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ラウリと別れたタニヤは、隊を率いて本陣へと向かっていた。
遠くから、暗闇に揺れるたいまつの炎と、その周辺を警備する多くの魔術師たちの姿とを視界にとらえると、ホッと胸をなでおろす。
後ろに続く隊員たちを振り返り、声をかけた。
「本陣に着いたぞ。これでもう安心だ」
隊員たちも胸をなでおろす。
タニヤは見張りの衛兵に声をかけ、一行は本陣に足を踏み入れた。
そして駆け付けた責任者に、至急ラウリの応援のための部隊編成を要請する。
これまでの詳しい経緯の説明はひとまず隊の一員に任せ、自分は一人隊を離れて、足早に豪奢な天幕を目指した。
そこは討伐隊の責任者が常駐する天幕だ。
取次の段取りを全て省き、タニヤは強引に中に入った。
中では、ちょうど二人の討伐隊司令官が話し合っている所だった。
一人はキデニウス・ベイルマン。もう一人はダニエル・ベヘムだ。
「お話し中に失礼いたしますキデニウス様、ベヘム卿。火急ご報告したい議がございまして参上いたしました。ご無礼をお許しください」
キデニウスとダニエルは、驚いた表情でタニヤを迎え入れる。
「そんなにも慌てて、いったいどうした」
ダニエルが表情を引き締めて声をかけると、膝を折って首を垂れていたタニヤが顔を上げた。
「実は、今回の壁蝕で異常事態が発生しています。通常の壁蝕の比ではない大量の魔物が侵入を確認しております。至急大規模な追加部隊の編成をお願いしたく、無礼を承知で直接ご報告に上がりました」
ダニエルとキデニウスは、一度視線を合わせる。
厳しい表情に変わり、再びタニヤに視線を戻した。
「詳細の報告を」
キデニウスに促され、タニヤは自分たちの隊に起きた出来事を報告する。
そして、ラウリが単身現場に残り、魔物と戦っている旨を伝えると、救出部隊の編成を改めて願った。
報告を受けるなり、二人はすぐに動き出す。
「控えている二陣の部隊を壁広域にわたって派遣する。すぐに伝令を飛ばせ」
ダニエルの指揮にキデニウスも頷きつつ、指示が終わるとダニエルに声をかけた。
「ベヘム卿、至急キッティラに増援要請を行いましょう。幸いにも、キッティラには母上が向かっています。母上たちに助力を乞いましょう。魔物の侵入を壁際で食い止めるためには、教会への応援要請も必要です。ただちに報告を上げ、近隣の教会魔術師たちに応援を願いましょう」
「わかりました、急ぎ手配いたします」
ダニエルとキデニウスの采配の元、急ぎ増援部隊編成が実行され、同時に内地と教会への応援要請も行われた。
ウィルヘルミナたちは、キッティラに到着していた。
キッティラは、内地への魔物の侵入を阻むための基地の役割も果たす砦。
それゆえ町の外側には強固な城壁が張りめぐらされており、まるで要塞さながらの堅牢なつくりをしている。
城壁内に入ると生徒たちは安堵し、今にも崩れ落ちそうになった。
フェリクスとイッカはエルヴィーラに呼ばれて別行動となっていたが、他の学校関係者たちには温かい食事が振舞われ、休むための部屋も用意される。
人々が慌ただしく動く城内で、生徒たちは今食事を摂っていた。
教師たち三人も一緒で、ペテルとヨルマは元気付けるように生徒たちに声をかけて回っている。
ヨルマの正体に気づいているウィルヘルミナとベルンハートは、そんな姿を内心で冷めた目で見ていた。
二人は、不自然にならないように立ち回り、黙々と食事を摂る。
イヴァールだけは一人壁際に立ち、静かに生徒たちを見守っていた。
生徒たちは皆言葉少なだったが、ようやく安全な場所に逃げ込み、隣りあわせだった危険から解放された実感を噛みしめている。食事を摂りながら、涙を浮かべている者もいた。
