04:終(いずみ視点)
数年振りに"お姫様"を見掛けた。
いつも仕事帰りに立ち寄る書店、捲った紙面の中。
あんまり懐かしかったから手に取ってレジに並んだほど。
もう心は痛まず、それは少しだけ寂しい。
今や昔々の話。
城見いずみは、紬と云う名のお姫様のペットだった。
「大好き」
言葉にも触れる手にも偽りは無い。
その一方で、此の関係がとても脆い物だと解かっていた。
紬から同じ言葉は返ってこない。
どんな愛情表現だって、同性だからと響かずに。
周囲から見れば二人は親友でも、あちらは友達とすら思っちゃいない。
傍に居られるならペットでも構わない。
そう思っていたのに、紬はいずみに黙って男友達と恋仲になった。
脆いからこそ大事に大事にしようと思うもの。
それでも壊れてしまったとしたら。
全力を尽くしたのだから、未練無く「仕方ない」と口に出来る。
そんなの、あちらに見る目が無かっただけ。
長年続けていた、聞き分けの良い犬のフリ。
もうかなぐり捨てて狼に戻れる。
本当は、お姫様に突き立てたくて堪らなかった牙や爪。
隠す事には疲れていたのだ。
押さえ込んでいた野性は欲望でもあれば嫉妬でもあり。
あれは恋だった。
だからこそ悔しくて哀しかった。
けれど、此の先ずっと呪いながら生きるつもりなんて無い。
だってそんなの美しくないじゃないか。
繋ぐ物は何もかも重くなり、もう必要無いと決めたら身軽。
そうして紬の前から姿を消した。
仕事を見つけていずみが根差したのは、縁も縁も無かった地。
「おかえりー」
真っ暗な静寂を車で駆ける帰り道、柔らかな響きはいずみを安堵させる。
扉の音を聞きつけて長い髪が踊った。
湯上りらしく、雫を散らして桃色のタオルを肩にしたまま。
「ただいま」の返事は軽く、留守番していた猪田にご褒美の箱を渡す。
彼女が待っていたのはいずみのケーキ、でもあるが。
どんなに売れても残ってしまった生菓子は調理場の皆で持ち帰り。
猪田のお陰で処分に困らず済んでいる。
仕事上、甘い物なんて嫌になるほど毎日向き合っているのだ。
好きだからこそパティシエールになったのに。
いずみに代わって、飽きもせず美味しそうに食べてくれるので有り難い。
丈夫で大きな胃袋が作った、グラマーな女性的ライン。
腰や脚は適度に引き締まった猪田が羨ましい。
「お風呂沸いてるなら、あたしも入ってきて良いかな」
「あれ、ご飯は?」
「今そんなにお腹空いてないから」
「じゃあ、さ……えっと……」
そこから先、言い淀んで小さくなる猪田の声。
染まった頬は何も風呂で温まった所為だけじゃない。
「……ベッドで待ってて」
いずみが背伸びして絡み付かなければ埋まらない身長差。
牙が尖る唇を耳に寄せて。
狼の吐息で、抵抗しない子豚は白旗を降った。
そしてケーキの箱を任せ、バッグと本屋の紙袋を放る。
拍子に顔を覗かせたのは写真週刊誌。
週刊誌のトップ記事は、連日ニュースで騒がれている事件。
爛れた女性関係を続けていた男が、その女達によって惨殺された。
遺体の状態は残酷を極めて恨みの強さを物語る。
悪の王子が倒されて、妻であるお姫様は今や悲劇の人。
自分を省みずに身体を分け与えていた王子様。
打ち捨てられて、無残な亡骸を晒す。
どんな本を読んでも変わらない「幸福の王子様」の結末。
裏表が無くて皆平等に優しい、温かな人柄。
当然周囲の女子から人気もあったから、勘違いを引き起こして嫉妬に狂わせる。
昔からいずみには分かっていたのだ。
いつか中途半端な優しさは彼の身を滅ぼすと。
結ばれた先、紬には悲劇が待つと。
熱い湯に浸かった狼は、子豚に食べられてしまいました。
頑丈な煉瓦で守られた家の中。
どんな本を読んでも変わらないハッピーエンド。
お姫様がどうなろうと、違う本で生きる狼の知った事じゃない。




