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ザクリスとカスパルは、暗い森の中、馬をとばしていた。
パルタモの警備所で、緋の竜の遺体の検分を行った後、二人はザクリスの師であるエルサ・カッシラの行方を捜してもらうべくフレーデリクに連絡をつけていた。
だが、その件に関わっているうちに、ラハティ教会学校の一行は、キッティラに向けて出発してしまっていたのだ。
ザクリスとカスパルがその事実を知ったのは、ウィルヘルミナたちが出立してから半日遅れの事。
その事実を知った二人は慌てて後を追いはじめ、こうして真夜中の森の中を移動することになっているのである。
今は壁蝕の時期――――。
魔物は、昼間でも壁を越えてくるが、夜になると能力がより強まる傾向がある。
辺境伯爵家率いる魔術師団が、魔物の侵入を阻むべく防衛についているとはいえ、この時期の夜に、外を出歩くような辺境の人間は一人もいない。
皆家の中にこもり、息を殺して夜が明けるのを待つのが普通だった。
おかげで、周囲にはザクリスとカスパル以外に人の気配は全くない。
そんな静かな森の中を、ザクリスとカスパルは必死に馬を疾駆させているのだった。
二人は、半日分の遅れを取り戻すべく無理をおして馬を走らせている。
だが、その思いに反して馬の体力は限界に近づき、二人はやむなく一度馬を止め、休ませることにした。
水を飲み、草を食む馬の側で、二人もまた休憩をとっている。
蒸し暑い夏の空気が漂う森の中、二人は無言のまま地べたに座り込んでいた。その表情はどちらも暗い。
滲み出す汗を手の甲で拭いながら、カスパルが口を開いた。
「ザクリス殿、今回のベルンハート様たちの急な出立、かなり不自然でした。いよいよきな臭いことになりましたね」
「そうですね、教会学校の生徒を後方支援部隊に派遣するという経緯にもかなり無理があったのですが、今回の急なキッティラ行きには、あの時を上回る強引さを感じます。もしかしたら、敵もかなり焦っているのかもしれませんね」
「だからなりふり構わず仕掛けてきたという事ですか」
「はい、私はそう思います。そして、敵が焦っているとなると、今後はどんな強硬な手段を使ってくるかわかりません。はやく殿下たちの元へ合流しなければ」
焦燥感を抱く二人の間に、重い沈黙が落ちる。
その時のことだ――――。
遠くから馬蹄の音が聞こえてきた。
この時期に、まさか自分たち以外に夜の移動を強行する者たちがいるとは思わず、二人は一瞬顔を見合わせる。
どちらともなくうなずき合い、隠れて息を潜め、様子をうかがった。
真夜中に馬を疾駆させる一団は、異様な気配を放っていた。
気配を殺し、ピリピリと周囲を警戒しつつ急ぎ足で移動している。
例えば、壁蝕で討ち漏らされた魔物を警戒していると考えれば、警戒するのはそれほどおかしな行動ではないのかもしれない。
だが――――。
その一団には、二人が見過ごすことのできない特徴がいくつかあった。
まず一つ目は、一行の全員が顔を布で覆い隠し、人相の判別がつかないようにしていること。真夏に覆面をしているという事は、人目をはばかるようなやましいことをしている証拠と推測できる。
そしてもう一つは、一行の中に、一人だけ縄で拘束されている人間がいることだ。
馬を操る屈強な男の後ろに、小柄な人間が身動きできぬように腕を縄で縛られ、目隠しと猿轡をかまされた状態で同乗させられているのだ。しかもその人物は、逃げられないように、腰の位置で前に乗る男と体をくくりつけられてさえいる。
客観的に見て、誘拐などの犯罪行為を行っているようにしかみえないのだ。
ザクリスとカスパルは、縄で拘束されている人間を注視する。
「拘束されているのは、どうやら女性のようですね」
カスパルがそう小声で漏らした。
「この状況は、かなりの確率で誘拐とみて間違いないでしょう。カスパルさん、あの女性を助けましょう」
ザクリスがそう応じると、二人はまるで示し合わせていたかのように、俊敏に行動に移った。
二人は、気配を殺して馬の一団に近寄る。
ザクリスは道から少し離れた場所に待機し、カスパルもまたザクリスから少し離れた位置で身を潜めた。
カスパルがザクリスを振り返って手を上げる。
その合図を受けて、ザクリスが動き出し、今まさに目の前の道を走り去ろうとする男たちに向けて声をかけた。
「お急ぎのところを申し訳ない。少々お話をお伺いしたいのだが」
突然声が聞こえてきたため、馬の一団は驚いて足を止める。
しかし、ザクリスの姿を捉えるとすぐに抜刀した。
ザクリスが声をかけたのは、念のため犯罪を行っているのかどうかを確認するためだったのだが、しかし、男たちの反応を見て、ザクリスはすぐに自分たちの判断が正しかったことを覚る。
男たちが、ザクリスの話を聞くこともなく問答無用に襲い掛かってくるのを確かめると、ザクリスはすぐさま応戦した。
