16
「レイフ君、お願いがあるんですけど…。ベル様のお友達になってはくれませんか?」
フレーデリクが、歩きながら言葉を選び、そう切り出す。
ウィルヘルミナは、馬車で送るというフレーデリクの申し出を断り、石畳の道をのんびりと歩いていた。
そんなウィルヘルミナの後を追うようにして、フレーデリクとカスパルが歩いている。
静かに付き従うカスパルもフレーデリクと同じ意見なのか、懇願するようにウィルヘルミナを見つめていた。
「やだね、あいつ可愛げねーし」
「そんな冷たい事言わないで、お願いしますよ。ベル様は、身近に年の近い者がおられないんです。だから――――」
「あのさ、フレーデリクさん、それは違くね?」
フレーデリクの言葉に覆いかぶせるようにして言うと足を止め、ウィルヘルミナは顔だけでフレーデリクを振り返る。
「友達って誰かに頼まれてなるようなもんじゃねえだろ?」
力強い目でまっすぐ見返され、フレーデリクは困ったように鼻の頭を掻いた。
「確かにそうなんですが…。では…そうですね…じゃあ話し相手でもいいんです。たまにベル様のところへ顔を出してはもらえませんか?」
「えー、やだ。屋敷が遠いからめんどい。それに、自分で言うのもおかしいけど、オレみたいな怪しいやつを大事なご主人様の側に置かねえほうがいいんじゃね?」
ウィルヘルミナは、自分の持っている力が常識からかけ離れていることを十分理解しており、普通に受け入れてもらえるとは思っていなかった。それに追われる身でもある。その辺りの詳細を説明するわけにもいかないので、自分の異端さを冗談交じりににおわせてみる。
フレーデリクとカスパルは一度顔を見合わせた。
やがてフレーデリクが言葉を探しながら口を開く。
「普通に考えたらそうなんですけど…でもね、私もカスパルさんも、君がどういう人間なのか、なんとなくわかったというか何というか…。出会ってからの時間はまだ短いのに、何言ってるんだって思うかもしれないですけど、君が悪意のない純粋な子であることがわかるんですよね。そうですね…君の言葉を借りるなら、自分の直感を信じているっていう方がしっくりくるかもしれません。とにかく、君とベル様の縁を、これで終わりにしたくないんです。どうか頼みますレイフ君、たまにでいいから会いに来てくれませんか」
「うーんそう言われてもな…もしオレに会いたいなら、ベルの方が会いに来いよ」
ウィルヘルミナは、突き放すように言って再び歩きはじめる。
「そんなこと言わないでください。たまにでいいんです。ベル様の気晴らしにもなるでしょうし…。ずっと家に籠られていてはベル様も気分がふさぎがちになるでしょうから」
「なんで? どうしてベルは外に出られないわけ?」
フレーデリクは、息を吐き出した。
「ベル様にとって、外は少々危険でね。やむを得ないんです」
「でもさ、結局家の中だって危険だったじゃねーか。どうせなら本人の好きにさせてやったら?」
その言葉に、大人二人は黙り込む。
先に口を開いたのは、カスパルだった。
「そうですね…どうせ中も外も同じように危険なのです。だったら、ベル様の望むようにしてさしあげて、我々が全力でお守りすればいいのかもしれません」
「カスパルさん、しかし…」
「もちろん警戒を怠るつもりはありません。とはいえ、信頼性や実力を考慮すると、護衛の任に当たらせることが可能な人員は限られます。だからといってラガス殿だけに頼るのは無理があるのも事実。ただ幸いなことに、最近入った者の中に、かなり腕の立つ人間がいるようなのです。彼は北壁出身のようですから、ひとまずは今回の件から除外しても問題ないでしょう。彼をベル様の護衛に配置し、私も護衛の任に加われば、ベル様に外出の機会を作って差し上げることも無理ではありません」
(北壁出身? 今回の件から除外? 言い方からして、さっきの魔法具騒動の件の犯人から除外するって言ってんのかな?)
情報が不足しているため、ウィルヘルミナには二人の話が理解できないのだが、できないなりに推測してみる。
「確かに今回の件に北壁は噛んでいないでしょうけど…。しかし、辺境出身となるとまた別な問題があるでしょう」
フレーデリクの言葉には、何か含むものがある。
見るからに北壁出身のウィルヘルミナの存在を慮ってだろうか、フレーデリクは『問題』については明言しなかった。
「それは理解しています。だが、もし彼に何か目的があったとしても、おそらくベル様のお命を危険にさらすというような類のものではないはずです。それに、私はラガス殿やベル様の人を見る目を信じます。彼を中央に推挙したのはベル様ですし、ラガス殿もそれを支持されました」
(なんかよくわかんねーけど、カスパルさんとラガスさんは結構仲のいい知り合いなのかな? だから話題に出てる北壁出身の人間についての判断は、ラガスさんとベルが太鼓判押してるから大丈夫みたいな感じなのかな?)
