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キデニウスたち一行は、一か所に密集し、周囲から襲い掛かる魔物を倒していた。
陣の中央に負傷者を集め、最初こそは順次回復をして戦力のたてなおしを図っていたのだが、今はその回復作業を行ってはいない。できるような状況ではないのだ。
動けるものは皆魔物に対峙しており、回復に人をまわすことが出来なくなっている。
キデニウスたちは、退くことも、逃げることすらもできないような絶望的な状況に陥ってしまっていた。
治療にあたるべき人員を魔物討伐に割り振っても、戦況は一向に好転しない。
むしろ負傷者が徐々に増え、状況は悪化をたどっていた。
皆が、ただがむしゃらに魔法を唱え、剣を振るばかり。
自分たちに残された時間が少ないことを、その場にいる全員が感じとっていた。
キデニウスは負傷した腕を庇いながら、それでも魔物を屠り続ける。キデニウスでさえも、傷を回復するゆとりがないのだ。
「防御を徹底せよ! 陣形を崩されるな!!」
円陣に魔物が侵入しそうになると、キデニウスが叱咤するように声を張り上げる。
この絶望的な状況にあって、それでもまだキデニウスは諦めていなかった。
鬼神のごとく剣と魔法を駆使し、魔物を撃退している。
タニヤもまたキデニウスの側で、一心不乱に魔法を唱えていた。
キデニウスが近くの魔術師の援護にまわると、その穴を埋めるかのように、疲労で荒い息を繰り返しながらもタニヤが一歩前に出る。
「ロヴィアタル」
タニヤは火界六位魔法を放った。
業火が周辺の魔物を焼き尽くすと、生き残った魔物たちが警戒するようにいったん後退する。
「すまないカルペラ卿」
「いいえ」
キデニウスの謝意にタニヤは首を横に振った。頬を伝い、滴り落ちる汗を手の甲で拭ながら視線を魔物へと戻す。
「キデニウス様、このままでは全滅です。何とかこの包囲網を突破せねば…」
「わかっている」
キデニウスは剣を振りながら周囲を冷静に見まわした。
「先ほどよりも魔物の数が減ってきている。このままいつまでも大量の魔物が出現し続けるとは思えぬ。魔物の数が減ってきた頃合いを見計らって負傷者を回復し、ギルデン卿の救出に向かう」
言われて、タニヤも改めて包囲する魔物を観察する。
確かに、魔物の数が減ってきているように見えた。
しかし、このまま進軍をするには状況があまりにも悪すぎる。
「ロヴィアタル」
タニヤは再度魔法で魔物をけん制してからキデニウスを横目でチラリと見た。
「このままギルデン卿の救出を続行するのですか?」
「もちろんだ」
キデニウスはきっぱりとうなずきながら、魔物を剣で切り捨てた。
「カルペラ卿、そして皆にも承知しておいてもらいたいのだが、ギルデン卿の安全は最優先事項と承知してくれ。私の安全よりも優先してほしいのだ。それを肝に銘じて今後の行動をとってくれ」
キデニウスの言葉に、周囲の魔術師たちは驚いた表情に変わる。
タニヤもまた同じ反応をして問い返した。
「それは本気でございますか、キデニウス様。ギルデン卿の救援要請をしたのは確かに私でございますが、しかし、キデニウス様よりもギルデン卿の安全を優先させよというお言葉は承服致し兼ねます」
だが、キデニウスはきっぱりと首を横に振る。
「皆の意見もあろうが、しかし、ここは私に従ってくれ」
内容こそ要請するような口調だったが、しかしそこには、反論は受け付けないというキデニウスの強い意志がうかがえた。
戸惑うタニヤたちを尻目に、キデニウスは猛然と剣を振るう。
そして、一刀のもと複数の魔物を一度に屠ると、氷界六位魔法を唱えた。
「トゥオニ」
氷の刃が魔物に襲い掛かり、その体を貫いた。
その時の事だ――――。
突然辺りに、閃光のようなまばゆい光が差し込み、夜更けの暗い森の中を照らしだした。
それは、眼裏までもを焼き尽くすかのような強烈な光だ。
まるで、真夜中に突然太陽が現れたかのような現象に襲われ、一行は、あまりのまぶしさに思わず目を固く閉じる。
「くっ」
キデニウスは腕を上げて目を庇いつつ、必死に目をこじ開けようとした。
しかし、それは成功しない。
目を開ければ、一瞬で視力を奪われてしまいそうなほど鮮烈な光が襲い掛かっていたのだ。
目を閉じていても、瞼を貫くような光を感じとることができる。
キデニウスは、やむなく目を開けることを諦め、光が収まるのを待った。
やがて光は、何の前触れもなく突如として消え失せる。
キデニウスたちがようやくの思いで目を開けると、周囲には驚きの光景が広がっていた。
「いったいどういうことだ…」
キデニウスは立ち尽くし、呆然と呟く。
辺りには、溶けかけた魔物たちの遺骸が転がっていた。
まだ息のある魔物もいるが、全てが瀕死の状態に陥っている。にもかかわらず人には全く被害がないのだ。
どういうわけか先ほどの光は、魔物だけを狙いすまして攻撃していた。
キデニウスも、タニヤも、魔術師たちまでもが呆然とその場に立ち尽くす。
一体何が起こったのか、その場にいる全員が把握できずにいた。
ウィルヘルミナたちは、魔物を狩りながら壁へと急いでいた。
報告にあったように、壁から離れていても一定数の魔物が出現しており、一行の表情は厳しい。
壁に近づくにつれ、先発隊が駆除した魔物の遺骸がそこかしこに転がっており、今回の壁蝕の異常さをまざまざと見せつけていた。
やがて、魔物の出現の仕方に変化が訪れる。
それまでポツリポツリと単体で出現していたはずの魔物が、突然群れ単位で出没するようになったのだ。
(くそっ、急に魔物の数が増えたな。おかげで移動速度が落ちた。御爺様がいる場所はまだもっと先だってのに)
ウィルヘルミナが、焦りを感じはじめたその矢先――――。
突如まばゆい光がウィルヘルミナたちに襲い掛かった。
「くっ!!」
ウィルヘルミナはとっさに目を閉じる。
(この光…!!)