「ヴェテヒネン」
氷界五位魔法を放つ。
その刹那、一行の行く手を阻むかのようにして、大地に巨大な氷の柱が何本も突き刺さった。
男たちはぎょっと目をむいたが、しかしそれも一瞬の事。
すぐに女性が乗せられている馬を守るように陣形を組みなおし、敵の一人がザクリスに向けて矢を射った。ザクリスはその攻撃をかわし、矢は側の木に突き刺さる。
男たちの視線が一斉にザクリスに向けられているその隙をついて、カスパルが背後から一団に襲い掛かった。
音もなく忍び寄り、突然背後から切り付けられ、一人の男が声もなく落馬する。
その異変で、ようやく一行はカスパルの存在に気づいた。
だが、時はすでに遅し。
カスパルは、鮮やかな剣捌きで男たちを次々と無力化させていった。
女性を後ろに乗せた男は、動揺しながらも馬首をめぐらし逃げ出そうとする。
しかし――――。
「アフ・プチ」
ザクリスの放った地界魔法が馬を足止めした。
突如現れた土壁に、馬が驚いてたたらを踏む。
動揺した馬が前足を上げて嘶き、馬上の男は大きく体勢を崩した。
カスパルがその隙を逃すはずもなく、素早い身のこなしで男に近寄ると、一瞬のうちに腰で二人をつなぐ縄を切り、女性を男から切り離した。
さらに驚いた馬が、今度は後ろ足を跳ね上げ、その拍子に縛られた女性が馬の上から落ちる。
落馬しそうになったその女性を、横から走り寄ったザクリスがすんでのことろで受け止めた。
それを視界の隅で確認しながら、同時にカスパルは手首を捻り、返す刃で馬上の男を切りつけた。
抵抗する間もなく、男はあっという間に落馬させられる。
ザクリスとカスパルは、見事な手際で一団を無力化させた。
痛みにうめき声をあげながら大地に横たわる男たちを、カスパルが縄で拘束しているその横で、ザクリスは助けた女性の拘束を解いていた。
手首の縄を切り、目隠しと猿轡を外してやると、女性はすぐに顔を上げて必死の形相でザクリスを見上げる。
「どなたか存じませんが、危ないところをお助けいただきありがとうございます。このご恩は決して忘れません」
言葉はそこで終わらず、より一層切羽詰まった表情に変わって続けられた。
「助けていただいて早々にこのようなことを申し上げる無礼を許しください。あなた方の腕を見込んでお願いがございます。どうか私に、お力添えをお願いできませんか」
賊に捕らえられていた動揺を微塵も感じさせない涼やかな声がそう告げる。
拘束されていた女性の年齢は十五歳前後。女性というよりは、少女と呼ぶ方が相応しい。
背筋をピンと伸ばしたたたずまいと、凛とした面差しが美しい生粋の東壁人だ。
ザクリスは、戸惑った様子で目を瞬かせる。
「力添えですか。お手伝いをしてさしあげたいのはやまやまですが、実は我々も先を急いでいる身。現状では、お力添えは難しいのですが…」
「厚かましいお願いをしていることは重々承知しております。ですが事は一刻を争うのです」
切羽詰まった少女の言にザクリスは考え込む。
「実現できるかどうかは難しい状況ですが、お話だけは伺いましょう。いったいどういったお力添えをのぞんでいらっしゃるのでしょうか」
少女は居ずまいを正してザクリスを見た。
「私を東壁当主エルヴィーラ・ベイルマンの元まで送り届けてほしいのです」
ザクリスとカスパルは、一度顔を見合わせる。
「あなたをベイルマン辺境伯爵の元に? つまり、我々に護衛を頼みたいという事ですか?」
ザクリスが問いかけると少女は頷いた。
「はい。申し遅れましたが私はイリーナ・ベイルマンと申します。私には、至急母に報告しなければならない議があるのです。ですが、この賊の仲間が、まだこの近辺に潜んでいる可能性がございます。それゆえお二人のお力をお貸しいただきたいのです。無理でしたらキッティラまででもよいのです。どうか護衛をお願いできませんでしょうか。何卒あなた方のお力添えを」
そう言って深々と頭を下げた。
ザクリスとカスパルは驚きに目を見張る。
「ベイルマン辺境伯爵の御息女でしたか、これはご無礼を」
二人は膝を折って謝罪の意を表した。
イリーナは慌てたように首を横に振る。
「おやめください、こちらこそ助けていただいた身で、厚かましいお願いを申しあげているのです。あなた方も先を急いでいると仰っているのに無理を言って申し訳ございません。なれど、私にはどうしても急ぎ母に報告しなければならない事があるのです。どうかお力添えを」
重ねて深々と頭を垂れるイリーナに、二人は困惑した表情で再び顔を見合わせる。
二人の目的地もキッティラであるため、とりあえずそこまでの護衛を二人は引き受けることにした。
ザクリスとカスパルは、イリーナを誘拐していた一団から、魔法具や武器を取り上げると、捕まえた賊を縄で縛り木に括り付ける。
そして、ザクリスの闇界魔法で男たちを眠らせた。
その後三人は、急ぎキッティラを目指すことにした。




