15
「おい、大丈夫か!? 苦しくねえか!?」
衝撃のあまり呆然と立ち尽くすベルに、ウィルヘルミナは焦った様子で声をかけて顔をのぞき込む。
そこで、ベルが我に返った。
「お前…いったい何者だ」
ベルは、かすれ気味の声で呆然とつぶやく。
ウィルヘルミナもまた、一拍遅れてようやく状況を把握し、『あ!』と声を上げて大量の冷や汗をかいた。
(やっべ! つい使っちまった! だって聖界第三位魔法で防ぐの無理な即死魔法っつったら、闇界第二位か第一位魔法だろ。そんなの死ぬに決まってんじゃん!! 放っておけるわけねーよ!)
内心で言い訳しながらも蒼白な顔色に変わり、気まずそうにベルから視線を逸らす。
「何者って…ボクは修道士見習いのレイフ・ギルデンです」
いままでの口調と全く違う不似合いな言葉遣いのせいもあって、奇妙な沈黙がその場を支配した。
ウィルヘルミナはというと、その沈黙に耐えきれなくなり、無言のまま踵を返してベルが寝ていたベッドに戻る。
(やべー、またしてもやっちまった。でもしょーがねーじゃん! ほっとけねーもん! もうこれは、面倒なことになる前にさっさとブツ探し出して帰ろ)
もう十分面倒なことにはなっているので、本当ならばすぐに逃げ出したいところなのだが、しかし、危険な魔法具をこのまま放置しておくわけにはいかないという使命感から、ウィルヘルミナは律儀に魔法具探しを再開した。
一同の呆気にとられたような視線を一身に浴びたまま、ウィルヘルミナはベッドの上に登ってみるが特におかしなところは見当たらない。首を捻った。
(変だな…さっきは確かに魔法具だと思ったんだけどな…)
「お前は教会魔術師なのか」
固い声で問いかけてくるベルに、ウィルヘルミナは振り返ることなく気まずそうに返事を返す。
「うーん…まー、そんな感じ、さっきも言ったけど修道士見習いなんだ」
「修道士見習いだと? ただの修道士見習いに聖界第二位魔法が使えるわけがない。それに、金界魔術師でもあるのだろう? お前はいったい何者なんだ」
(そうだよな、普通に考えて気になるよな。でも今は気にしないでほしーんだけど)
応えることなく横目でちらりとベルを見ると、ベルは目を鋭く細めてウィルヘルミナを見ていた。
フレーデリク、カスパル、ラガスたちは、衝撃から回復できず、呆然とした表情のまま固まっている。
(でも、やっぱ無理かな)
ウィルヘルミナは一度作業を止め、ため息をつきながらベルを振り返って正面を向く。
「あのさ、そういう質問にオレが答えてやる義理はねえと思うんだよね。オレは、頼まれて魔法具探しに来ただけであって、それ以上でもそれ以下でもねえの。余計な詮索はすんなよ。これは好意でやってやってることなんだからさ」
そう言って、フレーデリクをじろりと見やる。
フレーデリクは我に返り、汗を掻きながら目を白黒させていた。
だが、どう言葉を発したらいいのか分からないらしく、ポケットから取り出したハンカチで汗をぬぐいながら、せわしなくベルとウィルヘルミナとを交互に見ている。
(手伝う前に、色々と他言無用だってくぎ刺しといたのになんだよ、いざって時に全然頼りになんねえじゃんフレーデリクのおっさん)
内心で文句をつけながらウィルヘルミナは腕を組んでベルを見返した。
「お前だって、人のこと言えねーだろ。『ベル』なんて女みたいな名前、明らかに偽名だろ? それに、秘密裏に魔法具探ししなきゃならなかったり、家にそんなもの仕掛けられてたり、周囲に居るのは家族じゃなくて部下だったりしてるじゃねーか、オレはその辺りのことあえて聞かないでやっている」
ベルは無言のままウィルヘルミナを見返している。
ウィルヘルミナは、軽く息を吐いた。
「ま、そんな理由いちいちオレに説明してくれなくたっていいけど。別に興味もねーし。ただな、お前だって隠し事してるんだからオレの事も詮索するな。それにな、本当ならオレはこのまま帰ったって何の問題もないわけ。けど、お前が死んだら寝覚めが悪くなるから善意でこうして探してやってんの。だいたい、聖界三位魔法が付与された魔法具で効果を消せないようなやばい魔法具放置しておいたら、死人が増えるだけ――――」
(あれ? 待てよ)
そこまで言いかけて、ウィルヘルミナは考え込む。
(そうだよ、そんなやばい闇界魔法付与してある魔法具なのに、どうして他の人間に影響がないんだ? なんでベルだけに発動すんだよ?)