「ですがねえ、たった三人でお守りしきれるものでしょうか――――」
フレーデリクがそこまで言って不自然に言葉を止め、何かに思い当ったという様子でウィルヘルミナを見てきた。
すぐにその『何か』を察したウィルヘルミナは、急いで首を横に振る。
「ちょ、やだかんな。オレは関係ねえから。オレ、お守りはごめんだから」
「そんな冷たい事を言わずに、どうか頼みます。レイフ君ほどの魔術師なら、他の魔法も使えるでしょう? ベル様のために、一肌脱いではもらえませんか」
「さっき手伝ってやっただろ! つか、オレの事あてにされても困るから!」
「そこをなんとか」
「しつこいよフレーデリクさん、あんた結構図々しいね」
「私も商人の端くれですからね。一度断られたくらいですぐに諦めたりはしませんよ」
フフフと笑いながら、さてどうやって料理してやろうかとでも言いたげな表情でウィルヘルミナを見た。
ウィルヘルミナの背筋に悪寒が走る。
「レイフ君は、かなり面倒見がいい性分ではないかと想像しているのですがどうですか?」
ウィルヘルミナは足を止め、にこやかに笑うフレーデリクの顔をじと目で睨みつけた。
(つまり、オレには断れねーだろっていってんのかこの人)
「オレ、面倒見なんてよくねーから。女の子相手なら面倒見もよくできるけど、あんな生意気なヤロー相手にそういうの求められても困る」
「だが君は、ベル様の事を最後まで見捨てませんでした。私は、そういう人に、ベル様のお傍にいてほしいんです」
そう言ったフレーデリクの表情からは、打算の色が全て消えていた。本心から言っている言葉であることが、ウィルヘルミナにもわかる。
(くっそー、なんかずるいよなそういう言い方。確かに見捨てはしなかったけど、それは後味が悪かったからで…。ちきしょう、うまい返事が見つからねえ。ここで少しでも言いよどんだりしたら、フレーデリクさんの言葉を認めているみたいになってムカつくじゃん)
ウィルヘルミナは、強気な態度でつんとそっぽを向いた。
「いやなものはいやだから。他あたってくれ」
意地になっている感も否めない。だが、ウィルヘルミナ自身の事情を考えると、ここで素直にうなずくこともできなかった。
「そんなこと言わないで、ねえ、レイフ君てば」
(これ以上相手してたら、ぜってーフレーデリクさんに押し切られる)
自分をよく知るウィルヘルミナは、無言のまま二人を振り切るようにしてそこから走り出し、逃げ出した。
「レイフ君は足が速いですね」
ウィルヘルミナよりもだいぶ遅れて、フレーデリクたちがザクリス邸に到着した。
フレーデリクはかなり疲れた様子だ。
はあはあと息を切らせているフレーデリクとは対照的に、護衛のカスパルは涼しげな顔をしている。
「フレーデリクさんが運動不足なだけなんじゃね? この程度で息切れとかかなりダサいよ」
ウィルヘルミナは揶揄うように笑った。
先程は内心で迷っていて、思わず逃げ出してしまったウィルヘルミナだったが、フレーデリクたちが到着するまでの間に心の整理をつけた様子で、冗談を言いつつも、何か吹っ切れた空気を纏っている。
フレーデリクたちも、その空気を敏感に覚っていた。
二人はそこから何か手ごたえを感じたのか、しめしあわせたかのように視線を合わせて、安堵とともに小さくうなずき合う。
二人は、じきに良い返事が聞けるであろう可能性を、確信を持って感じ取っていたのだ。
ウィルヘルミナは、二人が到着するまでに、すでに夕食の準備に取り掛かっていた。朝のうちに下拵えをしていたこともあり、もう出来上がろうかという頃合いだ。
その時のザクリスはというと、朝ウィルヘルミナたちが家を出ていった時の状態ままで、まだ研究に没頭している。
「いい匂いですね。この匂いは鳥のシチューですか?」
「そ、食ってく?」
「いいのですか? ぜひご相伴にあずかりたいですね」
「いーぜ、口に合うかどうかはわかんねえけど。カスパルさんもどーぞ」
カスパルは苦笑しながら家の中に入った。
「ところで二人はザクリスさんの知り合いなんだろ? あの人どうやったら正気にもどんの? あのままじゃまずくね?」
二人は互いの顔を見合わせる。
やがて疲労の色が濃いため息を吐き出した。
「その方法がわかっていれば我々も苦労はしないんですけどね」
「こうなってしまうと、一区切りつくまで無理なんですよね」
フレーデリクとカスパルが、あきらめの境地でぼやく。
「でもまあ、死ぬことはないと思います。その辺りは本能がわきまえているはずです。たぶんそろそろ正気に戻る頃合いだと思うのですけど」
困り顔のフレーデリクが、ザクリスのやつれ具合からそう推測する。
ウィルヘルミナは、テキパキとカスパルとフレーデリクの分のシチューを用意すると机に並べ、自分はシチューを盛った皿とスプーンを持ってザクリスの側に近寄った。
「レイフ君?」
