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トゥルク王国には、実質六つの爵位が存在する。
その六つの位は、順位付けを明文化されてはいない。だが、慣習として一番上に位置付けられている位を辺境伯爵と呼んでいる。これはエルヴァスティ王家にも匹敵する強大な力を持つ名家で、トゥオネラの中でも四家しか存在しない。
その次に続くのは公爵である。公爵は、現国王の兄弟姉妹たちが、一代限り名乗ることを許される爵位で、厳密にいえば事実上の王族とみなされており、一般的な貴族のくくりには入らない。だが、その子孫らは侯爵となり、こちらは貴族とみなされる。
その下に位置づけられているのが子爵と副伯で、この二つは同格。子爵は中央貴族の爵位、副伯は辺境伯爵四家以外の辺境貴族たちの爵位である。子爵は王家に属し、副伯は辺境伯爵家に属している。派閥が違うというだけのことで、爵位に優劣はない。
そして、一番下に位置しているのが男爵である。
男爵は、主に有力商人たちが金で買う爵位だ。まれに平民が武勲などの褒章によって与えられる場合もあるが、実質、自由都市の大商人たちが、都市参事会に入るために買う爵位である。この爵位は、一代限り名乗ることが許されている一代貴族であった。
ウィルヘルミナたちは、馬車で移動している。
ザクリスの横に腰掛けたウィルヘルミナは、目の前に迫る豪華な邸宅をぼんやりと眺めていた。
その邸宅は、つい先日訪れたばかりの場所――――ベルの滞在している屋敷だ。
邸宅は、ロズベルグ侯爵家という名門貴族の屋敷であるらしい。
道すがら、ウィルヘルミナはベルからそう説明を受けていた。
(ベルの家は王都イーサルミにあるけど、今は事情があってこの屋敷に滞在してるって言ってたよな。侯爵家に滞在なんて、まさかベルはトゥルク王家の関係者なのか?)
ウィルヘルミナは、真正面に座るベルの顔をちらりとうかがうが、ベルからはそれ以上の説明はない。再び視線を外へと向け直し、考え込んだ。
宮廷魔術師として働いているはずのトーヴェが、ベルの護衛をしている現状を考えると、その推測は間違っていない可能性が高い。
知らぬ間に、厄介な状況に陥りつつある現実に、ウィルヘルミナは頭痛を覚え始めた。
(もしそうならたぶんまずいよなー。今四壁は王家ともめてるわけだし…。いやいや、でもまだ確証はねえし、やっぱ考え過ぎはよくねーよな。うん、決めつけはよくねえ。うーん、でもフレーデリクさんがベルの事『高貴な方』なんて言ってたしな…)
本当のところはどうなのだろうと考えていた途中で、ある事にはたと気づく。
ウィルヘルミナは慌てて首を横に振った。
(ダメだ、ダメだ。ベルだって余計な詮索はされたくねえよな。もうこれ以上考えるのはやめよう)
ウィルヘルミナは、自分が詮索しないでほしいと言った手前、ベルの事も詮索するべきではないと思い至ったのだ。
ウィルヘルミナは、それ以上の追究をやめる。
そうこうしているうちに屋敷に到着し、一同は馬車を降りて中へと入った。
ウィルヘルミナは気持ちを切り替え、目の前で作業するザクリスの姿を見つめる。
今ウィルヘルミナたちは、ロズベルグ侯爵邸にあるベルの部屋の中にいた。
部屋には、ウィルヘルミナとザクリスの他に、ベル、トーヴェ、フレーデリク、カスパル、ラガスの姿もある。
ザクリスは、昨日ここであった経緯をフレーデリクから説明されながら、問題のベッドを隅々まで見て回っていた。
それが終わると、ザクリスは真面目な顔でウィルヘルミナを振り返る。
「ねえレイフ君、君は昨日この部屋に来た時に、このベッドに違和感を覚えたと言っていたね。そして、ベル君の持っていた首飾り型の魔法具の存在に気付き、そこからこのベッド型の魔法具の発動条件を推測し、検証した結果、このベッドが闇界魔法の施された呪殺用の魔法具であると結論付けたと。それで間違いない?」
「うん、そうだよ」
特に間違いはなかったので、ウィルヘルミナは何の気なしにうなずき返したのだが、ザクリスは頭痛を覚えたかのように額を押さえながらため息を吐いた。
「すみませんがフレーデリクさん、少し皆さんに席を外していただくことはできませんか? ちょっとレイフ君と話がしたいのです」
フレーデリクは、心配そうにザクリスを見る。
「この魔法具に何か問題があるのですか? 何か他の発動条件があったとか? まだ危険があるとかそういうことですか?」
