らかに言いすぎだろ。心配するにもほどがあるよ。だって掴まれてるって言ったって、全く痛くねーし。トーヴェ先生、いったいどうしたんだよ!?)
ウィルヘルミナはあわあわと二人の顔を見比べる。
ウィルヘルミナは全く分からなかったが、しかしザクリスは、なんとなくトーヴェの怒りの理由に気づいたようだった。
驚いた様子で一度だけ目をぱちりとまたたいて、そのまま考え込んだ。そうして、しばしの間考え込んだ末、やがて何かを試すかのようにそっとウィルヘルミナの手を離してみた。
するとトーヴェが、急いでウィルヘルミナの側で片膝をついて視線の高さを合わせ、顔をのぞき込んでくる。
「大丈夫ですか? お怪我は?」
「え? これくらいの事で怪我なんてするわけねーじゃん、別に何ともねーよ」
「そうですか。それはよかった。ですが、みだりに他人に体を触れさせてはいけません」
そこで、はたとトーヴェの怒りの理由に気が付いた。
(ああ、そうか。そうだった。貴族の令嬢は、家族や夫以外の男に体を触らせちゃいけないんだった)
思い出して納得する。
(だから、めずらしく怒ってたのか先生)
ウィルヘルミナは、ようやくわかったとうなずいた。
トゥオネラの風習では、女性の権利というものが、ほぼ認められてはいない。完全なる男社会で、女性は男性に隷属するような立場にあるのだ。
それゆえ、女性の魔術師というものも、ほんの一握りしか存在しない。
女性はみな家の中で花嫁修業をし、身分の高い男に嫁がされるためだけの存在でしかないのだ。
おかげで、街中でも働く女性の姿を見る機会は少ない。外出も、夫や父親、兄弟、婚約者などが付き添うのが常識で、女性一人で歩くことはほぼないのだ。ましてや未婚の女性が、血のつながらない男性に体を触らせるなど、絶対にあってはならない事なのだ。
「わかった。気を付ける」
そのやりとりを見守っていたザクリスが、またしてもその表情を驚きに変える。
「…レイフ君…まさか君は…」
ザクリスは全てを言わなかったが、会話の流れからウィルヘルミナが女性である事実を察してしまったらしい。
ザクリスのつぶやきを拾い二人は振り返った。
トーヴェは、気をつけろと睨みつけるような視線をザクリスに投げかけているが、ウィルヘルミナは、まさかザクリスが気づいているとは夢にも思ってはおらず、まるで事態を把握できずに、不思議そうに首を傾げていた。