目を閉じつつも、ウィルヘルミナにはこの光に思い当る節があった。
(もしかして、オレが御爺様に渡したあの魔法具が発動したのか!?)
そう考えてからヒヤリとした。
何故なら、魔法具が発動するという事は、発動条件である氷界三位魔法を使わなければならないような危機的な状況に、ラウリが直面したという事に他ならないからだ。
(けど、この光は聖界一位魔法。つまり、発動はまだ第一段階ってことだ。今後、次の魔法が発動しなければ、とりあえずは安心…って事になるよな)
冷静に考えをめぐらしながら、ウィルヘルミナは光が消えた後に、すぐに目をこじ開ける。
そのまま、光が放たれていたその方向を注意深く見つめた。
(ここから次の魔法の発動は見えねえかもしれねえけど、たぶん地鳴りくらいは聞こえると思うんだよな…)
そんなことを考えつつ、ウィルヘルミナは一点を見つめ続ける。
同じく光が消えた後に目を開けた周囲の魔導士たちはというと、明らかに動揺していた。
それは、ベルンハートもイヴァールもエルヴィーラも例外ではない。
ニルス=アクラスさえもが目を見開き、驚き固まっていた。
ニルス=アクラスは我に返り、周囲にいた魔物が弱っている姿を確認するとゴクリと喉を鳴らす。
「今の光…まさかティターンか…?」
呆然と呟いたその言葉を、エルヴィーラが拾った。
「ティターン!? 先ほどの光が、伝説に語られる聖界一位魔法だというのか!?」
エルヴィーラは激しい剣幕でニルス=アクラスに問いただすが、ニルス=アクラスは口を閉じる。
かたく口を引き結び、それ以上何も語らなかった。
エルヴィーラは、ニルス=アクラスと同じく周囲を見回してから考え込む。
魔物は、死んではいないものの、明らかに弱っていた。
「神話によれば、聖界一位魔法は、魔物を滅する聖なる光とある。人的被害はなく、魔物だけ弱っている現状は確かに合致する。しかし、先ほどの光源は、かなり遠かった。いかに神話級の魔法とはいえ、これだけ離れている魔物まで弱らせるなど、そんなことが可能なのか…? そんな魔法を、いったい誰が扱えるというのだ」
エルヴィーラが呟く。
その時のイヴァールはというと、エルヴィーラの言葉を聞きつつもウィルヘルミナの横顔を見つめていた。
イヴァールのその額には、うっすらと脂汗が浮かんでいる。
光の放たれた方向をじっと見つめるウィルヘルミナの姿から、イヴァールは、今の状況をある程度推測できていたのだ。
ウィルヘルミナが、ラウリに自作の魔法具を渡してあることをイヴァールは把握していた。そして、ラウリがウィルヘルミナの向ける視線の先にいるであろうことも。
ラウリのもとに贈られた魔法具の詳細は、ラウリ自身にも秘密であったため、どういう性能の物なのかイヴァールには知る由もないが、しかし、いうまでもなく作り手であるウィルヘルミナはそれを熟知している。
そのウィルヘルミナは、先ほどの光に驚いた様子が全くない。
つまり、ウィルヘルミナは先ほどの現象が何なのか理解しているということになる。
それらの事実から、先ほどの光はウィルヘルミナの作った魔法具の発動ではないかと推測していたのだ。
イヴァールは、ザクリスからウィルヘルミナがすべての精霊魔法を契約している報告を受けていたが、いざ実際に聖界一位魔法の威力を目の当たりにして、内心ではかなり動揺していた。
「全く…いつも突拍子もない事をしでかしてくださる。そのたびに驚かされる身にもなっていただきたいものだ」
イヴァールは脂汗をぬぐいながら、ため息交じりに小さくぼやく。
しかし、その声を拾う物は誰もいなかった。
ウィルヘルミナはというと、じっと光の消えた方向を見つめている。
一定期間観察していても何も起こらないことを確認すると、一人安堵の息を漏らしていた。
ウィルヘルミナの隣にいたベルンハートは、ようやく驚きから回復し、のろのろと首をめぐらせてウィルヘルミナを見る。
「レイフ…先ほどの光は、ニルス=アクラスやベイルマン辺境伯爵がいうように、誰かがティターンを使ったものなのだろうか?」
いまだ信じられない様子で、半信半疑に問いかけるが、ウィルヘルミナは返事に詰まり、困ったように頬を掻いた。
(いくらベルでも本当の事を説明するのはまずいよな…。それに、ここじゃ他の人の目もあるし、とりあえず誤魔化しとくか)
「どうなのでしょう、私にはわかりませんが、しかし、その可能性は否定できません」
ベルンハートは、再び首をめぐらせ、光の消えた方向を改めて見つめる。
ウィルヘルミナをのぞいたその場にいる全員が、驚きと畏怖の入り混じった表情で呆然と立ち尽くしていた。