「いえ、そういうことではないのですが…。まあ…そうですね…他の発動条件などは、まだちょっと未確認なのですが…。ああ、念のためベル君の魔法具をお借りしておいていいですか?」
ザクリスの返事はどこか歯切れが悪い。
フレーデリクは心配そうにザクリスを見ながらも、ベルから魔法具を預かりザクリスに渡した。
「じゃあ、お話が終わったら声をかけてくださいね」
そう言って、ウィルヘルミナとザクリスだけを残し、他の面々は別室へと移動した。
『さて』と言ってザクリスはウィルヘルミナに向き直る。
「色々と答えにくいことを聞くことになるだろうから皆には席を外してもらったのだけど…。単刀直入に聞くね。君の契約している精霊魔法の種類と階位を聞いても大丈夫かな?」
「えーと…それは…」
ウィルヘルミナはしどろもどろになり、困ったように視線を彷徨わせた。
(八職だってことは絶対に伏せておけってイヴァール先生に言われてるんだよな。これってザクリスさんに対しても適用されんのかな? その辺りの事、ちゃんと確認しときゃよかったな…。まあ、ザクリスさんなら教えても問題ないだろうけど…でも正直に話したら絶対に引かれるよな。うーん、どうすっかな…)
現在ウィルヘルミナが契約できている階位は、地界第三位、金界第三位、火界第四位、氷界第三位、風界第四位、雷界第三位、聖界第二位、闇界第三位である。
最高位の魔術師でさえ到達できる限界が五職三位までと言われている。しかも、複数の属性を三位まで契約できる人間はかなり稀である。
例えば五職のうち、一職のみが三位で、残りの属性は四位から五位であったとしても、歴史に名を刻む最高位の魔術師と呼ばれるのだ。
そんな中、ウィルヘルミナの叩き出している数字は、明らかに異常なのであった。
以前、イヴァールに英雄ペルクナスの再来と言わしめたのは、遜色など全くない至極正当な評価であるのだ。
「やはり答えづらい? 君に聞いておいて自分の事を隠すのは公平じゃないから言うけど、実はね、私は四職なんだ。地界第四位、金界第三位、闇界第四位、氷界第五位。イヴァールは五職だからね。彼ほどではないにしても、一応それなりの評価をもらっている魔術師なんだ」
そう言って、ザクリスは昨日フレーデリクが持っていた箱型の魔法具を取り出した。
「この箱型の魔法具は失われた叡智の一つでね、闇界魔法の発動を無効化することのできる魔法具なんだ。この魔法具は、金界第三位魔法によって中和されていて、その上で未確認の魔法――――つまり、失われた叡智に属する魔法が付与されている。それは、フレーデリクさんも承知しているんだ」
ザクリスは一度言葉を切り、ウィルヘルミナにその箱型の魔法具を見せる。
「そして、この箱の中に入っている魔法具は、フレーデリクさんが、私とは別の金界魔術師と一緒に見つけた魔法具で、金界第五位で中和し、闇界第五位の即死魔法が付与された呪殺用の魔法具なんだ。これらの鑑定結果は、私が金界第三位と闇界第四位を契約済みであるために得られる鑑定結果なんだよ。そこまではレイフ君にも理解できるよね」
ウィルヘルミナは、確認するようなその言葉に、何の疑いもなく素直にうなずいた。
(つか金界三位かー、ザクリスさんやっぱすげーんだな)
安心しきった気の抜けた様子で、のんびりと感想まで抱いている。
まさかこの返事のせいで、窮地に陥ることになろうとは予想もしていなかったのだ。
「実はね、レイフ君がこの失われた叡智である箱型魔法具の中にある闇界魔法具の存在が分かったという事は、金界魔法に関してだけ言うと、少なくともレイフ君は第三位を契約済みであることが推測できるんだ。何故なら箱の中身が見えたからね」
そこまで説明されて、ウィルヘルミナはぎくりと体をこわばらせた。
(へ? それってまさか…オレが金界三位契約できてるから、金界第三位で中和されてる箱型魔法具の中身が見えちゃったってことか!?)
驚くウィルヘルミナを尻目に、ザクリスはさらに衝撃的な言葉を続ける。
「それに中身の魔法具も鑑定できているのだから、闇界第五位も契約済みという事になる。さらに信じられないことに、君は昨日聖界第二位魔法をみんなの前で使って見せたらしいね」
ウィルヘルミナは、目をまん丸に見開いて顔色を青ざめさせた。
(ぎゃああああ、待って、確かにその通りなんだけど、ちょっと待って!! 一回落ち着こう!! タイム!!)
