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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 精霊魔法八界――――地界(ちかい)火界(かかい)氷界(ひょうかい)風界(ふうかい)雷界(らいかい)聖界(せいかい)闇界(おんかい)金界(きんかい)のなかで、地界の副属性にすぎないはずの金界が一界と数えられ、しかも特別視されるのには理由がある。

 それは、金界魔法だけが物質に魔法を宿らせ、魔法具を作り出すことができるからだ。

 物質に魔法を付与するためには、一度金界魔法で対象を中和する必要があり、これを行ってからでないと他属性の魔法を付与することができない。物質を中和する事はもちろん、中和後に魔法を付与することも金界魔術師でなければできなかった。

 だが、金界の精霊たちはかなり気難しい性質をしており、なかなか契約できる人間がいない。そのため、金界魔術師はたとえ一職であったとしても、一目置かれる存在なのであった。

 魔法具は、武器のような軍事目的の物から、日々の生活で使用する日用品に至るまで、種類は多岐に渡る。

 そして、これら魔法具の中には、製造方法が現在に伝わっていない貴重な魔法を付与された魔法具が存在していた。付与されている魔法自体が、現在契約可能な精霊魔法の中に存在していない古代の道具があるのだ。

 今となっては再現不可能なその魔法具は、『失われた叡智』と呼ばれている。

 実は、イヴァールの持っている片眼鏡の魔法具も、この失われた叡智の一つであった。

 行使する魔法の力を増幅させるという、一見単純にも思える魔法具ではあるが、付与されている魔法が現在に伝わっていないため、再現不可能な魔法具――――つまり、失われた叡智であるのだ。

 ザクリスは、この『失われた叡智』の研究を行っている金界魔術師で、その分野では第一人者でもあった。

 ただしかなりの変人で、世渡りが下手なこともあり、出世もできなければ資金の調達もままならないような、金界魔術師にしては珍しい貧乏魔術師であった。



「おーいザクリスさん、そろそろ休憩したら?」

 ウィルヘルミナは、無駄とは思いつつもザクリスにそう声をかける。なぜ、無駄と感じているのかというと、この声掛けを、これまで幾度となくし続けてきていたからだ。

 案の定、ザクリスは研究に没頭するあまりウィルヘルミナの声が聞こえてはいない。驚くことに、ザクリスのこの状態は、数日間続いているのだった。

 ウィルヘルミナが、呆れ気味に見つめるその先で、ザクリスは顎に手を当て、固まったまま考え事をしている。かと思うと、急に動き出して一心不乱に何かを書きつけはじめた。周囲のことなど一切お構いなしに、ザクリスは自分の世界に没頭しきっていた。

 イヴァールに連れられて、ウィルヘルミナがザクリス邸を訪れたのは五日前の事。

 イヴァールは、最初の一日をここに泊っていっただけで、すぐに修道院に戻ってしまっていた。おかげで今は、ウィルヘルミナとザクリスの二人きり。

 修道院へ戻るにあたって、イヴァールはザクリスに、『レイフ』のことをくれぐれも頼むと言い含めていたが、頼まれた側のはずの当のザクリスはというとこの有様であった。

 どうやらザクリスは、イヴァールが帰ってすぐに何かを閃いてしまったようで、ここ四日ほど寝食も忘れて研究に没頭している。

 その間ウィルヘルミナは何をしていたのかというと、勝手にザクリスの家を探検し、目につく面白そうなものを片っ端から気ままに見て回っていた。

 ザクリスの魔法具研究に関連する書物や、他の蔵書にもざっと目を通したが、しかし、ウィルヘルミナには理解しきれない難解なものがほとんどで、途中で読むことを諦め放棄した。

 ウィルヘルミナは、自分の身の周りの事はすべて自分でできるため、腹が減れば商業区に買い出しに行き、食材を購入して調理をしたり、風呂やベッドも適当に拝借して、何不自由なく暮らしている。