そんな生徒たちを尻目に、ウィルヘルミナとベルンハートは、かき込むようにして急いで食事を摂り、一足先に部屋に戻ると言いおき二人だけで食堂を抜け出した。
ヨルマには東壁の監視がついているため、今はあえて危険を冒し二人が見張るような必要もない。
ウィルヘルミナは、食堂を出る際にちらりとイヴァールを見たが、視線が合うことはなかった。
廊下に出ると、二人は足早に歩きながら、周囲を警戒しつつ小声で話しはじめた。
「なあベル、今日オレたちは内地で魔物に遭遇したっていうのに、ここでは交戦の形跡がねえ。やっぱりおかしいよ」
キッティラは、ウィルヘルミナたちが魔物と遭遇した場所よりも外側――――壁に近い場所に位置している。
普通に考えるなら、今日遭遇した魔物はキッティラの防衛をも突破して、内地に侵入したことになるのだが、しかし、キッティラには魔物と交戦した形跡が残っていなかった。
つまり、ウィルヘルミナたちが遭遇した魔物は、キッティラの防衛網にかかることなく内地に出現したことになる。
その事実に、ウィルヘルミナは不気味さを覚えていた。
ベルンハートもうなずく。
「確かにおかしい。そもそも、壁際に布陣されている防衛線を魔物が突破してくること自体が考えにくい。もし防衛線を突破した魔物が存在したとすれば、必ず見つけ出して狩るはずだからな」
「そうなんだよ。壁蝕の討伐隊は、魔物を一匹たりとも逃がさないように、かなり厳重に布陣されてる。その包囲網を突破した挙句、キッティラの監視も潜り抜けて素通りできるなんてありえねえ。フェリクスたちは納得してなかったけど、やっぱりオレには今日遭遇した魔物が、今回の壁蝕の包囲網を突破した魔物だとは思えねえんだよ」
「そうだな、私もお前の考えに賛成だ。だいたい魔物と遭遇したあの時間からしておかしい。我々が魔物に遭遇したのは、壁蝕の開始とほぼ同時刻。その時間に、壁から距離の離れた内地で、壁際の包囲網を突破した魔物と遭遇することはどう考えても不可能だ」
ベルンハートに指摘されて、ウィルヘルミナはうなずいた。
「そうだよな、言われてみればベルの言う通りだ。やっぱりオレたちが遭遇した魔物はおかしい。これはオレの勝手な想像だけど、たぶん事前に捕まえておいて、どこかで飼われてた魔物なんじゃねえかな」
ベルンハートは目を細める。
「そう考えると、やはり誰かが魔物を操る方法をあみだしたとしか考えられぬ。そうでなければ今回の件は説明がつかぬ」
ウィルヘルミナは腕を組んだ。
「だよな。でもそうだとすると、オレたちが魔物に遭遇したあの辺りで魔物が飼育されてた可能性が高くなるよな? 誰にも見つかることなく魔物を移動させるのはかなり難しいだろ?」
「それはそうだが…しかし、現実的に考えて無理ではないか? あれだけの数の魔物を、誰にも見つからずに、しかも、どのようにして飼うというのだ? しかも内地で」
ベルハートの疑問に、ウィルヘルミナは黙り込む。
パルタモからキッティラにかけての地形は、森が多いのだが、そのほとんど起伏のない平地。
しかも、小さな集落が点在している。土地柄、猟師を生業とする人間も多い。
そんな場所で、あれだけの数の魔物を、誰にも見つけられることなく飼育することは無理な話だった。
二人は考え込むが、答えなど見つかるはずもない。
そこに、フェリクスとイッカが現れた。
フェリクスは周囲を見回し、人影がない事を確認すると小声で声をかける。
「ベルンハート、レイフ、少しいいか? 話があるのだ」
ウィルヘルミナとベルンハートは一度視線を見合わせてからうなずき、フェリクスの後に従った。




