696 ココだけの話はそこかしこ
冬の布団は魔物だ。
その温かな誘惑には抗しがたい。
「ぁむ」
温もりに顔を押しつける。 なんと心地いいことか……。
絹のような肌触り、それでいて真綿のように柔らかく、なのに風船のような弾力も兼ね備えていて。
しかも温かくていい匂いまでするのだから、この誘惑を振り切って目覚めようだなんて気は――。
『はぁん♪』
……小刻みに顔をすりつけていると、俺の頭上からミョーに甘ったるい声が。
というか、コレ明らかに布団の感触じゃないよな。
布団の隙間に風が入ってくるように頭が冷め、恐る恐る顔を離しながら目を開けてみると。
「んもう、意外と甘えん坊なんだから」
「……」
色気を多分に含んだ、黄金色の微笑み。
わずかに視界を下げると、そこには白い布団の平原ではなく、肌色の双丘が広がっていた。
昨夜、はるばるセスルームから両親の母親――つまり、ローザさんとセラさんがやってきた。 親父の出る武術大会を観戦するためだ。
旅の疲れを温かな食事と風呂で癒してもらった後、ローザさんは一階のリソ君の部屋でハニーと三人で、そしてセラさんは俺の部屋で寝ることになった。
「ふふふ、可愛い寝顔だったわよ♪」
「……いいから、何か着てください」
久し振りですっかり失念していた。 お袋と一緒で、この人も寝ると無意識にすっぽんぽんになるってコトを。
血縁上は祖母に当たるのだが、見た目は二〇代と言ってもまだまだ通用しそうな人だからな……。 心臓に悪すぎる。
ベッドから目を逸らし、夜明け前のまだ暗い部屋の絨毯を覗き込むと……かろうじて「無限大」の形に丸まった布を発見、触手で拾い上げる。
そして、振り向かずにそのまま渡した。
「他の服、そっちに落ちてません?」
「んー? ああ……見つけたけど、届かないし寒いから出たくなーい」
「……僕が拾いますので」
こうして俺は朝っぱらから、女性の衣服一式を拾い上げるクレーンゲームに励むこととなった。
「旅の疲れ、すっかり吹き飛んじゃったわ~♪」
「それはよござんした……」
俺は逆に、ぐったり疲れたけどなー。
なんとか危ない朝チュンシーンを誰にも見られることなく、無事に朝食を迎えることができた俺。 七分目に満たされたお腹に、じんわりと染み渡るお茶の温かさよ。
既に外は日が昇り、小鳥たちが思い思いの歌を唄い上げている。 今日はご近所の子供に道場を開放する日なので、マールちゃんとセーレたんは食べてすぐ支度をして出ていった。 キッチンにはチャロちゃんが立ち、テーブルには俺とセラさんと、ひざに孫を乗せてご満悦のローザさん。 更にお袋と、何故か肩ではなく胸の上に座っているマイドーター、それから出勤前の親父とでくつろいでいた。
「今日までお仕事だなんて、大変なのねえ……」
「まあ、な」
ほわーんと目を細めているリソ君の頭をなでながら、ローザさんが親父に話しかける。 ちなみに親父は、明日から大会出場のための長期休暇に入る。
身体を冷やさないように念のためカーディガンを羽織っているけど、ローザさんの表情にも旅の疲れは見られない。 緩く波打った銀糸のような髪が、柔らかく輝いている。
「緊張はしていない? 身体は大丈夫……?」
「だ、大丈夫だって」
心配そうなお母さんに対し、親父はちょっと気恥ずかしそう。 ま、いくつになっても親からすれば子供だからな……。
横でお袋がうふふ~と笑い、ニアちゃんは身体ごと上下に揺れている。
バランスボールみたいだ。
「お、お袋は、今日まで家にいるんだったな」
「ええ」
気持ちよすぎて眠そうになっているブラザーをなでながら、ローザさんが微笑む。 ……セラさんは、ちょっとニヤニヤしていた。
食堂の仕事の都合で取れる休みの少ないクラリスお姉さんは、明後日の夜に王都へ着く予定。 お姉さんも一緒にこの家に泊まってもらえればよかったのだが、大会の会場は王都の中心部にあり、毎日通うのは特にローザさんにとってかなりの負担になってしまう。 ムチャクチャ混むのは目に見えてるし。
