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四壁の王  作者: 真籠俐百
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 イヴァールは、ウィルヘルミナを伴いとある場所を訪れていた。そこは、町の商業区の奥まった路地の突き当りにある古びた屋敷だ。

 ここにたどり着くまでの間、イヴァールはウィルヘルミナに対して、言葉遣いを直すようにと散々言い含め続けてきたのだが、全く成果を得られず疲れ切った表情をしている。

 一方、隣にいるウィルヘルミナはというと、イヴァールとは対照的に、お腹も気持ちも大満足の状態。ニコニコとよい笑顔をしていた。

 そんなウィルヘルミナを、イヴァールはジトリと横目で一瞥してから、盛大にため息を吐きだす。頭痛を覚えたように額を押さえつつ口を開いた。

「貴女は、しばらくの間、ここで金界魔術師の見習いとして住み込むことになります。私の目が届かないからと言って、自由気ままに適当にふるまうことは許しませんよ。ご自身の品位を落とすような真似を、決してしてはいけません。くれぐれもそのような行動は慎みなさい。いいですね」

「はーい、わかってまーす」

 返事はよいのだが、真剣さが全く伝わってこない。

 腹に据えかねたイヴァールの額に、青筋が浮かびはじめた。

「真面目に聞きなさい!!」

 イヴァールが怒鳴ったその時のこと――――。

 ウィルヘルミナは目の前の扉の奥に人の気配を感じとった。自然と視線を扉へと向けたのとほぼ同時に、ギイと建付けの悪い音を立てながらその扉が開く。

 すると中から、背が高く無精ひげや髪を伸び放題に放置した汚らしい男がのっそりと現れた。

(うわ!? きったな!!)

 綺麗好きで、やや潔癖症気味のウィルヘルミナは、思わず後ずさる。

 イヴァールは、その人物の姿を見るなり呆れたような表情に変わった。

「ザクリス…何ですかその姿は!?」

 イヴァールの、苛立ちを含んだとげのある言葉を浴びても、ぼさぼさの男――――ザクリスは、全く気にもせず、ただイヴァールの姿を見つけてにこりと笑った。

「やっぱりイヴァールだ。随分と遅かったね」

 のんびりとそう応える。

 ザクリスは、真っ直ぐな黒髪に明るめの茶色の目、肌は黄色がかった色味をしていた。 

 ここは南部の都市だが、ザクリスの容姿は、明らかに西部人の特徴をしている。

 顔半分をひげに覆われているため、ぱっと見では年齢がわからないが、ザクリスの声は、ウィルヘルミナが想像していたよりも若かった。

 イヴァールはというと、あからさまに顔をしかめてザクリスを見る。

「前もって連絡してあるのだから、身なりくらい整えておいたらどうです!? 何ですかその髪は? ひげは? 服装は!?」

 矢継ぎ早にまくしたてるが、言われた側のザクリスは、まったく気にした様子はなかった。気のぬけた表情で『すまないね、時間がなくてさ』と言って、のんびりと後頭部を掻いてみせる。

 イヴァールは尚更怒りを増し、まるで母親のようにザクリスを叱りつけはじめた。

(あ、ラッキー。矛先があっち向いた)

 ウィルヘルミナは、イヴァールの怒りの矛先が、自分から目の前のザクリスに変わったことを喜びながら、一歩引いて離れた位置から二人のやり取りを見守る。

 神経質なイヴァールと大雑把なザクリス。

 この二人、互いの性格は真逆に位置しているようだが、どうやら仲は良いらしい。

 遠慮なしにぽんぽんと言い合う二人の間には、しっかりとした信頼感が横たわっていることがうかがえた。

 ウィルヘルミナは、最初こそザクリスの薄汚れた様子に面食らったものの、今は印象を良いものに改めている。怒るイヴァールに、口ごたえすることなくしょんぼりと項垂れ、平謝りし続けるザクリスの姿は微笑ましく、自然と苦笑を漏らしていた。

 ひとしきり観察を終えると、ウィルヘルミナは二人のやり取りへの興味が薄れる。そのまま、なんとはなしに、開けっぱなしの扉からザクリスの家の中を覗き込んだ。

 扉の内側は、すぐに作業場になっており、ウィルヘルミナは面白そうに目を輝かせた。

(うわー、すっげえ数の魔法具!!)

 ウィルヘルミナは、最初こそひょっこりと頭だけ扉をくぐらせた状態で室内を見回していたのだが、やがてこらえきれず部屋の中に足を踏み入れる。

(おお!!)