何をしようとしているのだと、問いかけるかのように首を傾げるフレーデリクに、ウィルヘルミナは大丈夫だからとでもいうように笑い返してうなずく。
「気にしないで、二人は食べてていいよ。あったかいうちにどーぞ。オレはこれをザクリスさんに食べさせてあげるところだからさ」
「食べさせてあげるのですか?」
「うん、だって飲まず食わずじゃ体壊しちゃうだろ?」
「まあそうですね。いくらザクリスさんが丈夫とはいっても、さすがに心配ですよね…。それにしても、君は本当に面倒見がいいのですね。それに、考え方も行動もとても大人びている」
「まあ、オレも色々あってさ。それなりに経験積んでるわけ。だからさ…ベルの気持ち、わからなくもないんだよな…」
ウィルヘルミナは足を止めて遠くを見つめる。
真面目な顔になってフレーデリクを振り返った。
「あのさ、たぶんこれからフレーデリクさんたちはオレの身上調査するつもりなんだろうけどさ、それやめてくれねえ?」
フレーデリクとカスパルが、思わずといった様子で息をのむ。
「オレが、見るからにいわくつきの怪しい子供に見えることは、オレ自身も十分わかってんだよ。でもさ、実はオレも身内に命を狙われててさ、ここに来たのもそういうのから逃げるって理由もあるわけ。余計な調査で注目されて、オレの身の上がばれたりすると、せっかくここに逃がしてくれた人たちに顔向けできねえし、助けてくれている人たちにも迷惑がかかる。それに、たぶんザクリスさんにも迷惑がかかることになる。オレはベルの敵じゃねえよ。敵になるつもりもねえ。だから、オレの事はそっとしておいてくれねーかな」
フレーデリクとカスパルは、硬い表情でウィルヘルミナを見つめ返していた。
「オレもベルのことは気になる。だから、もしオレの身上調査をしなくてもベルの側に居ていいって言うんだったら、ベルの話し相手になってもいい。でも、身上調査しなきゃ側に置けないって言うなら、これっきりにしてくれ。もうオレには関わらないでほしい。オレも関わったりしないからさ」
それが、ウィルヘルミナが出した妥協点だった。
フレーデリクもカスパルも、表情をこわばらせたまま動くことができなかった。
ウィルヘルミナのまっすぐな目が、二人の大人を射抜く。
やがてフレーデリクが息を吐きだし、張りつめていた体の強張りを解いた。
「まいりましたね…本当に君は大人びていますね…。でもそうか…。君のその境遇が、君を大人にしてしまったのかもしれないですね」
分かったと言ってフレーデリクが顔を上げる。
「今の話、ベル様にお聞かせしてもいいですか? ベル様のご判断を仰ぎたいのです」
「まあ、別にそれはかまわねーよ。ただオレはみての通りの人間だから、丁寧な口調で話すのも無理だし、ベルの事特別扱いとかできねえから。ついでにそれも伝えておいてくれる?」
「わかりました」
フレーデリクはそう返しながら苦笑した。
「よし、じゃあ後はザクリスさんだな。飢え死にしないように食わせねーと」
ウィルヘルミナは表情を戻してザクリスの隣に移動する。
考え込んだまま固まるザクリスの口元が、わずかに緩んだ隙をついて、スプーン強引に差し入れた。
すると、ザクリスの口元がもぐもぐと動き、嚥下する。
もう一度同じことをしようと、ウィルヘルミナがタイミングを見計らっていると、しだいにザクリスの焦点が結ばれ、パチパチと目をしばたたかせた。
「…あれ…? レイフ君? どうしたの?」
「どうしたのじゃねえよザクリスさん。やっと正気に戻ったのか。まったく世話のやける人だな。ほら、ちゃんとこれ食えよ」
「? これはシチューかい? ああ、すごく美味しいね。レイフ君が作ったの?」
ザクリスは口の中に残る味を確認して褒める。
「ほんと呑気だなザクリスさんは。そうだよ、オレが作ったの。せっかくだから、ほら、ちゃんと食べてよ」
ウィルヘルミナはシチューの盛ってある皿を差し出した。
ザクリスは素直に受け取り、そのままシチューを口にする。
「うん、やっぱりすごく美味しいよ」
「口に合ってよかったよ。水も飲む?」
ザクリスは、パッと顔を明るくしてうなずいた。
「お願いできるかい? なんだかとても喉が渇いているんだ」
ウィルヘルミナはぷっと噴き出す。
「だろうね。すぐに用意してやるよ。フレーデリクさんたちもいる?」
その言葉で、ザクリスはようやくフレーデリクとカスパルの存在に気付いた。
「あれ? フレーデリクさんいらっしゃってたんですか? カスパルさんまで、どうしたのですか? 何か用事ですか?」
訝しむザクリスに、聞かれた当の二人はため息を吐き出す。
「まあ用事があってきたのですが、もう済みました。それにしてもレイフ君の料理はおいしいですね」
「そうなんです。彼はとても料理が上手なんですよ。先日作ってくれた夕食もとても美味しかったんです」
にこにこと話すザクリスに、フレーデリクたちは苦笑する。
そのまま暗くなるまで、四人は暖かい雰囲気の中談笑した。