ここには、ベルの他にも人間がいる。にもかかわらず、他の人間に影響が出ている様子はないのだ。
魔法具の発動には必ず条件がある。
だが、人を選んで特定の人物だけに効果を与えるような器用なことはできない。あくまでも条件を満たすことで発動する仕組みになっているのだ。
仕掛けられている魔法具が闇界魔法を付与した呪殺具のようなので、接触が発動条件とではないかと先入観を持っていたが、もしかしたら違うのかもしれない。
ウィルヘルミナはそう思い至り、顎をつまんで考え込んだ。
「おい、どうした?」
急に黙り込んだウィルヘルミナに、ベルが怪訝な表情で声をかける。
(つまり、発動条件をベルに絞ってあるってことか? もしかして…?)
ウィルヘルミナは、そこでベルの顔を真顔で見返した。
「なあベル、その首飾りの魔法具オレに貸してくれ」
「なぜだ」
唐突なその物言いの真意を、ベルは訝しむように問い質す。
ウィルヘルミナは、肩をすくめながら答えた。
「発動条件を調べるんだよ」
ベルは目を見張った。
「まさか…」
呆然と呟いて、ベルは自らの胸に下げられている魔法具を見下ろす。
ベルは信じたくないようだったが、しばらく考え込み、やがて無表情になると、無造作に魔法具を外して無言のままウィルヘルミナに渡した。
受け取ったウィルヘルミナは、魔法具を首にかけて深呼吸を一つする。
(さっきオレがベッドに乗った時には何も起こらなかったし、ベルに限定したトラップだって考えたら、怪しいのはこの首飾りの魔法具だ)
ウィルヘルミナは、緊張した表情でベッドのそばに移動し、慎重に足をかけて上に登る。すると、途端にズキリと心臓が痛んだ。
何本もの針を胸に突き刺されたかのような鋭い痛みがウィルヘルミナを襲う。
(やっぱりそうだ。実際に魔法具が発動してる状態だと、発動条件が鑑定できるな。このベッド型の魔法具は聖界三位魔法が発動条件だ。それに、なんとなく闇界魔法の気配も感じられる)
ウィルヘルミナは、あまりの痛みに顔をしかめた。
(かなりいてーな、マジでしんどいわ。それにしてもこのトラップえげつねえな。発動条件の聖界魔法の効果で即死を防がせてやがる。けど、闇界魔法の効果のほうが強いから、時間かけて徐々に死に至らせるってわけか。これじゃ、知らねえ奴には病死に見えるかもな。てか、いつからこの状態でいるのかしらねーけど、ベルの奴、この状態で平気な振りしてやがったのか。弱み見せたくねーのはわかるけど、馬鹿だろ。根性は認めてやってもいいけど、そのせいで発見が遅れたんじゃねーのか?)
ウィルヘルミナはベッドを降りて胸を抑える。不思議なことに、ベッドを降りても闇界魔法の効果は続いていた。
(ベッドから降りても効果が続くから、ベッドが魔法具だって気づけなかったんだな。とんでもねえ魔法具だな)
ウィルヘルミナは、自らに聖界第二位の魔法を使う。
胸の痛みが消えたことにほっと息をつきながら、首から魔法具を外してベルに差しだした。
「このベッドが、ベルを狙って仕掛けられた闇界魔法を付与された問題の魔法具だと思う。詳しいことはオレには鑑定できねえけど、たぶん高位の闇界魔法が付与されてるはずだ。でも、発動条件だけはわかる。聖界第三位魔法――――つまりこの首飾りの魔法具が発動条件になってる」
ベッドの魔法具の方には、かなり上位魔法が付与されているようで、今のウィルヘルミナには正確な鑑定ができない。だが、先程の検証で発動条件だけは特定できた。
黙って様子を見守っていたラガス、フレーデリク、カスパルの三人が、その結果に衝撃を受けた様子で目を見開く。
ベルだけは、あらかじめ結果が予想できていたようで、表情を変えることなく首飾りを受け取った。
ウィルヘルミナは、無表情に変わったベルの横顔を見やる。
(ベルが持ってる魔法具が発動条件なんて、絶対に偶然じゃねえよな…。つか、わざわざ病死に見せかけられるようなトラップで暗殺なんて、内部の犯行の線が濃厚なんじゃねーか? しかも、さっきの反応、なんか心当たりもありそうな感じだったし…)
ベルの内心を思いやると、ウィルヘルミナは何とも言えない気持ちになった。
(泣くでも怒るでもなく無反応かよ…。すかした顔してっけど、たぶんショックなんだろうな…)
やるせない思いを覚え、その気持ちをやり過ごすように頭をガシガシと掻く。
「あのさ、我慢強いのも結構だけど、素直に自分の状況を言わねえから発見が遅れんだぞ? ちょっとは正直に気持ちを口に出したらどうだ? フレーデリクさんたちが、どれだけお前の事を心配してたか知ってるのか? あのまま放っておいたら、お前そう遠くないうちに死んでたからな?」
しかし、ベルは無言だ。ただじっと、手に持っている首飾り型の魔法具を見つめている。
