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タニヤは、急きょ編成された前線への応援部隊に参加し、馬を疾駆させていた。
タニヤの所属する部隊の指揮は、キデニウスが執っている。
出発前、キデニウスとダニエルのどちらが応援部隊の指揮を執るかでひと悶着があった。
ダニエルは、タニヤの報告を聞いて現場の異常さをすぐに理解し、キデニウスの身の安全を考えて自分が指揮を執ると申し出ていた。
しかし、キデニウスは、ダニエルが現場に出て負傷した場合、討伐部隊が総崩れになる可能性があると主張して譲らなかった。キデニウスは、指揮官としての自分の未熟さを理解しているのだ。
もしもの時には、ダニエルの経験が必要になると説き伏せ、最終的にキデニウスが応援部隊の指揮を執ることで落ち着いたのだった。
キデニウス率いる応援部隊は、タニヤの案内でラウリと別れた場所を目指している。
一行は時折魔物と遭遇し、駆除しながら進んでいるが、今のところタニヤや、他の部隊からの報告にあったような、大量の魔物の出現には直面していなかった。まばらに現れる魔物を討伐するだけにとどまっている。
しかし、壁から距離がある場所で、これだけの頻度で魔物に遭遇することは明らかに異常事態だった。
これらの状況から、先発隊がうまく機能していない事が容易に推測できる。
応援部隊に参加する魔術師たちの表情は、みな厳しいものに変わっていた。
固い表情で馬を進めるキデニウスに、タニヤが声をかける。
「キデニウス様、ギルデン卿と別れた場所はここを折れたすぐ先です」
タニヤが指さす方向は、死の山と呼ばれる急峻な岩山へと向かう方向だ。
キデニウスは無言のままうなずき一度馬を止める。
各部隊長を集め、そこで壁際への増援の最終指示をはじめた。
ここまでの移動時に遭遇した魔物の数からして、壁際の状況もかなり厳しいことが推測できる。
出発時に届いていた、応援要請場所へ重点的に部隊を割り振りつつ部隊を送り出すと、キデニウスは、残った部隊を率いてタニヤが案内する死の山の方向へと踏み込んだ。
暗い森の中を、一行はたいまつの明かりを頼りに移動していた。
「キデニウス様、もし私が撤退した時の状況がいまだ続いているとしたら、この先はかなり厳しい戦いとなります」
「わかっている」
そんな会話ののち、まもなくして一行は、大量の魔物の死骸に遭遇する。
それは、ラウリの呼び出したノーンハスヤによって倒された魔物の群れだ。
キデニウスは、手綱を引いて馬を止めると、周囲を見回して絶句する。
「これは…」
無数の魔物の遺骸が大地に横たわるさまは、まさに壁蝕時の壁際そのもの。
それも、壁蝕が終わろうかという時期の、凄惨な光景に匹敵するほどのものだった。
同行しているほかの魔術師たちも、それを見て息をのんだ。
「これをギルデン卿が?」
キデニウスの問いかけに、タニヤは頷いた。
「はい、ギルデン卿は、召喚魔法を使っておられました」
『召喚魔法』と聞き、キデニウスは硬い表情でタニヤを見返す。
「カルペラ卿、その話は他言無用にしてほしい」
キデニウスは、ラウリの身を案じてタニヤにくぎを刺した。
「もちろん承知しております」
キデニウスはホッと安堵の息をつき、もう一度周囲に視線をめぐらす。
「しかし、なるほど…。これはまさしく異常事態だな。通常なら、これだけ壁から離れている場所に、これほどの魔物の群れが現れるはずがない。いったい何が起きているのだ」
脂汗を浮かべるキデニウスのつぶやきに、タニヤもまた厳しい表情で口を開いた。
「詳細はわかりませんが、何か途方もない異変が起きているのは間違いありません。先を急ぎましょう。ギルデン卿の御身が心配です」
キデニウスは無言のまま頷いて馬の腹を蹴る。
タニヤ達もそれに従った。
キデニウスたち一行は、死の山の方向を目指して森の奥へと進む。
つい先ほどまで断続的に続いていたはずの魔物との遭遇が、どういう訳か今はピタリと止んでいた。
全員がその事実に違和感を覚えていたが、それでも先を急ぐ。
「どうして急に魔物が出現しなくなったのだろうな。先ほどまではあんなにも遭遇していたというのに…」
薄気味悪さに、キデニウスがぽつりとこぼす。
風までもが止んでおり、森の中には、一行の馬蹄の音ばかりがだまする。
その静寂は、まるで嵐の前の静けさのようだった。
不意に一陣の風が吹き渡り、ざわざわと木立を打ち鳴らしはじめる。
突然、周囲の空気が変わった。
キデニウスが、全員に止まるように指示を出す。
「空気が変わったな…」
つぶやきながら、警戒するように周囲に鋭い視線をめぐらす。
すると、森の奥に何か生き物の気配を感じ取った。
「何かいるぞ」
キデニウスの言葉に、一同は瞬時にして陣形を変え、守りを固める。
ピンと張り詰めた緊張の中、魔術師たちが馬上でそれぞれ得物を構えると、不意に茂みが動いた。
一斉に、周囲の茂みから魔物が飛び出してくる。
魔術師たちはすぐさま応戦した。
現れた魔物は、オセやラウム、オロバスなど下位の魔物がほとんど。その中に数匹紛れるようにして中位の魔物エリゴルの姿などが見えた。
「アフ・プチ」
魔術師の一人が地界九位魔法を唱えて魔物の突撃を防ぐ。
魔物が土壁にぶつかり、一瞬足止めされた。
その隙に、別の魔術師が火界八位魔法を唱えて炎を放つ。
「シャムバ」
炎が魔物の群れに襲い掛かった。焼かれた魔物は、痛みに地面をのたうち回る。
はじめこそ距離をとって魔法攻撃ができていたが、止まることのない魔物の出現のせいで、すぐに白兵戦に変わった。
無秩序に襲い掛かってくる魔物を、魔法で弱らせつつ剣で斬り伏せる。
しかし、途方もない数の魔物が、波のように次々と押し寄せてきていた。
キデニウスたちは必死に防戦し、魔物の波を押し返そうとするが全く成功しない。
足元には、魔物の遺骸がみるみるうちに積み上がっていくというのに、魔物の数は一向に減る気配はなかった。
あっという間に、壁際より悲惨な状況に陥る。
たとえ壁際であっても、これほどの数の魔物が、一度に押し寄せてくることはない。
それは、誰も経験したことがない紛れもない異常事態だった。
途切れることのない魔物の襲撃に、魔術師たちは懸命に立ち向かうが、徐々に戦況は悪化していく。
聖界魔法による治療が追い付かなくなったのだ。
負傷者を庇いながらの戦闘に、キデニウスもタニヤも全く余裕がなくなる。
呪文を唱えることが精いっぱいで、会話すらままならない状況になった。
皆必死に剣を振り、ひたすら魔法を唱える。
だが、戦況が好転することはない。
もはや、ラウリの救出どころの話ではなかった。
自分たちが、生きるか死ぬかの瀬戸際に陥っている。
その絶望的な戦況が、さらなる悪化へと転げ落ちはじめた。
「キデニウス様!!」
タニヤが悲鳴のような声を上げる。
防戦の隙をついて飛び掛かってきた魔物に、キデニウスが腕を噛まれ負傷したのだ。
「大丈夫だ! 問題ない! 皆攻撃に集中しろ!」
キデニウスは鮮血の流れ出す腕をそのままに、退くことなく陣頭に立つ。
折れることなく鬼気迫る表情で、キデニウスはひたすら魔物と戦い続けた。