 いつもならば、口うるさい家庭教師や祖父の目があり、こんな自堕落な生活はできないのだが、今は監視する存在もないため自由を満喫できていた。

 起きたい時間に起床し、好きなことをして時間を潰し、眠くなったら寝る。

 ウィルヘルミナは、この世界に生まれてから、はじめてのんびりと自由気ままに暮らすことができていた。

 とはいえ、自分が食事をする時にはちゃんとザクリスの分も用意していたし、寝る時や出かける時には必ずザクリスに一声かけていた。

 けれどもザクリスがこの有様であるため、ウィルヘルミナの独り言のようになっている。

 はじめこそ、腹が減るか眠くなるかすれば、そのうち普通に戻るだろうとのん気に構え、放置していたのだが、しかし、最近になってちょっと危機感を覚え始めていた。

 何故ならザクリスは、食事や睡眠はおろか、水分までほとんど摂ることもせず、ずっとこの調子なのだ。

(このまま放っておいたらマジで死ぬよな)

 ザクリスの目の下にはクマができ、頬もこけてきていた。

(眼鏡の知り合いだし、最初からあんな小汚ねー感じだったし…たぶん普通じゃねーとは思ってたけど、これは洒落になんねえレベルの変人だよな。いくら研究に没頭すると周りが見えなくなるタイプにしたってこれはひどすぎる。普通は腹が減ったら我に返るだろ。そういう人間の欲求を一切無視して研究し続けるって…振り切れた変人だな)

「おーい、ザクリスさんってば!」

 背後から両肩をつかんでゆすってみるが、ザクリスは全く反応しない。

 ウィルヘルミナは、思わず頭を抱えた。

「マジかよ。どうすんだよこれ…。応急的に回復魔法でもかけとくか?」

 しかし、それをためらう理由がウィルヘルミナにはあった。

 通常、魔法具の効果範囲内で魔法を発動させるには、前提として、魔法具に付与されている魔法や発動条件を知っておく必要がある。それは設置した魔法具を、不用意に作動させないためだ。

 ウィルヘルミナは首を捻りつつ周囲を見回した。

(この家に魔法具の制限がかかってるのは気配でわかるんだけど、どういう条件がついてるのかまではわかんねえんだよな。それにオレ、失われた叡智の事は全然わからねえし…)

 一般的に、屋敷などに防犯のために配置する魔法具は、失われた叡智が使用されることが多い。それは、現代の金界魔術師たちが作る魔法具よりも、高度な技術が使われているためだ。

 ザクリスの家に設置されている魔法具も、ほとんどが失われた叡智であることが推測できるが、しかし、ウィルヘルミナは失われた叡智に詳しくないため、状況が全くわからない。

(ま、これだけの数の魔法具置いてあるわけだし、窃盗対策のトラップしかけてないわけねえし、要はどれだけやばいトラップかってことなんだけど…。毒とか睡眠みたいな状態異常系の物なら、聖界魔法を使えば済むことだからいいけど、もし爆発系のものだったら、家がふっとんでオレたちは圧死の可能性もあるわけだし、運よく地界魔法で回避できて命が無事だったとしても、ザクリスさんの家を壊すわけにもいかねえしな…)

 迂闊に魔法を使って、魔法具を作動させてしまうわけにはいかなかった。

「まいったなぁ」

 ウィルヘルミナは腕を組んで悩んだ。

(ザクリスさんを外まで引っ張ってって、敷地外で聖界魔法でもかけるか?)

「でもこんなガタイがいい奴、今のオレには運べねえよな。つかなんでオレがザクリスさんの面倒を見る側になってんだよ。こいつの方がオレの面倒を見るんじゃねえのか?」

 困り果てたウィルヘルミナは頭を抱えこむ。

 その時、不意にドアがノックされる音がした。

(ん? 来客? 誰だ?)

「はいはーい」

 返事をして、ウィルヘルミナは応対する。

 ドアを開けると、商人風の男と、その護衛といった風体の二人組がいた。

 商人風の方は、ややふっくらとした体つきをした三十歳ぐらいの男で、人好きのする無害そうな容貌をしている。

 護衛と思われる男の方は、二十代半ばくらいの見事に鍛え上げられた逞しい巨躯を持つ男だった。

 二人共、南部人特有の浅黒い肌に茶褐色の目、黒髪をしている。

 突然ザクリスの家を訪問してきたその南部人二人組は、対応に現れたウィルヘルミナを見ると、面食らった様子でしばし固まっていた。

 一度互いに顔を見合わせてから、商人風の男の方が、戸惑いつつ口を開く。

「えーと、君は誰かな? この家の住人…ザクリスさんがどこにいるかわかりますか?」

 体をかがめ、ウィルヘルミナの視線の高さに合わせると、幼い子供に言い聞かせるようにそう言った。

(まあ、これはしょうがねえ反応だよな。自分でもかなり怪しい奴に見えるし…)