なので会場近くにホテルに予約を取ってあり、お姉さんの到着に合わせてローザさんとセラさんもそっちにチェックインすることになっていた。 今日明日と二人がこっちに泊まるのは、子供や孫達とのふれあいを楽しむ以外にも、ホテル代を節約する意味もあった。 ……この時期、すんげー高いらしいからな。
たまには気心の知れた女性三人、家事や仕事から開放されての~んびりと過ごすのも悪くあるまい。
「あなた~?」
「おお、もう時間か」
言葉数はそんなに多くなかったけど、まったりと落ち着いた雰囲気のティーブレイクも終わりみたいだ。 お袋に促され、親父と二人で席を立った。 続きはまた夜に。
軍服とコートに装いを改めて下りてきた親父を、みんなで見送った。
「んじゃ、次は僕らも行きますか」
「そうね」
俺の声にセラさんがうなずいた。 本当はリソ君も連れて行く予定だったけど……完全に寝ちゃったな。
お袋が席を立ち、ローザさんのひざからブラザーを抱き上げる。 我が娘もお留守番だな。
ローザさんが疲れているようなら一日のんびりしてもらうつもりでいたが、大丈夫そうなので、今日は散歩がてらセラさんも一緒に道場へ案内することになっていた。
きっと驚くに違いない。
ひいき目に見ても「おばあちゃん」とは思えぬ美女とマダムという金と銀の花を両手に、我が城への道をエスコート。 空気は冷たいが、両隣は温かだ。
買い物や道の掃除などで外に出ている奥様方やメイドさん達に挨拶しながら歩く。 セラさんのことを知っているご近所さんはけっこういるのだが、当然ローザさんとは初対面だ。
コートとストールで全身を上品に着飾ったローザさんは、まるで田園調布のマダム。 親衛隊に勤める親父のお母さんだと紹介すれば、ご近所さん達から感嘆の声が上がる。
ちなみにセラさんは、寒さを元ともしないようなひざ丈――お袋より短いスカートを穿いていた。
「寒くない?」
「全然?」
生足でもケロッとしているセラさんは、いつもながら服装が若々しい。 服についてはお袋の方が地味なくらいだ。 ウェーブがかったセミロングの髪とスカートの裾を揺らし、悠然と歩いていた。
まーお袋の場合、「とある一部」のサイズの都合で、なかなか似合う服が見つからないせいもあるらしいが……。
その点でセラさんは適度――世間の女性達からは十分に羨望の目差しを浴びそうなプロポーションであり、冬でもその厚めの服から浮かび上がる見事な起伏を隠そうとせず、むしろコートの前を開けている。
通行人の男性の視線にも堂々と、むしろセラさんは風を切るように胸を張った。
「少しくらい寒くたって、見せなきゃダメなの。 そうして女を磨かなきゃね」
さすが、あのエルネちゃんが師と仰ぐワケだ。 その姿勢には感嘆せざるを得ない。
ちょうどご挨拶中だった近所の――最近初孫ができたという奥様は、感心して手を叩きつつ「とても真似できないわ……」と首を振った。
「いつ見ても、セラさんは若いわねえ……」
ローザさんがセラさんを見て嘆息しているけど、あなたも十歳は若く見えますからね? うんうんと同意している奥様も、たぶんローザさんの年齢を聞いたら再び首の動きを横に変えるだろう。
それにしても、腰が治って背筋が伸びるようになってから本当に見違えたなー。 今のマダムファッションもいいんだけど、和服もよく似合いそうだ。
度々の立ち話で思ったよりも時間をかけ、ようやく俺達の目に道場の建物が見えるようになってくる。
なんとか馬車が行き交える程度の交差点を渡ってそのまま中に入ろうとしたら、その手前で両手を引かれて立ち止まる。
セラさんとローザさんは、口を大なり小なり開けて呆然と道場を見上げていた。
「新築同然じゃない……いくらかかってるのよコレ」
「なんて、立派な……」
「えーっと」
返す言葉に困る俺。 手紙で道場のことは伝えていたが、実物を見せるのは初めてだもんな……。