 内心で驚きの声を上げた。

 そこは作業部屋のようだ。

 様々な器具や実験道具のようなものが乱雑に置かれている。

 周囲の壁には棚が備え付けられ、辺り一面が道具や魔法具の置き場になっていた。薬品や原料、使い方のわからない機械や様々な種類の武器、道具の数々が整然と棚に並んでいる。

 部屋の中央に置かれた大きめの作業台の上には、開きっ放しで放置された本や書類の山、そしてたくさんの図面が散らかっていた。

 見た事もないものばかりがその空間を埋め尽くしており、ウィルヘルミナは目を輝かせてそれらを見て回る。

「魔法具に興味があるみたいだね」

 背後からザクリスが声をかけた。

 ザクリスの声には、同志を見つけた喜びの色が宿っていた。

 振り返ると、ザクリスの後ろには、まだ小言がいい足りないと言った様子のイヴァールの姿が見えるが、ザクリスはそんなイヴァールの小言をまるっと無視して、ひげもじゃの顔をくったくのない笑顔に変えてウィルヘルミナに右手を差し出してくる。

「君がレイフ君だよね? 私はザクリス・エーンルート。宜しくね」

 ウィルヘルミナは、つられて笑顔になり、その手を握り返した。

「レイフ・ギルデンです。よろしくお願いします。ところで早速なんだけどさ、コレ触ってもいい?」

 ウィルヘルミナは目をキラキラと輝かせ、壁際に並ぶ魔法具を指さした。

「もちろん。ここに置いてあるものに危険な魔法具はないから触ってもいいよ」

 ザクリスはうなずき、同じく目を輝かせると、そのまままくし立てるようにして魔法具の説明を開始する。

 そうして二人は、魔法具談議に花を咲かせはじめた。

 イヴァールは、自分を置いてきぼりにして楽しげに話しをはじめた二人の様子に、振り上げた拳のおろしどころを失い、不承不承といった様子で口を閉じる。

 やがて、諦めたようにため息を吐きだし、苦笑を浮かべつつ、楽しげに話し合う二人の姿を静かに見守った。



 日も暮れかけたころ、イヴァールとウィルヘルミナはザクリス家の台所で夕食の支度をしていた。

 二人は、手際よく準備をしていく。実に慣れた手つきだ。

 壁の畔にあるラウリ邸には、通いの下男や下女たちがいるが、壁蝕の時期はそれを断っている。

 そのため壁蝕の時期には、ウィルヘルミナたちだけで家の事をすべて回していた。

 下男や下女と言っても、皆魔法や武術の使える腕の確かな者たちばかりなので、本来なら魔法具で結界の張られているラウリ邸にいれば、たとえ壁蝕の時期でも問題はない。

 だが、ラウリが皆の安全に配慮して滞在を許さないのだ。

 おかげでウィルヘルミナは、辺境伯爵家の令嬢であっても、身の回りの事を一人で何でもこなせるようになっていた。

 それは、ラウリもまた例外ではない。元北壁当主という高貴な身分であっても、身の回りの一切を自分一人でこなせた。

 身分の高い貴族であるはずのラウリが、家事をこなせる理由は、彼の経歴にも一端がある。ラウリは、元々副伯出身の教会魔術師であるのだ。

 ラウリは十代の前半から教会学校に通い、寮生活を送っていた。卒業後は教会魔術師として教会に所属し、成人と同時に教会の要職に就いていたが、ノルドグレン家にその腕を見込まれ、婿入りし、北壁当主の座についたという経歴の持ち主なのだ。

 この婿入りの理由は、トゥオネラ独特の相続制に原因があった。

 トゥオネラにおいて、貴族の爵位は世襲制で――――爵位の中には、褒章などによって叙され、一代に限って許される一代貴族も存在し、その場合相続が許されないので例外も存在するが――――爵位の相続には、かなり厳しい条件が付けられている。

 トゥオネラでの婚姻は、厳格な一夫一婦制で、再婚こそ認められているが、婚外子には爵位の相続権がなく、また、養子制度も認められていない。それゆえ家門の断絶がしばしば起こるのだ。

 相続では、男子が優先されるものの、女子も爵位の相続は認められている。

 そのため、女児にしかめぐまれなかったノルドグレン家に、ラウリが婿入りする事となったのだ。

 その相続事情は、たとえ王位継承権であっても例外ではなかった。

 現エルヴァスティ王家は、三代前に国王を輩出して王家となったが、それまでは公爵家であった。

 王家に正嫡がなく――――もしくは後継者が命を落とすなどして血縁が断絶した折には、当代王家に一番近い血縁関係の公爵家が王家を引き継ぐ慣習になっているのだ。

 辺境伯爵家四家も、同じ条件で家を維持されてきたのだが、王家とは状況が少し違っていた。

 何故なら四壁は、王家よりも厳格にその血統を重んじており、代々維持し続けているのだ。事実、1500年もの長きに渡り、四家ともに家門断絶の歴史が存在しない。子孫を残すことは、四壁直系の重要な使命の一つであった。