 知り合いの家から、突然見たこともない、しかも眼帯で片目を覆った子供が応対に出てきたのだ。不信に思ってもしかたがない。

 しかも、その子供は白い肌に金髪碧眼をしていて、見るからに北部人なのだ。遠く離れた地に住むはずの北部人が、南部にいるのだからよけいに驚いても仕方のないことだろう。

「オレはレイフ・ギルデンです。五日前からザクリスさんのところでお世話になってます。で、ザクリスさんなんだけど…」

 ウィルヘルミナは困ったように口を濁し、ドアを開け放ったまま後ろにさがった。そのまま二人に部屋の中を見せる。

 中をのぞき込んだ二人は「あー」と訳知り顔で声を漏らし、顔を見合わせてため息を吐いた。

「またですか…ザクリスさん腕は確かなんだけど、こういうところが困るんですよね…」

 商人風の男が、護衛らしき男に向かってぼやく。

 どうやらザクリスのこの状態は、周知の事実らしい。

 護衛風の帯剣した大柄な男は、腕を組んで小さく息を吐き出した。

「どうしますか? やはりギルドに掛け合って、金界魔術師を紹介してもらいますか?」

「それはまずいですね。絶対に表沙汰にはできない件ですし」

「じゃあ、ザクリスさんが正気に戻るまで待ちますか?」

「それも無理ですね。ご本人が、他にもまだ何かが仕掛けられているって仰っているので、たぶん何か自覚症状がおありになるのでしょう。あの方は弱みを見せたがらないので、どんな症状なのかはっきりとは分かりませんけど、お体に何か問題が出ているのは間違いないはずです。おそらく緊急を要する状況なのではないかと思います」

 二人はそのまま、ああでもないこうでもないと悩みはじめる。

 ウィルヘルミナは、そんな二人のやり取りをそばで聞いていたのだが、商人風の男が持っている小さな木製の箱を見て軽く目を見開いた。

(あれ、魔法具かな? なんか闇界魔法が付与されてる感じだな。しかも、絶対に良くないやつだあれ)

 闇界魔法は、毒や病気で弱らせたり、眠らせるなどといった体調に異常を与える魔法や、相手の魔力を奪うといった魔法が一般的なものなのだが、上位の魔法になると即死させる魔法というものがある。

 商人風の男が持っている箱は、どうもその呪殺系の魔法が付与された暗殺用の魔法具のようだった。

 じっと見ていると、その魔法具がどんなものなのか、おぼろげながらわかってくる。

(あれ…? 変だな…この魔法具二重構造になってるのか…? いや違うか、箱の中にやばい魔法具が入ってる状態なのか? うーん、もしかして外側の箱も魔法具…? 触ってみないとその辺の事はよくわかんねえな…。でも呪殺系の魔法具を持ってて大丈夫なのか?)

 商人風の男が持っているものが、どういった魔法具なのかは実際に手に取ってみない事には判断がつかなかないが、しかし、男が持っている魔法具に呪殺効果が付与されていることは確かで、ウィルヘルミナは心配になった。

 おかげで、深く考えることなくつい言葉が口を突いて出る。

「あのさ」

 躊躇いがちに声をかけると、二人の目がウィルヘルミナに向いた。

「それ危ないよ。物騒な感じのする魔法具だから、触らないほうがいいかも」

 通常闇界魔法が付与された魔法具は、改めて発動条件を付与しない限り接触によって発動する。

 そのため、持っているのは危険ではないかと思って、つい口に出してしまったのだが、それを聞いた二人の表情が驚愕に変わった。

「わかるのですか? これが何なのか!?」

 血相を変えて詰め寄る二人に、ウィルヘルミナは圧倒されて後じさった。

(なんだこの反応…やけに食いついてくるな。危ないから教えただけなんだけど…)

 ただの驚き以外に、必要以上の熱量のこもった二人の反応に、ウィルヘルミナは戸惑いを覚える。

「え? 闇界魔法が付与されてる魔法具だよな?」

 その答えに二人は驚き、目を見開いたまま互いの顔をまじまじと突き合わせた。

 やがて商人風の男が、ウィルヘルミナに向き直る。

「君は…金界魔術師なのですか…しかも高位の…」

 呆然と口にしたその言葉に、今度はウィルヘルミナの方が目を見開いた。

(やっべ! しくった! 鑑定しちゃったよ! わざわざ自分から金界魔術師ですって言っちゃったよ!!)