二等区で立派なお宅の立ち並ぶ中でも、ウチの道場はその大きさでも見た目の新しさでもけっこう目立つ。
薄曇りの空から朝の光が差し、交差点に薄く大きな影を落としていた。
「さ、どうぞ」
開けたままの門を通り、敷地に足を踏み入れる。 正面の道場からは、子供達の楽しそうな声がかすかに聞こえてくる。
グランドママーズは、なぜか肩をすくめてゆっくりとした足取りになった。
ちょっぴり「借りてきた猫」状態だ。
「……あら。 ここにも、花壇があるのねえ」
「うん」
敷地の壁で死角になっているけど、中に入って振り返れば見える花壇。 いつものように、雪の花たちが真っ直ぐ伸びた茎を揺らして歓迎してくれている。
それを見つけてローザさんの口元がほころんだ。
「この時期に育っているなんて珍し――っていうか、なんで揺れて」
「まあまあ」
セラさんにだったら言ってもいいんだけど、細かいことは今回はスルー。
外に長居して身体も冷えているだろうし、取りあえずは住居部の方に入ってもらおう。
「ここで履き物を脱いでね」
脱ぐのは着物じゃないからね……って、言うまでもないか。 今朝じゃあるまいし。
こぢんまりとしつつもキレイな玄関に、お二人様ごあんなーい。 ローテーションを組んで常に掃除してくれている我が家の女性陣に、改めて感謝。
ふと見ると、靴箱には知らない靴がいくつか入っていた。
「さ、こっち」
玄関を入ってすぐ目の前の廊下は、長ーい奥と短い右側のL字になっている。 その右側に十歩も行かない内に、ダイニングキッチンへのドアがある。
ドア越しに中から、複数の女の人の談笑する声がする。 俺はやや強めにノックしてからドアを開けた。
「おはようございまーす」
「……あら?」
小さなテーブルに座っていた女性三人が、俺達の姿を見て一斉に首を傾げた。 一瞬、誰かと思ったんだろうな。
かくいう俺も、数えるほどしか顔を合わせたことはないんだけど……テーブルにお菓子やお茶を広げて楽しそうにお喋りしていたのは、近所のお母さん達であった。
子供達に道場を開放しているのと同じように、こっちの方もダイニングキッチンだけは、お母さん達の憩いの場として提供しているのだ。 なお、飲食については各自の持ち込みでお願いしている。
まあそれはいいとして……この道場のRGたる俺のことは見知っているお母さん方も、さすがに後ろにいるグランマーズのことは知るハズもなかった。
そもそも、道場の開放日に俺が顔を出すこと自体が初めてだし。
「ええっと、ジャスパー……君?」
この場にマールちゃんがいないのは、道場の方で子供達の監督をしているからだ。
代わりに、お母さん方の中でも年ちょ――リーダーっぽい人が困惑気味ながらも声をかけてくれた。
「はい、遊びに来ちゃいました。 それで――」
えへっ♪ と、わざと子供っぽく笑ってみせる俺。 ココのオーナーかつ御使いという肩書きがあるので、少しあざといくらいでちょうどいいのだ。
ぺこぺこと会釈して合っている大人達を見上げながら、俺の口から二人のことを紹介する。
「パパの大会を見にセスルームから、お……おばあちゃん、達も……いっしょに」
ぐぬぅ、思わず口ごもってしまった。 どーにも、この二人のことを「おばあちゃん」と呼ぶのには抵抗を覚えて仕方がない。 ……だって若々しすぎるんだもん。
もうすっかり恒例の――特にセラさんを紹介する度にお馴染みとなったリアクションが、さっそくお母さん達の間で爆発した。
「えっ? お、おば……?」
「セフィアさんのお姉さんじゃなくて!?」
「若っ! ……なんなのこの一族」
「ふふっ、そうおっしゃって頂けると光栄です」
驚きすぎて、少々レディにあるまじき表情を見せられるのも慣れたもの。 ……というか奥さん奥さん、たぶん小声で言ったつもりなんだろうけど丸聞こえですから。 残念。
でもセラさんは素知らぬ様子で淑やかに――でもやっぱり、ちょっと嬉しそうに微笑んだ。