 ここまで厳格に血統にこだわるのには理由がある。それは、神獣眼が直系にしか受け継がれないためだ。

 以前ラウリが、ウィルヘルミナに『当主が子を残すのは義務だ』と言い放ったのには、こういった事情も含まれているのだ。

 もっとも、困ったことに、それを厳命されたはずの当のウィルヘルミナには、全くその意思はないのだが…。

 ウィルヘルミナは、そんな重責はどこへやら、今もまた暢気に鼻歌を歌いながら調理に勤しんでいる。

「先生、その味付けオレがやる」

 具材が茹で上がったスープに、イヴァールが味付けしようとしたときにウィルヘルミナが横から口を挟んだ。

 前世で家事を得意としていたウィルヘルミナは、料理に色々とこだわりがある。

 イヴァールの料理の腕は、たいして悪くはないのだが、良くも悪くも普通だった。イヴァールに任せておくと、全てがざっくりとした大味――――いわゆる男の料理になってしまい、そのため、食事が大の楽しみであるウィルヘルミナにとって、味の仕上げは絶対に譲れない一線だった。

 イヴァールを横に押しのけ、ウィルヘルミナは鍋の前に立つ。

 嬉々として料理を続けるウィルヘルミナを見て、イヴァールはため息を吐き出した。

「何度言ったらわかるのです。『オレ』はおやめなさい。お爺様がお聞きになったら、間違いなくお叱りを受けますよ」

 そう言ったイヴァールの声が、何故か怒っていないことに気づき、ウィルヘルミナは驚いた表情でイヴァールを振り仰ぐ。

 イヴァールは、視線が合うと苦笑を浮かべた。

「私たちは、貴女に対していつも厳しく接してきました。それが貴女のためであると信じているからです。その気持ちは、今も変わっていません。ですが、時には少しくらい羽目を外してもいいでしょう。今の楽しげな貴女の姿を見ていると、心からそう思います。いくら必要なことだったとはいえ、我々は貴女に強いるばかりだった。だから、今だけ私は見ない振りをします。ですが、わきまえるべき時は、きちんとわきまえてください。いいですね」

 いつもと違った穏やかな空気で言い諭すイヴァールに驚きつつ、ウィルヘルミナは神妙にうなずいた。

「はい、わかりました」

 今度はきちんと心のこもった返事に、イヴァールは優しげに眼を細める。

「ザクリスの人柄は、私が保証いたします。きっとザクリスなら、魔法だけでなく、他の面でも、私たちが与えることのできなかったものを貴女に与えることができるでしょう。もっとたくさんの人と接して、色々なものを学んでください。それは必ず貴女の糧となるはずです」

 慈愛に満ちた微笑みで、イヴァールはウィルヘルミナを見下ろしていた。

 ウィルヘルミナもまた真摯な気持ちでその言葉を受け止め、微笑み返す。

「うん、ありがとう。ちゃんと肝に銘じておく。でもね先生、オレ改めて言われなくても知ってたよ。先生たちやお爺様が、オレの事すごく大切にしてくれてたこと。オレを怒る時には、いつも先生たちなりの正当な理由があったこともわかってる。それに、今回なんでオレ一人だけカヤーニに来ることになったのかもなんとなくわかってる。あのさ、先生、お爺様の事くれぐれも頼むな」

 真面目な表情で言われ、イヴァールは驚きに目を見開いた。

「色々と揉めてるんだろ? オレの安全のために、わざと壁の畔からオレを遠ざけた事わかってる。オレのことは大丈夫だから、お爺様の事しっかり守ってほしいんだ。頼むよ先生」

 イヴァールは、参ったとばかりに息を吐き出す。

「ご心配の必要はありません。公表してはいませんが、お爺様は召喚士なのです。私たちが守るなど言っては、逆に笑い飛ばされてしまいますよ。貴女が気に病む必要はないのです。どうぞ今はここで心健やかにお過ごしください」

「うん、わかった…。先生の言葉信じる」

 イヴァールは、微笑みを深くした。

「さあ夕食にしましょう。ザクリスが待ちくたびれていますよ」

 その言葉通り、研究に没頭するあまり二日ほどまともな食事を口にしていなかったはザクリスは、作りすぎたかに見えた料理の数々を全て平らげて見せたのだった。


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