 ウィルヘルミナは内心で冷や汗をかいていた。

 今ウィルヘルミナがしたことは、いわゆる『鑑定』と呼ばれるものである。

 鑑定ができる金界魔術師は、それだけで上位魔術師と位置付けられていた。

 何故なら、鑑定はその魔法具に付与されている魔法全てが契約済みでなければできない。つまり二職以上の金界魔術師である証拠なのだ。

 ウィルヘルミナはひきつった表情になり、気まずそうに二人から目を反らした。

「ええと…まだ違いマス。見習いみたいなものデス。それを教わるためにザクリスさんのところに預けられてマス」

 それは嘘ではない。

 ウィルヘルミナが持っている金界魔術師としての知識は、イヴァールから教えられた通り一遍の知識だけだ。イヴァールは金界魔法を使えないので、あくまでも情報としてさわりを教えられているだけなのだ。

 だから、今の鑑定は偶然条件がそろっていたためにできてしまったことにすぎない。意図したわけではないのだ。

 ウィルヘルミナは、まだ魔法具を作ったことはなく、そのため、中和や付与はもちろんの事、充填と呼ばれる効果が弱まった時に魔法具へ魔力を補充する作業や、分解と呼ばれる複数の魔法付与の付いた魔法具の効果を一つずつ外していく作業もしたことはない。

 そういうことは、本職であるザクリスの元で、実地で学ぶようにと言われているのだ。

「ですが、二職以上の高位の金界魔術師なのは確かです…。信じがたいことではありますけど、これが何なのかわかるのですから」

 商人風の男が、驚きと期待とを込めたような眼差しで、食い入るようにウィルヘルミナを見る。

「えーと…」

(まいったな。迂闊な事言えねえんだよな。眼鏡からも八職であることは絶対に伏せておくようにって言われてるし。てか、金界魔術師ってことも、あまり大っぴらにはするなとも言われてたんだよな…。やべーな。これ以上勝手に答えて、面倒な事巻き込まれても困るしな…)

 目立つような行為をして、自分が神獣眼であることやノルドグレンの人間であることを誰かに知られるわけにはいかない。

(オレのことがばれたら、たぶんザクリスさんにも迷惑かけるし、ここにもいられなくなる。どうやって誤魔化すかな)

 その迷いを感じ取ったのか、護衛風の男が真面目な表情で口を開いた。

「君が初対面の人間に対して警戒するのは十分に理解できる。だが、もし君が金界魔術師なら、どうか我々を助けてはくれないかな? 我々はかなり困った状況にあるのだ。実は、ある御方の御命が危険にさらされていてね。その方を狙って仕掛けられている魔法具を見つけてほしいのだ。どうか力を貸してはもらえないだろうか」

(うーん、確かに…。こんな呪殺系の魔法具が他にもあるんだったら危険だよな。わかってて放置するのも寝覚めが悪いしなぁ。どうすっかな、まいったな)

 ウィルヘルミナのそんな揺らぎを感じたのか、商人風の男も畳み掛ける。

「私からも頼みます。人助けだと思って協力してくれないかな? 緊急の案件なんです。君に迷惑をかけるようなことは絶対にしないので。もちろん報酬もはずみますから、どうか頼まれてくれないかい?」

 ウィルヘルミナは迷いつつも、しばらく考えてから腹を決めた。

「別に報酬なんていらねえけどさ、オレが金界魔法使えることは、広めないようにしてもらえる? できれば他言無用にしてほしいんだ」

 二人はしっかりとうなずく。

「あと、オレ本当に見習いだから、付与とか分解とか補填とか中和とか、そういうの期待されても無理だから」

「大丈夫です。今回はそんな技術は必要ないので。とにかく発見してくれるだけでいいんです」

「しょうがねえな、わかった…。オレにできる事なら手伝うよ」

 人の命がかかっていると言われたら断るわけにもいかない。

 ウィルヘルミナは仕方なく引き受けた。


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