ザクリスは落ち着いており、淡々と状況を説明できている。
むしろ落ち着くべきなのはウィルヘルミナの方なのだが、当の本人は動揺しており気づけていない。
とにかく一旦ザクリスの口を閉じさせようと、慌てふためいた様子で身振り手振りで気持ちを伝えようとするが、伝わらないのか、ザクリスはそんなウィルヘルミナをまるっと無視して続ける。
「だから聖界第三位魔法が付与されているこのベル君の魔法具のことも鑑定できたのだろうね。ちなみに、私にはこの首飾りの魔法具は鑑定できないよ」
ザクリスは、自らが手に持つ首飾り型魔法具を一瞥してから、お手上げといったように手を上げた。
(マジで待って!! ちょっとでいいからオレに考える時間をくれ!! なんか言い訳ぐらい考えさせて!!)
ウィルヘルミナは必死の形相で首を横に振り、続く言葉を止めようとするが、それでもザクリスは止まらない。
「フレーデリクさんたちにも、相克する魔法を同時契約できた事例を知っているかと聞かれたけど…闇界と聖界を同時契約できる人間が存在するなんて、私は聞いたことがないんだよね。歴史どころか、神話やおとぎ話でも聞いたことがない」
その言葉にとどめを刺され、ウィルヘルミナは冷や汗をだらだらと流した。
(やばい…お、終わった。今更言い訳なんか全然思いつかねえ…)
顔面蒼白のまま頭を抱え込んだ。まさに、自分自身の手で自分の首を絞めた結果となっている。
「というわけでこのベッド型の魔法具について話を戻すけど、はっきりいって、私には鑑定することができないんだ。ベル君がこうむった被害状況から考えて、闇界魔法が付与されている可能性はかなり高い。つまり、このベッド型魔法具には、少なくとも金界第二位魔法による中和と、階位不明の闇界魔法が付与されていることが推測できる。でも、私にわかるのはそこまで」
ザクリスは一旦言葉を切ってウィルヘルミナを見たが、当のウィルヘルミナの頭の中は、すでに真っ白になっていた。もはやぐうの音も出ない。
しかしザクリスは、抜け殻のようになっているウィルヘルミナに対して、マイペースにそのまま問いかける。
「ここで今、何故私がベッド型魔法具に付与されている金界魔法の階位が第二位と言い切ったか不思議に思わない?」
(…?)
ザクリスの発言に衝撃を受けていたウィルヘルミナは、思考停止しており、しばらくの間、頭の中でその言葉が意味をなさなかった。
ただ呆然としていたが、やがてのろのろと顔を上げ、ザクリスを見返す。
ザクリスは急かすことなくウィルヘルミナの返事を待っていた。
先ほどのザクリスの言葉に他意は感じられず、かち合ったその視線にも恐怖や畏怖のような負の感情は微塵もない。
おかげで、ウィルヘルミナは次第に気持ちが落ち着いていった。
そして、ゆっくりとウィルヘルミナの思考がもどってくる。
(あれ…? そういえばそうだよな。ザクリスさんの契約階位は三位なのに、なんで金界二位で中和してあるって言い切ったんだろ?)
ウィルヘルミナは、不思議そうに瞬きを繰り返した。
「確かに変だな…なんでそんなことが言い切れるの?」
「それはね、契約できていない上位魔法であっても、一つ上の階位の魔法付与なら、なんとなく感覚でわかるからなんだよ。うっすらと気配を感じるというかなんというか…。言葉にするのは難しいんだけどね。だから、金界第三位を契約済みの私には、このベッド型魔法具が金界第二位魔法で中和されていることがわかるんだ」
(…そういえば、オレもこのベッドに闇界の気配をうっすら感じてるんだよな…)
「納得してくれたみたいだね。その感覚があるから、このベッドには金界第二位付与があると言い切れるんだ。でも、私にはこれ以上の事はわからない」
そこまで言って、ザクリスは改めてウィルヘルミナを見つめた。
「結論から言うと、この魔法具の鑑定をするのは無理なんだ。でも、もしレイフ君の契約魔法階位を教えてもらえたら、私の鑑定と合わせて他属性の付与魔法の有無をつぶして、結果の精度をより上げることができるかなと思ったんだ。だから、君の契約済みの魔法階位を知りたかったんだ」
ザクリスには強要するようなそぶりは全くなく、ただ静かに問いかけている。
ウィルヘルミナは返事を躊躇い、迷うようにザクリスの顔を見返していた。