「いつも娘や孫達がお世話になっております。 セラフィーナと申します」
「ど、どうも……」
姿勢を正して頭を下げるセラさん。 普段のあっけらかんとしたイメージが強いけど、こうしてかしこまるとお袋に重なって見えるほどそっくりである。
ちょうどいいタイミングと、続いてローザさんも挨拶する。
「ジェイドの母、ロザリーでございます」
「ど、どうもご丁寧に……」
セラさんのお辞儀は西洋的な感じがするのに対して、ローザさんは東洋――というか日本的である。 老舗旅館の女将さん的な。
そんな雰囲気に飲まれたのか、お母さん方は姿勢を正して順々に自己紹介をして頭を下げ合う。
いつもながら……髪や目の色は黒いどころか金銀その他色とりどりなのに、こういうやり取りはやたら日本人的でほっこりさせられる。
ししおどしのように、しばらくお互いにかっこんかっこんと頭を下げ合った後、お母さん達はいそいそと立ち上がって席を寄せた。
「ささ、どうぞどうぞ」
「というか、私達の方が使わせて頂いている身なんですけどね」
「よろしければお菓子どうぞ。 すぐにお茶をお淹れしますから」
「どうもすみません」とセラさんが応えるも、先に年長者であるローザさんへ席を譲る。 俺もすぐに気づき、上座に駆け寄ってイスを引いた。 で、腰掛ける前に脱いだ上着を受け取る。
ローザさんは「ありがとう」柔らかく微笑み、席に座った。
無論、セラさんにも同じようにする。
「ふふっ。 あなたがここの主なのに悪いわね」
「いえいえ」
お客人をもてなすこそ、主の役目ですので。
お母さん方が「うわっ、紳士だわ」「ウチの息子とは大違い」とか小声で話し合ってるけど、聞こえなかったことにしておく。
道場併設で細長い家なのでリビングテーブルも小さく、俺とお茶を淹れて戻ってきた奥さんと六人が座るとちょっと窮屈である。
お茶とお菓子でテーブルがいっぱい――っていうか奥さん、コレまたたくさんお菓子を持ってきたなぁ。
「セスルームからいらしたんですってね? この時期、寒いわ混むわで大変だったでしょう」
「ええ、まあ――」
それはともかく。 暖かい部屋にお茶とお菓子が揃えば、初対面の奥さん達の間にもたちまち世間話の花が咲き始める。
本当は、二人に居住部や道場の中を案内したかったんだけど……ま、後でいっか。
唯一の子供ということでお母さん達にやたらお菓子を勧められるが、あんまり食べると昼に差し支えるのでリスのごとく「一生懸命食べてまーす」的なアピールをし、食べる量は抑えながら育児や旦那さんの愚痴などには興味のないフリをする。
「水仕事で手はカサカサになるしで……ちょっと見てよ? もうこんな――」
「ええっとお隣の……ほら、上の子? 今年も受験、難しそうなんですって――」
「ねえねえ知ってる? あそこのダンナさん、通いのメイドの娘と最近ちょっと怪しいって――」
『えええーーーっ!?』
「……」
女の人の世間話って、ノってくるとだんだん過激な方へ行くよな……。
セラさんがノリノリなのは分かるとして、ローザさんも「いやだわあ」なんて言って口元を隠しつつ、実はけっこう興味津々っぽい。
というか、そろそろ「リス作戦」でごまかすのもキツくなってきた……。
しっぽを巻いて退散するか。
「僕、みんなと遊んでくるー」
盛り上がってきた話の腰を折らないよう、いかにも「大人のよく分からない話に飽きた~」という感じに呟き席を立つ。
「これ、ココだけの話なんだけれど――」
話に夢中で俺に気づかない奥さんもいたが、ローザさんはアイコンタクトで「いってらっしゃい」と笑いかけてくれた。
「――見ちゃったんだって!」
『ええええーーーーーーーーっ!?』
背後にお母さん方の絶叫を聞いて思わずビックリするが、あくまでも知らんぷり。
ぼく、こどもだからわかんなーい。
ちなみにリビングのドアを閉めるとき、セラさんからウィンクされた。
大丈夫、誰にも言わないから。
「……」
てか、言えるか。