フレーデリクたちは、気遣う様にベルを見つめているが、ベルはそれら全てを拒絶するような空気を纏っていた。自分の殻に閉じこもり、周囲には全く心の内を明かそうとはしない。
「まあ、こういう状況だし、警戒するのも理解できるけど…でも、もっとよく人を選んで警戒しろよ。周りにいる人間が全員敵だと思ってたら、おまえ潰れちまうぞ。本当の仲間だって失うことになる」
その言葉を聞いたベルは皮肉そうに笑った。
「お前はずいぶんと大切に、幸せな環境で育てられたんだな」
「ああ、そうだよ。けっこうねじまがった愛情だったけど、ちゃんとたっぷり愛情貰って育てられたよ。だったらなんだ? お前は違うっていうのか? 今お前を救おうとして、こうしてお前の周りにいる人たちはどうなんだよ。お前はこの人たちに大切にされてないって、そう言ってんのか?」
ベルは痛いところを突かれた様に黙り込む。
ベルとて、フレーデリクたちの事まで疑っているわけではない。彼らの忠誠心を信じていないわけではないのだ。
だが、ウィルヘルミナの言い分を素直に受け入れられるほどの余裕が、今のベルにはない。だから、つい皮肉で返してしまう。
ウィルヘルミナは小さく息をつき、言い聞かせるような口調で切り出した。
「あのさ、お前は一人で生きてるわけじゃねえんだよ。今だって、こうして周りに支えられ、守られて生きている。確かにお前は、他人を信じられなくなるような状況にいるのかもしれねー。けどさ、だったらお前自身がもっと強くなれよ。たとえ誰に裏切られても無敵で、笑い飛ばせるくらいに強くなれ。そうすりゃ人を信じるのも怖くなくなんだろ。誰も信じられねえような人間は、誰かに必要とされることもねえ。お前自身が自分を無価値にしようとしてるんだよ。自分が傷つきたくねえからって、尖がって他人に突っかかって拒絶して…お前の事を心の底から心配してくれているような人たちまで否定して傷つけたりすんなよ」
ベルは唇を噛んだ。
握りしめていたその手を解き、首飾り型の魔法具をウィルヘルミナに見せる。
「この魔法具を私に下さったのは母上だ! その意味がお前にわかるか!?」
声を荒げたベルの目は、激しい動揺と不安に揺れていた。そして何より、深く傷ついていた。
その顔を見て、ウィルヘルミナは理解した。
(ああ、そうか…。こいつ、母親を信じたいんだな。でも、状況が母親の事件への関与を疑わせている。だからあんなに突っかかって強がってたのか…)
ウィルヘルミナは、しょうがない奴だなと呆れ交じりの微笑みを浮かべる。
手を伸ばし、ぽんぽんとベルの頭に触れた。
「お前、お母さんの事信じたいんだな。信じたいのに信じられなくて、不安で仕方がないんだな。でもさ、だったらその『信じたい』って直感を信じてみろよ。もし、今の状況が母親を疑わせるようなものばかりがそろっていたとしても、お前は信じてみるんだ。だってな、考えたらきりがねえぞ。たとえば犯人が、お前と母親の間に確執を生みたくて、そのために今回の手を考えてたらどうするんだ? お前、まんまとその策略に乗せられてることになんだぞ。心配してもきりがないときは、余計な考えは削ぎ落とせ。お前の直感を信じるんだ」
ベルはまたしても驚きに目を見開く。
そして、呆然とつぶやいた。
「確執を生むための…策略…?」
そのまま視線を伏せ、考え込みはじめる。
何か思い当たる節を見つけたのか、その表情はしだいに自信を取り戻していった。
そんなベルを見て、ウィルヘルミナは内心で安堵の息を吐く。
(よくわかんねーけど、これならもう大丈夫かな)
「じゃーオレ、そろそろ帰るわ。もう仕事も済んだことだし。二度と会うこともねーだろうけど、達者でなー」
ウィルヘルミナは、ひらひらと手を振って歩きだし、そのまま部屋を出ていこうとする。
フレーデリクが慌てた様子で追いかけてきた。
「レイフ君! ちょっと待ってください!」
「何? まだなんか用があんの? オレ腹減ったからもう帰る」
「じゃあごちそうさせてはくれませんか? 何が食べたいですか? なんでもすぐに用意しますよ?」
「いらねー。オレ、ザクリスさんの事も心配だからもう帰る。あのまま放置しておくわけにもいかねーし」
「じゃあ送ります。このまま帰らせるなんて不義理なことできませんからね」
「別にいいって、一人の方が気楽だからいらねー。そんじゃーな」
「送らせてください、この通りです」
縋りつくような表情のフレーデリクを見て、ウィルヘルミナは乾いた笑を張り付けた。
「マジでいらねーんだけど。つか、これ以上の面倒事は絶対にごめんだから」
「純粋にお礼がしたいだけです。深読みはやめてもらえませんか」
フレーデリクは笑顔を浮かべていたが、ウィルヘルミナはその笑顔の奥に商人魂を見ていた。




